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ドグラ・マグラ (46/47)

von 夢野久作

私はその目と口を再び机の上に突き伏せながら、じっと考えを巡らせた。ここに帰ってきた理由がどうしても思い出せなかったのだ。机の端に置き忘れた新しい角帽を見つめながら、その時の気持ちを思い出そうと努力したが、どういうわけかこの時に限って私の想像力は鈍っていた。何か非常に重要なものをこの部屋に忘れてきたような気もするが……そう思いながら、ゆっくりと頭を上げて周囲を見回すと、私の頭上には大きな白熱電球がまぶしく輝いていた。

入口の扉は半分開いたままだった。

しかし、大きな卓子の上にある書類は、誰が片付けたのか、元の通りにきちんと並べられていた。今朝、若林博士と一緒に入ってきたときの並び具合と、一分一厘の違いもなく、いじり散らした形跡は微塵も見当たらなかった。その横に座っている赤い達磨の灰落としも、今朝最初に見た時と同じ方向を向いて、永遠に欠伸を続けているようだった。

ただ、その中でもカンバス張りの厚紙に挟まった「狂人の暗黒時代」のチョンガレ歌や「胎児の夢」の論文などの書類だけは、よく見ると確かに誰かが最近手を触れた形跡があった。少し斜めに重なり合ったまま、投げ出されているようだった。しかし、もう一方の、今日の午前中に正木博士が私の目の前で塵を払ったに違いない青いメリンスの風呂敷包みの上には、やはり初めて見た時と同じように、灰色の細かい埃が一面に被さっていて、久しく人間の手が触れていないことを証明していた。そのほか、大卓子の上には、茶を飲んだ形跡も物を食べた痕跡もなかった。念のため、赤い達磨の灰落としを覗いてみると、中には葉巻の灰の一片すらなく、相変わらず大欠伸を続けながら、黄金色と黒の瞳で私をじっと見上げていた。

……不思議だ……今日の午前中の出来事の大部分は夢だったのだろうか……私は確かにあの風呂敷包みの内容を見たはずなのに……短い時間で、あんなに埃がたかるはずはないのだが……。

私はやおら立ち上がった。膝が気味悪くブラブラして脱け落ちそうになるのを、大卓子の縁に突いた両手で辛うじて支えながら、綿のような身体を無理矢理に引き立てた。ヒクヒクと震える指でメリンスの風呂敷包みを掴んで引き寄せると、後に四角い埃の跡がくっきりと残った。その結び目に落ち込んでいる埃の縞をもう一度よく見たが、どう考えても最近に人の手が触れた形跡はなかった。そして、その結び目を解くと、白い埃の縞は跡形もなく消えてしまった。

私は唖然となった。

目の前の空間を凝視しながら、今朝からの記憶をもう一度頭の中で繰り返してみた。しかし、この風呂敷の中のものを正木博士から見せられ、あの恐ろしい説明を聞いた記憶と、この結び目の白い埃は永遠に両立しない二つの事実であった。正確に矛盾した二つの出来事だった。

私は全身に伝わる悪感を奥歯で噛み締めながら、なおも震える両手の指で青い風呂敷包みを引き広げた。すると、その中から最初に見た通りの新聞紙包みと、若林博士の調査書類の原本がやはり最近見た通りの形にきちんと重なり合って出てきた。それだけでなく、メリンスの目から漏れ込んだ細かい埃は、調査書類の原本の表紙になっている黒いボール紙の上にも薄っすらと被さっていて、絵巻物の新聞包みを取り除けると、またも長方形の跡がくっきりと残った。

私は再び唖然となった。あまりの不思議さに狐に抓まれたようになり、自分が正気でいるかどうかを確かめるような気持ちで、まず絵巻物の新聞包みをそっと開いた。その新聞紙の折れ具合、箱の蓋の合い加減、巻物の巻き方、紐の止め方まで細かく調べてみたが、どう見ても非常に几帳面な人間の手でしまい込まれていたようで、どこもかしこもきちんとしていて、二重に折れ曲がったところや、折り目の歪んだところは一つもなかった。巻物を繰り広げて見ると、防虫剤らしい強い香気を放つ白い粉が、さらさらと光って机の上に散り落ちた。次に開いた調査書類も同様で、防虫剤こそ施されていなかったが、ページをめくるうちに埃臭い香が薄っすらと鼻に迫ってきた。いずれにしても最近に人の手が触れていなかったことは確かだった。

