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ドグラ・マグラ (14/47)

作 夢野久作

占い師が自分の運命を占えないのと同じように、脳が自らのことを考えることができないのは、誰もが当たり前のこととして受け入れてしまっている。

これが脳の悲喜劇でなければ、何なのだろうか。

脳に翻弄される脳たちの大いなる無意味劇でなければ、何なのだろうか。

もっと身近で痛切な例として、俗に「泣き中気」や「笑い中気」と呼ばれるものがある。これは、腹が立ったり驚いたりしても、感情が動けば同じこと……泣くか笑うかの一つの感情しか表現できない病気だ。この病気の説明を脳は「脳が物を考える」というスタイルで押し通そうとし、全世界の科学者に命じている。だから、この命令を受けた科学者たちは、こうした症状を「脳全体が出血のために麻痺している。その中で『泣く』や『笑う』という感情を動かす部分だけが生き残っている」と説明するしかないのだ。

しかし、残念なことに、中風患者の脳を病理解剖した結果は、いつも予想外の正反対になっている。脳出血が起こっているのは脳全体ではなく、限られた小さな部分だけであることが多いのだから、皮肉なことではないか。泣くことも笑うこともできない脳のいたずら劇にしかならないから、悲惨ではないか。

さらに皮肉で奇抜な例として「夢中遊行」という病気がある。この病気は、科学者たちにとって理解しがたい不可解な病として敬遠されているが、夢中遊行の患者は、そんな科学者たちをますます馬鹿にするかのように、様々な奇跡を演じることがある。例えば、夢中遊行の発作中に限って、その人間の頭とは思えない素晴らしい知恵や技術を発揮し、人間業ではできそうにない驚くべき仕事を成し遂げるのだ。しかも、その人間が翌朝目を覚ますと、いつの間にか元の状態に戻り、そんな素敵な記憶をまったく脳に残していないという摩訶不思議が起こる。こうして「脳は物を考える場所」や「感情を感じる場所」などという迷信を信じている専門家たちの脳の判断力を、完全に混乱させている。

「とても人間の脳では考えられない」と悲鳴を上げさせるほど、驚くべき事態ではないか。

これは、脳の恐怖劇ではないか。

しかも、唯物主義の信者や科学万能主義の宣教師を自任する科学者たちは、それでもなお懲りずに、脳の絶対的な賛美を叫び続けている。

「脳の大きさはその持ち主の進化の程度を示し、その渦巻き模様の多さは文化の程度を表している。つまり、人類はその大きく発達した脳のために存在しており、その脳は物を考えるために存在しているのだ。だから脳は文化の神、科学の創造主、唯物主義の守護神である」といった迷信を、聖書以上に尊重し、自らの脳の権威を擁護している。しかし、そんな科学者たちの顕微鏡の下で、脳どころか頭も尻もない下等動物たちが、暑さや寒さを正確に判断したり、食べ物を選んだりするのだから、痛快ではないか。さらに、そうした下等動物たちは、口には出さずとも身振り手振りで、

「脳がなくても物は考えられますよ」

「私たちは全身が脳なのですよ」

「私たちは脳全体をそのまま変形して、手足や胴体、耳、目、口、鼻、消化器官などに使い分けているのですよ」

「あなたたちは、その作用を分業にして、別々の器官に任せているだけです」

「あなたたちの手足だってちゃんと物を考えているのですよ」

「お尻でも見たり聞いたりしているのですよ」

「股をつねれば股だけが痛いのですよ」

「蚤が食えばそこだけがかゆいのですよ」

「脳は痛くもかゆくもないのですよ」

「まだお分かりになりませんか?」

「アハハハハハハハハ」

「オホホホホホホホホホ」

「イヒヒヒヒヒヒヒ」

と笑い転げているのだから、驚くべきことではないか。

これが脳の諷刺劇でなければ、何なのだろうか。

これが脳のトリック芝居でなければ、何なのだろうか。

一方では、この唯物文化の真っ只中に、精神や霊魂に関する怪奇劇や神秘劇が、まるで昔のままに現れ続けている。そして、それが次々と現れては、人間の頭を冷笑していくのだから、愉快ではないか。

