ドグラ・マグラ (19/47)
von 夢野久作
その精細な観察の便宜を図るために、ここに十人の狂人たちの姿を一人一人、詳しくお見せしましょう。
まず最初にご紹介するのは、西側の煉瓦塀の横で、上半身を裸にして一生懸命働いている白髪の老人です。この老人は、両手に鍬を持ち、煉瓦塀に沿った長い畑を二畝半ほど耕しています。しかし、彼の体を見ると、腕も脛も生白く、細身で、老齢の労働者に特有の深い皺も見当たりません。どこか、百姓の仕事に慣れているとは思えないのです。特に哀れなのは、その手のひらで鍬を握っているため、よくは見えませんが、鍬の柄のところに黒い汚れが点々と付いているのが見えます。あれは、手のひらの傷から滲み出た血の跡です。それでもなお、老人は屈せず、鍬を振り続けています。この姿を見ると、正木博士の心理遺伝の実験が、いかに残酷で冷酷なものであるかが、少しは理解できるでしょう。
次にご紹介するのは、その横に立ち、老人の畑仕事を見守っている青年です。彼は黒っぽい木綿の着物に白木綿の古い兵児帯を締め、髪をふんわりとさせているため、少し老けて見えるかもしれませんが、よく見ると二十歳前後の若者です。久しぶりに日光に当たったせいか、肌は女性のように白く、頬はほんのりと赤みを帯び、微笑みを浮かべながら、鍬を振る白髪の老人の手元を一心に見守っています。その表情だけを見ると、普通の人に見えますが、目をよく凝らして見ると、その瞳の輝きが清らかで、まるで深窓に育った姫君のように静かに澄んでいます。これは、ある種の精神病者が正気に戻る前や発作を起こす少し前に見せる特徴であり、正木博士が常に手をかけていた真狂と偽狂の鑑定の中でも特に見分けが難しい眼差しです。
次に、今の老人と青年の遥か背後に立っている少女にレンズを近づけてみます。彼女は幽霊のように青白く、痩せこけたそばかすだらけの顔をしています。赤茶色の髪を下ろし、老人が作った畑の縁に立って、繊細な手で様々なものを植えています。桐の落ち葉、松の枯れ枝、竹の片、瓦の破片など、時にはどこから見つけたのか青い草もあります。しかし、相手の畑がサラサラした白砂の畝であるため、竹の棒が倒れそうになるのを、彼女は一生懸命に立て直しています。そんな面倒なことをせずに、砂の中に突っ込んでしまえばいいのにと思う人もいるかもしれませんが、それは素人の考えです。彼女は瓦片や竹の棒を、普通の草花の苗だと信じているため、決して乱暴な扱いをしません。大切に根元に砂を被せる様子は、彼女の純粋な心を表しています。しかし、せっかく世話をした竹の棒が何度も倒れると、彼女は癇癪を起こし、柔らかい草の苗のように竹の棒を引き千切って捨ててしまいます。あの細い腕から、どうしてあんな恐ろしい力が出るのかと不思議に思うかもしれませんが、実は人間は、どんな優しい女性でも、あれくらいの力を持っているのです。ただ、人間は他の動物に比べて上品で弱い存在であり、特に女性はそういった暗示が代々積み重なってきた結果、力を発揮できないのです。しかし、精神に異常をきたしたり、大地震や火事などの大きな事態に直面すると、その暗示が一時的に破れて、本来の力を取り戻すことがあります。今まさに、この少女がその証拠を示しているのです。説明が脱線してしまい申し訳ありませんが、これは正木博士の「心理遺伝」を逆に証明する実例ですので、特に付け加えました。
次にご紹介するのは、破れたモーニングコートを着た毬栗頭の小男で、今の老人や青年、少女の一群がいる場所とは正反対側、東側の赤煉瓦塀に向かって演説をしているところです。