私はそれから念のために、フールスカップを綴じ合わせた正木博士の遺言書を開いてみた。そうして最後の二、三ページを繰り返して見たが、今朝まではインクが乾いて間もない青々としたペンの痕跡に見えたのが、今はすっかり真黒くなり、行と行の間には黄色い黴さえ付いているようだった。どう見ても二日や三日前に書いたものとは思えなかった。

私は不思議から不思議へと引き込まれつつ、最初に正木博士がした通りにその調査書類を風呂敷の外へ抱え出してみた。すると意外にもその下に、一枚の古ぼけた新聞の号外が敷かれているのを発見した。これは最初、正木博士がこの風呂敷を開いた時には確かに存在していなかったものであった。

私はキョロキョロと周囲を見回した。

この部屋の中のどこかに、目に見えない奇術師がいて、手品を使っているとしか思えなかった。それとも私の精神がまた変調を起こして、何かの幻覚に陥っているのではないかと考え、恐る恐るその号外を手に取ってみた。八つに折られた新聞紙一枚の右肩に、途方もない大きな活字で印刷された標題を読むと、思わず「アッ」と叫び声を上げてしまった。背後の回転椅子に引っかかってよろめき倒れそうになった。

それは大正十五年の十月二十日……正面の壁のカレンダーが示す斎藤博士の命日の翌日……正木博士が自殺したと若林博士が言ったその日に、福岡市の西海新聞から発行されたもので、ページの左肩には鼻眼鏡を光らせ、義歯をクワッと剥き出しにした正木博士の笑い顔が、五寸四方位の大きさに目の粗い写真版で刷り出されていた。

「九大精神病学教授 正木博士投身自殺す。同時に狂人の解放治療場内に勃発せし稀有の惨殺事件曝露す」

今、二十日午後五時頃、九州帝国大学の精神病学教授、医学博士の正木敬之氏が溺死体として発見された。場所は同大学医学部の裏手、馬出浜の水族館近くの海岸であった。この発見により、大学内は混乱の渦に巻き込まれていた。

その混乱の影には、昨十九日正午頃に起きた衝撃的な事件があった。同教授が独自に設立した「狂人の解放治療場」で、狂った少年が狂った少女を惨殺し、さらに場内にいた数名の患者に重傷を負わせるという凄惨な出来事が発生したのだ。大学当局や司法関係者は、この事件に狼狽し、現在も極秘裏に厳重な調査を進めている。

事件が起きたのは、十九日火曜日の正午頃だった。正木博士は教授室で昼寝をしており、治療場内には十名の患者がそれぞれの狂態を演じていた。そんな中、足立儀作という患者が、昼食の合図を聞いて鍬を投げ捨てて病室に去った。その瞬間、彼を狙っていた狂った少年、呉一郎が鍬を拾い上げ、狂った少女、浅田シノの後頭部を激しく打ち据えた。シノは声も出せずに息絶えた。

その時、治療場の監視人で柔道四段の甘粕藤太氏が急いで駆けつけたが、すでに手遅れだった。政治狂と敬神狂の二人の患者がシノを救おうと呉一郎に迫ったが、彼らも鍬の刃にかかり、血を流して倒れた。甘粕氏は急いで呉一郎の背後から組み付こうとしたが、彼の抵抗は予想以上に強く、甘粕氏は必死に耐えた。呉一郎が狂った少女の作った落とし穴に足を踏み入れた拍子に、甘粕氏はその隙を突いて倒れ、意識を失ってしまった。

