ドグラ・マグラ (37/47)
作 夢野久作
この絵巻物を見た瞬間、過去、現在、未来の因果関係が一目で理解できた。呉青秀の子孫がこれを見れば、先祖の記憶が呼び起こされ、真似を始めるのも無理はない。彼らは、あまりにも不憫なことだと思ったのだろう。そこで、世界の終わりに現れる弥勒菩薩の像を彫り、その中に封じ込めて「男は見るべからず」と厳しく禁じておいた。
しかし、「見てはいけない」と言われると、ますます見たくなるのが人情というものだ。呉青秀の子孫の中には、こっそりと弥勒様の首を引き抜き、絵巻物を取り出して見る者が出てきた。その結果、彼らはみんな狂って暴れ出したのだが、そこに現れたのが呉虹汀の美登利屋坪太郎だった。彼は禅学か何かの力で、この心理遺伝の作用を見抜き、一思いに絵巻物を焼いてしまおうと考えた。しかし、どうやら惜しかったのだろう。表面上は焼いたふりをして、実際には元の穴に納め、巻物の供養を大々的に行ってお茶を濁していたのだ。その絵巻物は、現代の物質万能の世界に姿を現し、恐ろしい悲劇を引き起こした……というのが大体の筋書きだ。
「はあ……やっとわかったようですが……でも、その絵巻物を見て狂うのが男だけなのはなぜでしょうか?」
「うむ……素晴らしい。君は素晴らしい質問をしたな。」
正木博士は突然テーブルを叩いたので、私は驚いて座り直した。何が起こったのか分からないまま、胸がドキドキしていた。しかし、正木博士は構わずに言葉を続けた。
「いや、感心した。この事件の興味のクライマックスは、まさにそこにあるんだ。君はすっかり心理遺伝学の大家になったな。」
「……どうしてですか?」
「どうしてじゃない。さあ、この絵巻物を開いて見てごらん。今の疑問は一瞬で解けるから……もっとも、同時に君が本当に呉一郎なら、呉青秀の子孫としての心理遺伝的な夢遊を始めるかどうか、または自分がどこそこの何者で、どんな来歴でこの事件に関わっているのかという過去の記憶を一気に思い出すかどうか……それとも『この絵巻物は以前に、いつどこで、どんな奴から見せられたことがある』という、この事件の核心を思い出すかどうか……若林と私のどちらが勝つか負けるか……そして最後に君の将来がどのような因果の下に、いやでもあの美しい令嬢とスイートホームを築かなければならないのか……というような息苦しい重大問題が、この絵巻物を見ると同時に一気に解決されるかもしれないのだからね。ハッハッハッハッ」
正木博士は一息にこう言い終えると、口いっぱいに白い義歯を見せながら高らかに笑った。そして、目の前の新聞の包みを引き寄せ、無造作にガサガサと引き剥がすと、中から長方形の白木の箱が出てきた。その蓋を丁寧に開け、直径三寸、長さ六寸ほどの深い紺色の布包みを取り出すと、箱の縁に一端を載せて、その上からそっと蓋を置き、私の前に押し進めた。
今まで弛んでいた私の神経は、正木博士の高らかな笑いの波動に触れ、見る見るうちに緊張してきた。
……彼は私を冷やかしているのか……威嚇しているのか……それとも何かの暗示を与えているのか……全く見当がつかないその笑い顔を見ているうちに、彼がまるで恐ろしい魔法使いのように見えてきた。しかし同時に……
……何を言っているのか……高の知れた絵巻物一巻に、男一人が発狂するまで翻弄されることなどあり得るはずがない……どんな名人の手によるものであろうと、結局は色と線の配合に過ぎないだろう。ましてやこちらで覚悟を決めている以上、何の恐ろしいことがあろう……よし……
というような反抗心が次第に高まっていくのを抑えきれなかった。
……だから私はできるだけ冷静な態度で箱を引き寄せた。そして木の蓋と、深い紺色の布を開くと、再び緊張しかけた感情を押さえようと力を入れつつ、まず絵巻物の外側を見回した。