「……達摩は面壁九年にして、少林の熊耳と呼ばれました。だから私たちは九年間面壁して弁論を練り、腐敗した政界を打破し、あらゆる不平等を平等にするために……来るべき普選の時代において……つまり、私たちが……」
と大声で叫ぶと、思い出したように右手を高く上げて左右に動かしています。
その背後を一人の奇妙な姿をした女性が通り過ぎます。彼女は本当に下品で、しゃくれた顔をした中年の女性で、顔全体に厚化粧を施しています。着物の裾も露わな素足で、ボロボロの丸帯を引きずりながら、誰が作ったのか、ボール紙に赤インクを塗った王冠の形のものを、乱れた髪の上に載せています。落ちないようにあおのきつつ、ジロジロと左右を睨み回しながら女王気取りで行きつ戻りつしている姿は、なかなかの奇観です。
その女性が前を横切るたびに、桐の木の根元に土下座をして、何度も礼拝を捧げている髭だらけの大男は、長崎のある小学校の校長です。代々のキリスト教信者の信心が、この男に最高潮に達した結果、病院に収容されると、煉瓦や屋根瓦の破片に聖像を彫って、同室の患者たちに拝ませていました。しかし今は、彼女をマリア様の再来と信じ、感激の涙を流しているところです。
その後、土下座をしている髭の男の周りを跳ね回っている少女は、高等女学校の二年生でした。彼女は元々内気で憂鬱な性格でしたが、芸術に対する並外れた才能を持っていました。しかし、ある日突然、早発性痴呆にかかってしまったのです。入院した当初、正木院長に名前を尋ねられたとき、彼女は「私は舞踏狂よ……アンナ・パブロワよ」と答えたという、病院でも特に愛嬌のある存在でした。彼女はいつも自作の歌を歌いながら、踊り回っていました。
「青い空を見たら
白い雲が高く
黒い雲が低く
仲良く並んで
ふらりふらり飛んで行く
ふららふららふぅ――らら……
あたいも一緒に並んで
ふらりふらり歩いたら
赤い壁にぶつかった
ふららふららふぅ――らら……
ふららふららふぅ――らら……」
一方で、四十代の職人風の男が二人、親しげに肩を組んで、先ほどの年増の女と直角の方向に行きつ戻りつしていました。右側の男は東京見物を、左側の男は南極探検を意味しているらしく、意気投合して大旅行を続けているのだそうです。実に世話が焼けることです。そして、入口近くに座っている太ったお婆さんは、上品な着物の柄から相当な身分の人だと推測できますが、本人はそんなつもりではないらしく、いつも貧民窟に住んでいるような恰好で、居ない虱を一生懸命に取っては潰し、捨てていました。ふと気がつくと、帯を解いて丸裸になり、大きな音を立てながら着物をはたき始めます。そのたびに、演説屋も二人の職人も女学生も、心理遺伝の発作を中断し、指を指し、目を見開き、腹を抱えて笑っていました。
さて、以上の狂人たちの一挙一動を見た方々の中には、意外に思われた方がいらっしゃるかもしれません。「……なんだ、これ。普通の狂人じゃないか。何もこの解放治療場に限ったことではない。どこの精神病院の散歩場に行っても、こんな光景が見られるじゃないか。狂人の解放治療場というからには、広い場所に何百、何千の狂人が集まって、あらん限りの狂態を演じている光景が見られると思っていたが、これじゃあまったく張合いがない。第一、心理遺伝なんて、どこが心理遺伝なのか全くわからないじゃないか」と、失望や落胆、軽蔑や冷笑を抱く方がきっといることでしょう。しかし、どうか急がずにお待ちください。実を言うと、正木先生の研究に関わる心理遺伝の実験に使う人物はこれだけで十分なのです。この中の二、三人の狂態が、どのような心理遺伝によって演出されているのかを、映画を通じて簡単に説明すれば、世界中の精神異常の原因が明らかになるでしょう。この十人の精神病患者は、地上に無数いる狂人の中から選ばれた代表的な存在であり、正木博士の過去二十年間の研究に基づく心理遺伝の原理を、身をもって証明するために現れた、世界的な標本とも言えるのです。
