ドグラ・マグラ (8/47)
作 夢野久作
「……ああ、また先生の愚痴が始まった。まるで安月給の蓄音器みたいだ。そろそろその蝋管を取り替えたらどうですか。今の人たちはみんな西洋崇拝に夢中で、唯物科学にどっぷり浸かっているから、先生の愚痴を聞いたくらいでは癒されることはないでしょう。……まあ、そんなに焦らずに、今から二十年ほど待ってみてください。もしかしたら、その頃には日本に一人の素晴らしい精神病患者が現れるかもしれません。……その患者は、自分の発病の原因や、精神異常が回復する過程を詳しく記録し、発表して全世界の学者たちを驚かせるでしょう。そして、今日まで人類が築き上げてきた宗教や道徳、芸術、法律、科学などはもちろん、自然主義や虚無主義、無政府主義といった唯物的な文化思想を粉々に打ち砕き、人間の魂を底まで赤裸々に解放する、痛快な精神文化をこの地上に叩き出すのです。……そのキチガイの騒ぎが、うまく成功すれば、先生の望み通りに精神科学がこの地上で最高の学問になるでしょう。同時に、精神病科を軽視するような大学は、全く無価値なものになってしまうのです。……だから、その日を楽しみにして、せいぜい長生きして待っていてください。学者に停年はありませんからね。」
こういったことを、私は記憶していますが、さすがの斎藤先生も呆れていたようです。私も一緒に聞いていて、少なからず驚かされました。まず、正木先生が本気でこんな予言めいたことを言っているのかどうか、さっぱりわかりませんでした。正木先生がその時、すでに自分自身でそんな精神病者を作り出して学界を驚かせようと計画していたなんて、当時の私には想像もつきませんでした。……しかも、正木先生がこうした突拍子もないことを言って人を驚かせるのは、その頃から決して珍しいことではなかったので、斎藤先生も私も、この件について特に疑問を抱くこともなく、深く突っ込んで質問することもありませんでした。
……ところが、間もなく斎藤先生の不満が正木先生の天才的な頭脳と相まって、当時の大学内に異常な波乱を巻き起こす機会が訪れました。それは、ちょうど私たちが大学を卒業する時期で、正木先生が卒業論文として『胎児の夢』という奇妙な研究を発表したことがきっかけでした。
「……胎児……胎児が夢を見るのですか?」
私は突然、驚きの声を上げました。それほどまでに「胎児の夢」という言葉が、私の耳には異様な響きを持っていたのです。しかし、若林博士はまったく驚かなかった。私が驚くのが当然だというように頷きながら、手にした書類を一枚一枚丁寧に広げ、青白い目で覗き込んでいました。
「……そうです。その『胎児の夢』という論文の内容も、いずれお目にかかることになるでしょうが、単にその標題を見ただけでも、普通の論文ではないことがわかります。普通の人が見る夢の正体さえも、今日まで明らかになっていないのに、ましてや今から二十年前、あなたが生まれるか生まれないかの頃に、学術研究の論文としてこのような標題が選ばれたのですから。……さらに、正木先生の頭脳が尋常でないことは、以前から評判でしたので、この論文の標題はすぐに学内で話題になり、どんな内容だろうと目を見張らない者はいないほどでした。
……ところが、この論文が当時の規定に従って学内の全教授の審査を受ける段になると、その文体が全く従来の型を破ったもので、教授たちを驚かせるものでした。……というのも、正木先生は語学の才能にも恵まれており、英語、ドイツ語、フランス語の三ヶ国語で書かれた専門外の難解な文学書類でも平気で読破することができるという評判が学生仲間の間で広まっていたのです。……ですから、卒業論文も当然、当時の学術用語とされていたドイツ語で書かれているだろうと期待されていたのに、実際にはまだ普及していなかった言文一致体で、しかも俗語や方言混じりで書かれていたのです。その上、その主張が極端に常軌を逸しており、標題と同様に人を愚弄しているかのように見えたため、当時の新知識を網羅した新大学の教授たちも、ことごとく面食らってしまいました。その中でも、八釜し屋として知られる某教授は、憤激のあまりに……
「……こんな不真面目な論文を我々に読ませる学長が間違っている。正木の奴は自分の頭に慢心しているから、こんなものを平気で提出するのだ。当大学第一回の卒業論文銓衡の神聖を穢す者は、この正木という青二才に他ならない。こんな学生は将来の見せしめのために放校してやるがいい。」
という風評が学生仲間に伝わるほどでした。もちろん、これは事実だったと思いますが……。
……こうした事情で、卒業論文銓衡の教授会議には学内全体の緊張した耳目が集中していました。しかし、いよいよ当日になると、各教授たちはほぼ同意見で、放校はともかくとして、この論文を卒業論文として通すことは即決否決という形勢になりました。すると、その時、当時の最年少者として席末に控えていた斎藤先生が、突然立ち上がり、今でも評判に残るほどの有名な反対意見を述べました。