その間に、呉一郎は血に染まった鍬を手に、場内を見回しながら「俺の事業を邪魔するかッ」と叫んだ。誰も彼に近づけず、場内は恐怖に包まれた。呉一郎は次に、舞踏狂の少女を畑の隅に追い詰め、眉間を打ち砕いた。そして、女王の姿に扮した年増の狂女に近づくと、彼女が「無礼者。私を知らぬか」と一睨みした。呉一郎は驚き、鍬を持ったまま立ち尽くしたが、「ああ、貴女は楊貴妃様」と叫び、砂の上に跪いた。

その時、辛うじて意識を取り戻した甘粕氏は、逃げ惑う狂人たちを外に出し、再び気を失った。呉一郎は浅田シノの死体を片手に抱え、女王姿の狂女に一礼しながら、流血の場内を出て、自分の病室、七号室に戻っていった。周囲の人々はただ手を束ね、震えながらその様子を見守るしかなかった。

その後、正木博士が急報を受けて駆けつけた。彼は冷静に医員を指揮し、呉一郎からシノの死体と鍬を奪い取り、彼に狂人制御用のシャツを着せ、足枷を加えて七号室に監禁した。被害者たちには応急処置を施したが、二名の男子患者は生死の境をさまよい、二名の少女は頭蓋骨を粉砕されていた。

その後、正木博士は七号室に戻り、監禁した呉一郎の様子を見に行ったところ、彼が病室の壁に頭を打ち付けて絶命しているのを発見した。再び騒ぎが起こり、処置が終わった後、正木博士は教室を出たが、午後二時半頃、医員の山田が「呉一郎は回復の見込みあり」と報告しようとした時には、すでに正木博士の姿はどこにも見当たらなかった。

その間、正木博士は大学本部に赴き、松原総長と声高に議論を交わしていた。その内容は不明だが、「狂人の解放治療の実験は今回の出来事により予想通りの大成功に終わりました」と繰り返し、治療場の閉鎖を命じたことを伝えた。彼は「私の辞表は明日提出します。後のことは若林学部長に委託してあります」と言い残し、笑いながら扉を開けて立ち去った。その様子を見ていた事務員たちは、正木博士の発狂を疑い、顔を見合わせて震え上がった。

正木博士は、総長室を出た後、無責任にも重傷を負った患者たちを医師たちに任せたまま帰路についたようだ。途中でどこかで飲酒し、泥酔してしまったらしく、その日の夕方、福岡市の湊町にある下宿に帰ると、雷のような鼾を立てて熟睡していた。しばらくして、夜の九時頃になると「飯を食いに行ってくる」と言って、ふわりと下宿を出て行方をくらましたという。しかし、噂によれば、ひそかに九州大学精神病科の自室に戻り、徹夜で書類を整理していたとも言われている。

その日の午後五時頃、大学の裏の海岸を通りかかった二人の男が、奇妙な溺死体を発見した。彼らはすぐに箱崎署に通報し、万田部長と光川巡査が現場に出向いて調査を行った。その結果、懐中の名刺から正木博士であることが判明し、大騒ぎとなった。福岡地方裁判所から熱海判事、松岡書記、福岡警察署から津川警部、長谷川警察医、そして大学側からは若林学部長をはじめとする教授たちが現場に駆けつけた。検案の結果、博士は海岸の水族館裏手の石垣の上に帽子と葉巻の吸い殻を置き、診察服を着たまま、狂人用の鉄製の手枷と足枷で縛られ、満潮に身を投じたようで、死後約三時間が経過していたため、救急処置も施せなかった。

この件については、若林学部長をはじめとする関係者たちが口を閉ざし、一言も漏らさず、前述の大惨事と共に極力秘密にしようとしたようだが、本社の機敏な調査によって真相が明らかになった。正木博士の自殺の原因については遺書なども見当たらず、下宿の書庫や机の上も普段通りに整頓されていて、何の異常も認められなかったという。また、飲酒して下宿に帰り、散歩と称して外出して帰らないことも、以前から月に一、二回あったため、下宿の者たちも特に怪しむことはなかった。