最初にご紹介するのは、赤煉瓦の塀の横で畑を耕している白髪の老人です。この老人の名前は鉢巻儀作といいます。彼の五代前の祖先、つまり儀作の曾々祖父は、福岡の城下、鳥飼村に住んでいた名高い豪農で、同名の儀十という者でした。儀十は生まれつき左利きでしたが、並外れた体力と精力を持ち、自分の一生のうちに鍬一本で大きな財産を築き上げ、御領主黒田の殿様から鉢巻という苗字と帯刀を許されたという立志伝中の人物だったそうです。
さて、何故そのような奇妙な苗字をいただいたのかというと、この鉢巻は元々、彼の若い頃のあだ名でした。汗を拭う時間が惜しいため、田畑の仕事をする際には、いつも眉の上に手拭いで鉢巻をしていたことから来ているのです。彼の働きぶりがいかに猛烈であったかがわかります。夜が明けてから暮れるまでの間に休むのはたった一度だけ。福岡、舞鶴城の天守の櫓で、正午の太鼓がドーンと鳴ると、すぐに鍬を放り出して、近くの堤や草原の木陰、あるいは軒下に行って弁当を食べるのです。その間、約半刻、つまり一時間ほどの間に昼寝をして、目が覚めるとまた日が落ちるまで働き続けたというのですから、実に豪気なものでした。多分、この男も一種の偏執的な性格を持っていたのでしょう。その赤黒い額に残った白い横一文字の鉢巻の痕跡は、彼が息を引き取った後も消えなかったと言われています。殿様の前に出た時も同様で、お側にいた慌て者が「これこれ、鉢巻を取れ」と言ったところ、殿様は大層興をそそられ、こうした苗字を賜ったという、名誉ある鉢巻だったのです。
しかし、時が移り変わり、鉢巻儀右衛門から五代目に当たるこの儀作爺さんになりますと、その名誉ある鉢巻も左利きも、そして大きな財産もどこかへ失ってしまい、博多名物の筆屋の職人に成り下がってしまいました。そして、老年に達し、目が霞んで細かい筆毛が扱えなくなったため、失職することになり、それを苦にして精神に異常を来し、一週間ほど前に大学に連れ込まれるという、憐れな身の上となったのです。
不思議なことが起こりました。正木先生が、この爺さんの発狂の理由、つまり心理遺伝の内容を探るために解放治療場に入ってから、間もなくのことです。場内の片隅に、小使いが蛇を殺したまま置き忘れた鍬を見つけると、彼はすぐに先祖の真似を始めました。鉢巻はしませんでしたが、見ての通り、最初から一度も汗を拭うことはありませんでした。また、鍬を持つ手も、発狂前とは正反対の左利きになっていました。十二時の午砲が鳴ると同時に、鍬を投げ出して病室に戻り、さっさと食事を済ませて、ゴロリと寝台の上に横になる様子は、まるで五代前の儀十の生まれ変わりのように思えました。ただ、一度寝てしまうと、疲労がひどいせいか、翌朝までぐっすり眠り、晩ご飯も何も食べませんでした。おそらく夢の中で、曾々祖父の儀十になって、大身代でも作っているのでしょう。
……これが心理遺伝の第一例です……ご質問があれば、遠慮なく手を挙げてください。
次にご紹介するのは、赤煉瓦の壁に向かって演説をしている破れモーニングの小男です。彼の右手は空中で振り動かし、左手は物を支えているような格好をしています。そして、演説の中で使っている言葉が、有力な参考になります。
「……これは帝国の前途に横たわる一大障壁です。今日のように上塗りの思想が横行し、糊塗縦横の政治が続いているなら、我々日本民族の団結は、あの切藁を交えぬ土塀のように、外来思想の風雨によって、遠からず崩れ去る運命に……」