唯物資本主義の黄金時代、科学と文化で築かれた大都会の真ん中で、死者が電話をかけたり、見知らぬ人と一緒に写真に映ったりすることがある。宝石が美しい女性の寿命を吸い取ったり、魔の踏切が汽車を脅かしたりするのはまだしも、大奈翁の幽霊がアメロンゲン城の壁を撫でながら老カイゼルに嘆息を聞かせたり、ツタンカーメンの木乃伊が埃及の探検家に祟ったりすることもある。実際、科学的推理の天才、指紋や足跡、煙草の灰を使った唯物的探偵法の創始者であるシャーロック・ホルムズでさえ、晩年にはこの種の怪現象に引きずり込まれ、心霊学の研究に夢中になったまま息を引き取ったというのだから驚きだ。彼はあの世からイーサーの波動を使わずに、生き残った妻子に話しかけたというのだ。

みんなが不思議だと口にするが、そんな事実が本当にあり得るのか、あり得ないのかを断言できる者は誰もいない。結局、水掛け論になってしまうので、お互いの脳を疑い合いながら物別れになることは最初から分かりきっている。あれこれ推理や想像を巡らせた挙句、とうとう悲鳴を上げて「脳が脳のことを考えるとはどういうことだろう」と、場末の寄席のような無意味な問答を繰り返しているのが現状だ。

さて、皆さん……こんな調子なのだ。

「人間の脳」がまず最初に研究されるべき「人間の脳の病理」……精神病学の基礎となるべき重要な問題が、見ての通り「物を考える脳」のために、片っ端から詰まった状態を呈しているではないか。地上のすべての精神病学者と精神病院の診断、治療が、無能で無意味な嘲笑の中に立ち往生しているのだ。そうして地上には無数の精神病者が、永久に、絶対に救われることのない侮蔑と虐待の世界に放置されているのだ。この世から生まれたキチガイ地獄が、全地球の表面に現れているのだ。

これが偉大なる「脳のイタズラ劇」でなくて何だろう。「物を考える脳」が「物を考える脳」に自作自演させた一大恐怖のノンセンス劇のドン詰まりでないとしたら、何なのか。

拍手する者は拍手せよ。

喝采する者は喝采せよ。

泣く者は泣け。笑う者は笑え。

私は……アンポンタン・ポカンはこの脳文化の現状に気が付いた瞬間、歯が根元から合わなくなった。恐怖に値する脳社会の光景を、人知れず嘲笑しているポカン自身の脳の冷たさを自覚すると同時に、左右の膝がガタガタと外れそうになった。この脳のトリックを打破し、脳に対する汎世界的な唯物科学的迷信を根底から覆し、こんなにも残酷で悲惨な恐怖のノンセンス劇を止めなければならなくなったのだ。

私は……アンポンタン・ポカンはここに立ち上がった。奮い立ち、腕に力を込めた。全生涯をかけた最高の探偵術を駆使し、無限の時空を超えて捜索を進めた結果、ついにこの脳と称する大悪魔の正体……「呪われた唯物文化の偶像」の正体を徹底的に見抜くことができたのだ。全人類の大悪夢……「物を考える脳」に関する迷信や妄執を喚び醒ますべく「絶対無上の大真理」に出会うことができたのだ。

……しかも……その大真理は、あまりにも簡単で平凡すぎるために、逆に誰にも気付かれなかったほどの驚異的な真理だった。初めて脳が発見されて以来、ベーコン、ロック、ダーウィン、スペンサー、ベルグソンなどの非凡な脳たちが、彼ら自身に認識できなかった「脳の真の活躍」そのものでなければならなかった。地上の二十億の生霊を弄殺し続ける「脳の大悪呪文」を焼き捨てる一本のマッチ棒に他ならなかったのだ。

