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ドグラ・マグラ (18/47)

作 夢野久作

……なんて嬉しいんだろう。ありがたい……と、キョロキョロと走り回っていると、突然、世界が消え失せるような大地震、大噴火、大津波が四方八方から押し寄せてきた。海はまるで湯のように沸き立ち、逃げる場所もない。焼けた砂の上で息も絶え絶えに跳ね回るその苦しさ。切なさ……その苦しみをやっと乗り越えたと思ったら、今度は山のような巨大な生物の足の下にいる。飛竜の翼に吹き飛ばされそうになる。始祖鳥のような妖怪の嘴にかけられそうになる。……ああ、たまらない。やりきれない。一緒に進化してきた仲間たちは、身体中に刺を生やしたり、周りの者に色や形を似せたり、甲羅を被ったり、毒を吹いたりしているが、そんな卑怯な真似をしなくても、もっと正しい、自由で優しい姿のままで、この地獄の中に落ち着いていられる方法はないのだろうか……石の隙間に隠れて息を潜めていると、頭の上の目玉が一つ消え、二つ目の猿の姿に進化して、木から木へと飛び渡れるようになった。

……さあ、これで決まりだ。もう大丈夫だ。俺のように自由自在で進歩した生物はいないだろうと、木の上から手を振っていると、思いもよらぬ背後から巨大な蛇が襲いかかってきた。驚いて逃げ出すと、頭上から大鷲が襲いかかる。枝を伝って逃げ切ったと思ったら、今度は身体中に寄生虫がたかり始める。山蛭が吸い付いてくる。寝ても覚めても油断ができない中、やがて天地を覆う大雷雨、大風、大雪が襲いかかり、木も草もめちゃくちゃにされて、死ぬほど狂い回される。……ああ……切ない。たまらない。自分は何も悪いことをしていないのに、どうしてこんなにひどい目に遭うのだろう。どうにかしてもっと強い者になり、こんな災難を平気で見ていられる身体になりたい……と木の空洞に頭を突っ込んで、胸をドキドキさせながら祈っていると、ようやくのことで尻尾が落ちて、人間の姿になることができた。

……なんて嬉しいんだろう。ありがたい。これからついに極楽の生活ができるのかと思っていると、どうしてどうして、夢はまだ終わっていない。人間の姿になるとすぐにまた、人間としての悪夢が始まるのである。

胎児の先祖代々に当たる人間たちは、お互いの生存競争や、原人以来受け継いできた残忍で卑怯な獣畜心理、その他さまざまな私利私欲を満たすために、直接的にも間接的にも他人を苦しめる大小さまざまな罪を無限に重ねてきた。その血みどろの息苦しい記憶が一つ一つ、胎児の現在の主観として目の前に再現されてくる。……主君を弑して城を乗っ取るところ……忠臣に切腹を強いて酒の肴に眺めるところ……奥方や若君を毒害して、自分の孫に跡を継がせるところ……病気の夫を干し殺して、仇の男と戯れるところ……生まれたばかりの私生児を圧殺するたまらなさ……嫁に濡れ衣を着せて、首を絞める気持ちよさ……憎い継子を井戸に突き落とす痛快さ……そのほか大勢で生娘をいじめる、その楽しさ……妻子ある男を失恋自殺に追い込む、その誇らしさ……美少年や美少女を集めて虐待する、その気味の悪さ……大事な金を使い果たす、その愉快さ……同性愛の深刻さ……人肉の美味さ……毒薬実験……裏切り行為……試斬り……弱い者いじめ……など、さまざまな耐え難い光景が、目の前の夢となって次々と移り変わっていく。あるいは自分の先祖たち……過去の胎児自身が、隠していた犯罪や、人に言えずに死んだ秘密が、血塗れの顔や、首のない胴体や、井戸の中の髪の毛、天井裏の短刀、沼の底の白骨などの形となって、次々に夢の中に現れてくるので、そのたびに胎児は驚き、魘え、苦しみながら、母の胎内でビクリビクリと手足を動かしている。

