1〜3
von 太宰治
君からの迅速な返事を読み、懐かしさに浸りました。先日、僕は「死は良いものだ」といった、少し誤解を招きかねない危うい言葉を送ったのですが、君はそれに対して全く誤解することなく、正確に僕の気持ちを受け取ってくれたようで、本当に嬉しく思いました。やはり、時代というものを考えずにはいられません。あの死に対する冷静な気持ちは、一世代前の人々には理解できないのではないでしょうか。
「今の若者は誰でも死と隣り合わせの生活を送っています。敢えて結核患者に限りません。僕たちの命は、ある方に捧げてしまっているのです。僕たちのものではありません。それゆえ、僕たちはそのいわゆる天意の船に、何の躊躇もなく気軽に身を委ねることができるのです。これは新しい世紀の新しい勇気の形です。船の下は地獄だと昔から言われていますが、しかし、僕たちにはそれが不思議と気にならない。」という君の手紙の言葉には、逆にこちらが驚かされました。君からの最初の手紙に対して「古い」と乱暴な感想を述べたことについては、真剣に謝らなければなりません。
僕たちは決して命を粗末にしているわけではありません。しかし、死に対して無駄に感傷に浸ったり、恐れおびえたりもしていないのです。その証拠に、あの鳴沢イト子さんの白布に包まれた美しい棺を見送った後、僕はマア坊や竹さんのことをすっかり忘れ、まるで今日の秋空のように高く澄んだ心境でベッドに横たわりました。そして廊下では、塾生と助手がいつものように、
「やっとるか。」
「やっとるぞ。」
「がんばれよ。」
「ようし来た。」
という挨拶を交わしているのを聞きました。それがいつものふざけた口調ではなく、どこか真剣な響きを持っていることに気がつきました。そんな素直に緊張して叫んでいる塾生たちに、僕は逆に非常に健康なものを感じました。少し気取った言い方をするなら、その日一日、道場全体が神聖な雰囲気を持っていました。僕は信じました。死は決して人の気持ちを萎縮させるものではない、と。
僕たちのこのような感想を、幼い強がりや絶望の果てのヤケクソとしか理解できない古い時代の人々は、気の毒なものです。古い時代と新しい時代、その二つの感情を共に明確に理解できる人は、少ないのではないでしょうか。僕たちは命を羽のように軽いものだと思っています。しかし、それは命を粗末にしているという意味ではなく、僕たちは命を羽のように軽いものとして愛しているのです。そしてその羽毛は、なかなか遠くへ素早く飛ぶのです。本当に、今、大人たちが愛国思想や戦争の責任について、決まりきった議論を大声で続けている間に、僕たちはその人たちを置き去りにして、さっさと尊い方の直接のお言葉のままに出帆するのです。新しい日本の特徴は、そんなところにあるような気がします。
鳴沢イト子の死から、驚くべき「理論」が生まれましたが、僕はどうもこんな「理論」は得意ではありません。新しい男は、やはり黙って新造の船に身を委ねて、不思議に明るい船中の生活を報告している方が気が楽です。どうだい、また一つ、女の話でもしようか。
君の手紙では、君は竹さんをやたらと弁護しているようですね。そんなに好きなら、竹さんに君から直接手紙でも出してみたらどうですか。いや、それよりも、一度会ってみてください。そのうち、お暇な折に、僕を見舞いにではなく、竹さんを拝見しにこの道場へ来てみるといい。拝見したら、幻滅するかもしれませんよ。何せ、どうにも立派な女性なのですから。腕力だって、君より強いかもしれません。君の手紙によると、マア坊が泣いたことは全く問題ではないが、竹さんの「うち、気がもめる」が大事件だというお説のようですが、それは僕も考えてみました。マア坊が僕のところへ来て、「悩みがあるのよ」と言って泣いたことについて、「うち、気がもめる」というのは、竹さんが僕に前から思いを寄せている証拠ではないかと、ばかな自惚れを抱きたくなるところですが、僕には全くそんな気持ちは起こりません。竹さんは、ただ大きくて、ちっとも色気のない人です。いつも仕事に追われて、他のことを考える暇もないような人なのです。助手の組長という重責に緊張し、しっかりと働いているだけの人です。竹さんがその前夜、マア坊を叱ったことを聞いて、叱り方が少し強すぎたのかと反省し、心配になって「うち、気がもめる」となったのが、この場合、非常に野暮ったいけれども、最も健全な考え方だと思います。それに違いありません。女というものは、どうせ自分自身の立場のことばかり考えているものです。新しい男は、女に対して全く自惚れていないのです。また、好かれるということもないのです。さっぱりしたものです。
