ドグラ・マグラ (21/47)
von 夢野久作
呉一郎は、明治四十年の十一月二十日に生まれた。大正十五年の十月十九日、彼は九州帝国大学の精神病科教室附属の狂人解放治療場で撮影された。この事件の主人公である彼は、十名の精神病患者の中でも特に目を引く美少年だった。彼の顔を大写しにした理由は、彼の骨相がこの事件の根本に関わる心理遺伝と深く結びついているからだ。
骨相学は、まだ純粋な科学とは言えないが、実際に一致する部分もあることが分かっている。正木先生は、新しい精神病患者の顔を見るたびに、その骨相を詳細に研究し、彼らの血液にどのような人種の特徴が混ざっているかを調査している。人間の心理遺伝は、先祖たちの特徴を反映し、古代の人種の心理的特徴も表す。日本人の骨相や性格には、蒙古、インド、マレー、ユダヤ、ラディン、アイヌ、スラブなどの民族の影響が絡み合っている。
正木先生の診断メモによると、呉一郎の骨相にはいくつかの特徴が見られる。まず、彼の血色は日本人としては白すぎる。頬にほんのりとした赤みがあるのは、まだ童貞である証拠だ。彼の肌の下には、明らかに白皙人種の血が流れていることが推測される。これは、何千年も前に天山山脈を越えて中国に入ってきた胡人の血が関係しているのではないかと考えられる。
次に、彼の骨相の中で純粋な蒙古人種系統を示すのは、黒い髪の生え際と鼻の形だけだ。鼻の穴は少し曲がっているが、器械で見ると一直線に見える。これは遺伝学的にも重要な調査である。白人系の鼻は曲がりくねっていることが多い。
呉一郎の骨相を詳しく観察すると、さまざまな異人種系統の特徴が見つかる。顔の形はラディン系統の卵型で、眉や睫毛は濃く長く、目の周りには青い影が見える。これはアイヌの特徴だ。また、鼻の形は純粋なギリシャ型で、頬から顎にかけてのラインは古い仏像に見られるアリアン系統を思わせる。さらに、顎の中央には北欧人種の凹みがあり、微笑むとその美しさが際立つ。
このように、呉一郎の骨相を調べることで、彼の性格や趣味、才能が明らかになる。彼は日本人の順応性、アイヌの尊崇心、ラディン人種の知性を兼ね備えているが、それに北欧人種の隠遁的で高雅な気風が加わり、表面にはあまり現れない。彼は年齢に比べて落ち着いた物静かな性格を持っていると考えられる。
その少年は、外見上は冷静で落ち着いた性格を持っていましたが、ある日突然、心理的な遺伝の影響でその平静が崩れ去りました。彼の中に潜んでいた、まるで大陸の民族のような深い執念や、凶暴で残忍な血が一気に表に現れ、驚くべき行動を引き起こしたのです。この空前絶後の怪事件の真相は、要するにこの少年の中に隠れていたモンゴロイドの心理遺伝が、突如として暴れ出したということなのです。
さらに、この少年の骨相には見逃せない重要な特徴がありました。それは、一見すると非常に楽天的でのんきな性格を持ちながら、ちょっとした刺激や環境の変化に対してすぐに感情を高ぶらせ、周囲を気にせず笑ったり泣いたり怒ったりする、つまり非常に気分が変わりやすい、フランス人のような性格を象徴する薄い顎を持っていることです。しかし、この特徴は普段の彼の性格にはあまり表れていないようでした。やはり、前述のように非常に明晰な頭脳と、内気で人を避ける性格に抑え込まれているように思えました。
とはいえ、この特徴は非常に顕著であり、少年が解放治療場に通うようになった後の長い心理遺伝の発作の中で、あるいはその回復期において、いつかは彼の感情的な、あるいは激情的な気質が現れるに違いないと、正木博士は期待を寄せていました。
さて、ここまででこの少年、呉一郎の骨相についてはおおよそ理解できたかと思います。様々な人種の特徴が、どのようにして神の手によってこれほどまでに美しく、純粋に組み合わされているのかを考えると、実に不気味な気持ちになります。科学の権威や人智の進歩を掲げて生計を立てている私たちも、こうした生きた芸術の傑作に接すると、ただ驚き、言葉を失い、頭を下げるしかないのです。
次に、この少年の心理遺伝を中心とした事件の進展が、どのように奇妙なプロットを持って正木博士の目に映ったのかをお話しします。博士が自らの頭蓋骨に取り付けた「天然色、浮出し、発声映画撮影機の暗箱」に、どのような順序で事件の進展が映し出されたのか、そのフィルムの順序に従って説明していきます。