こうして胎児は自分の親の代までの夢を見てきて、いよいよ見るべき夢がなくなると、やがて静かな眠りに落ちる。そのうちに母体に陣痛が始まり、子宮の外へ押し出される。胎児の肺に空気がサッと入ってくる。その拍子に今までの夢は、胎児の潜在意識の底に逃げ込み、今までとはまるで違った表面的で強烈、痛切な現実の意識が全身に広がる。驚いて、魘え、めちゃくちゃに泣き出す。こうしてその胎児……赤ん坊はやっと限りない父母の慈愛に触れ、人間らしい平和な夢を結び始める。そしてやがて「胎児の夢」の続きを自分自身に創作すべく現実に目覚め始めるのである。

何の記憶もないはずの赤ん坊が、眠っているうちに突然魘えて泣き出したり、あるいは何かを思い出したようにニッコリ笑ったりするのは、母胎内で見残した「胎児の夢」の名残を見ているからである。生まれながらに片輪であったり、精神に欠陥があったりすることにも、それぞれに相応の原因を説明する夢が、その胎生の時代にあったはずである。また、胎児の骨だけが母胎内に残っていたり、あるいは固まり合った毛髪と歯だけしか残っていないような所謂「鬼胎」が時々発見されるのは、その胎児の夢が何らかの原因で停滞するか、あるいは急激に発展したために、やりきれなくなって断絶した残骸でなければならない。

――以上――

空前絶後の遺言書

――大正十五年十月十九日夜

――キチガイ博士手記

やあやあ。遠くの者は望遠鏡で見当をつけよ。近くの者は寄って顕微鏡で覗いてみよ。私こそは九州帝国大学精神病科教室に、キチガイ博士としてその名を得た正木敬之である。今日も満天下の常識屋どもをひっくり返すために、突然の自殺を思い立ったその序に、古今無類の遺言書を発表し、これを読む者と書いた者のどちらが馬鹿か、気違いか、真剣勝負を決めるために、一筆見参しよう……常識屋と思う者は、眉に唾をつけて出てこい……。

……と書き出してみたが、さて、一向に張り合いがない。

……そんなはずはない。今、私は九州大学精神病学教室、本館の二階にある教授室の、自分のデスクの前に座っている。手元にはウイスキーのボトルがあり、万年筆を斜めに構えながら、西洋の大判の罫紙を睨んでいる。頭上の電気時計は、ちょうど午後十時を回ったところだ。葉巻からは紫色の煙がふわふわと立ち上っている……何のことはない、ただの勉強に励む、ヘッポコ教授が居残りで研究をしている姿だ。明日の今頃には、もうこの世にいないとは思えないだろう……アハハハ。

私は、いつもこんな風に、常識を超えていないと気が済まない性分だ。とにかく、私を一種の狂人と認めている世間の常識屋たちに同情してしまう。

さて……何から書き始めればいいのか、まったく見当がつかないが……何しろ遺言書を書くのは、今が初めてだからね。

しかし、ここで少し普通の人の真似をして、常識的な順序で書くことにすると……まず第一に明かさなければならないのは、私の自殺の動機だろう。

そもそも、私の自殺の動機は、一人の可憐な少女に関係している……ということが断言できる……エヘン。笑ってはいけない。

その少女の美しさは、二三十行書いても足りないくらいだ。世界中のハンカチの箱、化粧品のラベル、婦人雑誌の表紙、衣装屋の広告人形、ビール店、百貨店のポスターなどを引っ張り出してきても……欧米の映画スタジオを全部ひっくり返しても、こんなに清らかで、痛々しいほど匂やかで、気味が悪いほど若々しい存在はない……アハハハハハ。これくらいにしておこう。年甲斐もなくそんな美少女に心を奪われ、この世をダメだと感じた……などと誤解されては困るから……そんな心配はこっちから願い下げだ。実は、その少女は今から半年ほど前に、戸籍から削除されているのだから……。

それなら、その少女が亡くなったためにこの世を去る……などと、また早合点する常識屋が出てくるかもしれないが、ちょっと待ってほしい……慌ててはいけない。現在、亡くなった彼女の戸籍に入っているその少女は、近いうちに自分の美しさに負けず劣らずの、素晴らしい美少年と、共に老いていく契りを結ぶことになっているのだ。だから、私のこの世での役割も終わりを告げることになる……と言ったら、また頭のいい人が出てきて……それなら、いよいよ発狂自殺だ。おそらく、亡くなった美少女と、生きている美少年のラブシーンを夢に見て、気が変になったのだろう……などと考えるかもしれない。

