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2〜4

作 太宰治

「今朝、道場の急用で、街に行ってきたんだ。」竹さんは、いつも通りの声で言った。

「お土産でも?」と、僕は何故かがっかりしたような気持ちで、元気のない声で尋ねた。

「可愛いでしょ? 藤娘だよ。しまっておきな。」と、姉のような落ち着いた口調で言って、彼女は立ち去った。

僕は、ぽかんとした気持ちだった。少しも嬉しくない。前の日に、人の好意には素直に感謝しようと心に決めたばかりだったのに、どういうわけか、竹さんのこの好意は有り難く感じられなかった。それは、道場に来た当初から変わらない感情で、今さらどうにも動かせないものだった。竹さんは、助手の組長であり、道場の皆に信頼されている立派な人なのだから、もっとしっかりしなければならない。マア坊とはわけが違うのだ。こんなつまらない人形を買ってきて、藤娘だなんて、どうかしている。

ご飯を食べながら、僕はその藤娘と称する二寸ほどの高さの竹細工の人形を眺めたが、見るほどにまずい人形だった。どうも趣味が悪い。これは駅の売店で埃をかぶっていたものに違いない。気のいい人は、必ず買い物が下手なものだが、竹さんも、どうやらその例に漏れないようだ。ちょっと不良じみたマア坊の方が、ずっと気の利いた買い物をする。仕方のないことだ。僕は竹細工の始末に困り、つっかえしてやろうかとも思ったが、前の日に、すみれの花くらいの可憐な誇りを大事にしなければと殊勝な覚悟を決めた手前、しょんぼりした気持ちで、その土産はひとまずベッドの引き出しにしまい込むことにした。

しかし、竹さんのことをあまり書くと、君がまた熱を上げるかもしれないから、これくらいにしておいて、さて、その昼ご飯の後、僕はとにかくマア坊の指示通りに洗面所へ行ってみた。マア坊は、洗面所の一番奥の壁にぴったり背中をつけてこちらを向いて立ち、くすくす笑っていた。僕はちらりと不愉快なものを感じた。

「君は、時々こんなことをするんだろう。」と、自分でも意外な言葉が口をついて出た。

「え? どうして?」と、少し笑いながら目をまんまるくして僕の顔を見上げた。僕は、まぶしかった。

「塾生を時々ここへ、」と言いかけたが、流石にそれはひどく下品な言葉のように思われて、口ごもった。

「そう? それなら、よしましょう。」と軽く言って、お辞儀するように上体を前にかがめて歩き出した。

「手紙を持ってきたよ。」僕は手紙を差し出した。

「ありがとう。」と、ちっとも笑わずに受け取り、「ひばりも、やっぱり、だめね。」

「なぜ、だめなんだ。」僕の方が受け身になった。

「あたしを、そんな女だと思っていたのね、ひばり。」と顔を蒼くして僕の顔をまっすぐに見て、「恥ずかしくない?」

「恥ずかしい。」僕は、あっさりと兜を脱いだ。「焼いたんだ。」

マア坊は、金歯を光らせて笑った。

「僕、その手紙を読んだよ。」大いに叱ってやるつもりだったのだが、竹さんからつまらない藤娘なんてお土産をもらって、出鼻をくじかれ、マア坊に対してうしろめたい気持ちさえ感じて、憂鬱に近い気持ちで洗面所に来てみると、マア坊があまりにもなまめかしかったので、男子として最も恥ずべき嫉妬心が起こり、つい、あらぬことを口走ってしまい、すぐにマア坊に問いただされ、今はほとんど駄目になってしまった。

「全部読んだよ。面白かった。つくしって、いい人だね。僕は、好きになっちゃった。」心にもない浅はかなお世辞ばかり言っている。

「でも、意外だわ。こんな手紙。」マア坊は仔細らしく首をひねり、便箋を広げて眺めた。

「うん、僕もちょっと意外に思った。」僕の場合、あまりにも下手で意外だったのだ。

「まったく、意外だわ。」マア坊にとっては、いかにも重大なことらしい。

「君の方からも、手紙を出したんだろう。」またもや余計なことを言ってしまい、ひやりとした。

「出したわ。」彼女はけろりとしている。

僕は急に面白くなくなった。

「それじゃ君が誘惑したのだ。君は不良少女みたいだ。そんなのを、オタンチンっていうのだ。ミイチャンハアチャンともいうし、チンピラともいうし、また、トッピンシャンともいうんだ。けしからんじゃないか、君は。」思い切り罵倒してやったが、マア坊は今度は怒るどころか、げらげら笑い出した。

