十三〜十五
von 夏目漱石
私が書いた手紙はかなり長いものだった。母も私も、今度こそ先生から何か返事が来るだろうと期待していた。すると、手紙を出してから二日目に、また私宛の電報が届いた。それには「来なくてもよろしい」という言葉だけが書かれていた。私はその電報を母に見せた。
「おそらく、手紙で何か言ってくださるつもりだろうよ」
母は、先生が私のために何とかしてくれると信じているようだった。私も、もしかしたらそうかもしれないと思ったが、先生の普段の様子を考えると、どうも違和感があった。「先生が口を探してくれる」とは、私にはあり得ないことのように思えた。
「とにかく、私の手紙はまだ向こうには届いていないはずだから、この電報はその前に出されたものに違いないね」
私は母にそう言った。母は考え込んで「そうだね」と答えた。私の手紙を読まないうちに、先生がこの電報を打ったという事実は、先生を理解する上で何の役にも立たないことは明らかだった。
その日はちょうど主治医が町から院長を連れて来ることになっていたので、母と私はそれ以降、この件について話す機会がなかった。二人の医者は立ち合いのもと、病人に浣腸などを施して帰って行った。
父は医者から安静を命じられて以来、両方の用を寝たまま他の手で始末してもらっていた。潔癖な父は、最初のうちはそれをひどく嫌がったが、身体が利かないため、仕方なくいやいや床の上で用を足すようになった。病気のせいで頭が鈍くなるのか、日が経つにつれて、無精な排泄を意識しなくなっていった。時には蒲団や敷布を汚して、周りの者が眉をひそめるのに、本人はかえって平気でいた。もっとも、尿の量は病気の性質上、極めて少なくなっていた。医者はそれを苦にしていた。食欲も次第に衰えていった。たまに何かを欲しがっても、舌が欲しがるだけで、喉を通るのはごくわずかだった。好きな新聞も手に取る気力がなくなり、枕元に置かれた老眼鏡は、いつまでも黒い鞘に納められたままだった。子供の頃から仲の良かった作さんが見舞いに来た時、父は「ああ、作さんか」と言って、どんよりとした目で作さんの方を見た。
「作さん、よく来てくれた。作さんは丈夫で羨ましいね。俺はもう駄目だ」
「そんなことはないよ。お前なんか、子供は二人とも大学を卒業するし、少しぐらい病気になったって、申し分はないんだ。俺を見てみろよ。かかあには死なれるし、子供はいない。ただこうして生きているだけのことだよ。達者だって何の楽しみもないじゃないか」
浣腸をしたのは、作さんが来てから二、三日後のことだった。父は医者のおかげで大変楽になったと言って喜んでいた。少し自分の寿命に対する覚悟ができたようで、機嫌も直った。傍にいる母は、それに釣り込まれたのか、病人に気力を与えるためか、先生からの電報のことを、あたかも私の位置が父の希望通り東京にあったかのように話した。私はむずがゆい気持ちになったが、母の言葉を遮るわけにもいかず、黙って聞いていた。病人は嬉しそうな顔をしていた。
「それは結構です」と妹の夫も言った。
「何の口だかまだ分からないのか」と兄が尋ねた。
私は今さらそれを否定する勇気を失い、曖昧な返事をして、わざと席を立った。
父の病気は、最後の一撃を待つ間際まで進行していたが、そこでしばらく躊躇するように見えた。家族は運命の宣告が、今日下るか、明日下るかと思いながら、毎夜床に入った。
父は周囲の者を辛くするほどの苦痛をどこにも感じていなかった。その点では看病はむしろ楽だった。要心のために、誰か一人が交代で起きていたが、他の者はそれぞれの寝床に戻っても差し支えなかった。何かの拍子で眠れなかった時、病人の唸るような声を微かに聞いたと思い誤った私は、一度半夜に床を抜け出して、念のため父の枕元まで行ってみたことがあった。その夜は母が起きている番だったが、母は父の横に肘を曲げて枕にして寝入っていた。父も深い眠りの中で静かにしていた。私は忍び足でまた自分の寝床に戻った。
私は兄と一緒の蚊帳の中に寝た。妹の夫だけは、客扱いを受けているせいか、独り離れた座敷に入って休んでいた。
「関さんも気の毒だね。ああ、幾日も引っ張られて帰れなくっちゃあ」
関というのは、その人の苗字だった。
「でも、そんなに忙しい身体でもないから、こうして泊まっていてくれるんでしょう。関さんよりも兄さんの方が困るでしょう、こう長くなっちゃって」
「困っても仕方がない。外のこととは違うからな」
兄と並んで寝る私は、こんな寝物語を交わした。兄の頭にも私の胸にも、父はどうせ助からないという考えがあった。どうせ助からないものならばという考えもあった。我々は子として親の死を待っているようなものであった。しかし、子としての我々はそれを言葉にすることをためらった。お互いに、どんなことを思っているかをよく理解し合っていた。
「お父さんは、まだ治る気でいるようだな」と兄が私に言った。