この奇怪な謎について、解放治療場の監視人であった甘粕藤太氏は、負傷した胸部に包帯を巻いたまま、自宅でこう語った。「全く不意の出来事で、こんなことなら初めからあのような役目を引き受けなければよかったと後悔しています。しかし、責任はもちろん私にあるでしょうし、特に狂人の解放治療場は昨日限り閉鎖されているそうですから、まず正木先生に辞表を出してお詫び申し上げます。あれが気違いの力というものでしょうか、意外な強さで力を入れ切っているところに不意に肩をすかされて、思わぬ不覚を取りました。二度も気絶してしまい、面目次第もありません。しかし、二度目の気絶からすぐに目が覚めましたので、私は三名の医師と共に七号病室に駆けつけ、一郎を取り押さえようとしましたが、血に狂った一郎は手にしていた鍬を振り回し、「見に来てはいけない、見に来てはいけない」と叫ぶので、非常に危険で近寄れませんでした。そこへ正木先生が駆けつけると、呉一郎は急に静まり、嬉しそうに一礼しながら、血にまみれた少女シノの半裸の遺体を指さして「お父さん、この間あの石切場で貸してくれた絵巻物を、もう一度貸してくれませんか。こんないいモデルが見つかりましたから……」と奇妙なことを言いました。これを聞いた正木先生は、非常に興奮した様子で、今思い出しても恐ろしいほど青ざめた顔で私たちを見回しましたが、「何を馬鹿なことを言っているのか!」と大声で叱りつけ、一人で呉一郎に組み付いて取り押さえました。その後しばらくは顔色が悪かったようですが、呉一郎が壁に頭を打ち付けて絶命した後は、気力を取り戻したらしく、大事件の最中にもかかわらず、すぐに指示を出していました。(記者が一郎の蘇生を告げると)「本当ですか。それは本当ですか。私が見たときは顔中血だらけでしたし、正木先生も急激な脳震盪で呼吸も止まっていると言っていましたから、助からないと思っていましたが、やはり手足が不自由なまま壁に頭を打ち付けたので、そう強くなかったのでしょう。」(次に正木博士の自殺を告げ、死因について尋ねると、甘粕氏は愕然とし、顔色が青ざめて涙を流しながら言った)「それは本当ですか。本当なら、私はこうしていることはできません。正木先生には大恩があります。私が数年前、アメリカで流浪していたとき、市俄古近くで肺炎にかかり、誰も助けてくれなかったとき、正木先生に拾われて入院させていただきました。その時、正木先生は『この恩を返したければ福岡に住んで、俺が帰るのを待っていろ』と言って、たくさんの旅費までいただきましたので、帰国してすぐに英和学院の柔道師範として働いていましたが、正木先生が大学に来られるとすぐに辞職して、治療場の監視を引き受けたのです。正木先生は何でも楽観的に考える方で、私も尊敬していましたが、人格の高い方でしたから、責任感も強かったのでしょう。」

その後、姪の浜で大火が発生した。午後六時頃、福岡県早良郡姪の浜の呉ヤヨ方の母屋奥座敷から火が出た。人々が驚いて駆けつける間もなく、晴天と強風に煽られて火勢は瞬く間に猛烈となり、数棟の借家を含む同家は一団の大火焰に包まれた。程近くの如月寺本堂裏手にも火が飛び、延焼が続いていたが、遠くの市中の消防は間に合わず、近隣の消防だけでは手に余る様子だった。そして、放火者と認められた呉ヤヨ(前記の呉一郎の伯母、四十歳)は、寺院本堂の猛火に飛び込み、衆人環視の中で無残にも焼死してしまった。彼女は今春、ただ一人の娘を失った際から精神に異常をきたしており、この日、最愛の甥一郎が変死したという噂を耳にしたため、さらに錯乱し、こうした事態に至ったのだろう。

――――――――――――――――――――

この号外から顔を上げた私は、頭を押さえつけられたようになり、周囲をおどおどと見回した。

間もなく、私の鼻先に広げられた青い風呂敷の真ん中に、今まで号外の下に隠れていた一枚のカードのようなものが見つかった。「ああ、まだこんなものが残っていたのか」と思い、立ち上がって覗き込むと、それは一枚の官製端書の裏面で、見覚えのある右肩上がりのペン字が五六行ほど書かれていた。

