ドグラ・マグラ (7/47)
作 夢野久作
様々な不可解な出来事が、まるで百色眼鏡のように回転しながら現れては消えていく。最初は本筋とは何の関係もないように思えるが、読み進めるうちに、それらが一言一句、極めて重要な本筋の記述そのものであることに気づくのだ。特に、真夜中の一つの時計の音から始まる印象は、次々と追いかけていくうちに、いつの間にか最初の時計の音の記憶に戻ってしまう。それは、まるで地獄のパノラマ絵を一方から一方へと見回すように、同じ恐ろしさや気味悪さを思い出しながら、永遠に繰り返される。逃げ出す隙間はどこにも見当たらない。
実際、それらの出来事は、ある真夜中に一瞬のうちに見た夢に過ぎない。その夢の内容は、実際には二十何時間にも感じられたため、学理的に説明すれば、最初と最後の二つの時計の音は、同じ時計の音である可能性がある。これが、ドグラ・マグラ全体によって証明される精神科学上の真理なのだ。このドグラ・マグラの内容は、実に玄妙で不可思議に出来上がっている。
「論より証拠、読んでみればすぐにわかることです」と若林博士が言いながら、一番上の一冊を手に取ろうとした。その瞬間、私は慌てて手を振り止めた。
「いや、もう結構です」と言いながら、両手を激しく左右に振った。若林博士の説明を聞いただけで、私の頭は「ドグラ・マグラ」に取り込まれそうな気がしたからだ。同時に、どうせキチガイの書いたものなら、結局無意味なものに決まっていると思った。「百科全書の丸暗記」と「カチューシャ可愛や」と「火星征伐」を混ぜ合わせた程度のものだろう。今の私が直面しているドグラ・マグラだけでも十分なのに、他人のドグラ・マグラまで背負い込んで、変な気持ちになってしまったら大変だ。こんな話は、もう忘れてしまうに限る。
そう思いながら、ポケットに両手を突っ込み、頭を強く左右に振った。そして、戸棚の外れの窓際に歩み寄り、そこに貼り並べられた写真や一覧表のようなものを見回しながら、若林博士の説明を求めた。
それは、精神病者の発病前後における表情の比較写真や、同じく発病前後における食物と排泄物の分析比較表など、珍しい研究に属するものであった。
さらに、幻覚や錯覚に基づく絵画、ヒステリー婦人の痙攣や発作の様子を捉えた写真、各種の精神病における患者の扮装や仮装写真など、痛々しい種類のものが並んでいた。それらが三方の壁から戸棚の横腹まで、ゴチャゴチャと貼り交ぜられている光景は、一種特別のグロテスクな展覧会のようだった。
また、その先に並んだ数層のガラス戸棚の中には、並外れて巨大な脳髄や小さな脳髄、普通の脳髄との比較が展示されていた。色情狂や殺人狂、中風患者の脳髄もフォルマリン漬けにされ、肥大や萎縮、出血の明瞭な部分が見て取れた。
精神病で滅亡した家の宝物となっていた応挙筆の幽霊画像や、磨ぐとその家の主人が発狂するという村正の短刀、精神病者が人魚の骨と信じて売り歩いていた鯨骨の数片、さらには自分で斬り棄てた左手の五指と、それに使用した藁切庖丁、寝台から逆様に飛び降りて自殺した患者の亀裂した頭蓋骨など、恐ろしい品々が並んでいた。
私は、そんな物の中で、どれが自分に関係のあるものだろうとヒヤヒヤしながら若林博士の説明を聞いていた。こんな飛んでもないものの中の、どれか一つでも自分に関係があったらどうしようと心配しながら覗き回っていたが、幸いにもそれらしいものは一つも見当たらなかった。逆に、精神病者特有のあからさまな意志や感情が一つ一つ私の神経に迫り、形容しがたい痛々しい、心苦しい気持ちになった。
私はその気持ちを必死に我慢しながら、責任感のようなものに囚われて戸棚の中を覗き続けた。ようやく一通り見終わり、以前の大卓子の片脇に出てくると、思わずホッと安心の溜息をついた。再び滲み出てくる額の生汗をハンカチで拭い、急に靴の踵で半回転し、西の方に背中を向けた。
その瞬間、部屋の中の品物がすべて、右から左へと半回転し、右手の入口に近く架けられた油絵の額面が、中央の大卓子越しに私の真正面まで滑ってきてピタリと停止した。まるでその額面と向き合う運命にあったかのように。
私は前かがみになっていた身体をぐっと引き伸ばし、改めて長い深呼吸をした。古ぼけた油絵具の、黄色と茶色と薄ぼやけた緑色の配合に見惚れた。その図は、西洋の火焙りか何かの光景のようだった。
三本の太い生木の柱の中央には、白髪と白髯をたたえた神々しい老人が高々と括り付けられていた。その右側には、痩せこけた蒼白い若者が、そして左側には花輪を戴いた乱髪の女性が、それぞれ丸裸のまま縛り付けられ、足元に積まれた薪から燃え上がる炎と煙にむせび泣いている。