「……少々お待ちください。席末から非常に僭越だとは思いますが、学術のためには仕方がないと思い、あえて発言いたします。私は皆さんとは全く正反対の意見をこの論文に対して持っています。その理由を次に述べます。」
第一に、この論文を批判する皆さんは、文章がしっかりとした形になっていないと主張しているようですが、これはほとんど議論にならない議論であり、特に弁護の必要はないと思います。学術論文というものは、「どうか卒業させてください」とか「博士にしてください」といった願書とは全く性質が異なるものです。規定された書式や文体がどこにもないという一言を添えておけば、十分だと思います。
次に、この論文の内容についてですが、これもまた、皆さんが攻撃するような不真面目なものでは決してありません。この論文の価値が認められないのは、現代の医学者があまりにも物質的な肉体の研究に囚われていて、人間の精神を科学的に観察する学問、つまり精神科学に対する知識が欠けているからです。この論文に発表されているような根本的な精神や生命、遺伝の研究方法を発見するために、全世界の精神科学者がどれほど焦り、苦心しているかを皆さんは知らないのです。そのため、この論文の真の価値が理解されていないのです。私は専門家として、そのことを強く主張します。
この論文は、人間が母の胎内にいる十ヶ月の間に、一つの想像を超えた夢を見ているというものです。それは胎児自身が主役となって演出する『万有進化の実況』とも言うべき、数億年、あるいは数十億年にわたる連続活動の映像のようなもので、既に化石となった有史以前の奇妙な動植物や、それらを滅ぼした天変地異の壮大な光景を、一分一厘の違いもなく描き出します。そして、その天変地異の中から生み出された原始人類、つまり胎児自身の遠い先祖たちから、現在の両親に至るまでの人間が、深刻な生存競争の中でどのような悪行を重ねてきたか、どれほど残酷な行為を繰り返してきたかを、胎児自身の直接の主観として詳細に描き出す、驚愕と戦慄に満ちた大悪夢であると主張しています。しかし、それは胎児自身が記録した事実でもなく、大人の記録に残っているものでもないので、いわば一つの推測に過ぎません。だから学術上の価値は認められず、卒業論文としての点数もゼロであるという意見には皆さんも賛同しているようです。
これは一見、もっともらしく聞こえますが、失礼ながら、ここで一つ皆さんにお尋ねしたいことがあります。それは、皆さんが中学時代に必ず一度は目を通したであろう『世界歴史』について、どのように読んできたかということです。そもそも世界歴史とは、人類生活の過去に属する記録であり、これを個人に置き換えると、自分自身の過去の経歴に関する記憶と同様のものです。このことは、今さら皆さんに説明するのも失礼なほど明白でしょう。過去を持たない人間でない限り、否定することはできないでしょう。
ところで、もしそうであれば、歴史的記録が残っていない、いわゆる有史以前の人類が、その宗教や芸術、社会組織にどのような夢を描いていたのか、どのような夢を見ながら自分たちの歴史を記録できるまでに進化してきたのかを、現在の世界に残っている各種の遺跡に照らし合わせて推測する学問、たとえば文化人類学や先史考古学、原始考古学などは、学術上無価値なものと言えるのでしょうか。科学的な研究でないと言えるのでしょうか。ましてや、人類出現以前の地球の生活として記録されている地質の変遷や古生物の盛衰は、誰が見てきて、誰が記録しておいたのでしょうか。現在の地球表面に残る各種の遺跡によって、そうした事実を推定していく地質学者や古生物学者は、皆、想像だけを事とするお伽話の作者なのでしょうか。科学者でないと言えるのでしょうか。
つまり、この論文『胎児の夢』は、私たちの頭脳に記録されていない、妊娠時代の私たちの夢の内容を、私たち成人の肉体や精神の至る所に残存し、充満している無数の遺跡によって推定する、最も新しい学術の芽生えでなければなりません。最尖鋭で徹底した、空前の新研究でなければなりません。この論文に含まれる人間の精神の組み立てに関する解剖的な説明は、実に破天荒な試みであり、全世界の精神科学者が絶対不可能と認めながらも、明け暮れ期待し、渇望してやまなかった精神解剖学、精神生理学、精神病理学、精神遺伝学などを包含していることが明らかに認められます。本篇の主題である『胎児の夢』の研究がさらに進展し、この分野にまで分科していったならば、恐らく将来の人類文化に大革命をもたらすことになるでしょう。少なくとも、従来の精神科学が問題にしてきた幽霊現象やメスメリズム、透視術、読心術とは全く異なる純科学的な研究態度で、精神科学の進むべき道を切り開いていることを、私は特に、今一度、私の専門の立場から強く裏書きしておきます。
