八 (3/3)
作 夏目漱石
「ボールが飛び込んできたんです」
「なぜボールを飛び込ませたのか」
「つい、飛び込んでしまったんです」
「なんて無礼な奴だ」
「これからは気をつけますので、今回は許してください」
「どこの誰だかわからない奴が、垣を越えて家に入ってくるのを、簡単に許されると思うか」
「それでも、落雲館の生徒に違いありませんから」
「落雲館の生徒なら、何年生だ?」
「三年生です」
「そうか、そうなのか」
「はい」
主人は奥の方を振り返りながら、声を上げた。
埼玉生まれの御三が襖を開けて、顔を出した。
「落雲館に行って、誰か連れてきてくれ」
「誰を連れてきましょうか?」
「誰でもいいから、連れてきてくれ」
下女は「はい」と答えたが、庭の光景が妙で、使いの趣旨がはっきりしない上に、さっきからの出来事が馬鹿馬鹿しくて、立ちもせず、座りもせずにニヤニヤ笑っていた。主人はこれでも大事件を起こしているつもりで、逆上しているのだが、召し使いであるはずの下女が真面目な顔で事に臨むどころか、使いの指示を聞きながらニヤニヤしているのを見て、ますます逆上せざるを得なかった。
「誰でも構わないから呼んで来いと言っているのに、わからないのか。校長でも幹事でも教頭でも……」
「あの校長さんを……」下女は校長という言葉しか知らなかった。
「校長でも、幹事でも教頭でもと言っているのに、わからないのか」
「誰もいなかったら、小使でもよろしいですか?」
「馬鹿なことを言うな。小使いに何がわかるものか」
ここに至って下女も仕方がないと悟ったのか、「はい」と言って出て行った。使いの意図はやはり飲み込めなかった。小使いでも連れて来てくれないかと心配していると、あに計らんや、例の倫理の先生が表門からやって来た。平然と座っている主人は、すぐに談判を始めた。
「ただ今、邸内にこの者たちが乱入して……」と忠臣蔵のような古風な言葉を使ったが、「本当に御校の生徒でしょうか」と少々皮肉を交えて言った。
倫理の先生は特に驚いた様子もなく、平気で庭に並んでいる生徒たちを一通り見回した後、元のように主人の方に目を戻し、こう答えた。
「はい、みんな学校の生徒です。こんなことがないように、常に訓戒を加えておきますが……本当に困ったもので……なぜ君たちは垣を乗り越えるのか」
さすがに生徒たちは生徒である。倫理の先生に向かっては一言も言わず、何も言わずにおとなしく庭の隅に固まって、羊の群れが雪に出会ったように控えていた。
「ボールが入るのも仕方がないでしょう。こうして学校の隣に住んでいる以上、時々はボールも飛んでくるでしょう。しかし……あまり乱暴ですからね。仮に垣を乗り越えるにしても、こっそり拾っていくなら、まだ許す余地もありますが……」
「ごもっともで、よく注意はいたしますが、何分多人数のことですので……これからはしっかりと注意しなければなりません。もしボールが飛んできたら、表から回って、御断りをして取らなければいけません。いいですか。――広い学校のことですから、どうしても世話ばかりかけて仕方がないのです。運動は教育上必要なものですから、これを禁じるわけにはいきません。これを許すと、つい御迷惑になるようなことが起こるかもしれませんが、どうか御容赦を願いたいと思います。その代わり、今後は必ず表門から回って御断りをして取らせますから」