実際、兄の言う通りに見えるところもあった。近所の人が見舞いに来ると、父は必ず会うといって承知しなかった。会えば、私の卒業祝いに呼べなかったことを残念がっていた。その代わり、自分の病気が治ったらというようなことも時々付け加えていた。
「お前の卒業祝いはなくなって結構だ。俺の時には弱ったからね」と兄は私の記憶を突っついた。私はアルコールに酔ったその時の乱雑な有様を思い出して苦笑した。飲むものや食うものを強いて回る父の態度も、苦々しく私の目に映った。
私たちは、あまり仲の良い兄弟ではなかった。子供の頃はよく喧嘩をして、年の少ない私はいつも泣かされていた。学校に入ってからは、専門の違いもあって、性格の違いが際立っていた。大学にいる間、特に先生と接するようになってから、私は遠くから兄を眺めて、いつも彼が動物的だと感じていた。長い間兄に会わなかったせいもあり、物理的にも精神的にも、兄は私にとっていつも遠い存在だった。
しかし、久しぶりに再会したとき、兄弟の優しい心がどこからともなく自然に湧き上がってきた。状況が状況だったからこそ、その感情が生まれたのだろう。共通の父、その父が死にゆく枕元で、私たちは握手を交わした。
「お前、これからどうするつもりだ?」と兄が尋ねた。私は全く違う質問を返した。
「家の財産はどうなっているんだろう?」
「俺は知らない。お父さんはまだ何も言わないから。でも、財産と言っても金額はたかが知れているだろう。」
母もまた、先生からの返事を待つことに苦しんでいた。
「まだ手紙は来ないの?」と、私に責めるように言った。
「先生って、一体誰のことだい?」と兄が尋ねた。
「この前話したじゃないか」と私は答えた。自分で質問をしておきながら、すぐに他の説明を忘れてしまう兄に対して、不快な気持ちが湧いてきた。
「聞いたことは聞いたけれども…」
兄は結局、理解できないと言った。私から見れば、無理に兄に先生のことを理解させる必要はなかった。しかし、腹が立った。また、兄らしいところが顔を出したと思った。
私が尊敬する先生の存在は、兄にとっては著名な人物でなければならないと考えられていた。少なくとも大学の教授ぐらいの地位が必要だと思っていたのだ。名もない人、何もしていない人に、果たしてどれほどの価値があるのか。兄の考えは、この点において父と全く同じだった。しかし、父が何もできないから遊んでいるのだと早合点するのに対して、兄は何かできる能力があるのに、ぶらぶらしているのはつまらない人間だと考えていた。
「イゴイストはいけないね。何もしないで生きていこうなんて、怠け者の考えだよ。人は自分の持っている才能をできるだけ活かさなければ、嘘だ。」
私は兄に、自分が使っている「イゴイスト」という言葉の意味が本当にわかっているのか、聞き返したくなった。
「それでも、その人のおかげで地位ができれば、まあ結構だ。お父さんも喜んでいるようじゃないか。」
兄は後からこう言った。先生から明確な手紙が来ない以上、私はそう信じることもできず、口に出す勇気もなかった。母がすでにそのことをみんなに吹聴してしまった今となっては、急にそれを否定することもできなかった。私は母に促されるまでもなく、先生の手紙を待っていた。その手紙には、みんなが考えているような衣食のことが書かれているといいなと願っていた。死に瀕している父の前で、少しでも安心させてあげたいと祈りつつ、働かなければ人間ではないと言う兄の前で、妹の夫や伯父、叔母の前でも、私が全く気にしていないことに神経を悩ませなければならなかった。
父が変な黄色いものを吐いたとき、私はかつて先生と奥さんから聞かされた危険を思い出した。「ああして長く寝ているから、胃も悪くなるはずだね」と言った母の顔を見て、何も知らないその人の前で涙がこぼれそうになった。
兄と私が茶の間で再会したとき、兄は「聞いたか?」と言った。それは医者が帰り際に兄に向かって言ったことを聞いたかという意味だった。私はその意味をすぐに理解した。
「お前、ここに帰ってきて、家のことを管理する気はないのか?」と兄が私を見つめた。私は何も答えなかった。
「お母さん一人じゃ、どうすることもできないだろう」と兄が続けた。兄は私を、土の匂いを嗅ぎながら朽ちていくのも惜しくないように見ていた。
「本を読むだけなら、田舎でも十分できるし、働く必要もなくなるし、ちょうどいいだろう。」
「兄さんが帰ってくるのが順ですね」と私は言った。
「俺にそんなことができるものか」と兄は一蹴した。兄の心の中には、世の中でこれから仕事をしようという気持ちが満ち溢れていた。
「お前がいやなら、伯父さんにでも世話を頼むが、それにしてもお母さんはどちらかで引き取らなければならないだろう。」
「お母さんがここを動くかどうかが、すでに大きな疑問だよ。」
兄弟は、まだ父が死ぬ前から、父の死後についてこんな風に語り合っていた。