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2〜4

作 太宰治

マア坊が細長い白い花瓶を持ってきた。

「ありがとう。」と君は受け取り、無造作に花を挿しながら言った。「これは後で、竹さんにでも挿し直してもらうんだな。」

その言葉は少しまずかったかもしれない。君がすぐにポケットから小さな辞典を取り出してマア坊に渡しても、彼はあまり嬉しそうな顔をせず、黙って丁寧にお辞儀をして、すたすたと部屋を出て行った。やはり、マア坊が少し気を悪くした証拠だろう。彼は、あんなよそよそしいお辞儀をする人ではないのだ。しかし君にとって、竹さん以外の人はどうでもいいことだから仕方がない。

「お天気がいいから二階のバルコニーへ行って話そう。今はお昼休みだから、気にしなくていいよ。」

「君の手紙でみんな知ってるよ。そのお昼休みの時間を狙って来たんだ。それに、今日は日曜日だから、慰安放送もあるし。」

笑いながら部屋を出て、階段を上っていくうちに、私たちは急に固くなり、やたらと天下国家について論じ合った。あれはどういうわけなのだろう。尊いお方に私たちの命はすでにお預けしてあるのに、私たちは御言いつけのままに軽くどこへでも飛んで行く覚悟ができているはずなのに、それでも互いに興奮して、新日本再建の微衷を吐露し合った。男の子というのは、どんなに親しい間柄でも、久しぶりに会った時には、ああいう具合に互いに高邁なことを述べ合い、自分の進歩を相手に認めさせたい焦躁にかられるものなのかもしれない。

バルコニーに出てからも、君は日本の初歩教育が駄目だと怒り、

「小さい時にどんな教育を受けたかで、その人の一生が決まってしまうんだからね。もっと偉い大人物を配すべきだと思うんだ。」

「そうだ。報酬ばかり考えているような人間では駄目だ。」

「そうとも、そうとも。功利性のごまかしでうまくいくはずがない。大人の駆け引きは、もうたくさんだ。」

「全くそうだ。表面のハッタリなんて古いよ。見え透いているじゃないか。」

君も、私と同じくらい議論が下手なようだ。私たちは、なんだか同じようなことばかり繰り返し言っていたようだった。

そうしているうちに、私たちの下手な議論もだんだん途切れがちになり、「単なる」とか「要するに」とか「とにかく」とか「結局」といった言葉ばかりが飛び出て、だれてしまった。その時、下の玄関の前の芝生にひょいと竹さんが現れた。私は思わず、

「竹さん!」と呼んだ。君は同時にズボンのバンドを締め上げたが、それはどういう意味なんだろう? 竹さんは右手を額にあててバルコニーを見上げ、「何や?」と言って笑った。あの時の竹さんの姿は悪くなかった。

「竹さんを、とても好きだと言ってる人が、今ここに来ているんだ。」

「よせ、よせ。」と君は言った。実際、あんな時には「よせ、よせ」という間の抜けた言葉しか出ないものだ。私にも経験がある。

「いやらし!」と竹さんが言った。それから首を四十五度以上も横に傾けて君に向かって、「いらっしゃいまし。」と笑いながら言った。君は顔を真っ赤にして、ぴょこんとお辞儀をした。その後、君は不平そうに小声で、

「なんだ、すごい美人じゃないか。馬鹿にしてやがる。君はまた、ただ大きくて堂々とした立派な人だと手紙に書いてたもんだから、安心してほめてたんだが、なあんだ、スゴチンじゃないか。」

「予想と違ったかね。」

「違った、違った、大違い。堂々として立派なんて言うから、馬みたいな人かと思っていたら、なあんだ、あれは、すらりとしているとでも形容しなくちゃいけない。色だって、そんなに黒くないじゃないか。あんな美人は、僕はいやだ。危険だ。」などと早口で言っているうちに、竹さんは軽く会釈して旧館の方へ行ってしまいそうになったので、君は慌てて、

「ちょっと、君、ちょっと竹さんを呼びとめてくれ。お土産があるんだ。」とポケットを探り、あの小型辞典を取り出した。

「竹さん!」と私が大声で呼びとめると、

「失礼ですが、ほうりますよ。これは、ひばりから頼まれたんです。僕からじゃありませんよ。」と君が、颯っと赤い表紙の可愛い辞典を投げてやったところは、やっぱり鮮やかなものだった。私は、ひそかに君に敬服した。竹さんは、君の清潔な贈り物を上手に胸に受け止めて、「おおきに。」と君に向かってお礼を言った。君が何と言ったって、竹さんは君からの贈り物だということを知っているのだ。旧館の方に歩いて行く竹さんの後ろ姿を眺めながら、君は溜息をついて、

