一〜三 (1)
作 泉鏡花 · 2026-03-31
旅僧は、参謀本部が編纂した地図を再び広げることはないだろうと思いながらも、あまりの暑さに手を触れることすら億劫になり、旅の法衣の袖をまくり上げて、表紙をつけた折りたたみの地図を引っ張り出した。
飛騨から信州へ越える深い山道には、立ち休むための一本の木もなく、右も左も山ばかり。手を伸ばせば届きそうな峰があり、その峰が次々と重なり合い、空を飛ぶ鳥も見えず、雲の形すら見えない。
道と空の間にただ一人、私だけがいる。正午を過ぎたと思われる、真夏の太陽の光が白く冴え返り、深々と被った一重の檜笠の下で、私はその地図を見つめていた。
旅僧はそう言いながら、両手を枕に乗せ、額を支えながら俯いた。
道連れの上人は、名古屋から越前敦賀の旅籠屋に来て、今しがた枕に就いたところまで、私が知る限りではあまり仰向けになったことがない、つまり傲然として物を見ない性格の人物である。
実際、東海道掛川の宿から同じ汽車に乗り込んだことを覚えている。彼は腰掛けの隅に頭を垂れ、まるで死灰のように静かにしていたので、特に目を引くことはなかった。
尾張の停車場で他の乗客が一斉に下りたため、函の中には上人と私の二人だけになった。この汽車は昨夜九時半に新橋を発ち、今夕敦賀に到着する予定だった。名古屋では正午だったので、私は昼食に一折の鮨を買った。旅僧も私と同じように鮨を求めたが、蓋を開けると、海苔がばらばらと散らばった五目飯の下等なものであった。
「やあ、人参と干瓢ばかりだ。」と、私は思わず声を上げた。私の顔を見た旅僧は、耐えきれない様子でくっくっと笑い出した。元々二人だけの知己であったが、彼の話によれば、これから越前へ行き、派は違うが永平寺に訪ねる者がいるとのこと。ただし、敦賀に一泊する予定だという。
若狭へ帰省する私も同じ場所に泊まらなければならないので、そこで同行の約束ができた。彼は高野山に籍を置く者だと言い、年齢は四十五六、柔和で特に奇異なところは見えない、懐かしいおとなしやかな風貌で、羅紗の角袖の外套を着て、白のフランネルの襟巻を締め、土耳古形の帽子をかぶり、毛糸の手袋をはめ、白足袋に日和下駄を履いていた。一見、僧侶というよりは世俗の宗匠のようで、むしろ俗っぽい印象を受けた。
「お泊まりはどちらですか?」と尋ねられた私は、一人旅の宿のつまらなさをしみじみと嘆息した。まず、盆を持った女中が居眠りをしているし、番頭が空世辞を言う。廊下を歩くと、じろじろと目をつけられ、何よりも耐え難いのは、晩飯の支度が済むと、すぐに灯を行燈に替えられ、薄暗い中で「お休みなさい」と命令されることだ。私は夜が更けるまで寝ることができないので、その間の心持ちといったらない。特にこの頃は夜が長く、東京を出る時から一晩の宿が気になって仕方がなかった。差し支えがなければ、御僧と一緒に過ごしたいと思った。
快く頷いて、北陸地方を行脚する際にはいつでも杖を休める香取屋という宿があると教えてくれた。以前は一軒の旅店だったが、一人の女性の評判がなくなってからは看板を外した。しかし、昔から懇意にしている者は断らず泊めてくれ、老人夫婦が世話をしてくれる。ぜひそこへ行こうと提案し、折を下に置いて、
「ご馳走は人参と干瓢ばかりじゃ。」と笑った。慎み深そうな表情の裏には、気軽さが見えた。
岐阜ではまだ青空が見えたが、その後は名にし負う北国の空、米原や長浜では薄曇りで、幽かに日が射し、寒さが身に染みると思った。しかし、柳ヶ瀬では雨が降り、汽車の窓が暗くなるにつれて、白いものがちらちらと舞い込んできた。
「雪ですよ。」
「そうですね。」と彼は言ったが、特に気に留める様子もなく、空を見上げようともせず、賤ヶ岳の古戦場を指し示した時も、琵琶湖の風景を語った時も、旅僧はただ頷くだけだった。
敦賀では宿引きの悪弊が煩わしい。汽車を降りると、停車場の出口から町端にかけて、招きの提灯や印傘が立ち並び、旅人を囲むように手を伸ばして喧しく自分の宿を呼び立てる。中でも特に激しいのは、素早く手荷物を引き寄せて、へい難有う様で、頭痛持ちの私は血が上るほど耐え切れなかった。しかし、例のように下を向いて悠々と小さく回り込む旅僧は、誰にも袖を引かれることなく、幸いその後に続いて町へ入ることができ、ほっと息を吐いた。
雪は小止みなく、今は雨も交じらず、乾いた軽い雪がさらさらと顔を打ち、宵のうちに門を閉じた敦賀の通りはひっそりとしていて、一条二条の道が縦横に走り、辻の角は広々とし、白く積もった雪の中を、道のり八町ほどで、ある軒下に辿り着いたのが名高い香取屋だった。
床にも座敷にも飾り気はないが、柱立ちが見事で、畳は堅く、炉が大きく、自在鍵の鯉はまるで黄金の鱗を持っているような艶を放つ、素晴らしい釜が二つ並んでいる古い家であった。
亭主は法然天窓の下で、木綿の筒袖の中に両手を縮めて、火鉢の前でも手を出さず、ぬうとした親仁。女房の方は愛嬌のある、ちょっと世辞の上手な婆さんで、旅僧が人参と干瓢の話をすると、にこにこ笑いながら、縮緬雑魚や鰈の干物、とろろ昆布の味噌汁を膳に出してくれた。物の言い方からして、上人とは別懇の間と見えて、私の居心地はとても良かった。
やがて二階に寝床を整えてくれた。天井は低いが、梁は丸太で二抱えもあろう。屋の棟から斜めに渡った座敷の果ての庇のところでは、天窓に支えられているような、頑丈な屋造りで、これなら裏の山から雪崩が来てもびくともせぬだろう。
特に炬燵が用意されていたので、私はそのまま嬉しく入った。寝床も同じ炬燵に敷いてあったが、旅僧はこれには来ず、横に枕を並べて、火の気のない臥床に寝た。
寝る時、上人は帯を解かず、もちろん衣服も脱がず、着たまま円くなって俯向きに腰からすっぽりと入って、肩に夜具の袖を掛けると、手を突いて畏まった。その様子は我々とは反対で、顔に枕をするのであった。
ほどなく静かになり、眠りに就きそうだったので、汽車の中でもくれぐれいったのはここのこと。私は夜が更けるまで寝ることができず、あわれと思ってもう少し付き合い、そして旅の中での面白い話を聞かせてくれるように頼んだ。
上人は頷きながら言った。「私は中年になってから、仰向けに枕を使わずに寝るのが癖になってしまった。今もこうして寝る体勢のままだけれど、目はまだ冴えている。急に眠りに落ちることができないのは、君も同じだろう。」
彼は続けて言った。「出家の者が語ることは、教えや戒律、説法だけに限らない。若い者よ、しっかり聞きなさい。」そう言って、彼は話を始めた。後で聞いたところによれば、彼は宗門の名誉ある説教師で、六明寺の宗朝という大和尚だったらしい。