5〜7
作 太宰治
君も知っていると思うが、僕が君と別れて一人で部屋に戻ったとき、心の中は興奮を通り越し、ほとんど蒼白になるほどの恐怖に包まれていた。越後の方を見ないようにして、僕はベッドに仰向けに寝転がった。しかし、不安と恐怖、焦りが奇妙に入り混じり、どうしようもなくなって、つい小さな声で呼びかけてしまった。
「花宵先生!」
返事はない。思い切って、花宵先生の方に顔を向けると、越後は黙々と屈伸運動を始めていた。僕も慌てて運動に取り掛かる。脚を大の字に広げ、両手の指を小指から順に中に折り込みながら、
「あの歌を誰が作ったのか、何も知らずに歌っていたんでしょうね。」と、意外と落ち着いて尋ねることができた。
「作者なんて、忘れられてもいいものだよ。」と平然と答えた。これで、この人が花宵先生であることは間違いないと思った。
「今まで失礼しました。さっき友人に教えられて、初めて知ったのです。あの友人も僕も、小さい頃からあなたの詩が好きでした。」
「ありがとう。」と真面目に言い、「でも、今は越後の方が気楽だ。」
「どうして最近、詩を書かないのですか?」
「時代が変わったよ。」と言って、ふふんと笑った。
胸が詰まって、僕は適当なことを言えなくなった。しばらくの間、二人は黙って運動を続けた。突然、越後が、
「人のことなんか気にするな!お前、最近生意気だぞ!」と怒り出した。僕は驚いた。越後がこんな乱暴な口調で僕に話すのは初めてだった。とにかく、早く謝るしかない。
「ごめんなさい。もう言いません。」
「そうだ。何も言うな。お前たちには、わからん。何も、わからん。」
本当に、気まずいことになってしまった。詩人というのは、恐ろしいものだ。何が失礼に当たるか、わかったもんじゃない。その日一日、僕たちは一言も言葉を交わさなかった。助手たちが来て、いろいろ話しかけても、僕は終始ふくれた顔をして、ろくに返事もしなかった。内心では、マア坊なんかに、隣の越後こそ実際に「オルレアンの少女」の作者だと知らせて驚かせたくてうずうずしていたが、越後から「何も言うな」と口止めされているし、仕方なく、昨夜は泣き寝入りの形になってしまった。
しかし、今朝、思いがけず、この激怒していた花宵先生とあっさり和解できて、ほっとした。今朝、久しぶりに越後の娘さんが越後を見舞いにやって来た。キヨ子さんという名で、マア坊と同じくらいの年頃で、痩せていて顔色が悪く、目が吊り上がったおとなしい娘さんだった。僕たちはちょうど朝ごはんの最中だった。娘さんは持ってきた大きな風呂敷包をほどきながら、
「つくだ煮を少し作ってきましたけど。」
「そうか。今すぐいただこう。出しなさい。隣のひばりさんにも半分あげなさい。」
思わず驚いた。越後は今まで僕を呼ぶのに、そちらの先生だの、書生さんだの、小柴君だのと言うばかりで、ひばりさんなんて変に親しげな呼び方をしたことは一度もなかったのだ。
娘さんは僕のところへ、つくだ煮を持って来た。
「入れ物が、ございますかしら。」
「ええ、いや、」僕はうろたえて、「そこの戸棚に。」と言いながらベッドから降りかけると、
「これでございますか?」娘さんはしゃがんで僕のベッドの下の戸棚からアルマイトの弁当箱を取り出した。
「はい、そうです。すみません。」
ベッドの下にうずくまって、つくだ煮をその弁当箱に移しながら、
「今、おあがりになります?」
「いいえ、もう食事は済みました。」
娘さんは弁当箱を元の戸棚に戻して立ち上がり、
「まあ、綺麗。」
と君が滅茶苦茶に投げ入れたあの菊の花を褒めた。君があの時、竹さんに直してもらえなんて要らないことを言ったので、なんだか竹さんに頼むのも照れくさくなり、またマア坊に頼むのもわざとらしいし、あの花はそのままになっていた。
「昨日、友人がいい加減に挿していったのです。直してくれる人もいないし。」
娘さんはちらっと越後の顔色をうかがった。
「直してあげなさい。」越後も食事が済んだらしく爪楊枝を使いながら、にやにや笑って言った。どうも今朝は機嫌が良すぎて、かえって気味が悪い。
娘さんは顔を赤くして、ためらいながらも枕元に寄って来て、菊の花を全部花瓶から抜いて、挿し直しに取りかかった。いい人に直してもらえて、僕はとても嬉しかった。
越後はベッドの上に大きくあぐらをかいて、娘さんの活花の手際を楽しそうに眺めながら、
「もう一度、詩を書くかな。」と呟いた。
下手なことを言ってまた怒鳴られるといけないから、僕は黙っていた。
「ひばりさん、昨日は失敬。」と言って、ずるそうに首をすくめた。
