一 (2/2)
von 太宰治
シヅ子の取り計らいで、ヒラメと堀木、そしてシヅ子の三人の会談が成立した。自分は故郷から完全に絶縁され、シヅ子と「天下晴れて」同棲することになった。これもまた、シヅ子の奔走のおかげで、自分の漫画が意外にもお金になり、そのお金でお酒や煙草を買うことができた。しかし、心の中の不安や鬱々とした気持ちは、ますます募るばかりだった。
まるで沈み込んでしまったかのように、シヅ子の雑誌に連載している「キンタさんとオタさんの冒険」を描いていると、ふと故郷の家が思い出され、あまりの寂しさにペンが動かなくなり、うつむいて涙をこぼしたこともあった。
そんな時、自分にとってのかすかな救いはシゲ子だった。シゲ子はその頃、自分のことを何の気兼ねもなく「お父ちゃん」と呼んでいた。
「お父ちゃん。お祈りをすると、神様が何でも下さるって、本当?」
その言葉を聞いて、自分もお祈りをしたいと思った。
ああ、冷たい意志を与え給え。人間の本質を知ることができるように。人が人を押しのけても、それが罪であるのか。怒りの仮面を与え給え。
「うん、そうだね。シゲちゃんには何でも下さるだろうけれど、お父ちゃんには、ダメかもしれない」
神にさえおびえていた。神の愛は信じられず、神の罰だけを信じていた。信仰とは、神の笞を受けるためにうなだれて審判の台に向かうことのように思えていた。地獄は信じられても、天国の存在はどうしても信じられなかった。
「どうして、ダメなの?」
「親の言いつけに背いたから」
「そう? お父ちゃんはとてもいい人だって、みんな言うけどな」
それは、みんなが自分をだましているからだ。このアパートの人たちが自分に好意を示してくれていることは自分も知っている。しかし、自分はどれほどみんなを恐れているか、恐れれば恐れるほど好かれ、好かれるほど恐れ、そして、皆から離れていかねばならないこの不幸な病癖を、シゲ子に説明するのは至難の業だった。
「シゲちゃんは、いったい神様に何をおねだりしたいの?」
自分は何気なく話題を変えた。
「シゲ子はね、本当のお父ちゃんがほしいの」
その言葉を聞いて、ぎょっとして目まいがした。自分がシゲ子の敵なのか、シゲ子が自分の敵なのか、どちらにせよ、ここにも自分を脅かす恐ろしい大人がいるのだ。他人、不可解な他人、秘密だらけの他人。シゲ子の顔が、急にそのように見えてきた。
シゲ子だけはと思っていたのに、やはりこの子も「不意に虻を叩き殺す牛のしっぽ」を持っていたのだ。それ以来、自分はシゲ子にさえおどおどしなければならなくなった。
「色魔! いるかい?」
堀木がまた自分のところに訪れるようになった。あの家出の日に、自分をあれほど寂しくさせた男なのに、それでも自分は拒否できず、微かに笑って迎えた。
「お前の漫画は、なかなか人気が出ているそうじゃないか。アマチュアには、怖いもの知らずの度胸があるからかなわねえ。でも、油断するなよ。デッサンが、ちっともなってやしないんだから」
まるで師匠のような態度を示す。自分の描いた「お化け」の絵をこいつに見せたら、どんな顔をするだろうと、身悶えしながら考えた。
「それを言ってくれるな。ぎゃっという悲鳴が出る」
堀木は得意そうに言った。
「世渡りの才能だけでは、いつかはボロが出るからな」
世渡りの才能……自分には、ほんとうに苦笑しかなかった。自分に世渡りの才能などあるはずがない。しかし、自分のように人間を恐れ、避け、ごまかしているのは、まさに「さわらぬ神にたたりなし」という処世訓を遵奉しているのと同じ形なのだろうか。ああ、人間はお互いに何も相手をわからず、まるで間違って見ていながら無二の親友のつもりでいて、一生それに気づかず、相手が死ねば泣いて弔詞を読んでいるのではないだろうか。
堀木は、何せ自分の家出の後始末に立ち会った人なので、まるで自分の更生の恩人かのように振る舞い、もっともらしい顔をして自分に説教めいたことを言ったり、深夜に酔っぱらって訪問して泊まったり、また五円(決まって五円だった)を借りて行ったりするのだった。
「しかし、お前の女道楽もこの辺でよすんだね。これ以上は、世間が許さないからな」
世間とは一体何のことだろう。人間の複数なのだろうか。どこにその世間というものの実体があるのだろう。しかし、強く、厳しく、怖いものだとばかり思って生きてきたが、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
という言葉が舌の先まで出かかり、堀木を怒らせるのが嫌で、引っ込めた。
(それは世間が許さない)
(世間じゃない。あなたが許さないのでしょう?)
