九 (2/3)
作 夏目漱石
秋の冷たい風が吹き始めた頃、貴家のますますの繁栄をお祝い申し上げます。ご承知の通り、私たちの学校は、一昨々年から二、三の野心家によって妨げられ、一時はその影響が極まったこともありました。しかし、これはすべて私、針作の力不足によるものであり、深く反省しております。苦しい思いをしながらも、ついに独力で理想に見合った校舎の新築資金を得る方法を考え出しました。それは、別冊『裁縫秘術綱要』という書籍の出版によるものです。この本は、私が長年苦心して研究してきた工芸の原理と原則を基に、真剣に取り組んで著したものです。
そこで、この書を一般の家庭に向けて、製本実費に少しの利益を加えた価格で販売し、裁縫の発展に寄与すると同時に、その利益を校舎建築費に充てるつもりです。最近、恐縮ではありますが、もし貴家がご寄付をお考えでしたら、ぜひこの『裁縫秘術綱要』をお求めいただき、御侍女の方々にもお分けいただければと願っております。ご賛同の意を示していただければ幸いです。
敬具
大日本女子裁縫最高等大学院
校長 縫田針作 九拝
主人は、この丁寧な書面を冷淡に丸め、ポンと屑籠に投げ入れた。針作君の九拝も、臥薪甞胆も、何の役にも立たなかったのは気の毒である。
次に届いたのは、第三信だった。この手紙は、非常に目を引くもので、紅白のまだら模様の封筒が、まるで飴の看板のように華やかだった。真ん中には、珍野苦沙弥先生の名前が、虎皮のような模様で太く書かれている。中にお太さんが入っているかどうかは分からないが、表面だけはとても立派なものだった。
「もし私が天地を律するなら、一口で西江の水を吸い尽くすことができるだろう。しかし、天地が私を律するなら、私はただの道端の塵に過ぎない。道理として、天地と私の間に何の交渉があるのだろうか……」
海鼠を初めて食べた人は、その胆力に敬意を表すべきだし、河豚を初めて食べた男は、その勇気に重んじられるべきだ。海鼠を食べられる者は親鸞の再来であり、河豚を食べられる者は日蓮の分身である。苦沙弥先生のような人は、ただ干瓢の酢味噌を知るだけだ。干瓢の酢味噌を食べて天下の士たる者は、私はまだ見たことがない。
「親友でさえも、あなたを裏切ることがある。父母でさえも、あなたに私心を抱くことがある。愛人でさえも、あなたを捨てることがある。富や地位は、頼りにできるものではない。爵禄は一朝にして失われることがある。あなたの頭の中に秘めている学問には、カビが生えることもある。あなたは何を頼りにするのか。天地の中で何を頼りにするのか。神? 神は人間の苦しみの中で作り出された土偶に過ぎない。人間の一瞬の苦悩が凝縮された臭い骸に過ぎない。頼るべきでないものに頼って安穏でいることはできない。酔っ払いが無作法な言葉を弄びながら、ふらふらと墓に向かう。油が尽きて灯が自ら消える。業が尽きて、何を残すのか。苦沙弥先生のように、せめてお茶でも飲んでいけ……」
人を人として扱わなければ、恐れるものは何もない。人を人として扱わない者が、私を私として扱わない世の中を憤るのはどういうことか。権力や栄達を得た者たちは、人を人として扱わないことで得たのだ。彼らが他者を人として扱わないとき、初めて不満が顔を出す。好きなように不満を表現すればいい。馬鹿なことだ。
私が他者を人として思うとき、他者が私を人として思わないとき、不平を抱く者たちは突発的に現れる。この突発的な活動を革命と呼ぶ。革命は不平を抱く者たちの仕業ではなく、権力者たちが好んで生み出すものだ。朝鮮には人参が多いが、先生はなぜそれを食べないのか。
在巣鴨 天道公平 再拝
針作君は九拝の男だったが、彼の友人はただの再拝に過ぎなかった。寄附金の依頼ではないため、彼は七拝ほど横柄に構えている。寄附金の話ではないが、その内容は非常に分かりにくいものだった。どの雑誌に投稿しても没書になる価値は十分にあると思われるが、頭脳の不透明さで知られる主人は、必ずやその文章を引き裂いてしまうだろうと考え、何度も読み返していた。
