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4〜1

von 太宰治

摩擦に使うブラシは、散髪のときに使う硬い毛のブラシを少し柔らかくしたようなものである。そのため、最初はこのブラシでこすられるとかなり痛く、皮膚に摩擦負けのブツブツができることもある。しかし、たいていは一週間ほどで慣れてしまう。

摩擦の時間になると、陽気な助手たちがそれぞれ手分けして、順番に全ての塾生に摩擦を施していく。小さな金盥にタオルを畳んで入れ、それを水に浸し、ブラシをそのタオルに押し付けて水をつけ、シャッシャッと摩擦を始める。摩擦は原則としてほぼ全身に行われる。入場後の最初の一週間は手足だけだが、その後は全身にわたる。横向きに寝て、まず手、次に足、胸、腹を摩擦し、次に寝返りを打って反対側の手、足、胸、腹、背中、腰と移っていく。慣れてくると、これがなかなか気持ちよく、特に背中をこすってもらうときの気持ちは何とも言えない。上手な助手もいれば、下手な助手もいる。

この助手たちについては、また後で詳しく書くことにしよう。

道場での生活は、屈伸鍛錬と摩擦の二つで成り立っていると言っても過言ではない。戦争が終わっても物資の不足は変わらないのだから、しばらくはこのような方法で闘病の心意気を示すのも悪くないだろう。他には、午後一時からの講話、四時の自然、八時半からの報告などがある。講話は、場長や指導員、また道場を視察に訪れる各方面の名士たちが交代でマイクを通じて話し、その声が廊下の拡声機を通じて僕たちの部屋に流れ込んでくる。僕たちはベッドの上に座って黙って聞いている。

この拡声機は、戦争中に電力不足で使えなくなっていたが、戦争が終わり電力の使用が少し緩和されると同時に、すぐに再開された。最近、場長は「日本の科学の発展史」とでもいうテーマの講義を続けている。淡々とした口調で、僕たちの祖先の苦労を実に平明に解説してくれる。昨日は、杉田玄白の「蘭学事始」について話してくださった。玄白たちが初めて洋書を開いたとき、どのように翻訳すればよいのか、「まことに艫舵なき船の大海に乗出せしが如く、茫洋として寄るべなく、只あきれにあきれて居たる迄なり」という部分が特に印象的だった。玄白たちの苦心については、中学校の時に歴史の木山ガンモ先生から教わったが、あの時とはまったく違う感覚を受けた。

ガンモは、玄白の見た目についてつまらないことばかり言っていたが、場長の講話は僕にとって非常に楽しみだ。日曜日には、講話の代わりにレコードが放送される。音楽はあまり好きではないが、週に一度くらい聞くのは悪くない。レコードの合間に助手の肉声の歌が流れることもあるが、これは聞いていて楽しいというよりも、ハラハラして落ち着かない気持ちになる。しかし、他の塾生たちにはこれが一番歓迎されているようで、清七殿などは目を細めて聞いている。彼自身も都々逸の文句を放送したくてたまらないのだろう。

午後四時の自然というのは、安静の時間だ。この時間帯には、僕たちの体温が最も上昇し、体がだるく、気分がいらいらしてくる。だから、自由に過ごしても良いという意味で与えられた三十分間の時間だが、ほとんどの塾生はこの時間に静かにベッドに横たわっている。ちなみに、この道場では夜の睡眠以外の時間にベッドに掛け布団を使うことは絶対に許されない。昼間は毛布も何も掛けず、ただ寝巻きを着たままでベッドの上にごろ寝しているが、慣れると清潔な感じがして、逆に気持ちが良い。

午後八時半の報告は、その日その日の世界情勢についてのニュースだ。廊下の拡声機から、当直の事務員の緊張した口調で様々な報告が流れる。この道場では、本を読むことはもちろん、新聞を読むことさえ禁じられている。耽読は体に悪いかもしれない。ここにいる間だけでも、煩わしい思考の洪水から逃れ、ただ新しい船出という一事だけを信じて素朴に生きているのも悪くないと思っている。

ただ、君への手紙を書く時間が少なくて、これには困っている。食事後に急いで便箋を出して書いているが、書きたいことはたくさんある。この手紙も二日がかりで書いた。しかし、道場の生活に慣れるにつれて、短い時間を利用するのも上手になってくるだろう。僕は今、何事に対しても非常に楽天的になっているようだ。心配事は一つもなく、すべてを忘れてしまった。