……驚いたな。遺言書を書くのがこんなに難しいものだとは知らなかった。しかし、それでもせっかく自殺するのだから、何とか書いておかないと、後で張り合いがないだろうと思って、気負いながら書くわけだが、実は、その鬼籍に入った美少女と、元気に生きている美少年が、現実に接吻し、抱擁することで、私が生涯をかけて研究してきた精神科学の根本原理……つまり心理遺伝と名づける研究発表の結論となるべき実験が、うまくいく手筈になっているのだ。

どうだい。こんなに面白く、痛快な学術実験が、他にあるだろうか。アハハハ……。

いや、恐らくないだろう。というのは第一に、この実験の基礎となっている精神科学という学問が、私独自の新しい発明に属するものだから……さらにその中でも、私専売の精神病学の実験というのが、普通の医学や何かとは違って、鳥や獣や人間の死体を相手に研究することができないのだ。なぜなら、鳥や獣は、ある種の精神病患者と同様、最初から動物的で研究材料には不適当だし、死んだ人間には肝心の実験材料となる魂がないからだ。必ずや、元気で健康な人間の精神を材料に使わなければならない。そんな立派な精神が、突然に発狂し、やがてまた次第に回復していく……その前後の移り変わりを詳細に研究し、記録していかなければならないのだから大変である。特に、私が研究の主題として選んだ材料は、今の学者の流儀で名付けると、遺伝性、殺人妄想狂、早発性痴呆、兼、変態性欲などと呼ばれる、世にもややこしい代物で、厄介この上もない。

そんな実験の材料として選ばれる人物は、決して生やさしい方ではない。うっかりするとこちらがやられてしまうかもしれないので、私は冒頭から命がけでこの実験に取り組んだが、とうとうその実験の煽りを受けて、自分自身が自殺に追い詰められることになって……いや、まだ自殺までには大分時間があるから、十分に落ち着いて、紫の煙と琥珀色の液体を相手に悠々と万年筆を振ることにする。

皆さんもゆっくり読んでくれたまえ。遺言だとか何だとか言っても、気楽なものだ。ナマンダ式やアーメン式、または無念残念式とはネタが違う。キチガイ博士のキチガイ実験の余興のようなものだ。残る煙がお笑いの種明かしだ……。私の研究の中心となっている稀代の美少年と、絶世の美少女との変態性欲に関する破天荒な怪実験が、どんな学理の原則に支配され、どんな風に緊張し、白熱化しつつ、実験者である私の全生涯を粉砕すべく爆発しかけているか、その自然発火の裏面のカラクリが、次第に手に取るように明らかになっていくのだから……。

話は少し以前にさかのぼる。

今年の十月のある日、福岡のある新聞の学術欄に、私の「脳髄は物を考えるところではない」という趣旨の談話が連載された。その反響の大きさには、正直なところ驚かされた。「人間という動物は、自惚れと迷信に囚われているものだ」とは薄々感じていたが、ここまでの反応があるとは思ってもみなかった。彼ら、つまり常識を重んじる人々は、新聞や雑誌、さらには手紙や直接の面会など、あらゆる手段を使って私の発言を叩き潰そうと試みた。特に驚いたのは、研究の自由を掲げているこの大学の教授たちまでが、一斉に立ち上がり、「あの非常識で傲慢な狂人学者を追い出せ。そうでなければ、赤煉瓦の中に叩き込んでしまえ」と、机を叩いて総長に迫ったということだ。

この話を聞いたとき、さすがの私も少し焦った。大学の中は学術研究の安全地帯だと思っていたのに、まさかこんな驚きの事態が起こるとは。幸いにも、総長が事なかれ主義の男で、うまく切り抜けてくれたおかげで、私は今日まで何とかやってこれた。しかし、考えてみれば、なんとも馬鹿げた話ではないか。博士や大学教授になるような人間は、せいぜい名誉狂か研究狂の類であることは明らかだ。それを恥じることもなく、私をキチガイ呼ばわりするのだから、腹が立たないわけがない。この時、私がどれほど腹立たしかったかは、親友の若林学部長がよく知っている。