(そんなことをすると、世間からひどい目に遭うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(今に世間から葬られる)
(世間じゃない。葬るのはあなたでしょう?)
汝は、汝個人の恐ろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ! などと、さまざまな言葉が胸中に去来したが、自分はただ顔の汗をハンカチで拭いて、
「冷汗、冷汗」
と言って笑っただけだった。
しかし、その時以来、自分は「世間とは個人ではないか」という思想めいたものを持つようになった。そして、世間というものは個人であるのではないかと思い始めてから、自分は今までよりも多少、自分の意志で動けるようになった。シヅ子の言葉を借りれば、自分は少しわがままになり、おどおどしなくなった。また、堀木の言葉を借りれば、妙にケチになった。そして、シゲ子の言葉を借りれば、あまりシゲ子を可愛がらなくなった。
無口で笑わない毎日、シゲ子の世話をしながら、私は「キンタさんとオタさんの冒険」や、ノンキな父の亜流である「ノンキ和尚」、さらには「セッカチピンチャン」といった、意味不明な題名の連載漫画を描いていた。各社からの注文は、シヅ子の社だけでなく、もっと下品な三流出版社からも来るようになっていたが、私の気持ちは陰鬱そのもので、のろのろとした筆運びで、ただ酒代が欲しい一心で描いていた。
シヅ子が社から帰ると、私はぷいと外に出て、高円寺の駅近くの屋台やスタンドバーで安くて強い酒を飲み、少し陽気になってアパートへ帰る。すると、シヅ子に向かって言った。
「見れば見るほど、変な顔をしているね。ノンキ和尚の顔は、実はお前の寝顔からヒントを得たんだ。」
「あなたの寝顔だって、ずいぶん老けてきましたよ。四十男みたい。」
「お前のせいだ。吸い取られたんだ。水の流れと人の身はあサ。何をくよくよしているんだ。」
「騒がないで、早くおやすみなさいよ。それとも、ご飯を食べますか?」
シヅ子は落ち着いていて、まるで私に構わないようだった。
「酒なら飲むがね。水の流れと人の身はあサ。人の流れと、水の流れと、水の身はあサ。」
そう歌いながら、私はシヅ子に衣服を脱がせ、彼女の胸に自分の額を押し付けて眠りにつく。それが私の日常だった。
翌日もまた同じことを繰り返し、昨日と変わらぬ慣例に従っていた。つまり、荒っぽい大きな歓楽を避けてさえいれば、大きな悲哀もやって来ないのだ。道を塞ぐ邪魔な石を、蟾蜍は回って通る。
上田敏訳のギイ・シャルル・クロオの詩句を見つけたとき、私は一人で顔を赤くした。蟾蜍。それが私だ。世間が許すも許さぬもない。葬るも葬らぬもない。私は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍のように、のそのそ動いているだけだ。
私の飲酒は次第に増えていった。高円寺駅近くだけでなく、新宿や銀座にも出かけて飲み、外泊することさえあった。慣例に従わず、バーで無頼漢の振りをしたり、片っ端からキスをしたり、情死以前の、いや、あの頃よりさらに荒んで野卑な酒飲みになり、金に困ってシヅ子の衣類を持ち出すほどになった。
あの破れた奴凧に苦笑してから一年以上が経ち、葉桜の頃、私はまたシヅ子の帯や襦袢をこっそり持ち出して質屋に行き、お金を作って銀座で飲み、二晩続けて外泊した。三日目の晩、さすがに具合が悪くなり、無意識に足音を忍ばせてアパートのシヅ子の部屋の前まで来ると、中からシヅ子とシゲ子の会話が聞こえてきた。
「なぜ、お酒を飲むの?」
「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでいるのではないんですよ。あんまりいい人だから、だから……」
「いい人は、お酒を飲むの?」
「そうでもないけど……」
「お父ちゃんは、きっとびっくりするわね。」
「おきらいかもしれない。ほら、ほら、箱から飛び出した。」
「セッカチピンチャンみたいね。」
「そうねえ。」
シヅ子の、心から幸福そうな低い笑い声が聞こえた。私はドアを細く開けて中を覗くと、白兎の子がぴょんぴょんと部屋中を跳ね回り、親子はそれを追いかけていた。
(幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人の間に入って、今に二人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、一度だけ、生涯に一度だけでいい、祈る。)