ちなみに、僕のこの道場でのあだ名は「ひばり」というのだ。実に、つまらない名前だ。小柴利助という僕の名前が「小雲雀」とも聞こえるので、そんなあだ名をもらったらしい。あまり名誉なことではないが、最初はどうにもいやらしく、照れくさくて仕方なかった。しかし最近の僕は、何事にも寛大になっているので、「ひばり」と呼ばれても気軽に返事をすることにしている。わかったかい? 僕はもう昔の小柴ではない。今はこの健康道場にいる一羽の雲雀なんだ。ピイチクピイチクやかましく囀って騒いでいるのさ。だから、君もそのつもりで、これからの僕の手紙を読んでおくれ。何という軽薄な奴だ、なんて顔をしかめたりしないでほしい。

「ひばり。」と今も窓の外から、助手の一人が僕を鋭く呼ぶ。

「なんだい。」と僕は平然と答える。

「やっとるか。」

「やっとるぞ。」

「がんばれよ。」

「よし来た。」

このやり取り、何だかわかるだろうか。これはこの道場の挨拶だ。助手たちと塾生が廊下ですれ違うとき、必ずこの言葉を交わすことになっているようだ。いつから始まったのかはわからないが、まさかここを仕切っている場長が決めたわけではないだろう。おそらく助手たちが考え出したものに違いない。とても快活で、少し男の子のような力強さが、ここの看護婦たちにも共通する気風のようだ。場長や指導員、塾生、事務員、すべての人に辛辣なあだ名をつけるのも、まさにこの助手たちの仕業だ。油断ならないところがある。この助手たちについては、さらに観察を続け、次回詳しく報告することにしよう。

まずは当道場の概略を述べると、こんな感じだ。失礼。

九月三日

拝啓。九月になると、やっぱり違うね。風が湖面を渡ってくるように、ひんやりとする。虫の音も、すっかり高くなってきたじゃないか。僕は君のように詩人ではないから、秋になったからといって特別な感慨はないが、昨日の夕方、一人の若い助手が窓の下の池のほとりに立って、僕の方を見て笑いながら言った。

「つくしに、鈴虫が鳴いてるって伝えてあげて。」

そんな言葉を聞くと、この人たちには秋が厳しく沁みているのだとわかり、少し息が詰まった。この助手は、僕と同室の西脇つくしに、前から好意を寄せているらしい。

「つくしは、いないよ。さっき、事務所へ行った。」と答えると、急に不機嫌になり、言葉までぞんざいに、

「あらそう。いなくたっていいじゃないの。ひばりは鈴虫が嫌いなの?」と妙な逆襲をしてきたので、僕は訳がわからず、実に戸惑った。

この若い助手には、どうも不可解なところが多く、僕は前からこの人に最も気をつけている。あだ名は「マア坊」。

ついでに、今日は他の助手たちのあだ名も紹介しよう。前回の手紙に書いたように、ここの助手たちは油断ならないところがあって、男たちに辛辣なあだ名をつけているが、塾生たちも負けずに助手たち全員をあだ名で呼んでいるから、まあ、互角というところだ。しかし、塾生たちが考えたあだ名は、女性に対する気遣いがあるらしく、少し優しさが感じられる。三浦正子だから「マア坊」。なんてこともない。竹中静子だから「竹さん」とは、もっとも気が利かない。平凡極まりない。また、眼鏡をかけている助手は「出目金」とでも言うべきところだが、遠慮して「キントト」。痩せているから「うるめ」。淋しそうな顔をしているから「ハイチャイ」。このあたりはまあ、いい方かもしれないが、どうも少し遠慮している。ひどく不器量なのに、パーマネントをかけて、眼蓋を赤く塗ったりして、奇怪な厚化粧をしているから「孔雀」。バカにして「孔雀」とつけたのだろうが、つけられた本人はかえって得意になり、「そうよ、あたしは孔雀よ」と自信を強めたかもしれない。まったく皮肉が効いていない。僕なら「天女」とつけるだろう。「そうよ、あたしは天女よ」とは思えまい。その他にも「となかい」「こおろぎ」「たんてい」「たまねぎ」など、いろいろあるが、みんな陳腐だ。ただ一人、「カクラン」というのがあって、これはちょっと上手に名付けたと思う。顔が広く、ほっぺたが真っ赤に光っている助手がいて、まさに赤鬼のお面を連想させるのだが、さすがにそこは遠慮して避けて、「鬼の霍乱」というわけで「カクラン」だ。着想が上品である。

「カクラン。」

「なんだい。」すました顔で答える。

「がんばれよ。」

「ようし来た。」と元気な返事だ。霍乱に頑張られては、かなわない。この人に限らず、ここの助手たちは少し荒っぽいところがあるけれども、本当は心優しい、いい人たちのようだ。