巻物の軸は美しい緑色の石で八角形に磨かれており、その美しさに思わず指を触れて撫で回してしまった。表装の布地は一見したところ織物のようだが、近づいて見ると、見えるか見えないかの細かい彩糸や金銀の糸で、極薄の絹地に一寸大の唐獅子の群れが色を変えて隙間なく刺繍されていることがわかり、その貴重さを実感した。千年も前のものであるというのに、ピカピカと新しく見えるのは、丁寧に保管されていたからだろう。その一隅には小さな短冊型の金紙が貼り付けてあるが、何も書かれてはいなかった。
「それが問題の縫い潰しという刺繍なんだ。呉一郎の母、千世子は、それを手本にして勉強したに違いない。」
正木博士は投げやりに説明しながら、くるりと横を向いて葉巻を吸い始めた。しかし、私もちょうどそんなことを考えていたので、特に驚くこともなく頷いた。
象牙の篦を結び付けた暗褐色の紐を解いて巻物を少し開くと、紫黒色の紙に金絵具で、右上から左下へ波紋を描く水が流れているのが見えた。それは非常に優雅な筆致だった。私はその青暗い平面に浮かぶ夢のような、または細い煙のような柔らかい金線の美しい渦巻きに魅了されながら、何の気もなくズルズルと右から左へ巻物を広げていった。
やがて目の前に白い紙が五寸ほど現れたとき、私は思わず……
「……あっ……」
と叫びかけた。しかし、その声は声にならないまま、次の瞬間に喉の奥へ引っ込んでしまった。巻物を両手で引き広げたまま、動けなくなってしまった。息苦しいほどに胸の鼓動が高まっていった。
そこに横たわっている女性の寝顔を見つめていた。細い眉、長いまつげ、品のある白い鼻、小さな朱色の唇、清らかな頬。まるであの六号室の美少女の寝顔そのものではないか。黒く豊かな髪が、花弁のように美しく結い上げられ、雲のようにふわふわと広がっている。その髪型や生え際の様子まで、まるで六号室の少女の姿をそのまま写し取ったかのように思えた。
しかし、その時の私は「なぜ?」という疑問を抱く余裕すらなかった。彼女の寝顔、いや、眠っているように見えるその表情の下には、微妙な色合いや線の働きによって透けて見える死者の美しさがあった。言葉では表現できないほどの魅力が私を引き寄せ、吸い取ってしまうようだった。今にも彼女の目がぱっちりと開いて、「あっ、お兄様!」と叫びながら飛びついてくるのではないかという、あり得ない予感に全神経が襲われていた。瞬き一つできず、唾液を飲み込むこともできず、ただその臙脂色の頬と青光りする唇を凝視していた。
「ハッハッハッ。固くなっているじゃないか。どうだい、すごいだろう。呉青秀の筆力は……」
絵巻物の向こうから、正木博士が軽い口調で声をかけた。しかし、私は依然として身動きが取れなかった。やっとのことで、かすれた声を絞り出すことができた。
「……この顔は……さっきの……呉モヨ子と……」
「生き写しだろう……」
正木博士がすぐに返した。その瞬間、私はやっと絵巻物から目を離し、正木博士の顔を見つめることができた。彼の顔には同情とも誇りとも皮肉ともつかない笑みが浮かんでいた。
「どうだい、面白いだろう。心理遺伝が恐ろしいように、肉体の遺伝もまた恐ろしいものなんだ。姪の浜の一農家の娘、呉モヨ子の眼鼻立ちが、千百年以上前、唐の玄宗皇帝の時代に評判だった花清宮の双姉妹に生き写しだなんて、造化の神でも忘れているだろう。」
「……………」
「歴史は繰り返すと言うが、人間の肉体や精神もこうして繰り返しながら進歩していくものなんだ。もちろん、これは特別な一例だが……呉モヨ子は、芬夫人の心理を夢中で繰り返すと同時に、その姉の黛夫人が、喜んで夫の呉青秀に絞め殺された心理も一緒に繰り返しているようだ。二人の先祖に、そんな徹底したマゾヒズムの女性がいたのかもしれない。または、呉青秀を慕う芬女の熱情が、思う男の手にかかって死んだ姉の身の上を羨むほどにまで高まっていたのかもしれない。しかし、そこまで突っ込まなくても、その絵巻物の一巻が、呉青秀と黛芬姉妹の夫婦愛の極致を表していることは明らかだ。とにかく、もっと先まで開いて見てごらん。呉一郎の心理遺伝の正体が、底まで曝露されてくるから……」