「なんだか、気がもめるな」と竹さんが言ったとき、彼女の顔は赤くなった。実は、マア坊を叱ったことについて気にしているという意味だったのだが、その言葉が思いがけず妙な響きを持っていることに気づき、少し戸惑って赤面しただけのことだった。特に大したことではない。つまらないことだ。
しかし、あの日、マア坊が僕のところで泣いたことや、気がもめるということ、さらにはごはん一杯分の贔屓のことにしても、あの日の全ての変わった様子を解くためには、ぜひとも考慮に入れなければならない重大な事実が一つある。それは、鳴沢イト子の死だ。鳴沢さんは、その前夜に亡くなったのだ。笑い上戸のマア坊が叱られたのも、その影響だろう。助手たちも、鳴沢イト子と同じように若い女性たちで、感情が高ぶっていたのかもしれない。女性には、古い情緒が残っているものだ。孤独で戸惑い、ごはん一杯分の慈善などという変な情緒を発揮したのではないか。とにかく、あの日の皆の変わった様子は、鳴沢イト子の死と強く結びついているようだ。マア坊も竹さんも、特に僕に何か思いがあるわけではないのだ。冗談ではない。
どうだ、君、わかったかい?これでも君は竹さんを好きかい?一度道場に来て、実物を見てみるといい。竹さんよりもマア坊の方が、まだしも感覚が新しいところがあって、僕には良いように思えるのだが、君はマア坊をひどく嫌っているらしいね。考え直してみたらどうだろう。マア坊には、やっぱりちょっと良いところがあるんだ。おととい、マア坊がとても気立ての良いところを見せてくれて、僕は急にまたマア坊を見直したのだが、今日はそのことを紹介しようと思う。君も、きっとマア坊を好きになるだろうと思う。
おととい、同室の西脇つくし殿が、家の事情でこの道場を出ることになった。ちょうどその日がマア坊の公休日だったそうで、つくしをE市まで送って行く約束をした。前の日からマア坊は塾生たちに大いにからかわれ、お土産を頼むと強迫されて、「よし、わかった」と気軽に承諾していた。おとといの朝早く、久留米絣のモンペをはいて、つくし殿の後を追っていそいそ出かけて行った。そして午後の三時頃、僕たちが屈伸鍛錬を始めていたら、笑顔で帰ってきて、部屋を回りながら約束のお土産を塾生たちに配っていた。
今のような人手不足の時代には、かなりの生活をしている家の娘でも、やはり家を出て働かなければならないようだが、マア坊もどうやらその組に属しているらしい。仕事も遊び半分のようだし、そのくせポケットが温かいせいか、いつも気前が良く、それがまた塾生たちの人気の一因になっているようだ。こんな時のお土産も、かなり贅沢だ。お土産は、どこでどんな具合に手に入れたのか、一寸から二寸くらいのおもちゃの鏡だ。裏には映画女優の写真が貼られている。昔は、こんなものは駄菓子屋の景品としてただでくれたものだが、今ではこんなものでも、買うとなると決して安くはないだろう。どこかの駄菓子屋かおもちゃ屋の在庫を、数十枚も買って帰ったのかもしれないが、とにかく、いかにもマア坊らしい発想のお土産だ。塾生たちは、裏の映画女優の写真がとても気に入ったようで、大騒ぎしていた。かっぽれも一枚もらった。僕は、女からものをもらうのは嫌だったので、最初からお土産の強迫などもしなかったし、みんなと同じおもちゃの懐中鏡一枚の恩恵に浴したところで、つまらないことだと思っていた。
マア坊が僕たちの部屋にやって来て、かっぽれに鏡を手渡し、「かっぽれさんは、この女優を知ってる?」と尋ねた。
「知らねえが、べっぴんだ。マア坊にそっくりじゃないか。」
「いやだ、ダニエル・ダリュウじゃないの。」
「なんだ、アメリカか。」
「違うわよ、フランスの人よ。ひところ東京では、ずいぶん人気があったのよ。知らないの?」
「知らねえ。フランスでも何でも、とにかくこれは返すよ。毛唐はつまらねえ。日本の女優の写真とかえてくれねえか。あい願わくば、そうしてもらいたい。こいつは、向こうの小柴のひばりさんにでもあげるんだね。」
「贅沢言ってる。特別に、あなただけに差し上げるのよ。ひばりには、いや。意地悪だから、いや。」
「どうだかね。ではまあ、いただいておきましょう。ダニエ?」
「ダニエルよ。ダニエル・ダリュウ。」
そんな二人の会話を聞いて、僕はにこりともせず屈伸鍛錬を続けていたが、さすがに面白くなかった。僕がそんなにマア坊に嫌われていたのか。好かれているとはもちろん思っていなかったが、こんなにも僕一人だけ憎まれているとは思いもしなかった。自分の地位を最低のところに置いたつもりでいても、まだまだ底には底があるものだ。人間は所詮、自己の幻影に酔って生きているものなのだろうか。現実は厳しいと思った。いったい僕の、どこがいけなかったのだろう。今度一つマア坊に、真面目に聞いてみようと思った。そして、その機会は案外早くやって来た。