その恐ろしい光景を、額面の右側から黄金色の輿に乗った貴族らしい夫婦が、美しく装った家族や臣下に囲まれながら、興味深そうに悠然と眺めていた。一方、左端には、炎と煙の中から顔を出している母親を慕う一人の小さな子どもが、両手を差し伸べて泣き叫んでいる。父親らしい壮漢と祖父らしい老翁がその子を抱きしめ、大きな手で口を押さえながら、貴族たちを恐れるように振り返っている様子が生き生きと描かれていた。
また、広場の中央には、赤い三角型の頭巾をかぶり、黒い長い外套を羽織った鼻の高い老婆が一人立ち尽くしていた。彼女は撞木杖を突きながら、火刑柱に縛り付けられた三人の苦悶を貴族に指し示し、粗い歯をむき出してニタニタと笑っている。見ているうちに、ますます薄気味悪い光景が心に迫ってきた。
「これは何の絵ですか?」私はその画面を指さして振り返った。若林博士は両手をズボンのポケットに入れたまま、冷然と答えた。
「それはヨーロッパの中世期に行われた迷信の図です。風俗から見るとフランスあたりかと思われます。精神病者を魔に憑かれた者として、片端から焚き殺している光景を描いたものです。中央にいる赤頭巾に黒外套の老婆は、その頃の医師であり、祈祷師であり、占い師でもあった巫女です。昔は狂人をこんな風に残酷に扱っていたという参考資料として、正木先生が柳河の骨董店から買って来られたものです。筆者はレムブラントだという人が最近出てきたようですが、もしそうであれば、この絵は美術品としても非常に貴重です。」
「……ハア……焚き殺すのがその頃の治療法だったのですね。」
「そうです。精神病という捉えどころのない病気には用いる薬がありませんので、むしろ徹底した治療法と言えるでしょう。」
私は笑いも泣きもできない気持ちになった。若林博士の青白い瞳の中には、学術のためなら今にも私を引っ捕まえて黒焼きにしかねない冷酷さが宿っていた。私は平手で顔を撫でながら、挨拶のように言った。
「今の世の中に生まれた狂人は幸せですね。」
すると、若林博士の左頬に微笑みが現れ、すぐに消え失せた。
「……いや……必ずしもそうではないのです。もしかしたら、一思いに焚き殺された昔の精神病者の方が幸せだったかもしれません。」
私はまた余計なことを言ったことを後悔し、肩をすぼめた。若林博士の気味の悪い視線を避けつつ、ハンカチで顔を拭いた。その時、ふと正面左手の壁にかかっている大きな黒い木枠の写真が目に留まった。
それは額の禿げ上がった、胡麻塩髭を長々と垂らした、福々しい六十歳くらいの老紳士の紋服姿で、いかにも温厚な、好人物らしい微笑を浮かべていた。私はその写真に気が付いた瞬間、これが正木博士ではないかと思い、わざわざその真正面に行って向き合ってみたが、どうも違うような気がして再び若林博士を振り返った。
「この写真はどなたですか?」
若林博士の顔は、私がこう尋ねると同時に著しく柔らかくなった。何故かは分からないが、今までにない満足そうな輝きを見せつつ、ゆっくりと頭を下げた。
「……はい……その写真ですか。はい……それは斎藤寿八先生です。先ほども少しお話ししました通り、正木先生の前にこの精神病科の教室を受け持っておられた方で、私たちの恩師です。」
そう言いながら若林博士は軽い感傷的なため息をついたが、やがてその長い顔に深い感銘の色を表しつつ、悠然と私の方に近づいてきた。
「……やっとお眼に止まりましたね。」
「……えっ……」
私は驚きながら若林博士の顔を見上げた。彼の言葉の意味が分からなかったからだ。しかし若林博士は構わずに、さらに悠然と私に接近し、上半身を少し前に傾けながら、私の顔と写真を見比べて、一層真剣な口調で言葉を続けた。
「この写真がやっとお眼に止まりましたことを申し上げているのです。何故かと言いますと、この写真こそは、あなたの過去の生涯と最も深い関係を結んでいるものに相違ありませんから……」
こう言われた瞬間、私はハッと気が付いた。この部屋に入って来た最初の目的を、いつの間にか忘れていたことを思い出した。そして、それと同時に何かしら軽いけれども深い胸の動悸を心の奥底に感じた。
しかしまた、それと同時に、まだ何一つ思い出したような気がしない自分の頭の中の状態を考えると、何となく安心したような、または失望したような気持ちになり、ほっと一つ肩をすくめた。そうして心持ち俯きながら、若林博士の言葉に耳を傾けた。
