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ドグラ・マグラ (26/47)

作 夢野久作

虹野さんの作品は、私の手元には一つも残っていません。あの頃は、そんな贅沢なものの価値がわからなかったので、手間をかけるのが無駄だと思っていました。唯一、二ヶ月ほどかけて作った五寸四方の小袱紗を、私の塾の展覧会に出品したことがありましたが、二十円という値段をつけたために売れ残ってしまいました。今考えると、あれがあったら大変なことになっていたでしょうね。私ももっと習っておけばよかったと、つくづく思います。

虹野さんは、技術が素晴らしいだけでなく、小野鵞堂さんの字をお手本よりもずっと美しく書いてくれました。私の弟子たちの刺繍に使う字も、よく書いてもらいましたし、絵もとても上手でした。私の手元にある下絵の中でも、良いものはほとんど彼女が写していきました。しかし、半年ほど通ってきたと思ったら、突然姿を消してしまいました。あの時、妊娠の兆候は見えなかったのかと聞かれると……いいえ、彼女は小柄でしたから、すぐにわかるはずです。あの色男が虹野さんを捨てて逃げたという噂も聞きましたが……本当にそうなんですか。

あの頃住んでいた家のことですか? それはちょっと記憶が曖昧ですが……当時の生徒たちは、みんなもう四十近くのおばさんになっていますからね。あはは。あの男が虹野さんを殺したらしいという噂もありますが……おお、怖いですね! こんな美しい人を、なんて惜しいことを……そういえば、思い当たることがあります。誰にも言ってはいけないことですが、虹野さんはとても男好きで、大学生の中にも彼女に振られた人が二、三人いたそうです。もちろん、これは噂に過ぎませんが。その頃の虹野さんの家もどこにあるのかわからず、東から来たり西から来たりして、帰り道も同じで、誰も本当の家を知っている人はいませんでした。私の塾では、品行の悪い人は一切入れませんでしたが、彼女はしっかりしていて、仕事も上手でしたから、特に問題視したことはありませんでした。写真もありませんし、当時の恨みを言うにはちょっと古すぎますね。あはは。

それが、あの有名な迷宮事件の呉さんだというのですか? どうしましょう。どうして虹野さんが呉さんだとわかったのですか? 東京の袋物屋のお神さんに身の上を話していたということですか。ただ、男の名前だけはわからない……そうですか。このことはどうか内密にしてください。云々。

呉一郎の第一回の発作に関する事件記録の要点は、前述の三項の断片にすべて含まれているため、詳細は省略します。ただ、第三参考「松村女史の断片」は、私の言う「呉一郎の第一回発作」の参考としては全く必要のない範囲に属しますが、この記録を作成したW氏の主張を尊重する意味で、また、該事件に関する司法当局の捜査方針や当時の各新聞の記事が、暗黙のうちにW氏の意見に影響されていた証拠としてここに掲げます。

W氏の意見の要約

私は初め、この事件に関する報道を新聞で見たとき、非常に稀な夢遊病の好適例ではないかと思い、出張しました。この直方地方は元々筑豊炭田の中心地であり、日本屈指の殺傷事件の本場です。そのため、警察の捜索方針も単純で粗放であり、現場の証拠は事件発生の翌日に完全に乱されてしまい、十分な調査ができませんでした。しかし、それでも現場の状況や前述の談話、警察関係者の記憶、近隣の噂などを総合した結果、この事件の特徴として以下の項目を認めることができました。

(甲)犯行の現場である女塾内には、呉一郎母子と塾生に関する事跡があり、勝手口の唯一の締りとされていた径約一寸、長さ四尺一寸余の竹の支棒が、不明の原因で土間に脱落していました。それ以外には、犯人の指紋や足跡などは一切認められず、拭い消されたのかどうかも不明です。また、この支棒は外から板戸を強く押せば、指を差し入れて外せる位置にありました。板戸の縁辺の支棒に接触する部分は、磨耗を防ぐために新しく亜鉛板で覆われていましたが、これが逆に軽微な力で支棒を脱落させる原因となったのではないかと推測されます。