「面目無い

S先生と酒を飲んだのも僕だ

生まれ変わってやり直す

忰と嫁の将来を頼む

二十日午後一時 Mより

W兄 足下」

私の手から号外が力なくヒラヒラと滑り落ちた。その瞬間、室全体が私の身体と共に、まるで地の底へ沈んでいくように感じた。

私はよろよろと立ち上がり、無意識に南側の窓に近づいた。向こうの屋根から突き出た二本の大煙突の上に、満月がギラギラと冴え返っている。その下に照らし出された狂人の解放治療場は静まり返り、人影もなく、今朝までは一面の白砂の平地に見えていたのが、今はところどころに高く低く、枯れ草を生やした空地となっていた。その真ん中には、いつの間にか葉をすべて落とした五六本の桐の木が、星の光を仰ぎつつ妙な枝ぶりを揺らしている。

「……不思議だ……」と独り言を漏らし、頭に手をやると、またも不思議なことに、今朝から感じていた奇怪な頭の痛みは、どこを探しても撫で回しても見当たらない。まるで拭い去ったかのように消えていた。

私はその痛みの行方を探るかのように、片手で頭を押さえたまま、黄色い光線と黒い陰影の沈黙を作っている部屋の中を見回した。そして再び、白金色に冴え返る窓の外の月光を見た。

その時だった。

すべての真相が、氷のように透き通って、私の目の前に立ち並んで見えてきたのは……。

……不思議ではない。

……全く不思議ではない。

……私は今朝から二重の幻覚に陥っていたのだ。正木博士の言うところの離魂病にかかっていたのだ。

……私は一ヶ月前の十月二十日にも、やはり今日とそっくりの夢遊をしていたに違いない。

その一ヶ月前の十月二十日の早朝、まだ真暗いうちに、私は彼の七号室のたたきの上で、今朝と同じ姿で寝ていて、今朝と同じ状態で目を覚ました。自分の名前を探すためにウロウロしていたのだ。

それから……若林博士に会い、私の過去の記憶を回復すべく、今朝と同じ実験をいろいろと受けた末に、この部屋に連れ込まれ、やはり今朝と同じ順序で、いろんな物を見たり聞いたりしたのだった。

遺言書を読み終えた私は、その後すぐに、その遺言書を書いた本人の正木博士に会い、今日の通りに肝を潰された。そして正木博士の案内で、南側の窓の外を覗くと、前日限りに閉鎖されたままの解放治療場の光景が広がっていた。同時に、私は自分の過去の記憶の中でも、一番最近の記憶に支配された夢中遊行に陥り、前日のちょうどその時刻に、そこで爺さんの畠打ちを見物している自分の姿を窓の外に幻覚した。そして、その瞬間に、前の晩に頭を壁に打ち付けた際にできた頭の痛みを、無意識に手に触れて飛び上がったのだった。

その時、正木博士は、今日と同じように離魂病の説明をしてくれたが、その説明はやはり真実だった。

とはいえ……その時、あまりにも深い幻覚に囚われていたために、それを信じることができなかった私は、正木博士と対座してあの通りの議論をした末に、正木博士をメチャクチャにやっつけてしまった。とうとう本当に自殺の決心をさせてしまったのだ。

しかし、私はそんなことには気づかず、この部屋に居残り、この絵巻物の一番最後に書いてある千世子の和歌を発見した。そして今日の通りに驚いて外に飛び出し、福岡の町々を歩き回っているうちに、この部屋に広げたままにしてきた絵巻物のことを思い出し、またも今日の通りに無我夢中で飛んで帰ったのだった。もしかすると正木博士は、後で再びこの部屋に戻ってきて、広げたままの絵巻物の最後に書いてある千世子の和歌を発見したのかもしれない。そうして、そこでいよいよ覚悟を決めたのかもしれないが……。