私はその言葉に促されるように、半ば無意識に絵巻物を左へと開いていった。
次々と白紙の上に現れる極彩色の密画を、ただ真に迫っているという以外に何の誇張も加えずに説明すると、それは右を頭にして、両手を左右に伏せて並べ、斜めにこちらを向いて寝かされた死美人の全長が約一尺二三寸と思われる裸体像だった。周囲が白紙になっているため、まるで空間に浮いているように見える。それが間隔三四寸を隔てて次々と六体あり、皆ほぼ同じ姿勢で寝ているが、ただ姿が初めから終わりへかけて変わっていくのだ。
巻頭の第一番に現れた絵は、死んで間もないらしい雪白の肌で、頬や耳には臙脂の色が艶やかに浮かんでいる。切れ長の目と濃いまつげを伏せ、青光りする唇を軽く閉じたその姿は、夫のために死んだ神々しい喜びの色が一杯に輝いているかのように見えた。
しかし、第二番目の絵になると、皮膚の色がやや赤味がかった紫色に変わり、全体が腫れぼったく見え、目の周りには暗い色が漂い、唇も少し黒ずんで、全体の印象が重々しく不気味に変わっている。
次の第三番目の像では、顔の中で額や耳の後ろ、腹部の皮膚の一部が赤く、または白く腐り始め、目はうっすらと開き、白い歯が少し見え始め、全体が暗紫色に変わり、腹が太鼓のように膨らんで光っている。
第四の絵は、全身が青黒い深刻な色に沈み、腐った部分は茶褐色や卵白色が入り混じり、乳が流れ出て肋骨が青白く露わになり、腹は腰骨の近くから破れ、臓腑の一部がコバルト色に重なり合って見え、顔は眼球が全て露出し、唇が流れて白い歯を噛み出しているため、鬼のような表情に見えるばかりか、濡れた髪の中から美しい櫛や珠玉がバラバラと落ち散っている。
第五の絵では、眼球が潰れ縮み、歯が耳の付け根まで露わになり、冷笑したような表情をしている。一方で臓腑は腹の皮と一緒に襤褸切れのように黒ずみ縮んでしまい、肋骨や手足の骨が白々と露わになり、毛の粘り付いた恥骨のみが高く、男女の区別さえもできなくなっている。
最終の第六図になると、青茶色の骨格に黒い肉が海藻のように固まりついて、難破船のようなガランドウになり、猿とも人ともつかぬ頭が全くこちらを向いて傾き落ちているのに、歯だけが白く、がっくりと開いたままくっついている。
……私は嘘を記録することはできない。後から考えても恥ずかしい限りだが、私は最後の方ほど急いで見てしまった。
もちろん、この絵巻物を開いた最初のうちは、少し反抗心を抱きながらも冷静さを保っていた。しかし、死美人の絵が現れると、その気持ちはすぐに消え去り、巻物をめくる手はどんどん速くなっていくのを自覚した。どうしてもその手を止めることができず、結局、第六番目の絵はほとんど目の前を通り過ぎるだけになってしまった。画面から湧き出る底知れぬ恐怖と、神経を刺激する耐え難い悪臭に包まれ、窒息しそうな思いをしながら、ようやく巻物の最後の由来記の頭が見えるところまで来ると、思わずホッと息をついた。
その後、四五尺にわたって書かれた漢文を形式だけで目を通し、結末にある文字を二三度繰り返して読んで、少し気を落ち着けた。そして、元の通りに巻き戻して箱の横に置いた。神経を鎮めるために椅子に背を預け、両手で顔を押さえながら目を閉じた。
「……どうだ。驚いたろう。ハハハハハ。これだけ描いてもまだ足りないと思った呉青秀の心理がわかるかね」
「……………」
「常識から考えれば、天子を驚かすには、そこに描かれている六つの死美人像だけで十分なんだ。大抵の人はその半分を見ただけでも参ってしまう。それに呉青秀が、なおも新しい女の屍体を求めたというのは、彼が病的な心理に堕ちていた証拠だ。自分の描いた死美人の腐敗像に囚われて精神に異常を来たしたんだ。その心理がわかるかね君には……」