私は、そこにうずくまって合掌したい気持ちだった。そっとドアを閉め、再び銀座へ向かい、それっきりアパートには帰らなかった。
京橋のすぐ近くのスタンドバーの二階に、また男めかけの形で寝そべることになった。世間。どうやら自分にも、それがぼんやりとわかりかけてきた気がしていた。個人と個人の争いで、しかもその場の争いで、勝てばいいのだ。人間は決して人間に服従しない。奴隷でさえ、奴隷らしい卑屈な仕返しをするものだ。だから、人間にはその場の一本勝負に頼る他、生き延びる工夫がつかないのだ。
高円寺のアパートを捨て、京橋のスタンドバーのマダムに「別れてきた」とだけ言った。それで十分だった。つまり一本勝負は決まって、その夜から私は乱暴にもそこの二階に泊り込むことになった。しかし、恐ろしいはずの「世間」は、私に何の危害も加えず、私も「世間」に対して何の弁明もしなかった。マダムがその気だったら、それですべてが良かった。
私は、その店のお客のようでもあり、亭主のようでもあり、走り使いのようでもあり、親戚の者のようでもあり、外から見れば非常に得体の知れない存在だったはずだが、「世間」は少しも疑わず、その店の常連たちも私を「葉ちゃん、葉ちゃん」と呼んで、ひどく優しく扱い、酒を飲ませてくれた。
自分は次第に世の中に対して用心しなくなっていきました。世の中は、そんなに恐ろしい場所ではないと思うようになったのです。これまで抱いていた恐怖感は、春の風に舞う百日咳の菌や、銭湯に潜む目のつぶれる菌、床屋にいる禿頭病の菌、そして省線の吊皮にうようよいる疥癬の虫、さらには生焼けの刺身や牛豚肉に隠れているさなだ虫の幼虫やジストマの卵など、いわば「科学の迷信」に脅かされていたのだと気づきました。
確かに、何十万もの菌が浮遊しているのは「科学的」にも正しいのでしょう。しかし、その存在を完全に無視してしまえば、自分とは全く関係のない「科学の幽霊」に過ぎないことも理解するようになりました。お弁当箱に残ったごはん三粒、千万人が一日に三粒ずつ残せば、それは米何俵も無駄に捨てたことになる、というような「科学的統計」に、どれほど脅かされていたことでしょう。ごはんを一粒でも残すたびに、また鼻をかむたびに、山ほどの米やパルプを無駄にしているような錯覚に悩み、自分が重大な罪を犯しているような暗い気持ちになったものです。しかし、それこそが「科学の嘘」「統計の嘘」「数学の嘘」であり、三粒のごはんは集められるものではなく、掛け算や割り算の応用問題としても、実に原始的で低能なテーマに過ぎませんでした。
電気のない暗いトイレの穴に、何度も片脚を踏み外して落ちるか、または、省線電車の出入口とプラットホームの隙間に、乗客の何人が足を落とすかを計算するのと同じくらいばかげたことです。実際にトイレの穴をまたぎそこねて怪我をしたという話は聞いたことがありません。そんな仮説を「科学的事実」として教え込まれ、それを現実として受け入れ、恐怖していた昨日までの自分を愛おしく思い、笑いたくなるほど、世の中の実体を少しずつ知っていったのです。
とはいえ、人間というものは、まだまだ自分には恐ろしい存在であり、店のお客と会うためには、お酒をコップ一杯飲んでからでなければならないのでした。怖いもの見たさ。毎晩、店に出て行き、子供が少し怖がっている小動物を強く握りしめるように、酔った勢いでお客に向かってつたない芸術論を語るようになりました。
自分は無名の漫画家。大きな歓楽も悲哀もない日々を送っていました。どれほど大きな悲哀が後からやってきても構わない、荒っぽい歓楽が欲しいと内心焦ってはいても、今の喜びは、お客と無駄話をし、お客の酒を飲むことだけでした。
京橋に来て、こうしたくだらない生活をもう一年近く続け、自分の漫画も子供向けの雑誌だけでなく、駅売りの粗悪で卑猥な雑誌にも載るようになりました。上司幾太というふざけた匿名で、汚い裸の絵を描き、それにルバイヤットの詩句を挿入しました。
