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ドグラ・マグラ (24/47)

von 夢野久作

「アハハハハハ、痛快だね、痛快だ。そう来なくちゃ面白くない。君の腕試しにはぴったりの事件らしいじゃないか。」

「いや、どうも……腕試しどころではありませんので……実は私もこの事件を、以前からの指導を受けて研究していた精神科学的犯罪の好材料だと思いまして、一つの事を三つも四つも各方面から調査し、すっかり書類にまとめておいたのですが……この風呂敷包みの中にそれが入っています。」

「……うわっ……おそろしいほどの量じゃないか、それ。事件が始まってから、まだ一週間しか経っていないのに、よくそれだけの書類が……」

「いや、この中には二年前の事件に関する調査書類も含まれていますので……また、今回の事件についても、いつ私が重態に陥っても差し支えないように、調べる片端から不眠不休でノートにしてきました。そのおかげで持病の喘息が急に悪化し、私の余命が一層頼りなくなったような気がします。」

「う――む。そういえば最近急に影が薄くなったようだ。気をつけなくちゃいけないぜ。木乃伊取が木乃伊式に、自分自身が精神科学の幽霊になったんじゃ、どうしようもないからね。アハハハハ、いや、御苦労様……ところで、その包の上に突っ張り返っている四角い箱は何だい、それは……」

「はい。これが今回の心理遺伝事件の暗示に使われた一巻の絵巻物で、箱は私が指物屋に作らせたものです。……その呉一郎という青年は、誰かにこの絵巻物を見せられた結果、精神異常を来したのではないかと考えられますが、今も申し上げた通り、当局者と私の見解が全く違ってしまい、呉一郎の精神異常は自然発病か、もしくは精神病者を装っていると認められています。そのため、この絵巻物を当局者に参考材料として見せても、頭から一笑に付されてしまうのです。しかし、一方で言えば、そのおかげで、こうした貴重な参考材料が都合よくこちらの手に入ったわけです。」

「アハハハハ。そいつはよかったね。君がその風采で、警察や裁判所の奴らの前にそんな巻物を持ち出して、これが恐れ多くも正木博士独特の研究にかかる前代未聞の新学理、心理遺伝の暗示材料だ……なんて言い出したら、大抵面食らっただろう。よく香具師と間違えられなかったね、アハハハハハハ。」

「ハハハハハ。いや、実は例の隠蔽にならないように形式だけ見せたのですが、実はこちらの物にしたくてたまりませんでしたので……」

「如何にも……そこに抜かりはない男だからね……」

「いや……どうも……」

「……ところで、今日の用事というのは、その書類と事件を私に押し付けに来たのかい?」

「はい。それもありますが、もう一つ……現在、花嫁殺しの犯人と目されて、福岡土手町の未決監に入れられている少年呉一郎の精神鑑定をお願いしたいのです。」

「うん。あの少年かい。あの少年の精神状態なら、新聞記事だけで大体様子はわかっているよ。いわゆる発作後の健忘状態という奴だ。つまり、その絵巻物の暗示か何かで精神異常を来した結果、ある夢中遊行を起こして、花嫁を殺してしまった奴が、無理に取り押さえられて夢中遊行を中断させられたために大暴れした。そして、そんな興奮から来た神経細胞の極度の疲労のために、発作以前のあらゆる過去の記憶が打ち消されてしまった。つまり『逆行性健忘症』に陥った……というくらいのことは、新聞記事を読んだだけでちゃんと見当がついている。そこらによくある奴で、何も別に私を呼び出さなくても君が説明してやれば、それで十分だと思うがね。」

「はい。それがその……今度の事件では私の信用が覆されてしまい、私の鑑定だけでは当てにならなくなりましたために、裁判所の方でも困っているようで……どうやら呉一郎少年は殺人狂ではないか……などと言っているようです。」

「ふむ。それは怪しからんね。素人とはいえ、司法官のくせに無知にも程がある。第一、殺人狂なんていう精神病がこの世に存在すると思っているからして人を馬鹿にしているじゃないか。人を殺したからといって、すぐに殺人狂だなんていうのは、故殺と謀殺を一緒にするよりもひどい間違いだぜ。」

