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ドグラ・マグラ (41/47)

作 夢野久作

それから二年前のこと、つまり大正十三年の三月二十六日に起こった直方事件に話を移そう。あの夜、WとMは確かに福岡市にいた。というのも、三月二十五日には久しぶりにこの大学の門をくぐり、当時精神病学の教授であった斎藤博士や同窓の先輩、後輩たちと会った後、総長に論文を提出し、卒業以来預けていた銀時計を受け取っているからだ。宿はやはり蓬莱館に泊まることにした。また、Wもその頃から春吉六番町の広い家で、飯炊き婆さん一人を相手に独身生活を送っていたので、日が暮れてからそっと外に出て、朝方帰ってくるのは何でもない仕事だった。つまり、二人とも現場にいなかった証明をするにはうってつけの場所にいたわけだ。

その晩の九時頃、一台の新しい箱型自動車が曇り空の暗闇を突き抜けて福岡を出発した。乗っている人物は炭鉱の成金らしい風貌で、「ちょうど直方へ行く汽車がなくなったところに急用ができたので、仕方がない。一つ全速力で直方まで運んでくれ」と言った。

「……えっ、それじゃあ呉一郎の夢遊病は……」

正木博士は私の前を通り過ぎると、振り返って冷笑した。

「……ウソさ、真っ赤な嘘だよ」

私の脳内は急に風車のように回り始めた。身体が自然と傾いて一方に倒れそうになったのを、辛うじて椅子の肘掛けで支え止めた。

「……あんな夢中遊行があったら二度とお目にかかれないよ。第一、台所の入口にある竹の心張棒が落ちた説明からして、非常に明瞭さを欠いているじゃないか。おそらく手袋をはめた手を戸の間から差し入れて、指の股で掴もうと試みたのだろうが、その時に誤って落としてしまった……とでも考えれば説明がつく。しかし、または難なく外しておいて、後で自然に落ちたように見せかけたとも考えられるが……まあいい。いくら際どいところが抜けていても、私の説明を聞いていれば一度で分かるから……それを私がなぜ夢中遊行病と断定したかという理由も、同時に明らかになるんだから……」

私の脳内の回転が次第に静まって、やがて静かに停止した。同時に頭の毛がザワザワとし始めたのを、奥歯でギュッと噛み締めながら目を閉じた。

「……裁判長、しっかりしないとダメだぞ。これから先が本当にわからなくなる、恐ろしいことばかりになってくるんだから……ハハ……」

「……………」

「……そこでだ……次にこの調査書類をよく読み味わってみると、異様に感じられる点が二つある。一つは、君が疑ったところで、犯人の捜索方法をただ呉一郎の記憶回復後の陳述のみに期待し、その他の捜索方法を全然放棄していることだ。……それからもう一つは、呉一郎の生年月日に特別な注意が払われている点だ……この二つだ。いいかい……」

「……ところでその呉一郎の年齢について、この調査書には一つの新聞記事の切り抜きが参考として挿入されているが、その記事によると、呉一郎の母親の千世子は明治三十八年頃に家出をしてから一年ほどの間、福岡市外の水茶屋の何とかいう、気取った名前の裁縫女塾に通っていたが、その間には子供を生まなかったように見える。……で……もしその頃に生まれなかったとすれば、呉一郎が生まれたのは明治三十九年の後半から四十年の初め頃だ……という推測ができる。……ただ、こんな年齢の推定材料の切り抜き記事は、常識的に考えると、呉一郎が私生児だから特に念のために挿入したものと考えられるかもしれない。また、その当時の話題になっていた『美人後家殺しの迷宮事件』の真相を、古い色情関係と睨んでいた新聞記者が、そんなネタを探し出したのだろう。しかし、その記事の中に虹野ミギワという呉虹汀に因んだ名前が出てきたりしたので、傍々でこの調査書の中に取り入れたものとも考えられる。しかし、私の目から見ると、そこにはもっと意味深長な、別の暗示が含まれているように思える。……というのは、呉一郎が生まれた年らしく推定される明治四十年の十二月は、この九州帝大の前身である福岡医科大学が第一回の卒業生、つまり私たちを生んだ年に当たるのだ。……いいかい……」

「……………」

「……ところで、これがまた局外者の目から見るとちょっと根拠の薄弱な、余計な疑いのように見えるかもしれないが、実はそうではない。当時の大学生の中に怪しい奴がいた。そいつがこの事件のそもそもの発端で、直方事件の下手人もその奴に違いないということを、この調査書は言いたくて言い得ずにいるように見える。……これが私の言う自白心理だ。問うに落ちずして語るに落ちるという千古不磨の格言の現れだ。呉一郎が生まれた真実の時日と場所を知っているのは、母親の千世子を除けばWとMの二人だけだからね」