【字幕】九州帝国大学、法医学教室、屍体解剖室内の奇怪事……大正十五年四月二十六日夜撮影――
映し出された映画は、どこがどこなのか、何が何なのか全くわからない漆黒の場面です。したがって、説明のしようもありませんが、よくご覧ください。左上の隅に、ほとんど見えないほど微かに青白い光の群れが、不規則な環の形をして漂っています。……あれは最近、大流行した猫イラズで自殺した芸妓の胃袋の中のものが、ガラスの皿の中から発光しているのです。
あれをご覧になったならば、賢明な皆さんは、この闇が普通の闇ではないことを十分に察知されたことでしょう。……つまり、この闇は九州帝国大学法医学教室の一角にある屍体解剖室の暗い状態を、横の階段下の物置から天井裏に潜り込んで見ている光景なのです。
この天井裏の覗き穴は、好奇心に駆られた小使いや新聞記者がこっそりと屍体解剖を覗くためのもので、古くからあるようで、穴の内側が爪やナイフでY字型に削り広げられています。少し顔の向きを変えれば、部屋の下半分の隅々まで見渡すことができます。しかも、物置の棚の上に足を伸ばせば、三等列車に乗るよりもずっと楽な気分で寝ることができるので、実に重宝です。
あの発光している皿は、実は向かい側の机の上に置いてあるのですが、真上から見下ろして撮影しているため、フィルムの上方に映っているのです。
この室内にはあの皿一つだけではありません。しかし、両側の窓の鎧戸や入口の扉が固く鎖されているため、この部屋の闇は非常に深く、あの汚物の発光がかろうじて認められる以外には、何も見つけることができません。どこかで静かに湯が湧いているような、死んだような静寂の中で、正木博士が撮影した「天然色、浮出し、発声映画」のフィルムは、ただ漆のように黒く、時の流れのように秘やかに流れていくばかり……五十尺……百尺……二百尺……三百尺……。
そもそも正木博士は、何のためにその双耳、双眼式、天然色、浮出し、発声映画の撮影暗箱をこの解剖室の天井裏まで運び上げたのでしょうか。どのような目的で、こんな無意味な闇の場面を、いつまでも辛抱強く見つめ続けたのでしょうか。堂々たる大学教授の身分でありながら、こんな鼠のような行為に身をやつすとは、何という醜い姿でしょうか。皆さんはきっと不審に思われることでしょうが、この説明は後になって自然と理解できることと思いますので、ここでは省略させていただきます。
大正十五年四月二十六日の午後十時前後、呉一郎の心理遺伝を巡る怪事件が発生してから、約二十時間が経過した。フィルムは依然として真っ黒で、静かに滑り続けている。五百尺、八百尺、一千尺、一千五百尺……画面の静けさと闇は変わらず、ただあの汚物のような燐光が、徐々に青白く、明瞭さを増していく。
その時、教室の奥にある小使室から、時計の音が響いてきた。「一つ、二つ、三つ……ボーン、ボーン、ボーン……」と、静寂を破るように時を刻む音が続く。
十一時を告げる鐘が鳴り終わると、闇の中で何か大きな木の箱が閉まる音が響いた。次の瞬間、パッと明るい光が差し込み、目が眩むほどの輝きが部屋を包み込んだ。それは、部屋の中央に吊るされた二百燭光の電球のスイッチが、息を潜めていた誰かの手によって次々と捻られたからだった。
目を凝らすと、室内の光景は驚くべきものだった。まず目を引くのは、部屋の中央にある解剖台だ。気味の悪い野白色の光を放つその台は、もともとは美しい白大理石でできていたが、無数の死体の血や脂肪が染み込み、陰気な色合いに変わってしまっていた。
解剖台の上には、黒い凹字型の木枕があり、その左手には高い円筒形のニッケル鍍金の湯沸器が輝いていた。まるで中世の巨大な寺院や牢獄の模型のように、無数の窓から糸のような水蒸気が漏れ出している様子は、この世のものとは思えない光景だった。
さらに、右手の窓の下には、白い布に覆われた長方形の大きな箱が横たわっていた。それは明らかに死人を納めた寝棺であった。解剖室に寝棺があることは当然のことだが、その上に掛けられた白い布は高級な絹地のようで、上品な光を放っていた。こうした立派な寝棺が法医の解剖室に運び込まれることはまずないため、異様さを感じさせた。