(乙)被害者の千世子は、その夜午前二時から三時の間に、背面から絹製の帯締めで絞殺され、寝具を蹴散らし、畳の上を転げ回って苦しむ様子が見られました。彼女は甚だしい苦悶の跡を残したまま絶命し、さらに階段のところに運ばれ、手すりから細帯で吊るされ、階段の降り口に正面を向けて縊死と見せかけられました。しかも、その絞首の跡を示す斑痕が二重または三重になっている状況は、犯行当時にも明らかに認められました。それにもかかわらず、縊死を装わせるための手段は、一見すると浅薄な隠蔽のように見えますが、実は他の指紋などを消去するための犯人の行動と比較考慮すると、その矛盾した行為の間に生じる錯覚を利用して、犯人に対する目星を誤らせるための非常に巧妙な手段であると考えられます。

また、被害者の手中やその他には何も残されていませんでした。あるいは軽い麻酔を施されたのではないかとも疑われます。

さらに、当時犯行用と認められた帯締めは、その後、数名の警官の手に渡ったため、犯人に関する証拠を発見することはできませんでした。

(丙)呉一郎は、麻酔を施されたものであることを、彼の談話に現れた予後の諸徴候から推測することができます。

(丁)遺体は死後約四十時間目に、女塾の裏庭で、舟木医学士の立会いのもと、私が執刀して解剖した結果、最近の性交の形跡はなく、子宮にはかつて一児を孕んでいた痕跡のみが確認されました。

以上の事実に基づいて、犯人や犯行の目的についての推定はほとんど困難です。しかし、犯人は相当の学識があり、麻酔剤の使用に慣れ、思慮深く、かつ腕力に自信のない者であること、また、犯行が呉一郎に及ぶことを好まない者であると推測されます。その後の捜索方針は、初めはこの推定に基づいて進行し、呉一郎を釈放しましたが、結局再びこの方針を放棄し、純然たる見込み捜索に移行したため、何も得られず、事件は迷宮の中に放置されることになりました。

この事件は、著者である正木が直接調査したものではないため、精神科学的な観察や説明にはいくつかの不便を感じる。しかし、W氏が独自の法医学的視点から調査した記録をもとに、この事件のさまざまな特徴を観察すると、事件の真相が現代の科学知識や常識の範囲では到底判断できない「心理遺伝の発作」にあることは疑いようがない。筆者が言う「犯人のいない犯罪」の最も顕著な例である。W氏の最初の直感が的中していることを、すべての事象が示していることを一つ一つ摘出し、明示することができる。W氏が事件後もこの点に関する疑念を捨てず、貴重な談話を記録したことは、その準備の周到さを示しており、敬意を表さざるを得ない。

ここで、W氏の観察と三つの談話を通じて、この事件の真相を探るための観察要項を以下に列挙する。

【一】呉一郎の性格と性的生活

呉一郎は当時、満16歳4ヶ月の少年であった。母性愛に満ちた家庭に育ち、若い女性と接する機会も多かった彼は、文弱で明敏、かつ発育も良好な少年であった。事件発生前から、すでに十分な性的充実を持っていたが、その母性愛の純粋さと自らの頭脳の明晰さによって、品性が浄化されていたため、肉体的にそれを発露する心理的欠陥は持っていなかった。無垢な童貞を保っていたと認められる。異性の歌を聴くことに恥じらいを感じる様子は、当時の少年の特徴を示している。また、談話の中で見られる可憐な率直さや、自身が犯人として指摘される理由を理解しつつも、自己の立場に対する恐怖を感じていなかったことからも、彼が清浄で純真な童貞生活を送っていたことが伺える。この年齢と性的生活の推定は、この事件に関する精神科学的観察に大きな影響を与える重要な基盤となるため、特に最初に注意を促すものである。