「いや、それが分かればよろしいです。ボールはいくら投げても差し支えありません。表から来てちょっと断ってくだされば構いません。それでは、この生徒はあなたにお引き渡ししますので、お連れ帰りをお願いします。わざわざお呼び立てして恐縮です」と主人はいつものように長々とした挨拶をする。倫理の先生は丹波の笹山を連れて表門から落雲館へ引き上げていった。私の言うところの大事件は、これで一応落着を告げた。何が大事件かと笑うなら、笑えばいい。そんな人には大事件ではないのだ。私は主人の大事件を描写したので、そんな人の大事件を記したわけではない。尻が切れて強弩の末勢だなどと悪口を言う者がいるなら、これが主人の特色であることを覚えておいてほしい。主人が滑稽文の材料になるのもまたこの特色に存することを記憶してほしい。十四五の小供を相手にするのは馬鹿だと言うなら、私も馬鹿に違いないと同意する。だから大町桂月は主人をつかまえて、未だ稚気を免れずと言っている。
私はすでに小事件を述べ終え、今また大事件を語り終えたので、これから大事件の後に起こる余波を描き出し、全篇の結びを付けるつもりである。すべて私のこうしたことは、口から出任せのいい加減だと思う読者もいるかもしれないが、決してそんな軽率な猫ではない。一字一句の裏に宇宙の一大哲理を含むのはもちろん、その一字一句が層々連続して首尾相応じ前後相照らして、瑣談繊話と思ってうっかりと読んでいたものが、忽然として豹変し、容易ならざる法語となるのだから、決して寝ころんだり、足を出して五行ごとに一度に読むのだなどと無礼を演じてはいけない。柳宗元は韓退之の文を読むごとに薔薇の水で手を清めたというくらいだから、私の文に対してもせめて自腹で雑誌を買ってきて、友人の余りを借りて間に合わせるという不始末だけはないようにしたい。これから述べるのは、私自ら余波と呼ぶのだが、余波ならどうせつまらないに極まっている、読まなくてもよかろうなどと思うと、後で大いに後悔することになる。ぜひ最後まで精読しなければならない。
大事件のあった翌日、私は少し散歩をしたくなり、外に出た。すると、向こうの横町の角で金田さんと鈴木の藤さんが立ち話をしているのが目に入った。金田さんは自宅に帰る途中で、鈴木さんは金田さんの留守を訪ねて引き返すところだった。最近は金田の家も珍しくなくなり、あまりその方には行かなくなっていたが、こうして目にすると、なんだか懐かしい気持ちが湧いてきた。鈴木さんにも久しぶりに会いたいと思い、近づいてみることにした。
二人の会話が自然に耳に入ってきたが、これは私の罪ではない。彼らが話しているのだから仕方がない。金田さんは、主人の動静を探るために探偵を雇うような良心的な男だから、私が偶然彼らの会話を聞いたからといって怒ることはないだろう。もし怒られたら、彼は公平という意味を理解していないのだ。とにかく、私は二人の会話を聞いた。聞きたくて聞いたわけではなく、彼らの話が私の耳に飛び込んできたのだ。
「ちょうど今、御宅に伺ったところで、ちょうど良いタイミングでお会いできました」と藤さんは丁寧に頭を下げた。
「そうか、実は君にちょっと会いたいと思っていたんだ。それは良かった」と金田さんが応じる。
「ええ、それは好都合でした。何かご用ですか?」
「いや、特に大したことではないんだが、君でないとできないことなんだ」と金田さんが考え込む。
「私にできることなら何でもやります。どんなことですか?」
「ええ、そう……」と金田さんが考え込む。
「何かあれば、都合の良い時に伺いますよ。いつがよろしいですか?」
「いや、そんな大したことじゃないんだ。――それじゃ、せっかくだから頼もうか」と金田さんが言った。
「どうか遠慮なく……」と藤さんが続ける。
「実はあの変人のことだ。君の旧友、苦沙弥という男だが。」
「ええ、苦沙弥がどうかしましたか?」
「いや、特に何もないが、あの事件以来、胸が悪くてね。」
「ごもっともです。全く、苦沙弥は傲慢ですから……少しは自分の社会的地位を考えてほしいものですが、まるで一人天下ですから。」