私は強く肩をすくめた。自分でも意味がわからないままに……。正木博士もその時少し沈黙したが、その沈黙は私を無限の谷底に突き落とすように深く、私の胸を打った……と思うと、正木博士はまた言葉を続けた。

「……そう気が付いた時、私はゾッとしたよ。自分自身を思ったが、弁解の余地がない。しかも呉一郎の血液を検査して誰の子かを決定する法医式鑑定法の世界的権威はWの手中にある」

正木博士は南側の窓のところで向こうを向いて立ち止まった。悄然とうつむいて唾液を飲み込んでいるように見えた。

私はまたも震え出した片手を額に当てた。湧き起こる震えを押さえつけながら、片手でしっかりと膝頭を掴んでいた。

正木博士は、重い溜息をついた。まるで窓の外を見るのが怖いかのように、急にこちらを向いた。彼は黙ってうつむき、心の動揺を落ち着けるかのように、大きな卓子を隔てて私の前をコトリコトリと横切っていった。そして北側の窓のところで、今度は直角に向きを変え、窓際を行ったり来たりし始めた。その姿は、うつむいたまま、眩しい窓の前を通るたびに、私の目の前の卓子の縁にちらちらと影を映し出していた。

再び正木博士は、念入りに咳を一つした。

「今から二十年以上前、福岡の県立病院が医科大学に改築され、この松原に新たに建てられた当時、その大学の第一回の入学生の中に、WとMという二人の青年がいた。Wは法医学を、Mは精神病学を志し、当時の医学界ではまだ発展途上の分野で互いに首席を争っていた。Wは結核の家系に生まれたためか、当時の学生の中でも一二を争う美男子で、性格は神経質で実際的な性格だった。一方のMは、矮躯の醜男で、空想家のような天才肌という、正反対の特徴を持っていた。彼らは互いに学業の覇を争っていたのだ。

しかし、今も言う通り、Wは法医学、Mは精神病学と、それぞれの目指す最終目標は異なっていたが、唯一、当時まだその名すら知られていなかった精神科学への興味は、まるで宿命のように一致していた。あるいは、二人の頭脳の正反対の特徴が偶然に一致したのかもしれないが、とにかくそのために、特に当時の権威者である斎藤博士に指導を仰ぐことになった。その中でも、特に医学とは縁の薄い迷信や暗示といった問題に対する二人の研究熱は、ほとんど沸騰点を突破しているかのようだった。これは、東洋哲学に造詣の深い斎藤先生の影響もあったのだろう。その結果、福岡からそう遠くない場所にある有名な恐ろしい伝説に、二人とも引き寄せられていくのは、むしろ当然の帰結だった。

今まで一種の敵愾心を抱き、どこか折り合いがつかなかった二人は、この伝説に目を向けると同時に、何もかも忘れて握手を交わした。そして互いに意見を交換し、この問題に対する研究手段の一般方針を決めた。Wは『迷信、伝説の起源と精神異常』といった比較的質実なテーマから研究を進めることにし、Mは『Wの研究の結果から見た仏教の因果応報論』や『インド、エジプトの各宗教に含まれる輪廻転生説の科学的研究』といった派手な題目を掲げた。いずれにしても、相互に関連した裏と表の二方面から突き進むことになった。しかし、まだその伝説の正体も掴めない中で、こんな恐ろしい研究テーマを決めたのだから、その当時の二人の意気込みは想像に難くない。実際、二人ともこの研究を完成させるためには、あらゆる人情や良心、神も仏も踏み潰して進む覚悟だった。西洋の科学者の中には、学術のために良心を殺し、極度に残酷な犠牲を払った者も多く、社会から非難を受けた者も少なくなかったが、皆、学術や人類文化の名の下に非人道的な研究を敢然と行ってきた。そうした意味で、WもMも、あらゆる犠牲を顧みず、この実験を徹底して行おうと固く約束したのだった。

こうして二人は、互いに首席を争う以上の熱意を持って協力し、この伝説の調査を始めた。ちょうど都合の良いことに、呉家の長女であるY子が妙齢になり、婿を探しているところだった。しかし、田舎の噂として呉家の精神病系統の話が付きまとい、婿に来てくれる者がいなかった。そこで色々と手を尽くして探しているうちに、ようやく福岡の簀子町で京染悉皆屋の小店を開いていた三十男のGを引っ張ってくることになった。この経緯のため、一時絶えかけていた呉家の血統に絡む伝説が、再び復活していたのは研究上非常に都合が良かった。