解剖台、湯沸器、白い寝棺の光の反射を取り巻くのは、試験管やビーカー、刃物などの数々の器具だ。紫、茶、乳白、無色の硝子鉢や暗褐色の陶器の壺が床から机の端、棚の上まで並び、その中には人肉の灰色、骨のコバルト色、血のセピア色が盛られている。これらが放つ冷たい光と、その異形な影が交響楽のように静寂を作り出していた。
その中心に近く、白絹に包まれた寝棺と白大理石の解剖台の間に立つのは、真っ黒な怪人物だった。頭も顔も胴体も灰黒色の護謨布で包まれ、手には黒い手袋をはめ、脚には漁夫が穿くような巨大なゴムの長靴を履いている。ただ目の部分だけが透明なセルロイドで、まるで死人の心臓を食べる魔物のような不気味さを放っていた。
その怪人物は、電球のスイッチを楽々と捻るほどの背丈を持っていた。この人物こそが、心理遺伝を巡る事件の中心にいる若林鏡太郎氏であり、法医学界の第一人者である。彼は、呉一郎少年の事件が発生してから約二十時間後、この解剖室に忍び込み、物々しい準備を整えていた。
この部屋の状況は、初めて見る者にとっては何一つとして奇怪でないように思えるかもしれない。しかし、若林博士が解剖台に向かって仕事を始めようとしていること、そしてその材料となる屍体が寝棺の中にあることは、誰にでも推察できることであった。
しかし、もしそうなるとしたら、若林博士の助手となるべき人間が、この部屋の中に一人も見当たらないのは、一体どういうことなのでしょうか。通常、屍体の解剖には、一人か二人の人間が立ち会うのが原則とも言える通例です。それにもかかわらず、若林博士は今夜、一人で極めて秘密の仕事を行わなければならない状況にあるのではないかと思われます。いや、解剖台の前後にある二つの扉がどちらも鍵をかけていないことから、普通の事件とは異なる特別な秘密が今夜の仕事に含まれていることは明らかです。
そう考えているうちに、部屋の隅にある洗面器のところへ行った若林博士は、手袋をしたままの両手を念入りに洗いました。そして、身を屈めて寝棺の白い覆布を取り除き、分厚い白木の棺の蓋を開けました。すると、中から一人の盛装した少女の屍体が取り出されました。
前回の説明を覚えている方には、この少女が誰であるかはほぼ推察がついていることでしょう。この少女こそが、呉一郎の花嫁となるはずだった呉モヨ子です。彼女は十七歳の絶世の美少女で、呉一郎はK・C・MASARKEY会社の映画『狂人解放治療』の主人公として名を馳せる美少年俳優です。彼女はその相手役として、精神科学的な妖美と戦慄を描き出すエース女優でしたが、今はこうして寝棺の中で静かに横たわっています。
彼女は流行の新月色の裲襠を身にまとい、春霞や五葉の松の刺繍が施されていました。紫地の羽二重に千羽鶴の模様があしらわれ、まだシツケが掛かっている振袖が三枚重ねられ、金銀の地紙を織り込んだ丸帯で締められています。その異様な美しさと痛々しさは、この事件の並々ならぬ内容を物語っており、彼女を棺に納めた人々の思いまでが伝わってきて、胸が締め付けられる思いです。
しかし、学術の権化とも言える若林博士は、そんなことを気にかける様子は微塵も見せません。衣装には興味がないかのように、無造作に裲襠や帯、振袖を掴み取って棺の傍に押し込みました。その下から現れたのは、素肌に覆われた顔、合掌した手首を白木綿で縛られた清らかな二の腕、紅友禅の長襦袢、緋鹿子絞りの扱帯、燃え立つような緋縮緬の湯もじ、白足袋を穿かされた白い足首でした。これらは冷酷で残忍な器械や器具と対照的に、形容しがたい哀れさと艶やかさを引き立てていました。
その中でも特に目を引くのは、丈長の黒髪を水々しく垂らし、グッタリと瞑目している少女の顔に残された厚化粧と口紅です。そして、襟化粧をした頸部には、生々しい絞殺の痕が残っていました。
若林博士は、その屍体を静かに大理石の解剖台に横たえ、容赦なく合掌した手首の白木綿の緊縛を解き、緋鹿子絞りの扱帯を外しました。長襦袢の胸を引きはだけ、彼は斯界の権威と称される手練れの技術で、少女の全身を隈なく検査しました。やがて、ホッとしたように肩で息をつき、両腕を高く組んで少女の屍体を見下ろし、真黒い鉄像のように動かなくなりました。