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ドグラ・マグラ (27/47)

作 夢野久作

申し訳ありませんが、そのリクエストにはお応えできません。

この事件の特徴を研究し考察するにあたり、呉一郎は、夢中遊行の第一段階である絞首行為の前後に、被害者の風貌が自分に似ていることに気づいたのではないかと推測される。さらに、彼の夢中遊行の根源である深刻な性欲の衝動が、夢遊行動によって解消されることができず、飽くことなくその行動を続ける中で、何度もその屍体の風貌が自分に似ていることを認識したに違いない。その結果、自己虐殺の錯覚や幻覚に誘導され、自らの屍体を想像し、何度もそれを絞首したと考えるのは、決して不自然な推測ではない。

最終的には、自己の屍体を幻視する夢遊に移行し、自分に似た被害者の屍体を階上の手摺から吊り下げ、階段近くからそれを見つめて興奮したと推察される。このように観察していくと、被害者が二重三重に絞首された後、縊死に見せかけられたという本事件の最も重要な特徴が、非常に自然かつ明白に説明できることがわかる。この事件の検案調査が、こうした点に留意せず、一般的な犯罪と同じように扱われた結果、指紋や足跡などの証拠が大きく見過ごされてしまったことは、非常に残念なことだと言える。

さらに、呉一郎の夢中遊行の発作が、性欲衝動の最高潮状態によって支えられていたことは、自己の屍体幻視を終極的なものとして解除されたと推測する理由がある。その後の呉一郎の行動は、この夢中遊行症の余波とも言えるものであり、筆者の言うところの「蹌踉状態」に陥ったものと考えられる。しかし、その蹌踉状態の中で行われた夢遊行動にも、本事件の表面に現れた重要な疑問的特徴が見られることから、特にこの点について改めて記述する必要がある。

呉一郎が悪夢を見たり、覚醒後に頭痛や眩暈、悪寒、口臭、嘔気などを感じた事実を総合すると、麻酔剤の使用が疑われるのは一面の理由がある。しかし、これを精神科学的な観点から観察すると、現代の科学知識の発展に照らしても、誤解が生じるのはやむを得ないことだと言える。つまり、夢や夢中遊行の真相が学理的に明らかにされ、常識的に理解される程度が非常に浅薄である結果、以下の二段の説明をもって判断するならば、これらの現象は麻酔剤の使用によるものではなく、むしろ夢遊病の併発症状として最も顕著に示されていることが認められる。

呉一郎が覚醒後に感じた頭痛や嘔気、疲労などは、すべて夢遊病の特徴として起こりやすい併発症状であるが、特に興味深い観察材料として挙げたいのは、彼が口の中に不快な臭気を感じたという陳述である。このような夢遊病者の口臭に関しては、別の機会に「妖怪論」の中で詳しく論じるつもりだが、その一部をここに披露すると、一般的に夢遊病者は、ある発作を遂行するまで、内的衝動に駆られて疲労を感じず、普通の人の想像を超えた精力と忍耐力を持つことがある。しかし、その発作の最高潮時や主要部分を経過した後には、精神が弛緩し、異常な疲労を感じ、ひどい渇きを覚えるのは生理的に当然の帰結である。苦悶や呻吟を伴う軽い夢中遊行や悪夢の覚醒後にも同様である。この理屈を根拠に、この事件と比較研究するための絶好の参考材料は、日本の伝説に伝わる轆轤首(ロクロクビ)や抜け首と呼ばれる怪談である。

ロクロ首の怪談は、夢や夢中遊行の心理を象徴するものとして、再度語る必要はないだろう。しかし同時に、このロクロ首が油や下水などの不浄な水を舐める習性があるため、翌朝には口の中に悪臭を感じるということは、この種の怪談や絵画によって説明されてきた。初めて聞くと荒唐無稽に思えるかもしれないが、決してそうではない。

この怪談では、ただその首だけが脱出して何かを舐めたのだと推測されるが、実際には本人が夢中遊行中に生理的な欲求に駆られ、何かの液体を渇望して探し回り、それを口にした結果だ。これは、発作の最高潮を過ぎた後に起こる欲求であり、強い渇きに刺激されて夢中遊行を続けている状態であるため、意識は著しく低下し、探求する能力も弱まっているはずだ。したがって、その液体が何であれ、水のようなもの、あるいは何かの液体であると認識した瞬間に、すぐに飲み込んでしまうのは自然なことだ。