「……あなたの中に潜んでいる過去の記憶が、少しずつ目を覚まし始めているように思います。今、あの『ドグラ・マグラ』の原稿を見ながら、この狂人焚殺の絵を見ているうちに、あなたの潜在意識が目覚め、あなたをこの写真の前に導いたのではないかと考えています。なぜなら、この狂人焚殺の名画と、斎藤先生の肖像を並べて掲げたのは、他でもない、あなたの精神意識の実験者である正木先生だからです……。正木先生は、狂人焚殺の絵に描かれたような残酷な精神病者の扱いが、今もなお公然と行われていることに憤慨し、生涯を精神病の研究に捧げる決心をされたのです。そして、斎藤先生の指導と援助のもと、その目的を達成されたのですから……」
「狂人焚殺……今でも狂人の虐殺が行われているのですか?」
私は独り言のように呟いた。再び底知れぬ恐怖に捕らわれながら……しかし、若林博士は平然と頷いた。
「……行われています。昔と変わらず、残虐な行為が、世界中の精神病院で堂々と行われているのです。今日もなお……」
「……そ、それはあまりにも……」
言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。あまりにも非道な表現だと思ったからだ。しかし、若林博士は動じることなく、私と並んで狂人焚殺の油絵と斎藤博士の写真を見比べながら、冷静な口調で私に語りかけた。
「それはあまりではありません。厳然たる事実です。その事実は、徐々に理解できるようになると思いますが、正木先生は、虐待を受けている可哀想な狂人たちを救うために、非常に苦心し、ついには精神科学に関する前例のない新しい学説を樹立されました。その驚異的な新学説の原理は、以前にも少しお話しした通り、非常にわかりやすく、子供でも理解できるような、興味深いもので……その学説の原理を実際に証明するために『狂人解放』の実験を始められたのです……が……その実験は、他ならぬあなた自身の提供によって、完璧に完成されています。残っている仕事はただ一つ、あなたが過去の記憶を回復し、その実験の報告書に署名するだけです」
私は再び呆然となった。開いた口が塞がらないまま、並んで立っている若林博士の横顔を見上げた。何とも言えない厳粛で恐ろしい因縁に囚われ、この部屋に引き寄せられ、因縁を作った二つの額縁に向かい合わされているような気がした。しかし、若林博士は私の気持ちには無関係に、言葉を続けた。
「ですから、斎藤先生と正木先生、そしてあの狂人焚殺の因果関係をお話しすると、その話は一つ一つ、あなたの過去の経歴に触れていくことになります。つまり、正木先生が解放治療場で、あなたを精神科学の実験にかけるために、どれほど周到な準備を整えてこの九大に来られたか……この実験に関する準備と研究のために、どれほど恐ろしい苦心と努力を払ってこられたか……」
「え、え? 僕を実験するために、そんなに恐ろしい準備を……」
「そうです。正木先生は実に二十年以上の長い時間を、この実験の準備に費やされたのです」
「……二十年……」
叫びかけた私の声は、まだ声にならないうちに、唸り声のようなものになって喉の奥に引き返した。正木博士の二十年間の苦心が、そのまま私の首に巻き付いてくるような気がした。
すると、若林博士も私の気持ちを察したのか、またゆっくりとうなずいた。
「そうです。正木先生は、あなたが生まれる前から、あなたのためにこの実験を準備してこられたのです」
「……まだ生まれない僕のために……」
「そうです。こう言うと、わざわざ奇妙な表現をしているように思われるかもしれませんが、決してそのようなことではありません。正木先生は確かに、あなたが生まれるずっと前から、あなたの今日の姿を予期しておられたのです。あなたが過去の記憶を回復した後に……いや、たとえ過去の記憶を思い出さなくても、私が提供する事実によって、単にあなた自身の名前を推測していただければ、それだけで十分です。その上で前後の事実を照合すれば、私の言うことが決して誇張でないことを理解していただけると信じています……また、そうすることが、あなた自身の名前を本当に思い出していただくための最良の手段だと、私は信じていますが……」
若林博士はこう説明しながら、大卓子の前に戻り、ストーブに面した小型の回転椅子を指し示し、私を振り返った。私はその命令に従って、手術を受ける患者のように恐る恐るその椅子に近づき、オズオズと腰を下ろしたが、しかし腰をかけている気持ちはまったくしなかった。あまりの気味悪さと不思議さに息苦しくなり、唾液を飲み込むばかりだった。