いかがでしょうか。最初からお聞きの通り、この毬栗のフロック先生の演説には、壁という言葉や、壁に関係する言葉が何度も出てきます。実はこの小男の母方の祖父は、黒田藩の御用左官職でした……お笑いになってはいけません。落語ではありません……その祖父が、ある時福岡城の天守櫓で仕事をしている最中に、うっかり足を滑らせて墜落し、惨死してしまったのです。しかし、その祖父は元々、何事にも身の軽さが自慢だったそうで、天守台の屋根に漆喰をかけ直す時など、殿様が遠眼鏡でその離れ業を見ていたほどでした。それに、普段から足場を極めて簡略にして仕事をする癖があったため、出来上がりは早かったのですが、何度も足がかりを誤ったり、途中で引っかかったりして命を危険にさらしながらも、いつも奇跡的に助かってきたのです。
ところが、何歳の時だったでしょうか、やはり天守の屋根の絶頂に登って、殿様の遠眼鏡の中で働いている最中に、うっかり殿様の方にお尻を向けてしまいました。それを下から見上げていた役人が、余計なことを言って「気をつけろ!御本丸から見ているぞ!」と大声で叫んだため、彼は思わず固まってしまったのでしょう。すると、足を滑らせて数丈の石垣から転がり落ち、粉微塵になってしまいました。それ以来、その家の左官職は絶えたのです。しかし、その祖父の血が、娘を通じてこのモーニングの小男に受け継がれると、恐ろしいことが起こります。この男は中学時代まで時々、夜中に寝ぼけて飛び起き、「助けてくれ」と叫ぶ癖がありました。そのたびに家族が驚いて「どうしたの?」と聞くと、「なんだか高い屋根か、雲の上のようなところから、真逆さまに落ちていく気がした」と言ったそうです……なんと奇妙なことでしょう。普通の人の目には何でもない、軽い夢中遊行の発作にすら、何代も前の先祖が何度も「ハッ」とした瞬間の、徹底した恐怖の記憶が再現しているのです。これこそが心理遺伝の不思議な実例ではないでしょうか……いや、この演説をする男だけに限ったことではありません。一般的に、私たちが睡眠中にどこか高いところから落ちたような気がして、ハッと目を覚ますことがありますが、これもこの例に照らすと、特に不思議ではありません。私たちの両親や祖父母でも、誰でも一度や二度は経験しているであろう「しまった」とか「俺は死ぬんだ」と思う瞬間の、悲痛な観念の記憶が、心理遺伝として私たち子孫に伝わったものであることは、誰しも疑い得ないでしょう。
ご質問はありませんか……。
ある日、ボール紙の王冠をかぶった年増の女性が、行きつ戻りつしながら街を歩いていました。彼女は、ある町家の娘で、かつては芸妓として売られていたことがありました。どうやら彼女は、なかなかの稼ぎを得ていたらしく、近々若い銀行家に嫁ぐことが決まっていました。しかし、その銀行家の両親は昔ながらの頑固者で、「身分違い」という理由から彼女を正妻として迎えることを許しませんでした。彼女はそのことに非常に無念を感じていたのです。
ある宴会の席で、彼女は初めての客に向かって「あなたが何だって、私に盃を差し出すなんて生意気だわ」と言い放ち、盃を相手に叩きつけてしまいました。その拍子に、三味線を踏み折ってしまったのです。そのまま彼女は病室に運ばれました。この出来事は、彼女の痛快なロマンの一部でした。
しかし、時代は変わり、今の世の中は新しい思想が広がっています。特に彼女のように浮気稼業に身を置く者にとっては、そんなことで取り乱すのは少し気が狭いようにも思えます。しかし、彼女の心の奥にある「心理遺伝」の恐ろしさを考えると、「身分違い」という言葉が、彼女のプライドを傷つける以上に深い打撃を与えたことが理解できます。彼女の発病後の態度を見れば、そのことがよくわかります。
