三十〜三十一
作 夏目漱石
歩いていると、暑さと疲れで自然と体調が崩れてくるものです。とはいえ、それは病気とは違います。まるで急に他の体に自分の魂が移り住んだような感覚になるのです。私は普段通りにKと話しながらも、どこか心の持ち方がいつもとは違ってきました。彼に対する親しみや憎しみも、旅の特別な性質を帯びて、まるで一時的なものになっていったのです。私たちは暑さや潮の影響、そして歩くことによって、新しい関係に入ったのかもしれません。その時の私たちは、まるで道連れになった行商人のようでした。いくら話をしても、いつもとは違って、頭を使うような難しい話には触れませんでした。
私たちはこの調子で銚子まで辿り着いたのですが、道中に一つだけ忘れられない出来事がありました。まだ房州を離れないうちに、小湊という場所で鯛の浦を見物したのです。もう何年も前のことですし、私にはそれほど興味がなかったので、はっきりとは覚えていませんが、そこは日蓮が生まれた村だという話でした。日蓮が生まれた日に、二尾の鯛が磯に打ち上げられたという伝説があり、それ以来村の漁師たちは鯛を取ることを控えているため、浦には鯛がたくさんいるのだそうです。私たちはその鯛を見に小舟を借りて出かけました。
その時、私はただひたすら波を見つめていました。そして、その波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽きずに眺めていました。しかし、Kは私ほどそれに興味を持っていなかったようです。彼は鯛よりも、むしろ日蓮のことを頭の中で想像していたらしいのです。ちょうどそこに誕生寺という寺がありました。日蓮の生まれた村だから、誕生寺と名付けられたのでしょう。立派な伽藍でした。Kはその寺に行って住職に会ってみようと言い出しました。実を言うと、私たちはかなり変な服装をしていたのです。特にKは、風で帽子を海に飛ばされたため、菅笠を買ってかぶっていました。二人とも着物は汚れていて、汗の匂いもしていました。私は坊さんに会うのはやめようと言いましたが、Kは頑固で聞き入れません。「嫌なら、君は外で待っていればいい」と言うのです。仕方なく私は一緒に玄関に入りましたが、心の中ではきっと断られるだろうと思っていました。ところが、坊さんは意外にも丁寧で、広い立派な座敷に通してすぐに会ってくれました。その時の私は、Kとはかなり考えが違っていたので、坊さんとKの話にそれほど耳を傾ける気にはなれませんでしたが、Kはしきりに日蓮のことを尋ねていたようです。坊さんが日蓮は草日蓮と呼ばれるほど草書が得意だったと言った時、字の下手なKは「なんだ、くだらない」といった顔をしていたのを覚えています。Kはそんなことよりも、もっと深い意味の日蓮を知りたかったのでしょう。坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼は寺の境内を出ると、しきりに私に日蓮のことを語り始めました。私は暑くて疲れていたので、それどころではなく、ただ適当に返事をしていました。それも面倒になり、最終的には全く黙ってしまいました。
確かその翌晩のことだと思いますが、二人は宿に着いて食事をし、寝る前になって急に難しい問題を論じ始めました。Kは昨日自分から話しかけた日蓮のことについて、私が真剣に取り合わなかったことを快く思っていなかったのです。「精神的に向上心がない者は馬鹿だ」と言い、私を軽薄な存在のように扱いました。しかし、私の心の中にはお嬢さんのことが引っかかっていたので、彼の侮蔑に近い言葉を笑って受け入れるわけにはいきませんでした。私は自分の立場を弁解し始めました。
「その時、私はしきりに『人間らしい』という言葉を使いました。Kはその言葉の中に、私が自分の弱点を隠していると思っているようです。確かに後から考えれば、Kの言う通りかもしれません。しかし、私はその言葉を使い始めた時点で、すでに反抗的な気持ちがあったので、反省する余裕はありませんでした。私はさらに自説を主張しました。するとKは、私にどこが人間らしくないのかと尋ねてきました。私は彼に言いました。『君は人間らしい。あるいは人間らし過ぎるかもしれない。しかし、口先だけでは人間らしくないことを言っているし、人間らしくないように振る舞おうとしている。』」
私がこう言った時、彼はただ自分の修養が足りないから、他の人にはそう見えるかもしれないと答えただけで、全く私を反論しようとはしませんでした。私は張り合いが抜けたというより、むしろ彼が気の毒になりました。私はすぐに議論を切り上げました。彼の調子も次第に沈んでいきました。もし私が彼の知っている昔の人を知っていれば、そんな攻撃はしなかっただろうと、彼は悔しそうに言いました。Kが言った昔の人とは、もちろん英雄でも豪傑でもなく、霊のために肉体を虐げたり、道のために自らを苦しめたりするような、いわゆる難行苦行をする人々を指していたのです。Kは私に、彼がそのためにどれほど苦しんでいるか分からないのが本当に残念だと明言しました。
Kと私は、そのまま眠りに落ちてしまいました。そして翌日からは、また普通の行商の生活に戻り、汗を流しながら歩き始めました。しかし、道すがら、私は昨晩のことを何度も思い出しました。あの時、私には最高のチャンスが与えられていたのに、なぜ知らないふりをしてそれをやり過ごしてしまったのかという悔しさが心に燃え上がりました。
私は「人間らしい」という抽象的な言葉を使う代わりに、もっと直接的で簡単な言葉でKに気持ちを伝えればよかったと、何度も思い返しました。実を言うと、私があのような言葉を考え出したのも、お嬢さんに対する私の感情が根底にあったからです。理論的に整理した言葉をKに伝えるよりも、素直な気持ちをそのまま彼の目の前に示す方が、私には確実に良い結果をもたらしたでしょう。それができなかったのは、学問を通じて築かれた二人の関係に、私自身が一種の惰性を感じていたからです。思い切ってその壁を突き破る勇気が、私には欠けていたのです。気取りすぎたと言われても、虚栄心が邪魔したと言われても同じことですが、私が言う「気取る」や「虚栄」という意味は、一般的なものとは少し違います。それがあなたに伝わるなら、私は満足です。
私たちは真っ黒になって東京へ帰りました。帰った時、私の気分はまた変わっていました。「人間らしい」とか「人間らしくない」といった小さな理屈は、ほとんど頭の中から消えていました。Kにも、宗教家らしい様子はまったく見えませんでした。おそらく、彼の心の中には霊や肉体に関する問題は、もう存在していなかったのでしょう。私たちはまるで異人種のような顔をして、忙しそうに見える東京の街をぐるぐると眺めました。それから両国に行き、暑い中で軍鶏を食べました。Kはその勢いで小石川まで歩いて帰ろうと言いました。体力的にはKよりも私の方が強いので、私はすぐに応じました。
家に着くと、奥さんは二人の姿を見て驚きました。私たちはただ色が黒くなっただけでなく、歩き回っているうちにかなり痩せてしまったのです。それでも奥さんは、「丈夫そうになった」と言って褒めてくれました。お嬢さんは奥さんの矛盾を面白がって笑い出しました。旅行前に時々腹が立った私も、その時だけは愉快な気持ちになりました。それは、状況が状況だったからか、久しぶりに聞いたせいかもしれません。