「それはそうで……」

「そうだとも……君はすでに気づいているだろうが、精神病鑑定の参考材料として、その発病前後の言動がいかに有力なものであるかということは、ちょうど犯罪検挙における嫌疑者の犯行前後の言動と同様だということを、今の学者は一人も知らないから困るのだ。精神病者というものは、いくらキチガイだからといって、決して無茶苦茶な乱暴をするものではない。その発病のきっかけとなった刺激、心理遺伝の内容、精神異常状態の深さなどによって、きちんとした筋道を立てて、いろんな脱線をしていくもので、その間に些細な誤魔化しもないから、普通の人の犯罪の跡よりもずっと合理的で順序が立っている。特に人を殺したとなると、その凶行の前後の様子は、普通の犯罪以上に有力な参考として見なければならない。」

「ご尤もで……初めて伺いました。」

「この理屈を知らないからこそ、人を殺すと、いきなり『殺人狂』なんて名前をつけるんだ。二人も殺せば、なおさら間違いないことになる。……確かに、人を殺したという結果から考えれば、殺人狂と呼べるかもしれない。しかし、その殺人狂が寒暖計の代わりに人間の頭を叩き割ったとしたらどうだろう。ハハハハハハ。それでも殺人狂と名づける学者がいたら、ぜひお目にかかりたいものだ。……精神病者から見ると、自分以外の存在は、人間でも動物でも風景でも、天地万象のすべてが影法師か、動く絵のようにしか見えないことがある。たとえば、赤い絵具が欲しいという欲望が湧けば、その精神病者は他人の頭を叩き割るのも、赤いアルコール入りの寒暖計を壊すのも同じことだと理解しているのだから。その真の目的が、赤い液体を手に入れて赤い花の絵を描きたいというものであれば、決して『殺人狂』なんて名前はつけられないだろう。だから私の目から見ると、この少年の凶行も、目的は他にあると思う。言い換えれば、この少年を支配している心理遺伝の内容次第だ。」

「おっしゃる通りで……実は私も、そんなことではないかと思いましたので、これは全然私の専門ではない、先生の領分だと思いまして、こうして参考用に関係書類を全部持参いたしました。しかし、もう一つ……この事件に関する疑問の最後の一点だけが、当然私の担当になっておりますので、その点について特にご援助を仰ぎたくて、今日お伺いした次第です。」

「ふむ。話が恐ろしく緊張してきたね。その最後の一点とは何だい?」

「はい……それは、この絵巻物を使って呉一郎に暗示を与えた人間……」

「なるほどね。そんな人間がもし存在するなら、そいつはとても素晴らしい新式の犯罪者だ。確かに君の担当だね。そいつを探り出すのは……」

「そうなんです……けれども、この一点が今のところではまったくわからないために、事件全体が神秘の雲に奥深く包まれた形になっておりますので……」

「それはそうだろう。心理遺伝に支配された事件は大抵神秘の雲に包まれて、わからずじまいになるのが昔からの例になっているからね。新聞に出た事件だけでも、どれほどあるかわからない。」

「しかし……私が考えるに、今回の事件に限っては、その神秘の雲を破る可能性があるように思います。それは、最後の疑問の一点というのは、必ずその少年の記憶の底に……」

「やっ……わかったわかった。つまり、その少年の精神状態を回復させれば、その絵巻物を見せてくれた人の顔や姿を思い出すだろう……だから、その記憶を探し出す目的で、とりあえず精神鑑定をやってくれということだろう。」

「その通りです……まことに恐れ入りますが、こればかりはどうしても私の力には及びませんので……」

「いや、わかったわかった。さすがは一代の名法医学者だ。よいところにお気づきになりました……ハハハハ。引き受けた。確かに引き受けた。」

「どうも……まことに……」

「うんうん。心得た心得た。万事心得た。もうこの事件をすっかり頭から取り去って、悠々自適にビタミンを摂取したまえ……いや、ビタミンといえば、どうだい、今から吉塚へ鰻を食べに行かないか。久しぶりに一杯……といっても、飲むのは私だけだが……まあいいや。この事件に対する君の慰労の意味で……」

「はい、それはどうも……しかし、その少年の精神鑑定にはいつ頃ご出張願えますか。私から裁判所へ通告しておきますが……」

「うん。それはいつでもいいよ。何も面倒なことじゃない。その少年の顔をたった一目見ただけで、これは殺人狂でも偽狂でもないとわかる。しかし、なお細かい鑑定のために入院させる必要があるというので、この精神科へ連れてくる手筈が、今からちゃんと決まっているから、他愛ないね。若林博士の評判が地に落ちるに反して、正木の名声は隆々たるものだ……ハハハハハハ。」