皆さんよ。歓喜し、飛び跳ね、逆立ちし、宙返りせよ。フォックストロット、ジダンダ、ステップを踏め。

交通巡査も安全地帯も蹴飛ばしてしまえ。

古来から続く脳の専制横暴……人類最後の迷信から解放された凱歌を歌え。

私は……アンポンタン・ポカンはついにこのようにして、地上の大悪魔を皆さんの前にまで追及してきたのだ。神出鬼没、変幻自在の怪犯人、残忍非道なイタズラ者のトリックの真相を底まで突き止めてきたのだ。そして今、その大悪魔の正体……ポカン自身の脳を、皆さんの目の前に叩きつけ、絶叫する栄誉を得るのだ。……曰く……

……脳は物を考える場所ではない……

……と……」

×          ×          ×

アッハッハッハッハッハッ。どうだい。痛快だろう。超特急だろう。絶対的ブラボーだろう。全世界二十億の脳をダアとなすに足る、超特急探偵小説だろう。

……何?まだ分からない……?……。

アハアハアハ。それは脳で考える癖がまだ抜け切れないからだよ。「精神は物質である」という唯物科学的迷信が、まだ頭の隅のどこかにこびりついているせいだよ。

聞きなさい。私の青年名探偵アンポンタン・ポカン博士は、たった今地上に叩きつけたばかりの泥だらけの脳を指して、こんな論証を続けているのだ。

×          ×          ×

「……見よ……聞け……驚け……呆れよ。

この脳のトリックの真相を……悪魔以上の悪魔の横道ぶりを……。

我々人類は、脳を発見した最初の科学者ヘポメニアス以来、この「物を考える脳」のために翻弄され続けてきたのだ。明けても暮れてもこの脳の前に、自分の頭を拝み、肉体と精神のすべてを捧げるよう錯覚させられ続けてきたのだ。そうして、こう言うアンポンタン・ポカン自身の頭も、そうした頭の中の一つであったのだ。

……しかし……今やその錯覚は打ち破られなければならない時が来たのだ。脳を発見した最初の科学者ヘポメニアス氏の錯覚が清算されなければならない機会が来たのだ。ポカンの足元に横たわるポカンの脳も、泥だらけになって終わらなければならない時機が来たのだ。」

ポカンは十字街頭に立ち、堂々と宣言を行った。彼は、最先端の学問と、最末期の科学的宗教、つまり「アンポンタン・ポカン式脳髄論」を公表する栄誉を手にしたのだ。

「私、ポカンは断言します。『物を考える脳髄が、物を考える脳髄のことを考えられない』ということは、物理学の原則と同じく、永遠の真理であるべきだ」と彼は続けた。「だから、『物を考える脳髄』について考える『物を考える脳髄』は、最初に脳髄を発見した科学者ヘポメニアスが、自身の脳髄の作用を錯覚した『脳髄の幽霊』に悩まされ続けてきたのだ。そして今、彼はその幽霊に取り殺されそうな状況にある。」

ポカンは、これに対して堂々と挑戦した。

「物を考える場所は脳髄ではない。物を感じる場所も脳髄ではない。脳髄は無神経で無感覚な蛋白質の塊に過ぎない。」

彼は周囲を見渡し、笑っている人々に問いかけた。「何がそんなに可笑しいのか?なぜ、そんなに笑い転げているのか?何故、往来を転がり回るのだ?交番に這い込んだり、電柱に抱きついたり、赤いポストに接吻したりして、君たちは精神に異常を来したのではないか?」

「『脳髄で考えなくて、どこで考えるのか?』『脳髄で感じなくて、どこで感じるのか?』『私たちの精神意識はどこにあるのか?私たちはどうして生きているのか?』」

ポカンは続けた。「これは全く可笑しい問題ではない。奇抜でもなく、極めて平凡な問題だ。」

彼は姿勢を正し、聴衆に向かって言った。「我々の精神、あるいは生命意識はどこにも存在しない。私たちの全身の至る所に満ち満ちているのだ。脳髄を持たない下等動物と同じことだ。」