こんな手紙に意味があると考え、その意味を究明しようと決心しているのかもしれない。世の中には理解できないことがたくさんあるが、意味を持たないものは一つもない。どんなに難解な文章でも、解釈しようとすれば容易に解釈できるものだ。人間が愚かだと言おうが、賢いと言おうが、理解できることは明らかだ。それ以上に、人間が犬であろうと豚であろうと、特に苦しむような問題ではない。山が低いと言っても問題はないし、宇宙が狭いと言っても構わない。烏が白く、小町が醜い、苦沙弥先生が君子であっても、通用しないことはない。だから、こんな無意味な手紙でも、何とか理屈をつければ意味を見出すことができる。
特に、主人のように知らない英語を無理にこじつけて説明しようとする男は、なおさら意味を求めたがる。悪天候の中で「グッド・モーニング」と生徒に尋ねられ、七日間考えたり、「コロンバス」という名前が日本語で何かと聞かれ、三日三晩かかって答えを考えるような男には、干瓢の酢味噌が天下の士であろうと、朝鮮の仁参を食べて革命を起こそうと、随意に意味が湧き出るのだ。
主人はしばらくして、「グッド・モーニング」流にこの難解な言葉を飲み込んだようで、「なかなか意味深長だ。何でもよほど哲理を研究した人に違いない。天晴な見識だ」と大いに賞賛した。この一言で主人の愚かさがよく分かるが、逆に考えてみると、いささかもっともな点もある。主人は何にでも、わからないものをありがたがる癖がある。これは主人に限ったことではない。理解できないところには、馬鹿にできないものが潜んでいて、測り知れないところには、何か気高い心持ちが生まれるものだ。だから、俗人はわからないことをわかったように吹聴する一方で、学者はわかったことをわからないように講釈する。大学の講義でも、わからないことを喋る人は評判が良く、わかることを説明する者は人望がないことがよく分かる。主人がこの手紙に敬服したのも、その意義が明瞭だからではなく、その主旨がどこにあるのかほとんど捕え難いからだ。急に海鼠が出てきたり、せつな糞が出てくるからである。だから、主人がこの文章を尊敬する唯一の理由は、道家が道徳経を尊敬し、儒家が易経を尊敬し、禅家が臨済録を尊敬するのと同じで、一般には全く分からないからである。ただし、全然分からないでは気が済まないので、勝手な注釈をつけてわかった顔をする。わからないものをわかったつもりで尊敬するのは、昔から愉快なものである。
主人は恭しく八分体の名筆を巻き納め、これを机上に置いたまま懐手をして冥想に沈んでいた。
その時、「頼む頼む」と玄関から大きな声で案内を求める者がいた。声は迷亭のようだが、迷亭にしてはしきりに案内を頼んでいる。主人はその声を聞いていたが、懐手のまま全く動こうとしない。取次に出るのは主人の役目ではないという主義か、主人は決して書斎から挨拶をしたことがなかった。下女は先ほど洗濯石鹸を買いに出かけ、細君は憚っている。すると、取次に出るべき者は私だけになる。私だって出るのは嫌だ。すると、客人は沓脱から敷台へ飛び上がり、障子を開け放ってつかつか上がり込んできた。主人も主人だが、客も客だ。座敷の方へ行ったと思うと、襖を二三度開けたり閉めたりして、今度は書斎の方へやってくる。
「おい、冗談じゃない。何をしているんだ、御客さんだよ」
「おや、君か」
「おや、君かもないもんだ。そこにいるなら何とか言えばいいのに、まるで空家のようじゃないか」
「うん、ちょっと考え事があるもんだから」
「考えていたって通れるくらいは言えるだろう」
「言えんこともないさ」
「相変わらず度胸がいいね」
「先日から精神の修養を力めているんだもの」