私は確信しています。この『胎児の夢』は、元々一学生の卒業論文として提出されていますが、実は現在ありふれている、いわゆる博士論文とは到底比較にならないほどの高級で深遠な科学的価値を持つ発表です。無論、今期、当大学第一回の卒業論文中の第一位に推して、当学部の誇りとすべきものであり、これを無価値だと批評する学者は、新しい学術がどのように生まれてきたか、偉大な真理がその発表の当初にどのように空想の産物と見なされてきたかという歴史的事実を知らない人々であるに違いありません。
こうした主旨のことを、後に斎藤先生が私に話してくださったことがあります。
斎藤先生の主張が、他の教授たちの反感を買ったのは明らかでした。斎藤先生はすぐに、満座の教授たちの攻撃の焦点に立たされましたが、彼は一歩も退かず、豊富な知識と深い議論をもって、次々と相手の攻撃を逆襲し、粉砕していきました。午後三時から始まった会議は、日が暮れても終わる気配がありませんでした。新興医学部の名誉と使命をかけた必死の論争は、まさに血湧き肉躍るものでした。やむを得ず、他の論文の審査を翌日に回し、ランプを灯して議論を続けた結果、ついに午後九時に全員が沈黙しました。その時、後に名総長と称される盛山学部長が裁決を下し、『胎児の夢』という論文を学術研究論文として認めると宣言しました。こうして、この日の会議はようやく終わりを迎えました。そして翌日、さらにその翌日と三日間にわたって、全部で十六通の論文を審査した結果、正木先生の『胎児の夢』が斎藤先生の主張通り、卒業論文の第一位に選ばれることになりました。
しかし、卒業式の日になると、意外にも恩賜の銀時計を受け取るはずの正木医学士が、いつの間にか行方不明になっていることが発覚し、再び人々を驚かせました。
「卒業式の当日に行方不明……どうしてでしょうか?」
思わず口にすると、若林博士は何故か口を閉ざしました。まるで何か重大なことを言い出す前のように、私の顔をじっと見つめていましたが、やがて、さらに慎み深い口調で話し始めました。
「正木先生が、なぜこの光栄な機会を前にして行方不明になったのか、その真の理由については、今日まで考えた者はいないでしょう。もちろん、私もその真相はわかりませんが、正木先生の行方不明事件と、『胎児の夢』の論文との間には、何らかの因果関係があるのではないかと推測することはできます。言い換えれば、正木先生は、自身の書いた卒業論文『胎児の夢』の主人公に脅かされて、姿を隠したのではないかと考えられます。」
「……胎児の夢の主人公……胎児に脅かされて……何だかよくわかりませんが……」
「いや、今ははっきりと理解できない方が良いと思います。」
若林博士は私をなだめるように、椅子の中から右手を上げました。そして、あの異様な微笑を浮かべながら、依然として厳かな口調で続けました。
「今はわからない方が良いと思います。こう言うのは失礼かもしれませんが、いずれあなたが過去の記憶を完全に取り戻した時、その『胎児の夢』という恐怖映画の主人公が誰であるかという裏の事情を、明らかに察することができるでしょう。その時の参考のために、特にこの際、注意を促しておきます。それで、当学部の第一回卒業式が、正木先生の欠席のまま終了すると、翌日、盛山学部長のもとに正木先生からの手紙が届きました。その中には、こうした意味の抱負が述べられていました。
――自分は『胎児の夢』の一篇を理解してくれる人間が、現代の科学界に存在するとは思わなかった。恐らく、そんな人間は一人もいないだろうと確信しつつ、落第を覚悟して提出したものであったが、意外にも、それが学部長と斎藤先生に推薦されたと聞いて、長い間ため息をついた。あの論文の価値が、こんなに簡単に見抜かれるようでは、私の研究はまだまだ浅薄であったに違いない。こんなことでは、福岡大学の名誉を不朽に伝えることはできないと思った。
――私は閣下と斎藤先生に合わせる面目がないから姿を隠す。恩賜の時計は御迷惑ながら、当分お手元に保管していただきたい。この次には、誰にも理解されないほどの大研究を成し遂げて、この恩を報いるつもりであるから――
といった内容でした。盛山学部長はこの手紙を斎藤先生に見せ、「どこまでも人を食った男だ」と大笑いされたそうです。
その後、正木先生は丸八年の間、ヨーロッパ各地を巡り、オーストリア、ドイツ、フランスの名誉ある学位を取得しました。そして大正四年にひっそりと帰国し、今度は宿を定めずに漂流生活を始めました。全国各地の精神病院を訪れ、精神病者の血統に関する伝記や伝説、記録、系図などを探し、研究材料を集める傍ら、『キチガイ地獄外道祭文』という小冊子を一般の人々に配布して回りました。