【二】夢遊状態を誘発した暗示

事件が発生した夜、午前1時前後に目を覚まし、母の寝顔を見たとき、異常な美しさを感じたという呉一郎の告白は、前述の観察が妥当であることを裏付けると同時に、その夜の呉一郎の心理遺伝の発作、すなわち夢遊状態の発生がどのような性質のものであったかを説明している。夜中の覚醒が性的衝動の高まりと深い関係があることを考えると、当時の呉一郎の精神状態は、何らかの危機の最高潮に達していたことが明らかである。その危機は、彼が一度階下に降りて用を足し、再び二階に戻る間に著しく緩和されたはずである。また、刺激の対象である母親の千世子が後ろ向きになった姿を見たことで、少なからず幻滅し、普段の冷静さに戻って就寝したことも容易に想像できる。しかし、このように一時抑圧された性的衝動は、呉一郎が熟睡に陥ると、その無意識の中に潜む恐るべき心理遺伝を刺激し、夢中遊行状態を誘発した。そして、最終的にこのような凶行を引き起こすに至ったことは、以下に述べる各項の理由に照らして理解できる。

【三】呉一郎の第一回覚醒と夢中遊行との関係

呉一郎がその夜、夜中に目を覚ましたのは、彼がこれまであまり経験したことのない異常な出来事であった。このことは、後の夢遊状態の存在を示す一つの兆候と考えられる。しかし、この理由を明らかにする前に、必ず考慮すべきことがある。それは、勝手口の支棒が落ちる音が、呉一郎の第一回の覚醒の原因であると考えられていることである。彼自身もそう信じているが、これは睡眠中の感覚作用と覚醒時の知覚作用を混同した誤解であり、非常に軽率な判断であると考えざるを得ない。なぜなら、睡眠中に何らかの音を聞いてすぐに目が覚めたと信じていても、実際にはその間に数分、あるいは一二時間の睡眠が経過していることがよくあるからである。特に、朝寝坊の際に何度も呼ばれながら再び熟睡に陥り、最終的に一度の呼び声で目を覚ますという事例は、一般的に知られているものである。睡眠中に感じた音と、それによって刺激された覚醒との間に経過した時間の錯誤は、この一例をもって十分に証明できる。ましてや、夢の中で明確に物音を知覚して目覚めたにもかかわらず、その後の冷静な検査によって何もなかったことを知る場合は非常に多い。このことから、支棒の落ちる音と呉一郎の覚醒との間に必然的な因果関係を認めることは、正確な推理の進行において非常に危険な行為であり、むしろこの二つの現象を全く無関係なものとして観察する方が自然であると言える。また、呉一郎の覚醒後の異常な気持ちと直接結びつけて、外部から何者かが侵入し、麻酔剤を施しながらこの凶行を行ったと短絡するのは、非常に冒険的であり、不合理であると評することも過言ではない。

支棒の脱落と誤認された夢中の音響については、別途発表すべき重要な研究資料があるが、ここでは広範な実例と非常に詳細な心理学的説明が必要なため、大略に留め、「夢中において実在しない音響を感じる場合」の中で、睡眠自体を破るほどの著しい実例をいくつか挙げるにとどめる。

夢の中での出来事が、突然、無限の深さを持つ空虚に落ち込むことがある。たとえば、世界の果てから踏み外したり、暗い谷に落ちてしまう瞬間だ。

夢の中で進行していた二つの心理現象が、突然交差したり衝突したりすることもある。たとえば、誰かを恐れながら秘密の仕事をしていたところ、その恐れていた相手に見つかってしまった瞬間や、衝突を心配していた船や車が急に進路を変えて、目の前で衝突する瞬間などだ。

また、夢の中で進行していた出来事が、全く予想外の、正反対の心理的対象に急変することもある。たとえば、親友が凶悪な人物であることを発見したり、同伴者が突然恐ろしい存在に変わったり、快適な部屋の中の物や楽しい花園の花が、自分が最も恐れている形に変わってしまう瞬間などだ。

これらの観察からわかるのは、夢の中で感じる非現実的な音の正体は、他でもないということだ。夢の進行中に突然受ける驚きや恐怖、喜びといった心の急変が、覚醒時に不意に大きな音に打たれたときの心理の急変と非常に似ているために、逆に錯覚されて一つの音として感じられるのだ。

この事例を考察する際、呉一郎の最初の覚醒は、その直前に彼の心に満ちていた性的衝動によって描かれていた夢の進行が、良心的な衝動を象徴する幻影と交差した瞬間の恐怖的な心理状態が、音響的な錯覚を引き起こしたのではないかとも考えられる。もしこの仮定を認めるなら、性的衝動の危機の中で目覚めた呉一郎が、母の寝顔に異常な美を感じたという事実は、非常に自然な心理の帰結であり、特に春の季節における若い童貞の秘密の心的経験に関する純粋で偽らざる告白と見ることができる。また、その後の深い眠りの中で、同じ衝動によって引き起こされた夢の中の行動が存在する可能性も、さらに強く裏付けられるだろう。