「そうなんだ。金に頭を下げない実業家なんて――とか、いろいろ小生意気なことを言うから、だったら実業家の腕前を見せてやろうと思ってね。最近ずいぶん弱っているんだが、やっぱり頑張っている。どうも頑固な奴だ。驚いたよ。」
「本当に、損得の観念が乏しいから無暗に我慢を張るんでしょう。昔からああいう癖のある男で、自分の損になることに気が付かないんだから、どうしようもない。」
「ははは、本当にどうしようもない。いろいろ手を尽くしてやってみたが、結局学校の生徒にやらせた。」
「それは妙案ですね。効果がありましたか?」
「これには奴もかなり困ったようだ。もう遠からず落城するに違いない。」
「それは結構です。いくら威張っても、多勢に無勢ですからね。」
「そうだ、一人じゃあどうしようもない。それでかなり弱ったようだが、まあ、どんな様子か君に見に行ってもらおうと思っている。」
「はい、そうですか。何の訳もありません。すぐに行って見ましょう。様子は帰りにお知らせしますから。面白いでしょう、あの頑固者が意気消沈しているところは、きっと見物ですよ。」
「それじゃ、帰りに寄ってくれ。待っているから。」
「それでは、失礼します。」
おや、今度もまた何か企んでいるのだな。なるほど、実業家の力はすごいものだ。石炭の燃えかすのような主人を逆上させるのも、苦悶の結果主人の頭が混乱するのも、すべて実業家の力によるものだ。地球が地軸を回転する理由はわからないが、世の中を動かすものは確かに金である。この金の力を理解し、自由に発揮できるのは実業家たちだけだ。太陽が無事に東から昇り、西へ沈むのも、全く実業家のおかげである。これまで無知な家に養われて実業家の恩恵を知らなかったのは、我ながら不覚である。それにしても、頑固な主人も今回は少しは悟らなければならない。これでも頑固で押し通すつもりなら、危険だ。主人が最も大切にしている命が危ない。彼は鈴木さんに会って、どんな挨拶をするのだろう。その様子で彼の悟り具合もわかるだろう。だらだらしてはいられない。猫だって主人のことだから心配になる。早々に鈴木さんをすり抜けて、先に帰宅することにした。
鈴木さんは相変わらず調子の良い男で、今日は金田のことなど一言も出さず、しきりに当たり障りのない世間話を楽しそうにしている。
「君、少し顔色が悪いようだが、大丈夫か?」
「別にどこも何ともないさ。」
「でも、蒼白だよ。用心しないといけない。時候が悪いからね。夜は安眠できるか?」
「うん。」
「何か心配でもあれば、僕にできることなら何でもするよ。遠慮なく言ってくれ。」
「心配って、何を?」
「いえ、なければいいが、もしあればということさ。心配が一番毒だから。世の中は笑って楽しく暮らすのが得だよ。君はあまり陰気すぎるようだ。」
「笑うのも毒だからな。無暗に笑うと死ぬことがあるぜ。」
「冗談を言っちゃいけない。笑う門には福来るさ。」
「昔、ギリシャにクリシッパスという哲学者がいたが、君は知らないだろう。」
「知らない。それがどうしたのさ。」
「その男が笑いすぎて死んだんだ。」
「へえ、それは不思議だね。でもそれは昔のことだから……」
「昔だって今だって変わりはない。驢馬が銀の皿から無花果を食べるのを見て、おかしくてたまらず、無暗に笑ったんだ。ところがどうしても笑いが止まらなくなって、結局笑い死にしたんだ。」
「ははは、でもそんなに止めどもなく笑わなくてもいいさ。少し笑う――適度に――そうするといい気持ちになる。」
鈴木さんがしきりに主人の動静を研究していると、表の門ががらがらと開く。客かと思ったが、そうではなかった。
「ちょっとボールが入ったので、取らせてください。」
下女が台所から「はい」と答える。書生は裏手へ回る。鈴木は妙な顔をして「何だい?」と聞く。
「裏の書生がボールを庭に投げ込んだんだ。」
「裏の書生? 裏に書生がいるのか?」
「落雲館という学校さ。」