若林博士は、ゆっくりと大卓子の周りを回り、私の向かいにある大きな廻転椅子に腰を下ろした。彼は、先ほど七号室で見た通りの姿勢で小さくなり、曲がりくねっていたが、今度は外套を脱いでいるため、モーニング姿の細長い手足が露わになっていた。その間に、長い首と細い胴体がグズグズと縮んでいく様子がよく見えた。そして、その中心に顔だけが旧の通りの大きさで据わっているため、全体の印象は何となく妖怪じみていた。まるで、大きな蒼白い人間の顔を持った大蜘蛛が、背後の大暖炉から今まさに私を餌食にしようと、モーニングコートを着て這い出してきたかのようだった。
その光景を見た私は、自然と廻転椅子の上で姿勢を正した。すると、その大蜘蛛の若林博士は、悠然と長い手を伸ばし、卓子の真ん中に置かれた書類の綴りを引き寄せた。膝の下でそっと塵を払い、小さな咳払いを一つ二つした。
「さて、正木先生が生涯を賭けて完成された実験の前後に関するお話をさせていただくにあたり、恐縮ながら私のことを引き合いに出させていただかなければなりません。その理由は、他でもありません。正木先生と私とは、元々同郷の千葉県出身であり、この大学の前身である京都帝国大学、福岡医科大学が明治36年に福岡の県立病院を改造して新設された際、第一回の入学生として机を並べたのです。そして、明治40年に同時に卒業しましたので、同窓の同輩とも言える関係なのです。しかも、今日まで二人とも独身生活を続け、学術研究に生涯を捧げている点では、そっくりそのまま似通っていました。しかし、正木先生の頭脳の非凡さと、その資産の莫大さに関しては、私たちの思い及ぶところではありませんでした。
当時の私たちの研究は、今のように外国の書物が自由に手に入るわけではなく、あらゆる苦心を重ねていました。学校の図書館の本を借りてきて、昼夜を問わず筆写していたのに対し、正木先生だけは一人、非常にのんきな様子で自費で外国から取り寄せた書物を一度目を通したら、惜しげもなく他人に貸していました。彼は、自身は道楽半分で古生物の化石を探し回ったり、医学とは無関係な神社仏閣の縁起を調べたりしていたのです。尤も、正木先生の化石集めや神社仏閣の調査は、決して無意味な道楽ではありませんでした。それは『狂人解放治療』の実験と重大な関係を持つ計画的な仕事だったのです。このことが、二十年後の今日になってやっと私に理解できるようになり、今さらながら正木先生の頭脳の卓越さと深遠さに驚かされています。
いずれにせよ、正木先生は当時から一風変わった人物として、学生や教授の間で注目を集めていましたが、そのような偉大な正木先生の頭脳を真っ先に認めたのが、ここに掲げてある写真の主、斎藤寿八先生であることは間違いありません。
斎藤先生は、この大学の創立当初から勤続しておられ、現在この部屋にある標本の大部分を独力で集めたほどの非常に篤学な方でした。特に熱弁家であり、余談ですが、こんな逸話が残っています。大学創立三周年記念祝賀会が大講堂で行われた際、学生を代表して正木先生が演説を行ったことがあります。
「最近、当大学の学生や教授が花柳の街に出入りしたり、賭博に耽っているという噂が新聞で叩かれていますが、これは決して問題にするに値しないと思います。そもそも、学生や学者の第一の罪は、酒色に耽ることでも、花札を弄ぶことでもありません。学士や博士になった途端、学術研究をやめてしまうことこそが、日本の学界の一大弊害です。」
この言葉に、満堂の学生や教授たちの顔色が一変しました。しかし、その中でただ一人、斎藤先生だけが自席から立ち上がり、熱狂的な拍手を送り、「ブラボー」と叫んでいました。その姿は、今でも私の記憶に鮮明に残っています。この一事だけでも、彼の性格の一端を窺い知るには十分でしょう。
しかし、斎藤先生が大学に奉職された当初は、九大に精神病科などという分科もなく、彼は学内で唯一の精神病の専門家として助教授格でわずかな講座を受け持っていました。そのため、彼は不満を抱いているように見えました。いつもお気に入りの正木先生と、私との二人を捕まえては、現代の唯物科学万能主義を罵倒したり、国体の将来を憂えたりしていましたが、そのような場合、私はどう受け答えすればよいのか分からずにいました。しかし、正木先生はいつも奇想天外な逆襲をして、斎藤先生を黙らせていました。その中でも特に私の記憶に残っているのは、次のような言葉です。