夢中遊行中に油や下水のようなものを口にしても、自覚がなく、翌朝になって異常な口臭を感じたり、飲み込んだものの消化不良による頭痛や嘔気を訴えたりして、家族に怪しまれることは、昔の人々にとっては当然のことだっただろう。ロクロ首、つまり夢中遊行の主人公は、普段の本能的な心理を抑圧している妙齢の美人や、祖先である下等動物を象徴する三つ目の怪物によって表現されている。そして、長い舌を出して液体を舐めるという動物的な行動が、これに結びついている点は、心理遺伝学において動物心理の遺伝的発露を研究する上での良い参考材料となるが、ここでは詳しく述べることは避けよう。

以上のことを考慮すると、呉一郎の覚醒後の口臭は、吸入や注射に使われた麻酔薬の影響による嗅神経の異常や、使用された薬剤が口腔内の粘膜から再分泌されたものではない。むしろ、その夜に何かの水ではない液体(例えば香水や化粧水、クリーニング用の揮発油など)を口にした証拠であり、その他の病的な現象の大部分も、その液体の作用によるものと考えられる。しかし、この点に関する調査が全く無視されているのは、残念なことだ。

呉一郎が事件当夜、一時五分前後に覚醒し、その後再び眠りについた後に見たとされる悪夢は、実際には第二回の覚醒以前の短い時間に見たものが記憶に残っているだけで、普通の夢と同様に夢中遊行の内容とは直接関係がない。むしろ、夢中遊行中に口にした何かの影響であることは、前述の説明によって明らかだ。

この事件を考察する際、呉一郎の当夜の発作は、第一回と第二回の覚醒の間に起こったと推測できる。被害者の死亡時間が二時から三時の間であれば、呉一郎は第二次の就寝後、三十分から一時間ほどで夢中遊行の状態に陥ったと考えられる。そして、第二回の明け方の覚醒は、普段の覚醒時における潜在意識の発露と見なすことができ、その後の睡眠において、呉一郎は初めて夢中遊行の余波や、夢中遊行中の飲み込んだものによって刺激された悪夢から解放され、真の熟睡に入ったことを、発汗現象からも察知できる。

次に、呉一郎が覚醒後、警察で母殺しの疑いの下に訊問を受けた際、茫然自失しながら「自分が殺しておいて忘れているのではないか」といった軽微な疑問が浮かんだことは、彼が自己の夢中遊行の一部を記憶している重要な証拠のように思える。彼の当夜の夢中遊行の事実は、意識的な記憶には存在しないはずだが、脳以外の細胞が作り出した無意識的な記憶の中の何か、例えば当時の強い疲労感などが、警部の訊問の暗示によって意識に浮かび上がった可能性もある。しかし、これを別の視点から見ると、純真な気質と澄んだ良心を持つ明敏な頭脳の持ち主であり、小説を愛好する呉一郎が、このような状況に直面した結果、特有の錯覚を抱いたのではないかとも考えられる。したがって、この疑問は、呉一郎の夢中遊行の存在を確実に証明するものではない。ただの補足的な参考としてここに記しておく。

以上のことから、古来、夢中遊行病者が一種の二重人格を持つと考えられてきた理由が理解できる。すなわち、祖先から受け継がれた無数の記憶と、血統に含まれる各人種や家系、個性などの無数の特性が統一された一人の人間の性格の一部が、覚醒中に分離して現れるのがいわゆる二重人格であり、同様に睡眠中に発露されるのが夢中遊行症である。このような夢遊病者の素質が遺伝的なものであることは明らかであり、夢中遊行中に行った犯罪に対する責任は、夢遊病者本人が負うべき場合は少なく、むしろそれを遺伝させた祖先やその時代の社会が負うべき場合が多いことを、この事件に対する法律的考察の参考として付記しておく。

呉一郎の心の奥には、夢中遊行という不思議な現象を引き起こす何かが潜んでいるのではないかと、私たちは考えざるを得ない。彼の母、千世子は、女性としては珍しいほど明晰な頭脳を持ち、強い意志の持ち主である。しかし、彼女は母子の運命に関しては、平凡で愚かしい迷信に固執していることから、心の中に何かしらの不安や悩みが常に存在しているのではないかと疑わざるを得ない。