「ああ、そうか、学校か。随分騒がしいだろうね。」
「騒がしいのなんのって。全然勉強もできやしない。もし僕が文部大臣なら、すぐにでも閉鎖を命じてやる。」
「ハハハ、随分怒ったね。何か癪に障ることでもあるのかい?」
「あるのないのって、朝から晩まで癪に障り続けてる。」
「そんなに癪に障るなら、越せばいいじゃないか。」
「誰が越すもんか、失敬千万な。」
「僕に怒ったって仕方がないよ。なあに、小供だあね、打ち返しておけばいいさ。」
「君はよかろうが、僕はよくない。昨日は教師を呼びつけて談判してやった。」
「それは面白かったね。恐れ入ったろう?」
「うん。」
その時、また門口が開いて、「ちょっとボールが入ったので、取らせてください」と声がする。
「いや、大分来るじゃないか、またボールだよ君。」
「うん、表から来るように契約したんだ。」
「なるほど、それであんなに来るんだね。そうか、分かった。」
「何が分かったんだい?」
「ボールを取りにくる原因がさ。」
「今日はこれで十六回目だ。」
「君、うるさくないか。来ないようにしたらいいじゃないか。」
「来ないようにするったって、来るから仕方がないさ。」
「仕方がないと言えばそれまでだが、そんなに頑固にしていないでもよかろう。人間は角があると、世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ。丸いものはごろごろどこへでも苦なしに行けるが、四角なものは転がるのに骨が折れるばかりじゃない、転がるたびに角がすれて痛いものだ。どうせ自分一人の世の中じゃなし、自分の思うように人はならないさ。まあ、何だね。どうしても金のあるものに、立てついても損だね。ただ神経ばかり痛めて、体は悪くなる、人は褒めてくれず。向こうは平気なものさ。座って人を使いさえすれば済むんだから。多勢に無勢、どうせ叶わないのは知れているさ。頑固もいいが、立て通すつもりでいるうちに、自分の勉強に障ったり、毎日の業務に煩わされたり、結局は骨折り損の草臥儲けだからね。」
「ごめんなさい。今ちょっとボールが飛びましたから、裏口へ回って取ってもいいですか?」
「そらまた来たぜ」と鈴木君は笑っている。
「失敬な」と主人は真っ赤になっている。
鈴木君はもう大体訪問の意を果たしたと思ったので、「それじゃ失敬、ちょっと来たまえ」と帰って行く。
入れ替わってやって来たのが甘木先生である。逆上家が自分で逆上家だと名乗る者は昔から例が少ない。これは少々変だなと気がついた時には、逆上の峠はもう越えている。主人の逆上は昨日の大事件の際に最高度に達したが、談判も竜頭蛇尾に終わり、どうにかこうにか始末がついたので、その晩書斎でじっくり考えてみると、少し変だと気が付いた。もっとも落雲館が変なのか、自分が変なのか、疑念の余地は十分にあるが、何しろ変に違いない。いくら中学校の隣に居を構えたって、こう年中肝癪を起こし続けるのはちょっと変だと気が付いた。変であって見れば、どうかしなければならない。どうするったって仕方がない、やはり医者の薬でも飲んで肝癪の源に賄賂でも使って慰撫するよりほかに道はない。こう思ったから、普段かかりつけの甘木先生を迎えて診察を受けてみようという考えが浮かんだのである。賢いか愚かか、その辺は別問題として、とにかく自分の逆上に気が付いただけでも殊勝の志、奇特の心得と言わなければならない。甘木先生は例のごとくにこにこして落ち着き払って、「どうです?」と尋ねる。医者は大抵「どうです?」と聞くのが常だ。僕は「どうです?」と聞かない医者はどうも信用できない。
「先生、どうも駄目ですよ。」
「え、何そんなことがあるものですか?」
「一体、医者の薬は利くものでしょうか?」
甘木先生も驚いたが、そこは温厚な長者だから、特に激した様子もなく、