「物好きだな。精神を修養して返事ができなくなった日には、来客は御難だね。そんなに落ち着かれちゃ困るんだぜ。実は僕一人来たんじゃないよ。大変な御客さんを連れて来たんだよ。ちょっと出て逢ってくれ給え」
「誰を連れて来たんだい?」
「誰でもいいからちょっと出て逢ってくれたまえ。是非君に逢いたいと言うんだから」
「誰だい?」
「誰でもいいから立ちたまえ」
主人は懐手のままぬっと立ちながら、「また人を担ぐつもりだろう」と思いつつ、何の気もつかずに客間へ這入り込んだ。すると、六尺の床を正面に一人の老人が粛然と端坐して控えている。主人は思わず懐から両手を出して、ぺたりと唐紙の傍に尻を片づけてしまった。これでは老人と同じく西向きであるため、双方とも挨拶のしようがない。昔気質の人は礼義に厳しいものだ。
「さあ、どうぞあちらへ」と床の間の方を指して主人を促がす。主人は両三年前までは座敷はどこに座っても構わないものと心得ていたが、その後ある人から床の間の講釈を聞き、あれは上段の間の変化したもので、上使が座る所だと悟って以来、決して床の間には寄りつかない男である。特に見ず知らずの年長者が頑として構えているのだから、上座どころではない。挨拶さえ碌にはできない。一応頭を下げて、「さあ、どうぞあちらへ」と向こうの言う通りを繰り返した。
「いや、それでは御挨拶が出来かねますから、どうぞあちらへ」
「いえ、それでは……どうぞあちらへ」と主人はいい加減に先方の口上を真似ている。
「どうもそう、御謙遜では恐れ入ります。かえって手前が痛み入ります。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」
「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人は真赤になって口をもごもご云わせている。精神修養もあまり効果がないようである。迷亭君は襖の影から笑いながら立見をしていたが、もういい時分だと思って、後ろから主人の尻を押しやりながら、
「さあ、出てきなさい。そんなに唐紙にくっついていたら、私が座る場所がないじゃないか。遠慮せずに前に出てきてください」と、無理に割り込んでくる。主人は仕方なく前の方へすり出た。
「苦沙弥君、こちらがいつも君に噂をしている静岡の伯父さんだよ。伯父さん、こちらが苦沙弥君です」
「いや、初めてお目にかかります。毎度迷亭が出てきてお邪魔をしているそうで、いつかお伺いしてお話を伺おうと思っておりましたところ、幸い今日は近所を通ったもので、御礼を兼ねてお伺いした次第です。どうぞよろしくお見知りおきください」と、昔風の口上を淀みなく述べる。主人は交際が狭く、無口な人間である上に、こんな古風な爺さんとはほとんど出会ったことがないため、最初から少し場違いな気がして辟易していたところに、滔々と浴びせかけられたので、朝鮮仁参も飴ん棒の袋もすっかり忘れてしまい、ただ苦しまぎれに妙な返事をする。
「私も……私も……ちょっと伺うつもりでありましたが……何分よろしく」と言い終わって頭を少し畳から上げて見ると、老人はまだ平伏しているので、はっと恐縮してまた頭をぴたりと畳に着けた。
老人は呼吸を整えながら首を上げ、「私ももともとはこちらに屋敷があって、長い間この地で暮らしていたのですが、瓦解の折にあちらへ行ってからは全く出てこなくなってしまいました。今来てみると、まるで方角も分からないくらいで、迷亭にでも連れて行ってもらわないと、とても用事も足せません。滄桑の変とは言いますが、御入国以来三百年も、あの通り将軍家の……」と話しかけると、迷亭先生は面倒だと心得て
「伯父さん、将軍家もありがたいかもしれませんが、明治の時代も結構ですよ。昔は赤十字なんてものもなかったでしょう」と言った。
