十六〜十七
von 夏目漱石
私は相変わらず学校に通っていましたが、教壇に立つ先生の講義は、まるで遠くから聞こえてくるように感じられました。勉強も同じで、目の前の文字は心の奥深くまで浸透することなく、煙のように消えていくのです。さらに、私は無口になってしまいました。その様子を見た数人の友達は、私が冥想にふけっているのだと誤解し、他の友達に伝えました。私はその誤解を解こうとはせず、むしろ都合の良い仮面を人から借りたことを幸せに思いました。それでも、時折、気が済まないことがあったのか、発作的に焦燥に駆られて彼らを驚かせたこともありました。
私の住まいは人の出入りが少ない家でした。親類もあまり多くはありませんでした。お嬢さんの学校の友達が時折遊びに来ることはありましたが、彼女たちは極めて小さな声で、いるのかいないのか分からないような話をして帰ってしまうのが常でした。それが私に対する遠慮からだとは、いくら私でも気づきませんでした。私のところに訪ねてくる人は、特に乱暴者ではありませんでしたが、家の人に気を使うような男は一人もいなかったのです。そんな状況では、下宿人の私はまるで主人のようで、肝心のお嬢さんが逆に客の立場にいるようなものでした。
しかし、これはただ思い出したついでに書いただけで、実際にはどうでもいいことです。ただ、そこにどうでもよくないことが一つありました。茶の間か、あるいはお嬢さんの部屋で、突然男の声が聞こえるのです。その声は、私の客とは違って非常に低いもので、何を話しているのか全く分かりません。分からないほどに、私の神経には一種の昂奮が走ります。私は座っていて、変にいらいらし始めます。あれは親類なのか、それともただの知り合いなのかと考え、次に若い男なのか年配の人なのか思案します。座っていてそんなことが分かるはずもありませんが、起き上がって障子を開けて見るわけにもいきません。私の神経は震えるというより、大きな波動を打って私を苦しめます。客が帰った後、私は必ずその人の名前を聞こうと決意しましたが、お嬢さんや奥さんの返事は極めて簡単でした。私は物足りない顔を二人に見せながら、物足りるまで追求する勇気を持っていなかったのです。権利はもちろん持っていなかったのでしょう。私は自分の品格を重んじなければならないという教育から来る自尊心と、実際にはその自尊心を裏切っている物欲しそうな顔を同時に彼らの前に示していました。彼らは笑いました。それが嘲笑の意味でなく、好意から来たものなのか、また好意らしく見せるつもりなのか、私はその場で解釈の余地を見出せず、落ち着きを失ってしまいました。そして、事が済んだ後も、馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたのではないかと、何度も心の中で繰り返しました。
私は自由な身体でした。たとえ学校を中途で辞めようが、どこへ行ってどう暮らそうが、あるいはどこの誰と結婚しようが、誰とも相談する必要のない立場にいました。私は思い切って奥さんにお嬢さんをもらう話をしてみようかと決心したことが何度もありました。しかし、そのたびに私は躊躇し、口に出すことができませんでした。断られるのが怖いからではありません。もし断られたら、私の運命がどう変わるか分かりませんが、その代わり、今までとは違った場所に立ち、新しい世界を見渡す機会も生まれるのですから、そのくらいの勇気は出せたのです。しかし、私は他の手に乗るのが嫌でした。誰かに欺かれるのは何よりも腹立たしかったのです。叔父に欺かれた私は、これから先どんなことがあっても、人には欺かれまいと決心しました。
「私が書物ばかり買うのを見て、奥さんは少し着物を作るようにと言いました。実際、私は田舎で織った木綿のものしか持っていなかったのです。その頃の学生は絹の入った着物を肌に着けることはありませんでした。私の友達の中には横浜の商人がいて、彼は派手に暮らしていましたが、ある時、羽二重の胴着が配達されてきました。すると皆がそれを見て笑いました。その男は恥ずかしがって色々と弁解しましたが、せっかくの胴着を行李の底に放り込んで利用しませんでした。それをまた大勢が寄ってたかって、わざと着せました。すると運悪くその胴着に蝨がついてしまいました。友達はちょうど幸いと思ったのでしょう、評判の胴着をぐるぐると丸めて、散歩に出たついでに根津の大きな泥溝の中に捨ててしまいました。その時、いっしょに歩いていた私は、橋の上に立って笑いながら友達の所作を眺めていましたが、私の胸のどこにも勿体ないという気は全く起こりませんでした。
その頃から見ると、私はだいぶ大人になっていました。しかし、自分で余所行きの着物を作るほどの分別はまだ出ていませんでした。私は卒業して髭を生やす時代が来なければ、服装の心配などはする必要がないという変な考えを持っていたのです。それで奥さんに書物は必要だが着物は要らないと言いました。奥さんは私が買う書物の量を知っていました。買った本を全部読むのかと聞かれましたが、私の買うものの中には辞書もあり、当然目を通すべきものでありながら、ページさえ切っていないものもいくつかあったので、私は返事に窮しました。どうせ要らないものを買うなら、書物でも衣服でも同じだということに気づきました。その上、私は色々と世話になるという口実の下に、お嬢さんの気に入るような帯や反物を買ってやりたかったのです。それで万事を奥さんに頼むことにしました。
奥さんは自分一人で行くとは言わず、私にも一緒に来るように命じました。お嬢さんも行かなくてはいけないというのです。今とは違った空気の中で育てられた私たちは、学生の身分として、あまり若い女性と一緒に歩き回る習慣がありませんでした。その頃の私は、今よりもさらに習慣の奴隷でしたから、少し躊躇しましたが、思い切って出かけることにしました。
お嬢さんは華やかに着飾っていました。肌が白いのに、さらに白粉をたっぷりと塗っているため、余計に目立っていました。通りを行く人々は、彼女をじろじろと見つめていました。そして、彼女を見た人は必ず私の顔に視線を戻してくるので、なんとも奇妙な気持ちになりました。
三人は日本橋へ行き、買いたいものを手に入れました。しかし、買い物をしている間に気が変わることが多く、思ったよりも時間がかかってしまいました。奥さんはわざわざ私の名前を呼び、どう思うか相談してきました。時折、反物をお嬢さんの肩から胸にかけて当てて、私に二、三歩離れて見てほしいと頼むのです。私はそのたびに、「それは駄目だ」とか「それはよく似合う」と、何とか一人前の意見を述べました。
こんな調子で時間が経ち、帰り道は夕飯の時間になってしまいました。奥さんは私へのお礼として何かご馳走をすると言い、木原店という寄席のある狭い横丁へ私を連れて行きました。横丁は狭いだけでなく、食事を提供する店もまた狭いものでした。この辺りの地理に全く不案内な私は、奥さんの知識に驚かされました。
私たちは夜になって家へ帰りました。翌日は日曜日だったので、私は一日中部屋に閉じこもっていました。月曜日になり、学校に行くと、朝早くから級友の一人にからかわれました。「いつ妻を迎えたのか?」とわざとらしく尋ねられ、その後、私の細君が非常に美人だと褒められました。どうやら、私たち三人が日本橋へ出かけているところを、その男にどこかで見られていたようです。