「まじめに聞いてくれよ。殊に、つくしには奥さんがある。笑い事じゃないんだぜ。」

「だから、奥さんにお礼状を出したの。つくしが道場を出る時、あたしが街の駅まで送って行って、その時に奥さんから白足袋を二足いただいたから、あたし、奥さんに礼状を出しといたの。」

「それだけか。」

「それだけよ。」

「なあんだ。」僕は機嫌を直した。「それだけのことだったのか。」

「ええ、そうよ。それなのに、こんなお手紙を寄こすんだもの、いやで、いやで、身悶えしちゃったわ。」

「何も身悶えしなくたって、いいじゃないか。君は、本当は、つくしを好きなんだろう。」

「好きだわ。」

「なあんだ。」僕はまた面白くなくなってきた。「馬鹿にしていやがる。つまらない。奥さんのある人を好きになったって、仕様が無いじゃないか。あれは仲の良さそうな夫婦だったぜ。」

「だって、ひばりを好きになっても仕様が無いでしょう?」

「何を言ってやがる。話が違うよ。」僕はいよいよ不機嫌になった。「君は不真面目だ。僕は何も君に、好きになってもらおうと思ってやしないよ。」

「ばか、ばか。ひばりは、なんにも知らないのよ。なんにも知らないくせに、ひばりなんかは、」と言いかけて、くるりと後ろを向いてヒイと泣き出した。そうして、まさに身悶えしながら、

「あっちへ、行って!」と強く言った。

僕は出処進退に窮した。口をとがらせて洗面所をぶらぶら歩いているうちに、何だか僕も一緒に泣きたくなってきた。

「マア坊。」と呼んだ僕の声は、震えていた。「そんなに、つくしを好きなのか。僕だって、つくしを好きだよ。あれは、優しくていい人だったからな。マア坊がつくしを好きになるのも無理はないと思うんだ。泣け、泣け、思いっきり泣け。僕も一緒に泣くから。」

どうしてあんな気障なことを言ったのだろう。今思い返すと、まるで夢の中の出来事のようだ。僕は泣こうと思ったが、眼頭が熱くなるだけで、涙は一滴も出なかった。僕は目を大きく見開き、洗面所の窓からテニスコートの黄ばんだ銀杏を黙って眺めていた。

「早く、」いつの間にかマア坊が僕のそばにひっそりと立っていて、「お部屋に帰りなよ。人に見られると、良くないから。」と、気味が悪いほど静かで落ち着いた口調で言った。

「見られたって構わない。悪いことをしているわけじゃないんだから。」そう言いながら、僕の胸は妙に躍った。

「とんまねえ、ひばりは。」と、僕と並んで洗面所の窓からテニスコートの方を眺めながら、ひとり言のように呟いた。「ひばりが来てから、道場も変わっちゃったなあ。何も知らないでしょう? ひばりのお父さんって、すごい人なんだって。場長さんが、いつかそう言ってたよ。世界的な学者なんだって。」

「貧乏だから、世界的なんだ。」急に寂しさが押し寄せてきた。お父さんとは、もう二ヶ月も会っていない。相変わらず、障子が震えるほど大きな音を立てて鼻をかんでいるのだろうか。

「血筋がいいのね。ひばりが来たら、道場が本当に急に明るくなった。みんなの気持ちも変わってしまった。あんな良い子を見たことがないって、竹さんも言ってた。竹さんはめったに他人の噂なんてしない人だけど、ひばりには夢中なんだよ。竹さんだけじゃなくて、キントトやたまねぎも、みんなそうなんだ。でも、塾生たちにいやな噂を立てられて、ひばりに迷惑がかかるようなことになるといけないから、みんな気をつけて、ひばりに近寄らないようにしているんだ。」

僕は苦笑した。なんてけちくさい愛情なんだろう。

「それが敬遠というものなんだ。好きじゃないんだ。」

「あら、そんなこと。」マア坊は僕の背中を軽く叩き、その手をそのままそっと背中に置いた。「私は違うのよ。私はひばりをちっとも好きじゃないから、こうして二人きりで話しても構わないのよ。勘違いしないでね。私は、――」

僕はマア坊のそばからそっと離れ、

「せいぜい、つくしと文通するさ。はっきり言うけど、つくしの手紙の下手さには呆れた。」

「知ってるわ。下手な手紙だからお見せしたんじゃないの。いい手紙だったら、誰が見せるもんか。私はつくしのことなんて、全然気にしてないわ。そんなに人を馬鹿にするもんじゃないわ。」言葉も態度も、まるで別人のように露骨で下品になってきた。「私はもう、だめなのよ。あなたは知らないでしょう? とんまだから、気がつかないんだ。私は、あなたといい仲だってことを、もうみんなに言われているのよ。どうするの? そう言われてもいいの?」

顔を伏せて右肩を突き出し、くすくす笑いながらその肩先で僕をぐいぐい押してくる。