こうした言葉が鼓膜に響きながら、目をしっかり閉じ、両手で押さえつけていると、瞼の内側の薄赤い暗闇の中に、さっき見た死美人の第一番目の絵が、白い光を帯びてぼんやりと現れた。……と思う間もなく、第二図、第三図と左から右へ順に滑り始めたが、ちょうど第五番目の、死後五十日目に描かれた白茶けた笑い顔のところまで来ると、ピタリと目の前に静止してしまった。
私は思わず身震いした。パッと目を開くと、いつの間にか椅子を回転させて、こちらを正面に腕を組んでいる正木博士と視線が合った。すると博士は黒ずんだ唇の間から義歯を光らせてニッと笑い、その顔の両脇にある赤い薄っぺらな耳たぶをずっと上の方へ動かしたので、私はまた思わずゾッとして目を伏せた。
「ウフフフフフフ。ぞっとしたろう。ウフフフフフフ……ぞっとするはずだ。……あの呉一郎も初めてこれを見た時には、君と同じように震え上がったに違いないのだ。……まるで太古の生物の遺骸が石油となって地層の底に残っているように、あの呉一郎の心理の底に隠れていた祖先の一念は、この絵巻物を見てゾッとすると同時に点火されたんだ。……そうしてみるみるうちに、一切の現実の意識を打ち消すほどの大光明となって燃え上がってきた。過去も、現在も、未来も、日月星辰の光もすべてその大光明に掻き消されて、自分自身が呉青秀と同じ心理……すなわち呉青秀自身になり切ってしまうまでゾッとし続けたのだ……姪の浜の石切場の赤い夕日の中に立ち上がって、この絵巻物を巻き納めながら、ホッと溜め息をついて西の空を凝視していた呉一郎は、もう今までの呉一郎ではなかったのだ。呉青秀の熱烈な欲求そのものを全身の細胞に呼び起こした、ある青年の記憶力、判断力、習慣の残骸に過ぎなかったのだ……呉一郎が発狂してから今日まで、呉青秀と同じ心理で生きてきたことは、この由来記に現れている呉青秀の心理の推移と、呉一郎の今日までの精神病状態の経過が全く同一であることからも明らかだ。否、二人の行動に現れた心理の推移を精神病理的に観察してみると、呉一郎は千年後の呉青秀に他ならないのだ」
私はまた、別の気持ちでゾッとして腰をかけ直した。
「この驚くべき奇怪な現象を理解するには、まず、呉一郎と呉青秀がどんな順序で入れ替わっていったのか、その精神病理的な階梯を明らかにしなければならない。平たく言えば、いくら秀才とはいえ、中学卒業以来漢文を勉強していなかった呉一郎が、純粋な漢文の白文で、四五尺も細かく書かれたこの由来記を、発狂するほど深刻な程度までどうして読みこなせたのか……ということから疑ってかからなければならない。……どうだ……わかるかね。その理由が」
私は正木博士の底光りする目を凝視したまま、乾燥した喉に唾液を押し込んだ。どうしてこれに気付かなかったのかと驚きつつ……。
「……わかるまいナ……わからないはずだ。呉一郎が自分の学力でこの由来記を読んだと思うと誰でも理屈がわからなくなる」
「……じゃ誰か……読んで聞かせた……」
と言い終わらないうちに、私は愕然として震え上がった。
……誰か……何者かがそばにいたんだ……今しがた私が聞いたような説明をして聞かせた奴がいたんだ……いたんだ……そいつが……そいつが……そいつは……そいつは……
こう思ううちに高まっていた心臓の鼓動がまたピタリと静まった。そして同時に、正木博士の厳粛な目の光が次第に柔らいでいくのを見た。一文字に結ばれた唇が見る見る弛んで、私を憐れむような微笑に変わっていくのを見た……と思うと、無造作に投げ出すような言葉が葉巻の煙と一緒に飛び出した。
「……『狐憑き、落つればもとの無筆なり』……という川柳を知っているかね君は……」
私は面食らった。不意に横頬に何か見えないものを叩き付けられたような気持ちがして、しばらく目をパチパチさせていた。
「……そ……そんな川柳は知りません」
「……フ――ン……この句を知らなければ川柳を知っているとは言えないぜ。柳樽の中でもパリパリの名吟なんだ」