「恐れ入ります……ではこの書類はどういたしましょうか。」

「……ああ、それは私が預かるんだっけね。さて、どうしようか……うん、いいことがある。こちらへ寄こし給え……このストーブの中に投げ込んで、こうして蓋をしておこう。今年の冬までは火を焚く気遣いはないからね。お釈迦様でも気が付くまい……と来やがった……」

「はあ……それは何の声色ですか?」

「声色じゃない。謡曲『勧進帳』の一節だ。法医学者の癖に何も知らないんだな、君は。アハ……」

オーヤオーヤ……ナアーンのコッタイ……。天然色の活弁映画が、とうとう会話ばかりになってしまった。これじゃ、下手なラジオや蓄音機と同じだ。活弁をやってみると、なかなか楽じゃないね。一つ一つ「御座います」と付け加えるだけでも大変な手間だ。つい面倒になって「御座います」を抜こうとすると、こんなことになるんだが……。おかげで少し疲れたから、今度は「御座います」抜きの「説明要らず」という映画をお見せしよう。いや、「説明要らず」どころではない。「スクリーン要らず」「映写機要らず」「フィルム要らず」の……要するに「何も彼も要らずの映画」と言っても差し支えない。とてもドイツ製の無字幕映画なんていう時代遅れなものが追いつく話ではない……。

さて、これはどんなものかというと、実は何でもない。今の若林君が、私に渡してくれた調査書を、私が空のストーブの中に放り込んでおいたのを、後から読んで要点だけを抜き書きし、自分の意見を書き加えたものを、一枚ずつ順番に映画としてお見せするのだ……と言うと、また大変な手間がかかるように聞こえるが、実際はただその抜粋の原本を、この遺言書のここに挿入しておくだけの手間で……エヘン……皆さんもそれを読むだけで訳がわかるという……私の最近の発明にかかるトリック映画だ。今にこの形式の映画が大流行すると思うから、もしよければ特許をお譲りしてもいい。賛成の方がいらっしゃったら……はい、ただ今……少々お待ちください。

実はこの抜粋記録は、私の「心理遺伝論」の中に挿入しようと思っていたものだが、そんな論文の原稿はすっかり焼き捨ててしまった。しかし特にこの一部だけは残しておいた。皆さんは今まで私が説明した通り、現在の名探偵であり、精神科学者でもあるわけだから、その力でこの記録を読んでいけば、徹底的にこの事件の真相を見抜いて、驚くほどのことは何の苦もないと思う。

……この事件は、どのような心理遺伝の爆発によって生じたのか? その心理遺伝を故意に爆発させた者がいるのか、いないのか。また、いるとすればどこにいるのか。そして、この事件に対する若林と私の態度は、事件の解決に対してどのような暗示を投げかけているのか……というようにね。しかし、よほど気を引き締めてかからないとダメだよ……なんて脅かしておいて、その間に私は悠々とスコッチを呷り、ハバナを燻そうという寸法だ……ハハン……。

◆心理遺伝論附録◆…………各種実例

その一 呉一郎の発作顛末

――W氏の手記による――

第一回の発作

◆第一参考 呉一郎の談話

▼聴取日時 大正十三年四月二日午後零時半頃。同人の母であり、左記女塾の主人である被害者千世子(三十六歳)の初七日仏事終了後――

▼聴取場所 福岡県鞍手郡直方町日吉町二〇番地ノ二、つくし女塾の二階八畳、呉一郎の自習室兼寝室にて――

▼同席者 呉一郎(十八歳)被害者千世子の実子、伯母八代子(三十七歳)福岡県早良郡姪の浜町一五八六番地居住、農業――私(W氏)――以上三人――

――ありがとうございました。先生があの時「どんな夢を見ていた?」と尋ねてくださるまでは、どうしてもあの夢のことを思い出せなかったのです。先生(W氏)のおかげで、私は親殺しにならずに済みました。