「それはない。赤十字などと称するものは全くなかった。特に宮様の御顔を拝むなどということは、明治の時代でなければできなかったことだ。私も長生きしたおかげで、今日の総会にも出席するし、宮殿下の御声も聞けるし、もうこれで死んでもいい」と老人は言った。
「まあ、久しぶりに東京見物をするだけでも得ですよ。苦沙弥君、伯父はね、今度赤十字の総会があるのでわざわざ静岡から出てきて、今日一緒に上野へ出かけたところなんだが、今その帰りがけなんだよ。それだからこの通り、先日僕が白木屋へ注文したフロックコートを着ているのさ」と迷亭は注意を促した。なるほど、フロックコートを着ているが、少しも体に合わない。袖が長すぎて、襟が開いて、背中に池ができ、腋の下が引きつっている。いくら不恰好に作ろうとしても、ここまで形を崩すわけにはいかないだろう。その上、白シャツと白襟が離れ離れになっていて、仰向くと喉仏が見える。第一、黒い襟飾りが襟に属しているのか、シャツに属しているのか判然としない。フロックはまだ我慢ができるが、白髪のチョン髷は非常に奇観である。評判の鉄扇はどうかと目を注ぐと、膝の横にちゃんと引きつけている。主人はこの時ようやく本心に立ち返り、精神修養の結果を存分に老人の服装に応用して少々驚いた。まさか迷亭の話ほどではなかろうと思っていたが、会ってみると話以上である。もし自分のあばたが歴史的研究の材料になるならば、この老人のチョン髷や鉄扇は確かにそれ以上の価値がある。主人はどうにかしてこの鉄扇の由来を聞いてみたいと思ったが、まさか、打ちつけに質問するわけにはいかず、また話を途切らせるのも礼に欠けると思い、
「だいぶ人が出ましたでしょう」と極めて尋常な問をかけた。
「いや、非常に人が多くて、それでその人が皆私をじろじろ見るので――どうも最近は人間が物見高くなったようですね。昔はあんなではなかったが」と老人は言った。
「ええ、そうですね、昔はそんなではなかったですな」と主人は同意した。これはあながち主人が知ったかぶりをしたわけではなく、ただ朦朧とした頭脳から好い加減に流れ出す言葉と見れば差し支えない。
「それに皆この甲割に目を着けるので」と老人が続けた。
「その鉄扇は大分重いものでしょう」と主人が尋ねると、
「苦沙弥君、ちょっと持ってみなさい。なかなか重いよ。伯父さん、持たせてみてください」と老人は言った。老人は重たそうに取り上げて「失礼ですが」と主人に渡す。京都の黒谷で参詣人が蓮生坊の太刀を戴くようなかたで、苦沙弥先生はしばらく持っていたが「なるほど」と言ったまま老人に返却した。
「みんながこれを鉄扇鉄扇と言うが、これは甲割と称して鉄扇とはまるで別物で……」
「へえ、何にしたものでしょう」と主人が尋ねると、
「兜を割るもので、敵の目がくらむところを撃ち取ったものです。楠正成の時代から用いられたようで……」
「伯父さん、それは正成の甲割ですかね」と苦沙弥が尋ねる。
「いえ、これは誰のかわからない。しかし時代は古い。建武時代の作かもしれない」と老人は言った。
「建武時代かもしれないが、寒月君は弱っていましたよ。苦沙弥君、今日帰りにちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せてもらったところがね。この甲割が鉄だから、磁力の器械が狂って大騒ぎになった」と迷亭が言った。
「いや、そんなはずはない。これは建武時代の鉄で、性の良い鉄だから決してそんな心配はない」と老人は反論した。
「いくら性の良い鉄だって、そうはいきませんよ。現に寒月がそう言ったから仕方がないです」と迷亭が続けた。
「寒月というのは、あのガラス球を磨いている男かい。今の若者に気の毒なことだ。もう少し何かやることがありそうなものだ」と老人は言った。
「可哀想に、あれだって研究でさあ。あの球を磨り上げると立派な学者になれるんですからね」と迷亭が言った。