「こんな状況では、私の精神解剖学や精神生理、精神病理、心理遺伝などは、とても発表できないね。普通の人間よりも、精神病者の方が確かな気がするという学説だからね。ハハハハ……」

「そうですね。科学ほど人類を侮辱しているものはないということを、大抵の人は知らずにいるのですからね」

「その通りだ。しかし、『人間は猿の子孫である』と言われて得意になっている連中が、私たちをキチガイだと言われると、慌てて怒り出すのは奇妙だ。猿が進化して人間になり、人間が進化してキチガイになるという事実を知らないのだから、全く逆の順序で考えているようだ。ワッハッハッハッハ……」

そんな風に笑い合ったものだから、私は訂正や追加のために手元にあった「脳髄論」の公表を控えてしまった。そして約半年後の今日、そんな著述の原稿をすべて焼き捨ててしまった。

理由は特にない。ただつまらなかったからだ。

人類の文化は、私の研究を受け入れるにはあまりにも幼稚で馬鹿らしい。しかも、そんな大きな事実に二十年もの間気づかず、これほどの研究を続けてきた自分の愚かさが、今になってしみじみとわかってきたからだ。あるいは私の精神状態が、こうして静まりかけているのかもしれないが……呵々……

ただし、そんな著述の中でも一番重要な部分だけは、この遺言書の中に残しておき、適切な時代に、こうした研究を思い立つであろう狂人学者の参考に供することにした。その中でも私の「脳髄論」の内容は、ここに挟んだ切り抜きの通り、すでに新聞に掲載されているので、これ以上の内容があるわけでもなく、惜しいことは何もない。また、精神解剖学以下、精神病理学に至る研究の核心も、すでに二十年前に私が卒業論文として九州大学に提出した「胎児の夢」の中に含まれているので、大略は済んでいる。ここにはただ、私が得意とする「狂人の解放治療」と「心理遺伝」の関係について、簡単に記しておきたいと思う。

これを前の新聞記事や「胎児の夢」の論文と一緒に読めば、前述の美少年と美少女を材料とする怪実験が、大正十五年の十月十九日、つまり今日の正午を期して、空前の成功を告げると同時に、絶後の失敗に終わったという、奇々怪々な精神科学の学理原則の活躍が明らかになる。同時に、現代文化の粋を極めた常識や学識が、一挙に木っ端微塵となり、空っぽの頭蓋骨だけが残ることになる……というわけだが……

さて、ここで少し失礼して、消えた葉巻に火をつけることにしよう。実はこれが大好物で、どんなに貧乏な生活をしていても、これとアルコールだけは欠かさなかったのだが……もう死ぬまでに何本吸ったか分からないところまで来てしまったから、一つ勘弁してほしい。ハハハハ……

お待たせしました……さて、私の極楽行きの直接の原因を生んだ「狂人解放治療場」を見た人々は、誰もが狂人の散歩場ぐらいにしか思っていないようだ。中には新聞の記事を読んで「なるほど」と頷く者もいるが、すぐに「いかにも、こうしておけば狂人も興奮しませんね」とか「一種の光線治療ですね」と知ったかぶりをする程度で、誰一人としてこの実験の正体を看破した者はいないのが面白い。いや、この実験の秘密は、この教室で働いている副手や助手にさえも漏らしたことはないので、彼らはただ何か非常に高尚な実験らしい……程度にしか思っていないが、実は他愛ない、しかも素晴らしく面白い実験なのだ。「解放治療」などという鹿爪らしい名前は、世を忍ぶ仮の名に過ぎない。