「お尻を抓ればお尻が痛い。お腹が空けばお腹が空く。これは非常に簡単明瞭なことだ。しかし、これだけではあまりにも単純すぎて、理解しにくいかもしれない。だから、もう少し詳しく説明しよう。」

「私たちが常に意識している欲望、感情、意志、記憶、判断、信念などは、私たちの全身にある三十兆の細胞の一つ一つに、平等に存在している。そして脳髄は、その全身の細胞の意識を反射し、仲介する機能を持つ細胞の集まりに過ぎないのだ。」

「赤い主義者は、その党員を細胞と呼んでいる。それと同じように、細胞の一つ一つを人間の一人一人と見立て、人間全体を一つの大都会になぞらえると、脳髄はその中心にある電話交換局に相当することがわかる。」

「それでもまだ理解できないなら、私、ポカンと一緒にこちらへ来てほしい。時間と空間を駆け巡り、脳髄の正体を突き止めるために、私の苦心惨憺の足跡をもう一度辿ってみてほしい。」

「まず第一に、脳髄がどこから、どのようにして生まれたのかを探るために、アタマ航空会社専用の超スピード機『推理号』に乗り込んでほしい。爆音を立ててアタマ飛行場を離陸し、無限の時空を一気に翔破しながら、君たちの眼下に広がる万有進化の大長流を六億年ほど遡ってみよう。」

「見てごらん。現在の人類全盛の世界は一瞬にして未来の夢となり、マンモスやエレファス、ステゴドンといった巨獣が、百万年前の象の世界で悠然と生きている様子が見えるだろう。」

「さらに、その百万年前の竜の世界、そのまた以前の鳥の世界、そしてそのずっと以前の魚の世界、貝類の世界、スポンジの世界へと、次第に進化の度合いが低い小さな生物たちの世界へと引き返し、ついには六億年前の古世代にたどり着くと……どうだ、天地を覆す大噴火、大雷雨、大海嘯、大地震が、次々と日月を覆いながら渦巻いているこの若々しい世界はどうだ。地球の元気さはどうだ。」

「そこで、この地表に漂う塩分の薄い、摂氏四十度前後の温度を保つ海水の一滴を採取し、顕微鏡で覗いてみてほしい。君たちは、無数に浮遊する単細胞生物の拡大像を発見するだろう。将来、すべての生命の共同の祖先となるべき元始細胞の大群集を、見渡すことができるだろう。」

「この元始細胞こそが、地球の表面で様々な化合物が作り出される中で、最後にできた最高に複雑なものであり、原素の活力を最も円満に発揮できる微妙な有機体であった。これが、地上最初の生命の群れなのだ。」

「だから、この元始細胞の一粒一粒は、環境の変化に応じてあらゆる意識や感情、判断力を表現する無限の霊能を持っていたのだ。自分以外の無機物や有機物を同化し、自己を増大させ分裂すると同時に、その分裂した細胞同士に感覚や意識を反射交感させる霊能を持っていたのだ。」

「その証拠に、見てごらん。今の元始細胞が盛んに自己を分裂増大し、その形態と能力を進化させ始めているではないか。霊能によって成長し、分裂し、結合し、反射交感し、一心同体となって共鳴し、活躍しながら、共産的な霊能を地上に発揮し、次第に高等で複雑な姿に進化し始めているではないか。」

「そして……『もうここまで進化したら、天下無敵だろう。俺以上に進化した奴はいないだろう』」

安心しきって自惚れた者たちが、得意の時代の姿をそのまま、スポンジや貝類、魚、鳥、獣といったそれぞれの子孫に伝えていくうちに、いつの間にか今日のような複雑で多様、千変万化の生物界が、皆さんの目の前に広がっているのだ。

さて、見てほしい。

こんなに多様な動物たちの中でも、進化の度合いが極めて低い海月以下の生き物たちは、見ての通り、脳や神経といった高度なものを持っていない。彼らは大昔のまま、全身の細胞同士の反射的な作用で、あらゆる感覚を同時に意識しながら、考え、動き、食べ、寝て、生きているのだ。