「利かないこともないです」と穏やかに答えた。
「私の胃病なんか、いくら薬を飲んでも同じことですぜ。」
「決して、そんなことはありません。」
「ないですかな。少しは良くなりますかな」と自分の胃のことを人に聞いてみる。
「そう急には癒りません、だんだん利きます。今でももとより大分良くなっています。」
「そうですかな。」
「やはり肝癪が起りますか?」
「起りますとも、夢にまで肝癪を起こします。」
「運動でも、少しなさったらいいでしょう。」
「運動すると、なお肝癪が起ります。」
甘木先生もあきれ返ったようで、
「どれ、一つ拝見しましょうか」と診察を始める。診察を終えるのを待ちかねた主人は、突然大きな声を出して、
「先生、先日催眠術の書いてある本を読んだら、催眠術を応用して手癖の悪いのや、いろいろな病気を治すことができると書いてあったのですが、本当でしょうか?」と尋ねる。
「ええ、そういう療法もあります。」
「今でもやるんですか?」
「ええ。」
「催眠術をかけるのは難しいものでしょうか?」
「何も訳はありません。私などもよくかけます。」
「先生もやるんですか?」
「ええ、一つやってみましょうか。誰でもかけられなければならない理屈のものです。あなたさえ良ければ、かけてみましょう。」
「それは面白い。一つかけてください。私もとうからかかってみたいと思っていたんです。しかし、かかりきりで目が覚めないと困るな。」
「大丈夫です。それじゃ、やりましょう。」
相談はすぐに決まり、主人は催眠術をかけられることになった。私は今までこんな光景を見たことがなかったので、心の中で密かに喜びながら、その様子を座敷の隅から見守っていた。先生はまず、主人の目に手をかけ始めた。彼の動きを見ていると、両目の上まぶたを上から下へと撫でていく。主人はすでに目を閉じているのに、何度も同じ方向に癖をつけようとしている。しばらくすると、先生は主人に向かって「こうやって、まぶたを撫でていると、だんだん目が重たくなりますよ」と尋ねた。主人は「なるほど、重くなりますね」と答える。先生はさらに同じように撫で続け、「だんだん重くなりますよ、いいですか?」と言った。主人もその気になったのか、何も言わずに黙っていた。同じ摩擦を三、四分繰り返した後、甘木先生は「さあ、もう開きませんよ」と言った。可哀想に、主人の目はとうとう閉じたままになってしまった。「もう開かないのですか?」と尋ねると、「ええ、もう開きません」と先生が答える。主人は黙って目を閉じたままだった。私は主人が盲目になったのだと思い込んでしまった。
しばらくして、先生は「開けるなら開いてみなさい。絶対に開かないから」と言った。「そうですか」と言うや否や、主人は普通に両目を開いていた。主人はにやにや笑いながら「かかりませんね」と言うと、甘木先生も同じように笑いながら「ええ、かかりません」と答えた。催眠術は結局、不成功に終わった。甘木先生も帰っていった。
その次にやってきたのは、主人の家にこれほどの客が来たことはなかった。交友の少ない主人の家にしては、まるで嘘のようだ。しかし、確かに来たのだ。しかも、珍しい客がやってきた。私がこの珍客について一言でも記述するのは、ただ珍客だからではない。私は先ほど述べた大事件の余波を描いている。そして、この珍客はその余波を描くために欠かせない材料なのだ。何という名前かは知らないが、顔が長く、山羊のようなひげを生やした四十前後の男だ。迷亭の美学者に対して、私はこの男を哲学者と呼ぶつもりだ。なぜ哲学者かというと、迷亭のように自分で振り散らすからではなく、主人と対話する様子を見ていると、まさに哲学者らしく思われるからである。彼も昔の同窓のようで、二人の応対は非常に打ち解けたものだった。