何を隠そう、この「解放治療」の実験は、私がかつて福岡医科大学を卒業する際に書いた「胎児の夢」という論文の実地試験に他ならないのだ。

私が「胎児の夢」の中で挙げた例は、すべて人間同士が共通して持つ、食べたい、寝たい、遊びたい、喧嘩したい、勝ちたいといった基本的な心理の遺伝に過ぎません。しかし、ここで研究しているのは、それよりもさらに深く掘り下げた、個々人特有の極端で奇抜な心理遺伝の発作です。最近流行している猟奇趣味や探偵趣味などは、足元にも及ばないほど神秘的で、尖端的で、グロテスクな、怪奇で毒悪を極めたものです……まだ見たことがないものを見せてあげましょう。お安い御用です。今すぐお見せします……。

「さあ、さあ、入ってきてください。世界中どこを探しても見られない生きた魂の因果者の標本、日中の幽霊、真昼の化け物、ヒュ――ドロドロの科学実験はこれだ、これだ……見学料は大人が十銭、小さな子供は半額、盲人は無料です……ああ……そんなに押し寄せてはいけません。狂人たちに笑われますよ。お静かに……お静かに……。

……エヘン……。

ここにご紹介するのは、九州帝国大学医学部精神病科本館の裏手に位置する、同科の教授である正木先生が開設した「狂人解放治療場」の「天然色、浮出し、発声映画」です。映写機は、最近九大医学部で、眼科の田西博士と耳鼻科の金壺教授が正木博士と協力して製作したもので、医学研究の目的で使用されるために非常に精巧に作られています……今、アメリカで研究中の発声映画などはトーキーには及びません……画面と実物に寸分の違いもないことをお見せできることを願っています。

まず、開幕第一に九州帝国大学医学部の全景をスクリーンに映し出します。

ご覧の通り、九大の構内と構外は一面に松原の緑に覆われていますが、その西端には二本並んだ大煙突の下に、見すぼらしい青ペンキ塗りの二階建ての西洋館があり、そこが天下に有名なキチガイ博士、正木先生の精神病学教室の本館です。そのすぐ南側には、これからご紹介する「狂人の解放治療場」が広がっています……撮影機と技師を搭載した飛行機が徐々に下降し、精神病科本館の階上、教授室の南側の窓の縁に着陸します……まるで蜻蛉や蠅のように……時は大正十五年十月十九日の午前九時としましょう。

この解放治療場を囲む赤煉瓦の塀は、高さが約4.5メートル。囲まれた四角い平地は、この地方特有の真っ白な石英質の砂で、非常に清浄です。真ん中には桐の木が五本ほど、黄色い枯れ葉をつけて立っています。この桐の木はずっと以前からここにあり、本館の中庭の風情を醸し出していましたが、解放治療場の開設のために周囲が整地された結果、著しい衰弱の兆しを見せています。これは何かの凶兆かもしれません。あるいは、この桐の木が思いがけない場所に封じ込められたために精神に異常をきたしたのではないかとも考えられますが、そのあたりの診断は、当教室でもまだ気づいていません……無駄なことを申し上げて申し訳ありません。

治療場の入口は、東側の病室に近いところに一つだけ開いており、便所への通路も兼ねています。その入口の横に切り開かれた小さな横長の穴から、黒い制服と制帽をかぶった人相の悪い巨漢が、朝から晩まで冷たい目で場内を覗いている様子を見ると、この四角い解放治療場全体が、まるで緑の波の中に据えられた巨大な魔術の箱のように感じられます。

この魔術の箱の底に敷かれた白い砂は、真青な空の光を受けてキラキラと輝いています。その上を黒い人影が立ったり座ったりしながら動いています。一人……二人……三人……四人……五人……六人……合計十人います。

これが正木博士の言う「脳髄論」から導き出された「胎児の夢」の続きである「心理遺伝」の原則に支配されて動いている狂人たちです……しかも、これから三時間後、大正十五年十月十九日の正午になると、海向こうのお台場から轟然たる一発の午砲が響き渡り、それを合図にこの十人の狂人たちの中から思いもよらぬ素晴らしい心理遺伝の大惨劇が爆発し、世間の耳目を驚かせると同時に、正木先生を自殺の決意に追い詰めることになるのです。その大惨劇の前兆とも言える現象は、すでに今この解放治療場内に明らかに現れていますので、ぜひ目を凝らして、狂人たちの一挙一動を注意深く観察していただきたいと思います。