十〜十一
作 夏目漱石
金銭的に余裕のある私は、騒がしい下宿を出て、新たに一戸建てを持とうかと考え始めました。しかし、それには家具を揃える手間や、世話をしてくれるおばあさんが必要になります。そのおばあさんが正直でなければ困りますし、留守にしても安心できる人でなければ心配です。そんなわけで、簡単に実行できることではないと感じていました。
ある日、気まぐれにでも家を探してみようと思い立ち、散歩がてら本郷台を西へ下り、小石川の坂を真っ直ぐ伝通院の方へ向かいました。電車が通るようになってから、周りの景色はすっかり変わってしまいましたが、その頃は左手に砲兵工廠の土塀があり、右側には草が生い茂る空き地が広がっていました。私はその草の中に立ち、何気なく向こうの崖を眺めました。今でも悪くない景色ですが、その頃は西側の趣がもっと違っていました。見渡す限り緑が深く茂っているだけで、心が安らぎました。
ふと、ここに適当な家はないだろうかと思い、草原を横切って細い通りを北へ進んで行きました。あの辺りの家並みは、まだ発展途上で、かなり汚らしかったのです。私は露次を抜けたり、横丁を曲がったりしながら、あちこちを歩き回りました。最後に、駄菓子屋の奥さんに、ここらに小さな貸家はないかと尋ねてみました。奥さんはしばらく考え込んでいましたが、「貸家はちょっと……」と、思い当たらない様子でした。私は期待を失いかけて帰ろうとしたところ、奥さんが「素人下宿はいかがですか?」と提案してくれました。私は少し気が変わり、静かな素人屋に一人で下宿するのも、逆に家を持つ手間がなくて良いかもしれないと考えました。それから、駄菓子屋の店に腰を下ろし、奥さんに詳しいことを教えてもらいました。
その下宿は、ある軍人の家族、というよりも遺族が住んでいる家でした。奥さんによれば、主人は日清戦争で亡くなったのだそうです。一年ほど前までは市ヶ谷の士官学校の近くに住んでいましたが、厩舎があって家が広すぎるため、そこを売り払ってこちらに引っ越してきたとのこと。しかし、無人で寂しくて困っているので、相応しい人がいたら世話をしてほしいと頼まれていたそうです。私は奥さんから、その家には未亡人と一人娘、そして下女しかいないことを確認しました。静かでとても良い場所だと思いましたが、そんな家族の中に、私のような者が突然入っていくのは、素性の知れない書生という立場で拒絶されるのではないかという不安もありました。私は躊躇しましたが、書生としてそれほどみすぼらしい服装ではなかったし、大学の制帽を被っていたので、少し自信を持てました。
その四角い帽子に少しの自信を見出し、奥さんに教わった通り、紹介もなしにその軍人の遺族の家を訪ねました。未亡人に会い、来意を告げると、彼女は私の身元や学校、専門について色々と質問しました。そして、これなら大丈夫だと判断したのか、いつでも引っ越してきて差し支えないという挨拶をすぐにいただきました。未亡人はしっかりした人で、また明確な人でした。私は、軍人の妻というのは皆こんなものなのかと感心しましたが、同時に驚きもしました。この気性でどうして寂しいのだろうと疑問に思いました。
私はすぐにその家へ引っ越しました。最初に未亡人と話をした部屋を借りることにしました。そこは家の中で一番良い部屋でした。本郷辺りに高等下宿がぽつぽつ建てられ始めた頃だったので、私は書生として住むのに最も良い間取りを知っていました。私が新たに主人となった部屋は、それらよりもずっと立派でした。引っ越した当初は、学生の私には過ぎたくらいに思えました。
部屋の広さは八畳で、床の横に違い棚があり、反対側には一間の押入れが付いていました。窓は一つもありませんでしたが、その代わり南向きの縁に明るい日がよく差し込みました。
引っ越した日に、その部屋の床に活けられた花と、その横に立てかけられた琴を見ました。どちらも私の好みではありませんでした。私は詩や書、煎茶を嗜む父のもとで育ったため、唐風の趣味を幼い頃から持っていました。そのため、こうした艶やかな装飾をいつの間にか軽蔑する癖がついていたのです。
父が存命中に集めた道具類は、叔父のためにめちゃくちゃにされてしまいましたが、多少は残っていました。私は国を立つ際、それを中学の旧友に預けていました。その中から面白そうなものを四、五幅取り出し、行李の底に入れて持ってきました。引っ越すや否や、それを取り出して床に飾ろうと思っていました。しかし、今目の前にある琴と活花を見て、急に勇気がなくなってしまいました。後から聞いて初めて、この花が私に対するご馳走として活けられたことを知ったとき、心の中で苦笑しました。もっとも、琴は前からそこにあったので、置き場所がないために仕方なく立てかけてあったのでしょう。
こんな話をすると、自然とその裏に若い女性の影が浮かんでくるでしょう。引っ越した私にも、初めからそうした好奇心があったのです。こうした邪気が私の自然を損なったのか、あるいは私がまだ人慣れしていなかったためか、初めてそのお嬢さんに会ったとき、私はどもってしまいました。その代わり、お嬢さんも赤い顔をしていました。
私はそれまで未亡人の風貌や態度から、このお嬢さんのことをいろいろと想像していました。しかし、その想像はお嬢さんにとってあまり良いものではありませんでした。「軍人の妻だから、きっとこういう性格だろう」とか、「その妻の娘だから、こういうふうに育ったのだろう」と、私の推測は次第に広がっていきました。ところが、その推測はお嬢さんの顔を見た瞬間に、すべて打ち消されてしまいました。私の頭の中には、今まで想像もしていなかった異性の香りが新たに漂い始めたのです。
その瞬間から、床の正面に活けてある花が嫌ではなくなりました。同じ床に立てかけてある琴も、邪魔に感じなくなったのです。
その花は、規則正しく枯れる頃になると新しいものに活け替えられます。琴も、時折、鍵の手に折れ曲がった筋違いの部屋に運ばれていくのです。私は自分の居間で机の上に頬杖をつきながら、その琴の音を聞いていました。私には、その琴が上手なのか下手なのか、よくわかりませんでした。しかし、あまり込み入った手を弾かない様子を見ると、上手ではないのだろうと考えました。せいぜい活け花の程度だろうと思ったのです。花なら私にもよくわかるのですが、お嬢さんは決して上手ではありませんでした。
それでも、臆面もなくさまざまな花が私の床を飾ってくれました。もっとも、活け方はいつ見ても同じでしたし、花瓶も変わることはありませんでした。しかし、音楽の方は花よりもさらに奇妙でした。ぽつんぽつんと糸を鳴らすだけで、全く肉声を聞かせないのです。歌わないわけではありませんが、まるで内密の話をするように、小さな声しか出さないのです。しかも、叱られると全く音を出さなくなってしまうのです。
私は喜んでこの下手な活け花を眺めながら、まずそうな琴の音に耳を傾けていました。