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十八〜十九

von 夏目漱石

私は家に帰り、奥さんとお嬢さんにその話をしました。奥さんは笑いながらも、私の顔を見て「迷惑じゃないかしら」と言いました。その瞬間、私は男はこうして女の気を引くのかと、内心で思いました。奥さんの目には、私にそう思わせるだけの意味が込められていたのです。

その時、私は自分の考えを素直に打ち明ければよかったのかもしれません。しかし、私の心には疑念がこびりついていました。打ち明けようとした瞬間、言葉が喉に詰まり、話の方向をわざと変えてしまいました。

私は自分自身を問題から引き離し、お嬢さんの結婚について奥さんの考えを探ることにしました。奥さんは、二、三の話を明かしてくれましたが、お嬢さんはまだ学校に通っている若い年齢なので、急ぐ必要はないと説明しました。奥さんは口には出さなかったものの、お嬢さんの美しさを重視しているように見えました。「いつでも決められるから」といったようなことまで言いました。また、お嬢さん以外に子供がいないことも、手放したくない理由になっているようでした。嫁にやるか、婿を取るか、迷っているのではないかとも感じました。

話をしているうちに、私は奥さんから様々な知識を得たように思いましたが、そのために機会を逃してしまったのです。結局、自分のことを一言も言えずに、適当なところで話を切り上げて自分の部屋に戻ろうとしました。

さっきまで傍にいて、あまりのことに笑っていたお嬢さんは、いつの間にか向こうの隅に行き、背中をこちらに向けていました。私は立ち上がろうとして振り返ったとき、その後ろ姿を目にしました。後姿だけで人の心を読むことはできません。お嬢さんがこの問題についてどう思っているのか、私にはわかりませんでした。お嬢さんは戸棚の前に座り、その一尺ほど開いた隙間から何かを引き出して膝の上に置いて眺めているようでした。私の目はその隙間の端に、一昨日買った反物を見つけました。私の着物もお嬢さんのものも、同じ戸棚の隅に重ねてあったのです。

何も言わずに席を立とうとしたとき、奥さんは急に改まった口調で私にどう思うかと尋ねました。その聞き方は、何をどう思うのかと反問しなければわからないほど不意でした。それが「お嬢さんを早く片付けた方がいいのではないか」という意味だとわかったとき、私は「なるべくゆっくりした方がいい」と答えました。奥さんも同意しました。

私と奥さん、お嬢さんの関係がこうなっているところに、もう一人の男が加わることになりました。その男がこの家庭の一員になることで、私の運命は大きく変わることになりました。もしその男が私の生活の道を横切らなかったら、こんな長い話を書く必要もなかったでしょう。私は何も知らずに、魔の通る前に立って、その瞬間の影に一生を薄暗くされていたのです。実を言うと、私は自分でその男を家に引き入れたのです。もちろん奥さんの許可が必要だったので、最初から何も隠さずに打ち明けて頼みました。しかし、奥さんは「やめて」と言いました。私には連れて来なければならない事情があったのに、奥さんの方には筋の通った理由がまるでなかったのです。だから私は自分の考えを貫いてしまいました。

「私はその友達の名をここではKと呼ぶことにします。私はこのKとは幼い頃からの友人でした。幼い頃からの関係というのは、二人が同郷であることを意味します。Kは真宗の僧侶の子供でしたが、長男ではなく次男でした。それで、ある医者の家に養子に出されました。私の生まれた地方は本願寺派の影響が強いところで、真宗の僧侶は他の職業に比べて物質的に恵まれていることが多かったのです。例えば、もし僧侶に女の子がいて、その子が年頃になったら、檀家の人たちが相談して適当なところに嫁にやってくれます。もちろん、その費用は僧侶の懐から出るわけではありません。そういうわけで、真宗の寺は大抵裕福でした。

Kの生まれた家もそれなりに暮らしていたのですが、次男を東京に修業に出す余裕があったかどうかはわかりません。また、修業に出る便宜があったのかどうかも、私には分かりません。とにかく、Kは医者の家に養子に行ったのです。それは私たちがまだ中学生の頃のことでした。私は教室で先生が名簿を呼ぶとき、Kの姓が急に変わっていたので驚いたことを今でも覚えています。

Kの養子先もかなりの財産家でした。Kはそこから学資をもらって東京に出てきました。出てきたのは私と一緒ではありませんでしたが、東京に着いてからはすぐ同じ下宿に入りました。その頃は、一つの部屋に二人や三人が机を並べて寝起きすることが普通でした。Kと私は同じ部屋にいました。まるで山で捕らえられた動物が檻の中で抱き合いながら外を見つめるようなものでした。私たちは東京とその人々を恐れていましたが、六畳の間の中では天下を睥睨するようなことを言っていました。

しかし、私たちは真面目でした。実際に偉くなるつもりでいました。特にKは強い意志を持っていました。寺に生まれた彼は、常に「精進」という言葉を使っていました。そして彼の行動はすべて、この「精進」という言葉で表現できるように私には見えました。私は心の中で常にKを畏敬していました。

Kは中学校の頃から、宗教や哲学といった難しい問題で私を悩ませていました。それが彼の父の影響なのか、あるいは彼が生まれ育った寺という特別な場所の雰囲気のせいなのか、私には分かりませんでした。ともかく、彼は普通の僧侶よりもずっと僧侶らしい性格を持っているように思えました。

もともとKの養家は、彼を医者にするつもりで東京に出そうとしていました。しかし、頑固な彼は医者にはならないと決意して東京にやってきたのです。私は彼に対して、それでは養父母を欺くことになるのではないかと問い詰めました。すると彼は、そうだと答えました。道のためなら、そのくらいのことをしても構わないと言うのです。その時、彼が使った「道」という言葉は、恐らく彼自身もよく理解していなかったでしょう。私ももちろん理解していたわけではありません。しかし、若い私たちには、この漠然とした言葉が尊く響いていました。たとえ理解できなくても、高貴な心に導かれて、そちらの方向へ進もうとする意気込みには、卑しいところなど見えませんでした。

私はKの考えに賛成しました。私の同意がKにとってどれほどの力を持っていたのか、私自身も分かりません。一途な彼は、私がどれだけ反対しようとも、自分の思いを貫いたに違いないと感じました。しかし、万が一のことを考えれば、賛成の声を上げた私には、少なからず責任が生じることを子供ながらに理解していました。その時にはその覚悟がなくても、成長した私が過去を振り返る必要が生じた際には、私に与えられた責任を背負うのが当然だと考え、私は賛成の意を示したのです。