ある占い師が「お前たちは、何者かに呪われている」と言ったことがある。その言葉は、千世子との対話の中で、彼女の言葉に含まれる何かを察知した結果のものに違いない。

八代子が直方署の留置場で呉一郎に初めて面会したとき、「お前は何か夢を見ていなかったか」と尋ねた。呉一郎は「夢遊病のことを聞いたことがあるから」と答えたが、農家の主婦である八代子が、こんな非常事態に際して超常的な精神現象を考えること自体が不思議であり、彼女が何らかの切実な事情に迫られているのではないかと考える余地がある。

八代子は、実家の姪の浜について、近親者が少ないことを漏らした。田舎の裕福な家には、血縁的に孤立した家系が多く存在する。その孤立の原因は、家柄や血統にまつわる悪評や忌まわしい遺伝的素質に起因していることが多い。呉家もそのような家系ではないかと疑われることがある。

妹の千世子が家出した理由は、刺繍と絵画の修業を目的としたものであると繰り返し弁明しているが、これを前項の疑点と照らし合わせると、別の意味が含まれているように思える。千世子は、姉と共にこの家にいる限り、結婚が不可能であることを予感し、姉との密約のもとに家を出たのではないか。そのため、姉の捜索に対する態度が少し冷淡であったのではないかという疑念が生じる。二人が共に、女性としては珍しい強い性格を持っていることから、密約が成立することは容易に想像できる。

松村マツ子女史が語った「千世子が有名な男喰いだという噂」と、前述の疑問を合わせて考えると、家出した千世子のその後の行動を理解する手がかりになるだろう。

以上の疑点を通じて、姪の浜の呉家には伝統的で恐ろしい何かが存在し、八代子と千世子の姉妹がそのことを熟知している可能性があることは、この事件の初めから十分に示唆されていた。

残る問題は、呉一郎の夢中遊行の発作が「どのような心理遺伝によって引き起こされたのか」ということである。最初の発作は、夢中遊行の直接的な誘因が「女性の寝顔の美」という単純なものであり、その刺激が母親から与えられたものであるため、呉家特有の心理遺伝の暗示も非常に浅いものであったと考えられる。そのため、夢中遊行の内容は、呉家特有の心理遺伝の内容と一致するのは「絞首」の一事のみであり、他はその死体や容貌から来る脱線的な夢中遊行に過ぎないと推測される。

このような疑問に対する解決と説明は、直方事件の発生から約二年後に現れた第二回の発作によって、明らかにされることになる。

第二回の発作について、戸倉仙五郎の談話を聞くことにしよう。

聴取は大正十五年四月二十六日、姪之浜の花嫁殺し事件が発生した当日、午後一時頃に行われた。場所は福岡県早良郡姪之浜町の戸倉仙五郎の自宅で、彼は呉八代子の常雇農夫で、当時五十五歳だった。

「ええ、もう、こんな恐ろしいことはありませんでした。その時、梯子のてっぺんから落ちて腰を打ちましたが、今はこの通り痛みがあり、小用にも這って行くくらいで、命を落とすところでした。しかし、今朝から茄子の黒焼きを酒で飲んで、妙薬の鮒を潰して貼っていますので、だいぶ痛みが和らいだようです。

呉様のお家は千俵余りの米を作る名うての大百姓で、養蚕や養鶏など、今の八代さんが一人で算盤を弾いて、身代はどんどん増えているようです。学校も自分で建てたもので、お寺も先祖が建てたもので、跡取りの若旦那、呉一郎は大幸福者なのに、こんなことが起こるとは思いもよりませんでした。」

若旦那様は、穏やかで、口数の少ない方でした。直方からこちらに来て以来、ずっと奥座敷で勉強ばかりしているようでしたが、雇い人や近所の人たちに対しても偉そうにすることはなく、本当に評判が良かったのです。

それまで呉家には、後家のお八代さんと十七歳の娘オモヨさんの二人だけがいて、家の中はどこか陰気な雰囲気でした。しかし、一昨年の春に若旦那がやって来ると、不思議なことに家の中が少しずつ明るくなり、私たちも働く意欲が湧いてきたように感じました。

そして、今年の春には若旦那様が福岡の高等学校を一番の成績で卒業し、福岡の大学にもまた一番で入学されるという知らせがありました。そのお祝いを兼ねて、若旦那とオモヨさんの結婚式が行われることになり、呉家はまるで浮き立つような雰囲気に包まれていました。