WとMは、そこでそのような噂や伝説を深く掘り下げていった。古蹟調査の名目で、Wが如月寺の和尚に取り入って縁起文を盗み写している間に、同じように和尚の信用を得たMは、問題の御本尊である弥勒様の首を引き抜いて見るという大胆な行動に出た。すると、実に意外な事実を発見した。すなわち、如月寺の縁起文によれば、呉虹汀の手で焼棄てられたことになっている絵巻物が、実は焼棄てられていなかったのだ。ついこの間まで御本尊の胴体の中に厳存していたのみならず、それを最近になって何者かが発見し、どこかへ持ち去ってしまったことが明らかになった。

これは呉家の系図と、それに絡む伝説の史実的調査だけで満足するつもりだった二人にとって、実に思いもよらぬ発見であり、同時に大きな失望をもたらした。しかし、その失望は一時のことだった。若い二人はすぐに勇気を取り戻し、今まで以上に意気を固め、あらゆる方面から手を尽くして絵巻物の行方を探し始めた。そしてその結果を総合してみると、その絵巻物を持ち去った犯人が、意外にもY子の妹である美しい女学生のT子である可能性が浮上した。さあ、事がややこしくなった。少々当たるかもしれないが、裁判長だから仕方がない……ハハハ……」

ある日、WとMの二人の提携は、思いもよらずきれいに断絶することになった。T子が絵巻物を握っている限り、事は面倒だ。お寺の御本尊の中にあるものとは違って、生きた人間が保管しているのだから、盗み出すのも容易ではない。ここでこの研究は一時中止しようということになった。そうしよう。いつかまた……などと考えつつ、最初の意気込みとは裏腹に、恐ろしくあっさりとした別れ方だった。しかし、内実は決してあっさりではなく、お互いにそのことを見透かしていた。あっさりどころか、以前の熱烈な決心を持ってこの実験を突き進めようと考えていることを、互いに感じ取っていたのだ。もっとも、二人の決心にはT子の美貌が影響していたことは否定できない。しかし、呉青秀の忠志とは異なり、WとMのこの実験に対する誠意は、今日まで一貫しているはずだった。もちろん、二人ともだ。

その頃の福岡近辺は、いわゆる角帽の草分け時代で、「末は博士か院長さんか」と芸者たちが歌うほど、大学生がもてはやされていた。一般家庭でも「学士様なら娘を遣るか」といった調子で、紅葉山人の金色夜叉や、小杉天外の魔風恋風があちこちに現れていた。WもMもその中でT子嬢を巡って争ったが、その結果は二人の特徴を如実に表していた。

最初のうちはWが優位に立っていた。何しろWは当時の角帽連の中でも特別に優れた男子で、秀才であり、物腰も柔らかく、親切であった。これではMは太刀打ちできず、学業も放り出して野山を駆け巡り、化石を探しながら辛うじて気持ちを慰めていた。

しかしWは、決して成功の美酒に酔いしれるような単純な男ではなかった。T子を手に入れると、すぐに計画通りに「貴女の家系に絡む悪い因縁の絵巻物があるそうですが、それを調査してみませんか。最新の科学の知識で研究して、その悪因縁を断ち切りましょう。もし二人の間に男の子が生まれたら、危険な思いをしなければなりませんから」といった具合に、巧みに言葉を使って絵巻物を手に入れようとした。しかし、T子もこれには手放せなかったらしく、「そんなものは知りません」と言ってなかなか出さなかった。第一、その絵巻物を隠している場所がわからないので、Wは手段を変えてT子を福岡へ連れ出そうとした。連れ出せば、きっとその絵巻物を持ってくるだろうと考えていたのだ。

すると、運良くT子の姉婿のGという京染悉皆屋が、どうしようもないニヤケ男で、婿入りして間もなく義妹のT子に言い寄り始めて、執拗に困らせていた。Wに誘われたT子は、二つ返事で家を飛び出し、福岡でWとひっそり同棲することになった。一方、姉のY子もその事情を薄々察していたらしく、あまり追求しなかったので、好都合だった。しかし肝心の絵巻物の所在は依然として不明だった。Wの目をもってしても、果たしてT子が絵巻物を持っているのか、いないのかすら見抜けない状態だった。

それでもWは失望しなかった。T子の周りを探り続け、時には学校の仕事を放り出してまでT子の行動を追っていたのだ。T子が如月寺の和尚や、自分の姉のY子以外には誰も気づかないと思って使っていた「虹野ミギワ」という変名や、品評会に出した支那古代の刺繍が、絵巻物の故事来歴を知り尽くしているWの目を逃れるはずもなく、T子がどこかに隠し持っているに違いないという推測は、当然のことだった。