――母を殺したのが僕でないことが皆さんにわかれば、もうそれで十分です。何も言うことはありません。しかし、その犯人をお探しになる参考になるなら、何でも尋ねてください。ずっと昔のことは母が話さずに亡くなったので、僕が大きくなってからのことしか知らないのですが、お話して悪いことは一つもないと思います。

――僕は明治四十年の末に、東京の近くの駒沢村で生まれたそうです。父のことは何も知りません。(注に曰く……呉一郎の生まれた場所は事実と相違する疑いあり。しかし、研究上は別に差し支えないのでここには訂正せず。)

――母は生まれた時からこの伯母と二人で姪の浜に住んでいたそうですが、十七の時に、絵と刺繍を勉強すると言ってこの伯母の家を出たそうで、その後、僕の父を探しながら東京へ行き、あちこちを探している中で僕が生まれたのだそうです。「男ってものは、偉ければ偉いほど嘘を吐く」と母はよく言っていましたが、大方、父のことを恨んでそう言ったのでしょう(赤面)。でも父のことを尋ねると母はすぐに泣きそうな顔になるので、大きくなってからはあまり尋ねませんでした。

――しかし、母が一生懸命に父の行方を探していることは、僕にもよくわかりました。僕が四つか五つの時だったと思いますが、母と一緒に東京のどこかの大きな駅から汽車に乗って長いこと行くと、今度は馬車に乗って、田んぼの中や山の間の広い道を、どこまでもどこまでも行ったことがありました。一度眠ってから目を覚ましたら、まだ馬車に乗っていたことを記憶しています。そして夕方、真っ暗になってからある町の宿屋に着きました。それから母は僕を背負って、毎日毎日いろんな家を訪ねていたようですが、どっちを向いても山ばかりだったので、毎日帰ろう帰ろうと言って泣いては叱られていたようです。それからまた馬車と汽車に乗って東京へ帰りまして、山の中で馬車屋が吹いていたのと同じ音のするラッパを買ってもらったことを記憶しています。

それからしばらく経って、私は母が父の故郷を訪れたことに気づきました。「あの時、汽車に乗った停車場はどこだったの?」と尋ねると、母は涙を流しながら言いました。「そんなことを聞いても何にもならないよ。お母さんはあの時までに三度もあそこへ行ったけれど、今ではすっかり諦めているから、お前も諦めておしまい。お前が大学を卒業するまで、お母さんが無事に生きていたら、お父さんのことを全部話してあげるから」と。それ以来、私はそのことを尋ねることはありませんでした。あの時に見た山の形や町の様子もぼんやりとしてしまい、ただガタ馬車の喇叭の音だけが耳に残っているのです。

その後、いろんな地図を買ってきて、あの時に乗った汽車や馬車の走った時間を計ったりして調べてみると、どうしても千葉県か栃木県の山の中に違いないと思うのです。エエ、線路の近くには海は見えなかったような気がしますが、汽車の窓の反対側ばかり見ていたのかもしれません。本当のことはわかりません。

東京では、いろんな場所に住んでいたようです。私が覚えているだけでも、駒沢や金杉、小梅、三本木と引っ越していき、最後に麻布の笄町からここへ来ました。いつも二階や土蔵の中、離れのようなところを二人で間借りして、母はさまざまな刺繍や細工物を作っていました。それがいくつかできると、私を背負って日本橋伝馬町の近江屋というお店に持って行きました。すると、そのお店の綺麗に化粧をしたお神さんが、きっと私にお菓子をくれました。今でもそのお店とお神さんの顔を覚えています。

母がその時に作っていた細工物の種類は、はっきりとは覚えていませんが、神様の垂れ幕や半襟、袱紗、着物の裾模様、羽織の縫紋など、いろんなものがあったように思います。どのように縫っていたのか、どれくらいの値段で売れていたのかは、当時はまだ小さかったのでわかりませんでしたが、一つだけ今でもはっきり記憶しているのは、東京から直方へ来るときに、母が近江屋のお神さんに送った小さな袱紗の模様です。それは薄い薄い、向こうが透けて見えるような絹の一面に、いろんな色と形の菊の花が刺繍されていて、とても美しいものでした。毎日指の先ほどしか進まなかったのですが、それが出来上がったのを持って行くと、お神さんは驚いて大きな声で家中の人を呼びました。みんな目を丸くして感心しながら見ていました。後から聞いたのですが、それは本物の「縫い潰し」といって、今の人は誰も作り方を知らない昔の刺繍だったそうです。その後、お神さんのご主人が母にお金を渡そうとしましたが、母はお辞儀をして返し、お菓子だけをもらって帰りました。母とお神さんがいつまでも門口に立って泣いているので、私は困ってしまいました。