「無駄な祈りなんかやめてしまえ。涙を誘うものなんか捨ててしまえ。さあ、一杯飲もう。良いことだけ思い出して、余計な心配なんか忘れてしまえ。不安や恐怖で人を脅かす奴らは、自分の作った大きな罪に怯え、死者の復讐に備えようと、常に計画を巡らせている。さあ、酒を満たして、心を喜びで満たそう。今朝、目が覚めてみれば、ただの荒涼だ。一夜の中で様変わりしたこの気分よ。祟りなんて考えるのはやめてくれ。遠くから響く太鼓のように、それが不安だ。屁をひったことまで一々罪にされてたまるか。正義が人生の指針だとでも?血に塗られた戦場に、暗殺者の刃先に、何の正義が宿るのか?どこに指導原理があるのか?どんな叡智の光があるのか?美しくも恐ろしいこの浮世で、か弱い人の子は背負い切れない荷を負わされ、どうにもできない情欲の種を植え付けられ、善だ悪だ罪だ罰だと呪われるばかり。どうにもできず、ただまごつくばかり。抑えつける力も意志も与えられず、どこをどう彷徨っていたのか。何を批判し、検討し、再認識するのか?空しい夢を、ありもしない幻を。酒を忘れたから、みんな虚仮の思案さ。どうだ、この果てしない大空を見てみろ。ここにポッチリ浮かんだ点がある。地球が何で自転するのか分かるか?自転も公転も反転も勝手だ。至る所に至高の力を感じ、あらゆる国にあらゆる民族に同一の人間性を発見する。自分は異端者なのか?みんな聖経を読み違えているのだ。でなければ常識も智慧もないのだ。生身の喜びを禁じたり、酒を止めたり、そんなの大嫌いだ。」
しかし、その頃、自分に酒を止めるように勧める少女がいました。「いけないわ、毎日、お昼から酔っていらっしゃる」と。バアの向かいにある小さな煙草屋の十七、八の娘でした。ヨシちゃんと言い、色白で八重歯のある子でした。自分が煙草を買いに行くたびに、笑いながら忠告してくれました。「なぜ、いけないの?どうして悪いの?あるだけの酒を飲んで、人の子よ、憎悪を消せ消せ消せ、ってね。昔のペルシャの、まあ、やめておこう、悲しみ疲れた心に希望をもたらすのは、ただ微酔をもたらす玉杯なのよ、わかる?」
「わからない。」
「この野郎、キスしてやるぞ。」
「してよ。」
全く悪びれずに下唇を突き出すのです。
「馬鹿野郎、貞操観念……」
しかし、ヨシちゃんの表情には、明らかに誰にも汚されていない処女の香りが漂っていました。
新年を迎えた厳しい寒さの夜、私は酔った勢いで煙草を買いに出かけた。ところが、煙草屋の前にあるマンホールに足を滑らせて落ちてしまった。必死に叫んだ。「ヨシちゃん、助けてくれ!」すると、ヨシちゃんが私を引き上げてくれた。右腕に傷を負っていたので、彼女に手当をしてもらうことになった。その時、ヨシちゃんはしみじみとした表情で言った。
「飲みすぎますわよ」
彼女の言葉に、私は少し恥ずかしくなった。死ぬことには平気だが、怪我をして不具者になるのは耐えられない。だから、ヨシちゃんに腕の傷を手当てしてもらいながら、酒はもうやめようかと考えた。
「やめる。明日から、一滴も飲まない」
「本当に?」
「絶対にやめる。やめたら、ヨシちゃん、僕のお嫁になってくれるかい?」
もちろん、お嫁の話は冗談だった。
「モチよ」
「モチ」とは「勿論」の略語で、当時は「モボ」や「モガ」といった略語が流行っていた。
「よし、約束だ。絶対にやめる」
しかし、翌日、私はまた昼から飲んでしまった。夕方、ふらふらと外に出て、ヨシちゃんの店の前に立った。
「ヨシちゃん、ごめんね。飲んじゃった」
「あら、いやだ。酔った振りなんかして」
その言葉にハッとした。酔いが少し冷めた気がした。
「いや、本当に飲んだんだ。酔った振りなんかじゃないよ」
「からかわないでよ。人が悪い」
彼女は全く疑う様子がなかった。
「見ればわかるだろう。今日もお昼から飲んでたんだ。許してくれ」
「お芝居が、うまいのねえ」
「芝居じゃないよ、バカ野郎。キスしてやるぞ」
「してよ」
「いや、僕にはその資格がない。お嫁にもらうのも諦めなくちゃならない。顔を見てみろ、赤いだろう? 本当に飲んだんだよ」
「それは、夕陽が当たっているからよ。かつごうたって、ダメよ。昨日約束したんですもの。飲むはずがないじゃないの。約束したんですもの。飲んだなんて、ウソ、ウソ、ウソ」
薄暗い店の中で微笑むヨシちゃんの白い顔を見て、私は思った。ああ、無垢な処女は本当に尊いものだ。自分は今まで、自分より若い女性と寝たことがなかった。結婚しよう。どんな大きな悲しみが後からやってきても構わない。荒々しいほどの歓楽を、一度でいいから味わいたい。処女性の美しさは、甘い詩人の幻想だと思っていたが、やはりこの世には存在する。結婚して春になったら、二人で自転車で青葉の滝を見に行こうと、その場で決意した。そして、所謂「一本勝負」で、その花を盗むことにためらいはなかった。
こうして私たちは結婚し、その後に得た歓楽は必ずしも大きなものではなかったが、やがて訪れた悲しみは、想像を絶するほど凄惨なものだった。私にとって「世の中」は、やはり底知れぬ恐ろしい場所だった。決して、そんな一本勝負で何もかもが決まるような、生易しいところではなかったのだ。