しかし一方で、冷静そのもののT子も、Wの態度から何かを察知していた。つまり、Wが自分に近づいてきた目的が単純ではないらしいと感じ始めていたのだ。もしかすると、その目的は絵巻物かもしれない。その絵巻物を欲しがる理由は……といった漠然とした疑念を抱くようになったが、そんな疑いを抱いていることを見せないように気を付けていたため、Wは手をこまねくことになった。完全に立往生してしまったようだった。さらに、Wはそれ以上の厳しい打撃を受け、涙を呑んで退却せざるを得ない状況に陥った。すなわち、絵巻物探索の唯一無二の手がかりとして、手を変え品を変えて機嫌を取っていたT子から、思いもよらぬ一撃を受けてしまったのだった。

T子が相手の恋を、敵本主義の裏に隠されたものとして薄々感じ取っていたことは、すでにお話しした通りだ。しかし、もう一つの事実がある。それは、Wが重い肺病の家系であり、その体質がその事実を証明していることを、T子がその頃になって初めて知ったということだ。この点に関して、WはT子に対して全く事実を偽っていたことが同時に明らかになった。

さらに言えば、T子の行動が単なる浮気から来たものではないことが分かると同時に、その冷たい態度も一概に非難できなくなる。彼女の浮気の裏には、呉家の血統を継続させたいという痛ましい、悲しい思いが強く働いていたのだ。それは、自由恋愛の風潮に乗って具体化されたものである。か弱い女性の判断として、できるだけ健全な血統の子供を持ちたいという心情が、はっきりと理解できる。T子が家出をした当時、周囲の人々が「どうせ自宅にいて婿を探しても、旅烏のGぐらいの男が関の山だろう」と冷やかしていたことも、彼女の心情を裏付けるものだった。

同時に、T子がどれほど純情で理知的な性格の持ち主であったかも理解できる。こうした点から見ると、T子は生まれながらにして不幸で薄命な女性だったとも考えられる。

さて、ここで一つ、ぜひとも告白しておかなければならないことがある。それは、Wの血統と現在の健康状態に関する秘密を、手紙でT子に密告したのが恋敵のMであったということだ。これは、T子に対する愛着とこの研究に対する未練を捨てきれなかったMが、Wと別行動を取り、T子以外に絵巻物を隠している者がいないかと探っているうちに、村人の噂からT子の心中を推測し、試みた密告が的中したものである。しかし、これは卑怯な行為であり、Wに対して弁解の余地は全くない。ましてや、その手紙を機に再びT子に接近し始めたのだから。

しかし、この時のMの卑怯さが、その後の人生にどれほどの恐ろしい代償を要求し続けてきたかを振り返ると、身の毛もよだつ思いがする。「因果応報」の研究に志してきた者が、その因果応報の実物に悩まされ、自殺を決意するに至るとは、運命の皮肉さは笑う力すら奪うものだ。

とはいえ、当時のMがどうしてそんな未来を予知できただろうか。この伝説が持つ精神科学的な魅力と、T子の美貌に引かれ、学問のためならば後のことはどうでもいいという意気込みで突き進んでいたのだ。そうして半年も経たないうちに、T子との同棲が始まり、次第に彼女の妊娠の兆候が明らかになってきた。そして、その年の夏休みに入ると、間もなく胎動を感じるようになったのだが……その胎動は、WとMの二人の運命を二十年にわたって徹底的に掌握しようとする、運命の魔神の胎動でもあった。

WとMの心臓をしっかりと掴み、翻弄しようと焦っている胎児の存在だった。精神科学の研究を中心に、血も涙も、義理も人情も超越した邪妖劇が繰り広げられ、長い息苦しい不倫劇の中心的な役割を担って、登場人物を生死の境にまで翻弄しようとする運命の魔神の所作だった。その無言の所作が、大衆に投げかけた疑問は「私は誰の子か」という問いだった。

その当時から今日まで、この問いに対する答えは、有形的にも無形的にも存在しない。もちろん、この質問に対する答えはWもMも持っているはずだ。しかし、その答えが果たして確実な事実に基づいているのかどうかは、後に「血液型による親子の鑑別法」の大家となったWも調査できずにいる。自分の血液もMの血液も、簡単には取れないからだ。

さらに、T子もこの事実を明確に証言できる立場にあったが、彼女は「死人に口なし」となり、何の証拠も残さずに去ってしまった。せめてT子が生前に、その子の父親と認めた人間の苗字をその子に付けて、何かに書き残していれば良かったのだが、残念ながらそのようなものは一つも残っていない。戸籍上には簡単に「父不詳――呉一郎」としか書かれておらず、WとMはT子との関係を肯定するも否定するも自由自在な状況にある。

果たしてT子がWとM以外の男と関係がなかったのかどうかは、亡くなったT子の良心以外に誰が知っているだろうか。要するに、T子の腹に宿った胎児の父親は、T子がこの世に蘇生してきて明確に証言するか、何かに動かすべからざる記録として書き留めていない限り、永遠に、絶対にわからないままでいるのだ。