「玉を磨り上げて立派な学者になれるなら、誰にでもできる。私にでもできる。ビードロ屋の主人にでもできる。ああいうことをする者を漢土では玉人と称したもので、至って身分の軽いものだ」と言いながら、主人の方を向いて暗に賛成を求める。
「なるほど」と主人はかしこまっている。
「すべて今の世の学問は皆形而下の学で、ちょっと結構なようだが、いざとなると少しも役には立ちませんてな。昔はそれと違って侍は皆命懸けの商売だから、いざという時に狼狽しないように心の修業をしていたもので、御承知でもあらっしゃるでしょうが、なかなか玉を磨ったり針金を綯ったりするような容易いものではなかったのですよ」と老人は言った。
「なるほど」と主人はやはりかしこまっている。
「伯父さん、心の修業というのは、ただ座っているだけではできないものですよ。」
「だから困るんだ。そんなに簡単なものではない。孟子は『求放心』と言ったし、邵康節は『心要放』と教えたこともある。また仏教では中峯和尚が『具不退転』ということを教えている。なかなか理解するのは難しい。」
「全然分かりませんね。結局、どうすればいいんですか?」
「君は沢菴禅師の『不動智神妙録』を読んだことがあるか?」
「いいえ、聞いたこともありません。」
「心をどこに置くかが大事なんだ。敵の動きに心を置けば、敵の動きに心を奪われる。敵の刀に心を置けば、敵の刀に心を取られる。敵を切ろうと思うところに心を置けば、敵を切ろうと思うところに心を取られる。自分の刀に心を置けば、自分の刀に心を奪われる。自分が切られないと思うところに心を置けば、切られないと思うところに心を取られる。人の構えに心を置けば、人の構えに心を取られる。心の置きどころがないということだ。」
「よく覚えて暗唱したものですね。伯父さんもなかなか記憶力がいい。長いですね。苦沙弥君、分かったかい?」
「なるほど」と苦沙弥はまたもや納得したように頷いた。
「ねえ、あなた、そうでしょう。心をどこに置くか、敵の動きに心を置けば、敵の動きに心を奪われる。敵の刀に心を置けば……」
「伯父さん、苦沙弥君はそんなこと、よく分かっているんですよ。最近は毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから。客が来ても取次に出ないくらい、心を置き去りにしているんだから大丈夫ですよ。」
「それは珍しいことだな。君も少し一緒にやったらいいのに。」
「へへへ、そんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が楽な体だから、人も遊んでいると思っているんでしょう。」
「実際、遊んでいるじゃないか。」
「ところが、暇な時にこそ自分から忙しくなるんですよ。」
「そう、粗忽だから修業をしないといけないということだ。『忙中自ら閑あり』という言葉はあるが、『閑中自ら忙あり』というのは聞いたことがない。なあ、苦沙弥さん。」
「ええ、確かに聞いたことがありません。」
「ハハハ、そうなっちゃあ敵わない。ところで伯父さん、どうですか。久しぶりに東京の鰻でも食べに行きませんか。竹葉でも奢りますよ。これから電車で行けばすぐです。」
「鰻もいいが、今日はこれから『すい原』へ行く約束があるから、私はこれで失礼します。」
「ああ、杉原ですか、あの爺さんも元気ですね。」
「杉原ではない、すい原だ。君はよく間違えて困る。他人の名前を取り違えるのは失礼だ。気をつけないといけない。」
「だって、杉原と書いてあるじゃありませんか。」
「杉原と書いてすい原と読むのさ。」
「妙ですね。」
「何が妙なことがあるものか。名目読みというのは昔からあることだ。蚯蚓を和名でみみずと言うのも目見ずの名目読みだ。蝦蟆のことをかいると言うのと同じことだ。」
「へえ、驚きました。」