「……キチガイ地獄……外道祭文……それはどんなことが書いてあるのですか?」
「その内容は今お見せしますが、やはり前の『胎児の夢』と同様、未だ発表されたことのない恐ろしい事実が書かれています。要約すると、その祭文の中には、現代社会における精神病者の虐待の実情や、監獄以上に恐ろしい精神病院のインチキ治療の内幕が暴露されています。言い換えれば、現代文化の裏面に横たわる戦慄すべき『狂人の暗黒時代』を描いた一種の建白書、あるいは宣言書とも言えるでしょう。正木先生はこれを政府当局や各官庁、学校などに広く配布しただけでなく、自ら木魚を叩いて、その祭文歌を歌いながら、印刷したパンフレットを民衆に配って回ったのです。」
「……自分自身で……木魚を叩いて……」
「そうですね……少し常識を超えたお話ですが、正木先生にとっては、非常に真剣なお仕事だったようです。しかも、正木先生のその活動については、恩師の斎藤先生も陰で支援し、地位や名誉を投げ出す覚悟で声援を送っていた形跡があります。しかし、残念ながらその祭文歌の内容があまりにも露骨な事実の暴露であり、考え方によっては非常識に見えたためか、真剣に共鳴する人がいなかったようで、結局世間から無視されてしまったのは本当にお気の毒なことでした。……もっとも、その祭文歌の中で暴露された精神病院の患者に対する虐待の事実が、一般社会で重大視されることになれば、現代の精神病院は一つ残らず崩壊し、世界中に精神的な問題を抱える人々があふれるかもしれないという事実が想像されますが、正木先生はそのような結果については全く問題にしていなかったようです。ただ、将来自分の手で開設するであろう『狂人解放治療』の実験に向けての準備事業の一環として、こうした宣伝を行ったのだと考えられます。」
「それじゃ、やっぱり……」
私は思わずドキッとして、座り直さずにはいられなかった。そして、唾を飲み込みながらつぶやいた。
「それじゃ……やっぱり……僕を実験にかける準備……」
「そうです、そうです……」
若林博士はためらうことなく頷いた。
「前にも申し上げた通り、正木先生の頭脳は私たちの理解をはるかに超えています。しかし、正木博士のその突飛で大袈裟な行動の中には、解放治療の開設に関する何らかの準備的な苦心が含まれていることは否定できない事実だと思います。これからお話しする正木先生の変幻自在な行動の一つ一つにも、そうした意味が込められているようです。言い換えれば、正木先生の後半の人生は、その一挙手一投足までも、あなたを中心に動いていたとしか考えられません。」
若林博士はこのように言いながら、青白い、力のない視線を私に向けた。私が再び座り直さずにはいられなくなるまで、彼は私の顔をじっと見つめていたが、私が身動きもせず、返事すらできない様子を見て、気を取り直すようにハンカチを取り出し、小さく咳払いをしながら話を続けた。
「……さて、去る大正十三年の三月末のことです。忘れもしません、二十六日の午後一時頃のことでした。卒業してから十八年もの間、全く音信不通だった正木先生が、突然私の居室をノックされたのには、私も驚きました。まるで幽霊にでも出会ったような気持ちで、まずは無事を祝いましたが、どうしてこんなに突然帰ってこられたのかと尋ねると、正木先生は昔と変わらぬ明るい態度で、頭を掻きながらこんな話をされました。
「いや、そのことなんだ。実は面目ない話だが、二、三週間前に門司駅の改札口で、今まで持っていた金の懐中時計を盗まれてしまったんだ。モバド会社の特製で、時価千円くらいのものだったが、惜しいことをしたよ。そこでふと思い出して、十八年前に預けておいた銀時計がもし残っているならと思って、取りに来たわけだ。……それに加えて、何か一つ、みんなを驚かせるような手土産をと思ったが、特に良いものも思い浮かばなかったので、そのまま門司の伊勢源旅館の二階に滞在して、つまらない論文のようなものを全速力で書き上げてきた。まずこれを新総長に見せようと思って、斎藤先生に紹介してもらおうとしたら、こちらから紹介してもいいが、役職上、学部長の若林君を通して提出した方がいいと言われたから、こちらに持ってきたわけだ。面倒だろうが、どうか一つよろしく頼む。」
というお話でした。そこで……言うまでもなく、保管してあった時計はすぐに下附されることになりましたが、その時に正木博士が提出された論文こそ、ダーウィンの『種の起源』やアインシュタインの『相対性原理』と同様……いや、それ以上に世界の学界を震撼させるだろうと斎藤先生が予言された『脳髄論』だったのです。