ところが、私たちのように高等で複雑な進化を遂げた動物になると、意識の内容が非常に込み入ってくる。細胞同士の距離も次第に遠くなり、「あの場所まで自分の身体なのか」と思うほどに長大な存在になっている。だから、手足や目鼻がそれぞれ専門的に分業するように、意識の中でも「脳」という自動的で複雑な反射的な機能を持ち、全身の三十兆の細胞同士の感覚や意識を縦横無尽に反射し合いながら、「私は私だ」「私はこうして生きている」と感じているのだ。

私たちの全身にある三十兆の細胞は、こうして流れ回る赤血球や白血球から、固い骨や毛髪の先端に至るまで、私たちが感じている意識の内容を一粒一粒が同時に感じ合い、意識し合っている。

目だけで物を見ることはできないし、耳だけで音を聞くこともできない。その背後には必ず、全身の細胞の判断や感覚が必要なのだ。

同様に、脳が脳だけで物を考えたり、感じたりすることは不可能である。その背後には必ず全身の細胞同士の主観と客観がなければならない。そうでなければ、人間の脳は、銀幕と観客を失った活動写真機のように無意味なものになってしまうのだ。

さらに、その脳によって仲介された全身の意識の反射的な作用は、実に驚くべきものである。電信電話やラジオでつながった人間社会の組織など、到底追いつけないほどだ。背筋がヒヤリとすると同時に全身がゾクッとする……お尻がチクリとするかしないかの瞬間に「アッ」と飛び上がるほど、迅速で敏感なのだ。

私たちの全身の各器官を形成する三十兆の細胞の集団は、こうしてそれぞれの専門の仕事を分担しながら、脳の反射的な機能を使って、一斉に物を見て、聞いて、嗅いで、味わっている。脳を中心にして一斉に意識し、感動し、戦い、歌い、舞い、叫んでいるのだ。

……嬉しいと食欲が湧くのは、胃袋も一緒にハシャいでいるからだ。

……食事をすると、まだ消化もしていないうちに元気が出るのは、全身の細胞が同時に満腹を感じるからだ。

だから、私たちが自分の生命や精神として意識しているものの正体は、全身無数の細胞が描き出す主観と客観が、脳の反射的な作用を介して一つに重なり合っているのを、ただ透かして見ているだけのものだということが、もう疑いなくわかるだろう。同時に、私たちがこれまで迷信してきた脳の偉大な内容は、実は全身の細胞一つ一つに含まれる無限の知恵や能力が、そこで反射し合っているのを錯覚していたのだ。まるで電話交換局が都会を支配していると考えるように……という事実が、何の疑いもなく理解されるだろう。

……なんと、皆さん、簡単明瞭ではないか。

……開いた口が閉じられないではないか。

……現代の科学者たちが、最大の不可思議としている生命意識の根本問題は、こうして「脳が物を考える」という考えをひっくり返して考えることで、何の苦もなく解明されるのだ。脳の役割が、手足のそれと同様に明確になってくるではないか。

……それでもまだわからなければ、もう一度こちらへ来てみてほしい。ポカンとした足の下に横たわるこの脳という名の、無知で自動的な反射交換局の内部を覗いてみてほしい。この交換局の中に詰め込まれている親切で明敏な神経細胞たちの働きを見てほしい。

彼女たち、神経細胞の大集団は、見ての通り自分自身が電線やスイッチ、コード、交換台、中継台、さらにはアンテナや真空管、ダイヤル、コイルなどに変形しながら、全身の細胞に含まれる意識感覚の各種類にそれぞれ対応する、泣き係り、笑い係り、見係り、聞係り、記憶係り、恋愛係りなど、あらゆる専門に分かれて、昼夜を問わず、浮世を離れた気持ちで、全身三十兆の市民の気持ちを隅々まで反射し合っているのだ。