「危険だ、あれは危険だ。」とひどく真面目に呟くので、私は可笑しかった。

「危険なもんか。真暗い部屋にたった二人きりでいても大丈夫な人だよ。僕は、もう試験済みだ。」

「君は、とんちんかんだからねえ。」と私をあわれむような口調で言って、「君には美人と不美人の区別がわからんのじゃないか?」

私はむっとした。君こそ、何もわからないくせに。竹さんが君にそんなに美しく見えたとしたら、それは竹さんの心の美しさが君の素直な心に反映したのだ。冷静に観察すると、竹さんなんか、ちっとも美人じゃない。マア坊の方がはるかに綺麗だ。竹さんの品性の光が、竹さんを美しく見せているだけの話だ。女の容貌については、私の方が君より数等厳しい審美眼を持っているつもりだが、あの時、女の顔のことなどで議論するのは下品なことのように思われたから、私は黙っていた。どうも、竹さんのことになると、私たちはむきになってしまって、ちょっと気まずくなる傾向があるようだ。よろしくないね。本当に、君、私を信じてくれ。竹さんは美人じゃないよ。危険なことなんか無いんだ。危険だなんて、可笑しいじゃないか。竹さんは、君と同じくらい、ただ生真面目な人なんだ。

僕たちはしばらくの間、バルコニーに立って黙っていた。すると、ふいに君が言った。「お隣の越後獅子は、大月花宵という有名な詩人なんだって。」

その言葉を聞いた瞬間、竹さんのことなどすっかり忘れてしまった。

「まさか。」僕は夢見心地で言った。

「本当らしいよ。さっきちらっと見て、思い出したんだ。僕の兄たちはみんなあの人のファンで、だから僕も小さい頃からあの人の顔を写真でよく見ていたんだ。実は、僕もあの人の詩が好きだったんだ。君も名前くらいは知ってるだろう?」

「もちろん、知ってるよ。」

詩というものは苦手だったけれど、大月花宵の「姫百合」や「鴎」の詩は、今でも暗唱できるほどよく知っていた。まさか、その詩の作者とこの数ヶ月、同じベッドで寝ていたなんて信じられなかった。詩の内容は理解できないけれど、君も知っているように、天才の詩人を尊敬する気持ちには自信があった。

「あの人が、ねえ。」しばらく感慨にふけった。

「いや、はっきりしたことはわからないよ。」君は少し動揺しながら言った。「さっきちらっと見ただけなんだから。」

それでも、もっと詳しく観察しようということになり、日曜の慰安放送の時間も近づいていたので、僕たちは階下の「桜の間」に戻った。越後は寝ていた。あの時ほど越後が立派に見えたことはなかった。まるで眠れる獅子のようだった。僕たちは顔を見合わせ、ひそかに頷き、同時に深いため息をついた。緊張のあまり、何も話せず、窓を背にして立ったまま、ただ黙ってレコードの放送を聞いていた。

番組が進んで、その日の目玉である助手たちの二部合唱「オルレアンの少女」が始まった時、君は右肘で僕の横腹を強く突いて囁いた。「この歌は、花宵先生が作ったんだ。」その興奮した声に、僕も思い出した。子供の頃、この歌は花宵先生の傑作として少年雑誌に紹介され、大人気だったのだ。

僕たちはひそかに越後の表情を注視した。越後はベッドの上で仰向けに寝て、軽く目を閉じていたが、「オルレアンの少女」の合唱が始まると、目を開けて、少し頭を持ち上げるようにして耳を澄ませた。やがてまたぐったりと目を閉じ、悲しそうに微笑んだ。君は右手でこぶしを作って空間を打つような妙な仕草をし、そして僕に握手を求めた。僕たちは笑わずに、固く握手を交わした。今思うと、あれは一体何のための握手だったのか、わけがわからないけれど、その時はじっとしていられず、握手でもしなければ気持ちが収まらなかったのだ。君も僕も、かなり興奮していた。

「オルレアンの少女」が終わった時、君は奇妙に嗄れた声で「じゃあ、失礼しよう。」と言い、僕も頷いて君を廊下まで送った。そして、二人同時に叫んだ。「たしかだ!」