五〜六
作 夏目漱石
私が夏休みを利用して初めて故郷に帰ったとき、両親が亡くなった後の私の家には、叔父夫婦が新しい主人として住んでいました。これは、私が東京に出る前からの約束でした。私が一人取り残されている以上、そうせざるを得なかったのです。
叔父はその頃、市内のいくつかの会社に関わっていたようです。業務の都合から言えば、今までの住まいに寝起きする方が、私の家に移るよりもずっと便利だと笑っていました。これは、私の両親が亡くなった後、家をどうするか、私が東京に出るかという相談の際に、叔父が漏らした言葉でした。私の家は古い歴史を持っていて、少しはその地域で知られていました。田舎では、由緒ある家を相続人がいるのに壊したり売ったりするのは大事件です。今の私ならそのくらいのことは気にしませんが、その頃はまだ子供だったので、東京に出たとはいえ、家をそのままにしておかなければならず、非常に心苦しかったのです。
叔父は仕方なく私の空き家に入ることを承諾してくれました。しかし、市の方にある住居もそのままにしておいて、両方の間を往復する便宜を与えてもらわなければ困ると言いました。私には異議を唱える余地はありませんでした。どんな条件でも東京に出られればいいと考えていたのです。
子供らしい私は、故郷を離れても心の中で懐かしげに故郷の家を思い描いていました。そこにはまだ自分が帰るべき家があるという旅人のような気持ちで望んでいたのです。休みが来れば帰らなければならないという気持ちは、いくら東京を恋しがって出てきた私にも強くありました。私は熱心に勉強し、楽しく遊んだ後、休みには帰れると思っていた故郷の家をよく夢に見ました。
私が留守の間、叔父がどのように両方の家を往き来していたのかは知りません。私が着いたとき、家族は皆一つの家の中に集まっていました。学校に通う子供たちは普段はおそらく市の方にいたのでしょうが、休暇のために田舎に戻って遊び半分で引き取られていました。
皆が私の顔を見て喜びました。私は、父や母がいた頃よりも、かえって賑やかで陽気になった家の様子を見て嬉しくなりました。叔父は、もともと私の部屋だった一間を占領していた一番目の男の子を追い出し、私をそこに入れました。座敷の数も少なくないのだから、私は他の部屋でも構わないと辞退したのですが、叔父は「お前の家だから」と言って聞き入れませんでした。
私は折々、亡くなった父や母のことを思い出す以外には何の不愉快もなく、その一夏を叔父の家族と共に過ごし、再び東京へ帰りました。ただ一つ、その夏の出来事として私の心に薄暗い影を落としたのは、叔父夫婦が口を揃えて、まだ高等学校に入ったばかりの私に結婚を勧めたことでした。それは前後でちょうど三、四回も繰り返されたでしょう。私も最初はその突然の提案に驚いただけでした。二度目にははっきりと断りました。三度目には、こちらからその理由を尋ねなければならなくなりました。彼らの意図は単純でした。早く嫁をもらって家に帰り、亡くなった父の後を継いでほしいというだけなのです。家は休暇になって帰ればそれでいいと私は考えていました。父の後を継ぐためには嫁が必要だという理屈は一見理解できました。特に田舎の事情を知っている私にはよく分かりました。私もそれを絶対に嫌っていたわけではないのでしょう。しかし、東京に修業に出たばかりの私には、それが遠くの目標のように感じられました。私は叔父の希望に応じることなく、結局また私の家を去りました。
「私は縁談のことをすっかり忘れてしまいました。周囲にいる若者たちを見ると、家庭を持ったような人は一人もいません。皆が自由で、まるで一人でいるように思えました。こうした気楽な人々の中にも、裏では家庭の事情に縛られて、すでに妻を迎えていた者もいたかもしれませんが、子供の私はそこに気づきませんでした。それから、そういう特別な境遇にある人たちも、周囲に気を使って、なるべく書生たちには縁のない内輪の話はしないようにしていたのでしょう。後から考えると、私自身がすでにその仲間だったのですが、私はそれすら分からず、ただ子供らしく楽しく学びの道を歩んでいました。
学年の終わりに、私は再び荷物をまとめて、親の墓のある田舎に帰ってきました。そして、去年と同じように、父母がいた私の家の中で、また叔父夫婦とその子供たちの変わらない顔を見ました。私は再びそこで故郷の匂いを嗅ぎました。その匂いは私にとって依然として懐かしいものであり、一学年の単調を破る変化としてもありがたいものでした。
私を育ててくれたこの場所で、突然、叔父から結婚の話を持ち出されました。彼が言うには、昨年の勧誘を再び繰り返すだけでした。理由も去年と同じでした。しかし、前回は何の具体的な対象もなかったのに、今回は肝心の当人、つまり叔父の娘、私の従妹がしっかりと目の前にいたため、私はさらに困惑してしまいました。
叔父は、彼女と結婚すればお互いにとって都合が良いし、父も生前にそんな話をしていたと言います。私も確かにそれが都合が良いと思いましたし、父が叔父にそのようなことを話した可能性もあると考えました。しかし、叔父に言われるまでそのことに気づいていなかったので、驚かざるを得ませんでした。驚きつつも、叔父の希望には無理がないことも理解できました。私が無頓着だったのかもしれませんが、従妹に対して特に意識を向けていなかったことが、主な原因だったのでしょう。
私は子供の頃から、叔父の家に遊びに行くことが多く、泊まることもよくありました。そのため、従妹とはその頃から親しい関係でした。あなたも知っているでしょうが、兄妹の間で恋愛が成立することは稀です。私はこの公然の事実を無意識に広めているのかもしれませんが、親しくなりすぎた男女の間には、恋愛に必要な新鮮な刺激が失われてしまうと思っています。香りを感じるのは香を焚いた瞬間に限られ、酒を味わうのは飲み始めた瞬間にあるように、恋の衝動にもそうした一瞬のタイミングが存在するのです。一度その瞬間を通り過ぎてしまうと、親しみが増す一方で、恋の感覚は麻痺してしまうのです。どう考えても、私は従妹を妻にする気にはなれませんでした。
叔父は、私が主張すれば卒業まで結婚を延ばしても構わないと言いましたが、善は急げという言葉もあるので、できれば今のうちに祝言だけは済ませたいとも言いました。私には当人に対する望みがなかったので、どちらにしても同じことでした。私は再び断りました。叔父は不満そうな顔をし、従妹は泣きました。彼女が悲しんでいるのは、私に添われないからではなく、結婚の申し込みを拒絶されたことが、女性として辛かったからです。私が従妹を愛していないように、彼女も私を愛していないことは、私にはよくわかっていました。
その後、私は再び東京へと向かいました。