さらに、支棒が落ちた事実は、本人が夢の中で無意識的に行った行動の隠蔽手段である可能性がある。夢中遊行者が犯罪を行うことは珍しくなく、特にこのような行為が笑うべき浅薄な手段であることを考えると、疑問が不自然ではないことがわかる。また、外から誰かが入ろうとした際に誤って支棒を落とし、様子を伺っているうちに呉一郎が降りてきたために逃げたという偶然の一致である可能性も考えられる。しかし、このような疑問については調査が不足しているため、保留しておくべきだ。

この事件の根本的な説明となるべき凶行の目的が、今日に至るまで不明であることと、「つくし女塾内には呉一郎母子と、女塾生に関する以外の事跡を認めず」という調査結果を考慮すると、この事件の真相は呉一郎が母に対して夢中遊行の発作を起こしたことにあると、最も簡単かつ適切に理解できる。また、他の犯人に関する推測が、無理に第三者を想定しようとした結果生じた錯覚であることも説明できる。すなわち、呉一郎は前述の性的衝動を抱えたまま熟睡し、その結果として引き起こされた心理的な発作によって夢中遊行状態に入り、意識の中に現れた夢の欲求に従って、目の前にあった被害者の帯を拾い上げ、実は母親である女性に対して凶行を遂げたと推測される。その後、述べるように学術的に珍しい夢中遊行の行動を続けた後、再び眠りについたのだ。この凶行は、彼の脳の働き、つまり意識的な精神作用が熟睡によって休止している間に、全身の細胞間の反射的な相互作用が脳の代わりとなり、五感と直接つながって見たり聞いたり判断したり実行したものであり、覚醒後にはほとんど記憶の痕跡を残さない。そのため、すべての判断力を要する行動が意識的な精神作用によってのみ行われると信じ込まれ、前述のように仮想の犯人を想定するような推測上の錯誤が生じたのだ。現代の科学知識の発展の程度から見ても、これは避けられない帰結であると言える。

この事件によって研究されるべき呉一郎の夢中遊行状態において、第二回の発作によって引き起こされる心理的な内容と直接関連する発作は、この……絞首……の一事のみであり、その後の夢中遊行はむしろ脱線的なものであると言える。しかし、その後の脱線的な夢中遊行の正体は、実に学界でも珍しいものであり、精神科学上の研究価値が非常に高い。これほど近い参考事例を他に見つけることができないため、少し脱線することを嫌うが、特にここに記述し、この事件の真相が呉一郎の夢中遊行発作によって一貫していることを明らかにしたいと思う。

次に、絞首に続く第二段の夢中遊行……屍体の翻弄……。

被害者は、床の上で苦しみもがいた跡や絞殺の痕がはっきりと残っていたにもかかわらず、さらにそれを縊死に見せかけようとしたのは、浅はかな犯罪隠蔽行為のように思えた。しかし、実際にはそうではなかった。犯人とされる仮想の第三者の知性が尋常ではないと疑われるのも一理ある判断だが、それはあまりにも深読みしすぎた不自然な観察であると私は信じる。

なぜなら、この事象は、偶然にも夢中遊行状態特有の奇妙な行動が当夜、同じ場所で行われたことを物語っているからだ。著者が言うところの「屍体翻弄」が、その夜の呉一郎によって演じられたものであると認めることに、私は少しも不自然さを感じない。むしろ、この事象に対する説明は簡潔で適切であり、疑う余地がない。

ただし、夢中遊行中の屍体翻弄という現象については、古来、明確な記録がほとんど存在しない。唯一、こうした超自然的な現象に深い興味を持つ民族の間に伝わる記録や、迷信深い東洋の諸民族の伝説に散見される程度である。その記録も、実際に目撃したものではなく、特異な頭脳を持つ僧侶や医師が他人から聞いたことを記載した随筆に過ぎない。しかも、その内容の多くは、屍体を使って人を脅かしたり、電力を与えて死者を動かそうとしたり、死人を装って悪事を働くことに関する誤認や誤伝であるため、真相を捕らえるのが難しいという残念な状況がある。