「うん、迷亭か。あれは池に浮いている金魚麩のようにふわふわしているね。先日、友人を連れて一面識もない華族の門前を通ったとき、ちょっと寄って茶でも飲んで行こうと言って引っ張り込んだそうだが、随分のんきだね」と哲学者が言った。
「それでどうしたの?」と主人が尋ねる。
「どうしたかは見なかったが、まあ天稟の奇人だろう。その代わり、考えも何もない、全く金魚麩だ。鈴木か、あれが来るのかい?へえ、あれは理屈はわからんが、世間的には利口な男だ。金時計は下げられるたちだ。しかし、奥行きがないから落ち着きがなくて駄目だ。円滑円滑と言うが、円滑の意味も何もわからんよ。迷亭が金魚麩なら、あれは藁で括った蒟蒻だね。ただ悪く滑かで、ぶるぶる振れているだけだ」。
主人はこの奇妙な比喩を聞いて、大いに感心したらしく、久しぶりにハハハと笑った。
「それじゃあ君は何だい?」と哲学者が尋ねる。
「僕か、そうだな、僕なんかは――まあ自然薯くらいなところだろう。長くなって泥の中に埋まっているさ」と主人が答えた。
「君はいつも泰然として気楽なようだが、羨ましいな」と哲学者が言う。
「何も普通の人間と同じようにしているだけさ。別に羨まれるほどのこともない。ただありがたいことに、人を羨む気も起こらないから、それだけいいね」と主人が言った。
「最近、会計は豊かかね?」と哲学者が尋ねる。
「何も同じことさ。足るや足らずさ。しかし食べているから大丈夫。驚かないよ」と主人が答えた。
「僕は不愉快で、肝癪が起こってたまらん。どっちを向いても不平ばかりだ」と哲学者が言う。
「不平もいいさ。不平が起こったら起こしてしまえば、当分はいい心持ちになれる。人間はいろいろだから、自分のように人にもなれと勧めたって、なれるものではない。箸は人と同じように持たないと飯が食いにくいが、自分の麺麭は自分の勝手に切るのが一番都合がいいようだ。上手な仕立屋で着物をこしらえれば、着たてから体に合ったものを持ってくるが、下手な裁縫屋に誂えたら、当分は我慢しないと駄目さ。しかし世の中はうまくできていて、着ているうちには洋服の方でこちらの骨格に合わせてくれるから。今の世に合うように、上等な両親が手際よく生んでくれれば、それが幸福なのさ。しかし、出来損ないだったら世の中に合わないで我慢するか、または世の中で合わせるまで辛抱するよりほかに道はないだろう」と主人が言った。
「しかし僕なんか、いつまで経っても合いそうにないぜ、心細いね」と哲学者が言う。
「合わない背広を無理に着ると、綻びる。喧嘩をしたり、自殺をしたり、騒動が起こるんだね。しかし君なんか、ただ面白くないと言うだけで自殺は無論しないし、喧嘩だってやったことはないだろう。まあまあいい方だよ」と主人が言った。
「ところが毎日喧嘩ばかりしているさ。相手が出て来なくても、怒っていれば喧嘩だろう」と哲学者が言う。
「なるほど、一人喧嘩だ。面白いや、いくらでもやるがいい」と主人が言った。
「それがいやになった」と哲学者が言う。
「君の前では、自分の心がそんなに自由になるものじゃない」と主人が言った。
「まあ、全体何がそんなに不平なんだい?」と哲学者が尋ねる。
主人はここで落雲館事件を始めとして、今戸焼の狸から、ぴん助、きしゃごそのほか、あらゆる不平を挙げて滔々と哲学者の前に述べ立てた。哲学者は黙って聞いていたが、ようやく口を開いて、こうして主人に説き始めた。
