四十〜四十一
作 夏目漱石
ある日、私は久しぶりに学校の図書館に足を運びました。広い机の片隅で、窓から差し込む光を浴びながら、新しく入った外国の雑誌をあれこれとめくっていました。担任の先生から、専攻している学科について調べてくるように言われていたのですが、必要な情報がなかなか見つからず、何度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。やっとの思いで自分に必要な論文を見つけ、一心に読み始めたその時、突然、机の向こう側から小さな声で私の名前を呼ぶ者がいました。顔を上げると、そこにはKが立っていました。彼は上半身を机に折り曲げ、私に顔を近づけてきました。図書館では大きな声で話すことはできないため、彼の行動は誰にでもあることですが、その時、私は何か変な気持ちになりました。
Kは低い声で「勉強中か?」と尋ねました。私は「ちょっと調べ物をしている」と答えましたが、彼はまだ私の顔を離しません。同じ低い声で「一緒に散歩しないか?」と誘ってきました。私は少し待っていればいいと答え、彼はそのまま私の前の空席に腰を下ろしました。すると、私は気が散ってしまい、急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸の内に何かがあって、私に相談でもしに来たように思えて仕方がありませんでした。仕方なく読みかけの雑誌を閉じ、立ち上がろうとしました。Kは落ち着いた様子で「もう終わったのか?」と尋ねます。私は「どうでもいい」と答え、雑誌を返しながらKと一緒に図書館を出ました。
二人は特に行く場所もなかったので、竜岡町から池の端へ出て、上野公園の中に入りました。その時、彼は突然、あの事件について口を切りました。前後の様子を考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に誘い出したようです。しかし、彼の態度はまだ具体的な方向には進んでいませんでした。彼はただ漠然と「どう思う?」と私に尋ねました。これは、彼が恋愛の渦に巻き込まれている自分を、私がどう見るかを問うものでした。一言で言えば、彼は自分について私の批判を求めているようでした。そこで私は、彼の普段とは違う様子をはっきりと感じ取ることができました。彼の本質は、他人の思惑を気にするほど弱くはないのです。信じれば、一人でどんどん進んでいけるだけの度胸と勇気を持った男なのです。養家事件でその特性を強く胸に刻まれた私が、これは様子が違うと感じたのは当然のことでした。
私がKに「なぜ私の批評が必要なのか?」と尋ねた時、彼はいつもとは違う沈んだ口調で、自分が弱い人間であることが恥ずかしいと言いました。そして、自分が迷っているために自分を理解できなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるしかないと続けました。私は「迷うというのはどういう意味か?」と尋ねました。彼は「進むべきか、退くべきかに迷っている」と説明しました。私は一歩前に出て、「退こうと思えば退けるのか?」と聞きました。すると、彼の言葉はそこで不意に途切れました。彼はただ「苦しい」と言うだけでした。実際、彼の表情には苦しみが色濃く表れていました。もし相手が女性でなければ、私はどんなに彼に都合の良い返事を、その渇ききった顔に慈雨のように注いでやったか分かりません。私はそのくらいの美しい同情を持って生まれてきた人間だと自負しています。しかし、その時の私は違っていました。
私はまるで他流試合をする人のようにKを注意深く見つめていました。私の目、心、身体、すべてがKに向かって準備万端でした。罪のないKは、むしろ無防備というべき状態でした。私は彼の手から、彼が守っている要塞の地図を受け取って、彼の目の前でゆっくりと眺めることができたのです。
Kが理想と現実の間で彷徨っているのを見つけた私は、ただ一撃で彼を倒せるだろうと考えました。そして、すぐに彼の虚を突くことにしました。私は急に厳粛な態度を示し始めました。もちろん策略からですが、その態度に見合う緊張感もあったため、滑稽さや恥ずかしさを感じる余裕はありませんでした。私はまず「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」と言い放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向かって使った言葉です。私は彼の言葉を、彼と同じ口調で返したのです。しかし、決して復讐ではありません。私は復讐以上に残酷な意味を込めていたことを自白します。その一言で、Kの前に横たわる恋の行く手を塞ごうとしたのです。
Kは真宗寺に生まれた男でしたが、彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨に近いものではありませんでした。教義上の区別をよく知らない私が、こんなことを言う資格がないのは承知していますが、私はただ男女に関する点についてのみ、そう認めていました。Kは昔から「精進」という言葉が好きでした。私はその言葉の中に禁欲の意味も含まれているのだろうと解釈していました。しかし、後で実際を聞いてみると、それ以上に厳格な意味が含まれていることに驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきだというのが彼の第一信条であり、摂欲や禁欲はもちろん、たとえ欲を離れた恋そのものでも道の妨げになるのです。Kが自活生活をしていた時期に、私は彼からその主張をよく聞かされていました。その頃、私は彼女を思っていたため、どうしても彼に反対せざるを得ませんでした。私が反対すると、彼はいつも気の毒そうな顔をしましたが、そこには同情よりも侮蔑の方が強く表れていました。
私たちの間には、こうした過去が通り抜けてきたのだから、精神的に向上心のない者は馬鹿だという言葉が、Kにとってどれほど痛かったかは想像に難くなかった。しかし、前にも言ったように、私はこの一言で彼が苦労して積み上げてきた過去を打ち砕こうとは思っていなかった。むしろ、彼がそれを今まで通り積み重ねていくことを望んでいたのだ。それがどんな道に導こうとも、天に届こうとも、私には関係なかった。ただ、Kが急に生活の方向を変えて、私の利害と衝突することを恐れていただけだった。要するに、私の言葉は単なる自己中心的な思いの表れだった。
「精神的に向上心のない者は、馬鹿だ」
私は同じ言葉を二度繰り返した。その言葉がKにどのように影響するのか、じっと見つめていた。
「馬鹿だ」と、やがてKが答えた。「僕は馬鹿だ」
彼はその場にぴたりと立ち止まり、動こうとしなかった。地面をじっと見つめている。私は思わず驚きの声を上げそうになった。彼がその瞬間、まるで居直り強盗のように感じられたからだ。しかし、彼の声はどこか力がなく、私はそのことに気づいた。彼の視線を読み取りたかったが、彼は最後まで私の顔を見ようとはしなかった。そして、徐々にまた歩き出した。