しかし、屍体翻弄の事実が古くから存在していることは疑いようがない。中国、インド、日本などにおける屍神や屍鬼、火車と呼ばれる妖異譚の内容を検討すると、この種の夢遊行為、すなわち屍体翻弄が誤伝されたものであることが、自然科学や精神科学の観点から推測できる。

この事実の詳細については、今後「妖怪篇」としてまとめて研究論証する予定であり、現在その材料を整理中であるが、その一部を要約すれば、元々この屍神、屍鬼、火車と称される妖異現象は、狐や猫、またはカラスやフクロウなどの怪しい動物たちの仕業であると信じられている傾向がある。しかし、実際はそうではない。これらの伝説記録に基づいて屍体翻弄の状況を考察すると、まず棺の中や床の上に静かに横たわっていた屍体が、突然立ち上がり、虚空を走るという描写がある。続いて、目を閉じ、髪と両手を力なく垂らした亡者が、逆立ちしたり、翻筋斗をしたり、斜めに立ったまま静止したり、歩いたり、転がったり、宙に釣られたり、逆さになったり、回転したり、逆さに反ったり、仏倒し、後ろに返ったり、跳ね上がったり、落ちたりするなど、まるで誰かが手を加えて操っているかのような奇抜な形状と動きを描き出す。

冷静にこの描写を観察すると、こうした形状や動きは、無邪気な子供が人形や生物体を翻弄し、あらゆる残酷な姿勢や動作を演じて楽しんでいる様子に酷似していることがわかる。その子供は、この遊びにおいて自分が手を加えていることをほとんど忘れてしまい、まるで人形が自らの意志で動いているかのように錯覚し、残忍性を満足させる心理は、私たちの日常生活の中でも見受けられるものである。このような生物や擬似生物体の翻弄の心理は、私たち人類の祖先が野蛮で無知な時代に獲物や敵を捕らえ、または倒した際の満悦と勝利感の高まりによって、現在の肉食動物や虫類の間に遺伝的に残存している獲物翻弄の本能が変形したものであると考えられる。

次に、上記の考察を事実と照らし合わせて具体的に説明すると、まず、ある瀕死の病人に最後まで付き添っていた者や、屍体の処理をした人間が、特に介抱などによる疲労や安心感から深い熟睡に陥った場合、その屍体から受けた深刻な暗示によって、前述のような残忍性を帯びた夢遊心理が誘発され、未葬または既葬の屍体を取り出して翻弄することがある。自分が手を下したことをほとんど記憶しないのは当然であり、半ば朦朧とした状態で意識している場合でも、子供が人形を翻弄するように、自分が手を下しているとは思わず、屍体そのものが動いているかのように錯覚し、一種の悪夢のようなものだと信じながら屍体を翻弄し、どこかに遺棄したり、棺桶に戻したりしたまま床に戻って寝てしまうことがある。そして翌朝、屍体の変位や紛失を発見して驚き、妖異の仕業だと解釈することが、こうした伝説の由来を作ることは疑いの余地がない。

このように、伝説や口伝のほとんどが、屍体に近い者の些細な不幸や、屍体一体、側近者一人を題材として伝えられていることからも、その妖異の主人公が屍体そのものや他の獣鬼ではなく、傍に眠っている者の夢中遊行によるものであることが理解できる。現代において行われている多人数の通夜の習慣は、この種の妖異を防ぐために非常に有効であることが、古来から多くの人々の経験によって知られており、知らず知らずのうちに確認されていることを、今日において証明していると考えられる。また、死者の枕元に刃物を置く習慣も、その刃物の光や形状が視覚的に刺激を与え、この種の夢遊病者の幻覚を打破するために有効であったことから生まれた習慣であると考えられる。いずれにしても、この屍体翻弄という夢遊状態の存在は疑う余地がなく、特に通夜の習慣や火葬の流行以前には、屍体の側近者によってかなり多くのこの種の夢遊状態が実現されていたことは自明の理である。