こう言うと正木博士は得意の色を鼻の先にほのめかしながら、片膝をぐっと椅子の上に抱え上げた。
「……それで……どうしたんですか?」
「どうしたんじゃない。この川柳が表している心理遺伝の原則を理解していない限り、シャイロック・ホルムスやアルセーヌ・ルパンのような名探偵が現れても、この疑問は解決しないよ。」
冷ややかな口調でそう言い放った正木博士から、小さな煙の輪が一つ、クルクルと湧き出て、私の頭上へ消えていった。私はまた、目をパチパチさせた。
……狐憑き……落ちれば……落ちれば……もとの無筆……もとの無筆……
心の中で繰り返したが、わからないものはどれだけ考えても理解できなかった。
「若林先生はその理屈を知っているんですか……?」
「私が説明してやった。感謝していたよ。」
「……へえ……どういうことなんですか……?」
「どういうことかって……こうだ。いいかい……」
正木博士はゆったりと椅子の背に身を預け、足を長々と伸ばした。
「……この川柳は、狐憑きが心理遺伝の発作であることを遺憾なく説明している。つまり、狐憑きはその発作の最中に妙な獣じみた身振りをしたり、飯櫃に顔を突っ込んだり、床下に這い込んで寝たがったりして、目の玉を釣り上げながら、遠い昔の先祖の動物的な心理を発揮するから、狐憑きという名前をもらっている。しかし同時に、この狐憑きはその性質と共に、何代か前の祖先の人間の記憶や学力なども発揮する場合が多い。一字も知らなかった者が狐憑きになると、スラスラと読んだり書いたり、祖先の様々な才能や知識を発揮して人を驚かせる例がいくらでもあるから、こんな川柳にまで読まれているんだ。」
「へえ――。そんなに細かいところまで先祖の記憶が……」
「……出てくるから心理遺伝と名付けるんだ。無学文盲の土百姓が狐に憑かれると、歌を詠んだり、詩を作ったり、医者の真似をして不治の難病を治したりする。ちょっと不思議に思えるが、心理遺伝の原則に照らせば何でもない。当たり前のことなんだ……特にこの絵巻物は、絵の方が先にあるから、それを見ているうちに呉一郎はすっかり興奮して、あらかた呉青秀の気持ちになってしまっている。そしてその間に、自分の先祖代々が何度も何度も発狂するほど深く読んできた由来記の内容に対する記憶までも呼び起こしているから、訳はない。范陽の進士、呉青秀の学力が、自分の経歴を暗記した者を再び読み返すようなものだ。白紙を突きつけても間違わずに読めるわけだ。」
「……驚いた……なるほど……」
「これが第一段の暗示になったわけだが、次に、第二段の暗示となって呉一郎を昏迷させたものは、その六個の死美人像の中に盛り込まれている思想である。」
「思想というと……やはり呉青秀の……?」
「そうだ。この心理遺伝の根本は、呉青秀の忠君愛国から始まり、その自殺に終わることになっているが、それはその由来記の表面だけの事実で、その事実の裏側にもう一歩深く首を突っ込んでみると、呉青秀の忠勇義烈がいつの間にか変化して、純然たる変態性欲ばかりになっていく過程が明らかに見えてくる。ちょうど材木が乾燥されてアルコールに変わっていくようにね。」
「……………」
「……ところでこの経過を説明すると、とても一年や二年の講座では片付かないのだが、昨夜焼いてしまった心理遺伝論の最後に、附録として載せようと思っていた腹案の骨組みだけをざっと話すと、こうだ。……呉青秀がこの仕事を思い立った動機というのは、今も言った通り、天下万生のためという神聖無比な、純誠純忠なもののように思えるが、これは表面的な観察で、その後の経過から推測して研究すると、その神聖無比、純誠純忠の裏には、芸術家らしい変態心理の深刻なものが異分子として含まれているのを、本人の呉青秀も気付かずにいた。……と考えなければ、その絵巻物の存在の意義について、いろんな不合理があるのを、どうしても説明できなくなってしまうのだ。」