東京から直方へ来た理由は、母が卜筮を立てたからだそうです。「狸穴の先生はよく当たる」と言っていたので、大方その先生が言ったのでしょう。「お前たち親子は東京にいるといつまでも不運だ。きっと何かに呪われているから、その厄を落とすためには故郷へ帰った方がいい。今年の旅立ちは西の方がいいと、この通り易の表に出ている。お前は三碧木星で、菅原道真や市川左団次と同じ星廻りだから、三十四から四十までの間が一番災難の多い大切な時だ。尋ね人は七赤金星で、三碧木星とは相剋だから早く諦めないと大変なことになる。双方の所持品同志でも近くに置くとお互いに傷つけ合うくらいで、相剋の中でも一番恐ろしい相剋なのだから、忘れても相手の遺品を傍近くに置いてはいけない。そうして四十を越せば平運になり、四十五を越えれば人並外れた良い運が開けてくる」と言ったそうです。それで私が八歳の時に、こちらへ来たのだそうですが、「本当にその通りだ。私は天神様や何かと同じ星廻りだから、文学や芸術が好きなのだろう」と母は何度も塾生に話して笑っていましたので、私はその言葉をすっかり覚えてしまいました。しかし、七赤金星の話は私だけにしか話さなかったようで、誰にも話してはいけないと口止めされていたのです。

母は直方に来ると間もなく、この家を借りて塾を開きました。生徒はいつも二十人くらいで、夜と昼の二組に分けて下の表の八畳で教えていました。母は大変良いお嬢さん方が見えると喜んでいましたが、気が短いのでよく生徒を叱りました。また、無頼漢や不良少年のような者が生徒をからかいに来たり、母を脅迫してお金を強請ったりすることもありましたが、そんな時も母は一人で叱りつけて追い払いました。ですから、この家の中に入ってきた男性は家主のお爺さんと、中学時代の私の担任の鴨打先生、電灯工夫くらいしかいませんでした。それ以外には、母に手紙が来たこともなければ、こちらから出したこともありませんでした。あんなに懇意だった近江屋のお神さんにも便りをしなかったようで、何でもかんでも自分の居所を人に知られるのを怖がっていたようです。その理由は何か、母も私には話しませんでしたが、大方狸穴の占者の言ったことを真剣に信じすぎて、誰かが自分を狙っているように思ったのではないかと思います。母は迷信深い人ではありませんでしたが、狸穴の先生だけは真剣に信じていたようです。

僕は正直に言うと、直方が好きではありませんでした。東京からこちらに来る途中、体調が悪かったせいか、汽車にひどく酔ってしまい、あの石炭の煙の匂いが大嫌いになってしまったのです。こちらに着いてみると、周りは炭坑だらけで、朝から晩までその臭いが漂っているので、ますます嫌になりました。それでも、母が「ここはいいところだ」と喜んでいたので、仕方なく我慢していました。そうしているうちに、次第に慣れてしまい、汽車にも酔わなくなりましたが、空気の悪さと石炭の臭いだけは心底嫌でした。

学校に入ると、生徒たちの言葉がさまざまで、乱暴でわからないことが多くて困りました。日本中から集まった子どもたちがいるのですから、当然といえば当然です。

それに、僕は小さい頃からいろいろな場所に引っ越していたせいで、友達が少なかったのです。こちらに来ても、学校の友達はあまりできませんでしたが、中学四年生のとき、福岡の六本松の高等学校に入ることになりました。そこは空気がとてもきれいで、見晴らしも素晴らしくて、嬉しくてたまらなかったのです。

実は、そんなに早く試験を受けたのも、直方が嫌だったからですが、本当のところを言うと、早く大学を卒業したかったのです。そして、母と約束していた父の話をできるだけ早く聞きたいという気持ちが抑えきれなかったのです……母にはそんなことは言いませんでしたが……中学に入るときも同じような気持ちでした。特に理由はなかったのですが……そして、やっと文科の二年になったばかりの頃でした(赤面、暗涙)。