「蝦蟆を打ち殺すと仰向けに返る。それを名目読みでかいると言う。透垣をすい垣、茎立をくく立、皆同じことだ。杉原をすぎ原などと言うのは田舎者の言葉だ。少し気をつけないと人に笑われる。」
「じゃ、その、すい原へこれから行くんですか。困ったな。」
「何、嫌なら君は行かなくてもいい。私は一人で行くから。」
「一人で行けますか?」
「歩いては難しい。車を雇ってもらって、ここから乗って行こう。」
主人はすぐに車屋へ走らせ、老人は長々と挨拶をして、チョン髷に山高帽を被って帰って行く。迷亭はその後に残る。
「あれが君の伯父さんか。」
「あれが僕の伯父さんです。」
「なるほど」と再び座蒲団の上に座り、懐手をして考え込んでいる。
「ハハハ、豪傑だろう。僕もああいう伯父さんを持って幸せだな。どこへ連れて行ってもあの通りなんだぜ。君、驚いたろう。」迷亭君は主人を驚かせたつもりで大いに喜んでいる。
「何、そんなに驚きゃしない。」
「あれで驚かなければ、胆力の据わったもんだ。」
「しかし、あの伯父さんはなかなか立派なところがあるようだ。精神の修養を主張するところなんかは大いに敬服していい。」
「敬服していいかね。君も今に六十くらいになると、やっぱりあの伯父さんのように、時候遅れになるかもしれないぜ。しっかりしてくれたまえ。時候遅れの回り持ちなんか気が利かないよ。」
「君はしきりに時候遅れを気にするが、時と場合によっては、時候遅れの方が立派なこともあるんだぜ。第一、今の学問というものは先へ先へと行くだけで、どこまで行っても際限はない。満足は得られない。そこへ行くと東洋流の学問は消極的で大いに味がある。心そのものの修業をするのだから。」と、先日哲学者から聞いたことを自説のように述べ立てる。
「えらいことになってきたな。何だか八木独仙君のようなことを言ってるね。」
八木独仙という名を聞いて主人ははっと驚いた。実は先日、臥竜窟を訪問して主人を説得して悠然と帰った哲学者が、この八木独仙君であり、今主人が鹿爪らしく述べ立てている議論は全くこの八木独仙君の受け売りであるから、知らないと思った迷亭がこの先生の名を間髪を入れずに持ち出したのは、暗に主人の一夜作りの仮面を挫いたわけになる。
「君、独仙の説を聞いたことがあるのか?」と主人は警戒して念を押してみる。
「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年前学校にいた時分と今日と少しも変わらない。」
「真理はそう変わるものじゃないから、変わらないところが頼もしいのかもしれない。」
「まあ、そんな贔屓があるから独仙もあの調子でやっていけるんだね。まず、八木という名前からして、実にうまくできている。あの髭はまさに山羊そのものだからね。そして、あれも寄宿舎時代からあの通りの姿で生えていたんだ。名前の『独仙』なんて、実に振ったものだよ。
昔、彼が僕のところに泊まりに来たとき、いつものように消極的な修養についての議論をしていたんだ。いつまで経っても同じことを繰り返してやめないから、僕が『君、もう寝ようじゃないか』と言ったら、彼は気楽なものさ、いや僕は眠くないと平然として、やっぱり消極論を続けるもんだから、困ったよ。仕方がないから、君は眠くないのかもしれないけれど、僕の方は本当に眠いんだから、どうか寝てくれと頼んで、ようやく寝かせたんだ。
ところが、その晩、鼠が出て独仙君の鼻の頭を噛んでしまった。夜中に大騒ぎさ。彼は悟ったようなことを言うけれど、命は惜しかったらしくて、非常に心配していた。『鼠の毒が全身に回ったら大変だ、君、どうにかしてくれ』と責められて、僕は閉口したよ。それから仕方がないから、台所に行って紙片に飯粒を貼り付けてごまかしてやったんだ。」
「どうしてそんなことを?」
「これは舶来の膏薬で、最近ドイツの名医が発明したものなんだ。インドの毒蛇に噛まれたときに使うと即効があるから、これさえ貼っておけば大丈夫だって言うんだ。」