「いいえ、僕こそ、生意気なことを言って。」
本当に、思いがけず、あっさりと和解ができた。
「また、詩を書くかな。」ともう一度、同じことを繰り返して言った。
「どうか、書いてください。本当に、僕たちのために、先生のように軽やかで清らかな詩を、今、僕たちが一番求めているんです。僕にはよくわからないけれど、たとえば、モーツァルトの音楽のように、軽快で気高く澄んだ芸術を、僕たちは今、求めているのです。大袈裟な表現や、深刻ぶったものは、もう古くて、わかりきっています。焼け跡の隅に生えたわずかな青草でも、美しく歌ってくれる詩人はいないのでしょうか。現実から逃げようとしているわけではありません。苦しみは、もう十分に理解しています。僕たちは、何でも平気でやるつもりです。逃げたりはしません。命を預けているのです。身軽なものです。そんな僕たちの気持ちにぴったり合う、素早く流れる清流のような芸術だけが、今、本物のように思えるのです。命も名も要らないというものです。そうでなければ、この困難を乗り越えることは絶対にできないと思います。空を飛ぶ鳥を見てください。主義なんて問題ではありません。そんなものでごまかそうとしても、無駄です。タッチだけで、その人の純粋さがわかります。問題は、タッチです。音律です。それが気高く澄んでいないものは、みんな偽物です。」
僕は、不得手な理屈を一生懸命に口にした。言った後、少し恥ずかしくなった。言わなければよかったと思った。
「そんな時代になったのかな。」花宵先生は、タオルで鼻の頭を拭きながら仰向けに寝転び、「とにかく早くここから出なくちゃいけない。」
「そうですね、そうですね。」
僕は、この道場に来て初めて、その時、ああ早く頑丈な体になりたいとひそかに焦りを感じた。もったいないことだが、天の潮路を、のろのろと感じた。
「君たちは別だ。」と先生は、僕のそんな気持ちを敏感に察したらしく、「焦ることはない。落ち着いてここで生活していれば、必ず良くなる。そして立派に日本再建に役立つことができる。でも、こっちはもう歳をとっているし、」と言いかけた時、娘さんがどうやら活け花を完成させたらしく、
「前よりかえって、悪くなったようですわ。」と明るい口調で言い、父のベッドに近寄り、今度は極めて小さい声で、「お父さん!また愚痴を言ってるのね。今どき、そんなの流行らないわよ。」とぷんぷん怒っている。
「私の述懐もまた世に受け入れられないのか。」越後はそう言って、それでも嬉しそうにうふふと笑った。
僕もさっきの不覚の焦燥などはすっかり忘れ、幸福な気持ちで微笑んだ。
君、新しい時代は確かに来ている。それは羽衣のように軽やかで、白砂の上をさらさらと流れる小川のように清らかなものだ。芭蕉がその晩年に「軽み」というものを称え、それを「わび」「さび」「しおり」などの遥か上位に置いたと、中学校の福田和尚先生から教わったが、芭蕉ほどの名人がその晩年にやっと予感し、憧れたその最上位の心境に、僕たちがいつの間にか自然に到達しているとは、誇らしいと思わざるを得ない。この「軽み」は、決して軽薄とは違う。欲と命を捨てなければ、この心境はわからない。苦しみを乗り越えた後に感じる一陣の風だ。世界の大混乱の末に生まれた、翼の透き通るような身軽な鳥だ。これがわからない人は、永遠に歴史の流れから除外され、取り残されてしまうだろう。ああ、あれもこれも、どんどん古くなっていく。君、理屈も何もないのだ。すべてを失い、すべてを捨てた者の平安こそ、その「軽み」だ。
今朝、越後に向かって極めて下手くそな芸術論のようなことを述べて、それからひどく恥ずかしい思いをしたが、でも、越後の娘さんもまた僕たちのひそかな支持者らしいということに気づいて、大いに自信を得て、さらにここに新しい男としての気焔を挙げさせていただき、前説の補足を試みた次第である。
ついでに、君のこの道場での評判も、非常に良い。大いに気を良くしていただきたい。君がちょっとこの道場を訪れただけで、道場の雰囲気が急に明るくなったと言っても過言ではないようだ。まず、花宵先生が十年も若返った。竹さんも、マア坊も、君によろしくと言っている。マア坊の曰く、
「いい眼をしているわね。天才みたいね。まつげが長くて、まばたきするたびに、パチンパチンという音が聞こえる。」マア坊の言うことは大袈裟である。信じないほうがいい。竹さんの批評を紹介しようか。そんなに固くならずに、平然とお聞き流しを願う。竹さんの曰く、
「ひばりとは、いい取り組みや。」
それだけである。ただし、顔を赤くして言った。以上。
十月二十九日