彼女は、見た目はとても上品で、腰の動きや目の使い方、足取りまでが上流階級の女性のようでした。実際、彼女の家系は、明治維新前までは京都の鍋取公卿という貧乏華族の成り損ねであったため、彼女はその精神的な異常によってそれを証明しているのです。本籍の名前も、町人らしくない「清河原」という苗字でした。つまり、彼女は発病する前までは、町家の娘らしく振る舞っていたのでしょうが、一度精神に異常をきたしてしまうと、最近の町家風の習慣をすっかり忘れ、先祖代々の堂上方の気風をそのまま表現するようになったのです。
「はい、質問ですか?どうぞ。」
「なるほど、確かにおっしゃる通りです。つまり『心理遺伝』というものは、それだけのものなのか……それだけの研究のために、正木博士は命がけの騒ぎをしているのか……ということですね。」
「恐れ入ります。多分その質問が出る頃だろうと思って、フィルムの編集者も気を利かせて、次に心理遺伝の発見者である正木博士をスクリーンに映し出し、今の質問について講演をしてもらうように手配しています。九州大学の狂人博士として、アインシュタインやスタインナハ以上に有名な正木博士がスクリーンに現れた際には、ぜひ拍手で迎えていただきたいと思います。なぜなら、彼自身が拍手を非常に好む人で、講義中でも学生に拍手をさせるのを楽しんでいたからです。」
「え?スクリーンの中から手を叩いても聞こえない?それはおっしゃる通りですが、聞こえるから不思議なんです。論より証拠、叩いてみればわかることですから。」
「さて、これが天下に名高い九州帝国大学、医学部精神病科の教授、医学博士、正木敬之氏です。背景は九州帝国大学の精神病科本館の講堂で、白い診察服を着ているのは、普段の講義姿をそのまま映し出したものです。」
彼は身長が五尺一寸ほどしかなく、色が浅黒い小柄な男性でした。丸い胡麻塩頭を短く刈り込んでおり、高い鼻の両側には大きな鼻眼鏡が光っていました。その下には鋭い眼差しがあり、口元は横一文字に結ばれていました。まるで骸骨のような表情で、テーブルの前に立ちはだかり、皆を見渡してから、総入れ歯を見せて笑いました。その姿は、精力に満ち、胆力にあふれ、知恵に満ちていました。
「どうも、そう笑われては困ります。質問ですか?はい、何でしょう。」
「私と画面の中の正木博士は同一人物か別人か?」
「アハハハ、これは失敗だ。早速退散して、画面の中の正木博士に説明させることにします。」
【映写幕上の正木博士、身振りに従って発声】
「エヘン……オホン……。私は満天下の新人諸君と、この銀幕上でお会いできることを生涯の光栄とし、無上の満足とする者です。皆さんは常識の世界に住みながら、非常識の世界に憧れている人々です。現在、地上のあらゆる場所に、汽車や汽船が行き尽くし、自動車や飛行機が飛び交う中、社交上の因襲や科学に対する迷信、外国の模倣、死んだ道徳観念といった現代社会の常識に飽き飽きしていることでしょう。そして、変化に富み、自由な生命の真実を求める心、すなわち溢れる好奇心を持って、私の研究事業である『心理遺伝』の実験を見ていただければ、すぐに理解されることでしょう。一般の精神病者が、どのような力に支配され、何を行っているのかという事実を、何の苦もなく受け入れていただけるはずです。」
「さらに、皆さんの好奇心はそれだけでは満足せず、百尺竿頭一歩を進めた質問を発せられました。『心理遺伝はそれだけのものか』と。皆さんの頭脳は、私の二十年分の研究と同じくらい、いや、それ以上の明快さを持っています。ありがとうございます。まだ拍手するには早いですが、この点について私は特に、深い敬意と感謝を表明したいと思います。」