「ぴん助やきしゃごが何を言っても、知らん顔をしていればいいじゃないか。どうせくだらないことなんだから。中学生なんて、構う価値もない。妨害になるだけだ。談判しても喧嘩をしても、その妨害は解消しないんだから。僕はそういう点で、西洋人よりも昔の日本人の方がずっと立派だと思う。西洋人のやり方は、積極的に積極的にと最近流行っているけれど、あれには大きな欠点がある。第一に、積極的だと言っても際限がない話だ。いつまで積極的にやり通しても、満足や完全という境地には至れない。向こうに檜があるとする。あれが目障りだから取り払うと、今度はその向こうの下宿屋が邪魔になる。下宿屋を退去させると、次の家がまた気に障る。どこまで行っても際限のない話だ。西洋人のやり方はみんなこれだ。ナポレオンでもアレキサンダーでも、勝って満足した者はいない。人が気に入らないから喧嘩をする、相手が黙らないから法廷に訴える、法廷で勝つ、それで落ち着いたと思うのは間違いだ。心の安らぎは、死ぬまで焦っても得られるものではない。寡人政治がいけないから代議政体にする。代議政体がいけないから、また何かにしたくなる。川が生意気だから橋をかける、山が気に入らないから隧道を掘る。交通が面倒だから鉄道を敷く。それで永遠に満足できるものではない。だからと言って、人間はどこまで積極的に自分の意志を通せるものか。西洋の文明は積極的で進取的かもしれないが、結局は不満足で一生を過ごす人々が作った文明だ。日本の文明は、自分以外の状態を変化させて満足を求めるものではない。西洋と大きく異なる点は、根本的に周囲の境遇は動かすべきではないという大前提のもとに発展していることだ。親子の関係が面白くないからといって、ヨーロッパ人のようにその関係を改良しようとするのではない。親子の関係は従来のままで、動かすことができないものとして、その関係のもとで安心を求める手段を講じるのだ。夫婦や君臣の間柄も同様で、武士と町人の区別も同じだ。自然そのものを観るのも同じだ。――山があって隣国へ行けないとき、山を崩すという考えを起こす代わりに、隣国へ行かなくても困らない工夫をする。山を越えなくとも満足だという心持ちを育てるのだ。だから君、見てごらん。禅家でも儒家でも、必ず根本的にこの問題を捉えている。いくら自分が偉くても、世の中は決して自分の思い通りにはならない。落日を回らせることも、加茂川を逆に流すこともできない。ただできるのは自分の心だけだ。心さえ自由にする修行をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものだし、今戸焼の狸でも気にしなくて済むだろう。ぴん助が愚かなことを言ったら、この馬鹿野郎と無視していればいいのだ。昔の坊主は、人に斬り付けられたとき、電光影裏に春風を斬ると洒落たことを言ったという話もある。心の修行が進んで消極の極に達すると、こんな霊活な作用ができるのではないかと思う。僕はそんな難しいことは分からないが、とにかく西洋人風の積極主義だけが良いと思うのは少し誤りのようだ。実際、君がいくら積極的に働いても、生徒が君をからかいに来るのをどうすることもできないじゃないか。君の権力であの学校を閉鎖するか、あるいは相手が警察に訴えるような悪事をやれば別だが、そうでなければ、どんなに積極的に出ても勝てるわけがない。もし積極的に出るとすれば、金の問題になる。多勢に無勢の問題になる。言い換えれば、君が金持ちに頭を下げなければならないということになる。大勢に頼る子供に頭を下げなければならないということになる。君のような貧乏人が、たった一人で積極的に喧嘩をしようとするのが、そもそも君の不満の種だ。どうだ、分かったかい?」
主人は分かったとも、分からないとも言わずに聞いていた。珍客が帰った後、書斎に入って書物も読まずに何か考え込んでいた。
鈴木の藤さんは、金と人々に従うようにと主人に教えた。甘木先生は、催眠術で神経を沈めるようにと助言した。最後の珍客は、消極的な修養で安心を得るようにと説法した。主人がどれを選ぶかは、主人の自由である。ただ、このままでは通り抜けられないことは明らかだった。