十〜十二
von 夏目漱石
父の病気は、同じ状態が一週間以上続いていた。私はその間に、九州にいる兄宛に長い手紙を書いた。妹には母から手紙を出させた。心の中では、これが父の健康に関する最後の知らせになるかもしれないと思っていた。だから、もしもの時には電報を打つから、すぐに来てほしいという内容も添えた。
兄は忙しい仕事を持っていたし、妹は妊娠中だった。だから、父の危険が迫る前に呼び寄せることはできなかった。とはいえ、せっかく都合をつけて来てくれたのに間に合わなかったと言われるのも辛いことだった。私は電報を打つタイミングについて、誰にも言えない責任を感じていた。
「そうはっきりしたことは私にも分かりません。しかし、危険はいつ来るか分からないということだけは理解しておいてください」
停車場のある町から迎えた医者は、私にこう言った。私は母と相談し、その医者の紹介で町の病院から看護婦を一人頼むことにした。父は、枕元に来て挨拶する白い服を着た女性を見て、驚いたような顔をした。
父は自分が死病にかかっていることを自覚していた。しかし、目の前に迫る死そのものには気づいていなかった。
「今に良くなったら、もう一度東京へ遊びに行こう。人間はいつ死ぬか分からないからな。やりたいことは生きているうちにやっておくに限る」
母は仕方なく「その時は私も一緒に連れて行ってください」と調子を合わせていた。
時には、非常に寂しそうにしていた。
「俺が死んだら、どうかお母さんを大事にしてやってくれ」
私はこの「俺が死んだら」という言葉に特別な記憶を持っていた。東京を立つ時、先生が奥さんに向かって何度もそれを繰り返したのは、私が卒業した日の晩のことだった。私は笑顔の先生の顔と、喜びを感じない奥さんの様子を思い出した。あの時の「俺が死んだら」は単なる仮定だった。今、私が聞いているのはいつ起こるか分からない現実だった。私は先生に対する奥さんの態度を学ぶことができなかった。しかし、口先だけでも父を慰めなければならなかった。
「そんな弱いことを言わないでください。今に良くなったら、東京へ遊びに行くはずじゃありませんか。お母さんと一緒に。次に来るときは、きっと驚くでしょう。町の様子が変わっていますから。新しい電車の線路もたくさん増えていますし、電車が通るようになれば町並みも変わるし、市区改正もありますから、東京は本当に忙しい時期です」
私は仕方なく、言わなくてもいいことまで喋ってしまった。父は満足そうにそれを聞いていた。
病人がいるため、自然と家の出入りも多くなった。近所の親戚たちは、二日に一人の割合で見舞いに来てくれた。その中には、比較的遠くに住んでいて普段は疎遠な人もいた。「どうかと思ったら、この様子じゃ大丈夫だ。話も自由だし、顔も全然痩せていないじゃないか」と言って帰る人もいた。私が帰った当初は、静まり返っていた家庭が、こうして少しずつ賑やかになり始めた。
その一方で、父の病気はただ悪化していくばかりだった。私は母や伯父と相談し、ついに兄と妹に電報を打った。兄からはすぐに行くという返事が来た。妹の夫からも出発するという知らせがあった。妹は前回妊娠した際に流産したため、今度こそは無理をさせないように大事を取らせるつもりだと、事前に言っていたその夫は、妹の代わりに自分で来るかもしれなかった。
こうした落ち着かない間にも、私はまだ静かに座る余裕を持っていた。時には書物を開いて、十ページも続けて読む時間さえ取れた。一旦しっかりと閉じられた私の行李は、いつの間にか解かれてしまった。私は必要なものを取り出しながら、東京を立つ時に心に決めた、この夏の計画を振り返った。私がやったことは、この計画の三分の一にも達していなかった。私は今までにもこうした不愉快を何度も重ねてきたが、これほど思った通りに仕事が進まない夏は少なかった。これが人の世の常だろうと思いながらも、私は嫌な気持ちに押しつぶされそうだった。
私はこの不快感の中で、父の病気を考え、父が亡くなった後のことを想像した。そして同時に、先生のことも思い浮かべた。私はこの不快な心持ちの両端に、地位や教育、性格が全く異なる二人の面影を眺めた。
私が父の枕元を離れ、独りで取り乱した書物の中に腕を組んでいると、母が顔を出した。
「少し昼寝でもしなさい。あなたもさぞ疲れているでしょう」
母は私の気分を理解していなかった。私も母からそれを期待するほどの子供ではなかった。私は簡単に礼を述べた。母はまだ部屋の入口に立っていた。
「お父さんは?」と私が尋ねると、
「今、よく寝ているわよ」と母が答えた。
母は突然入ってきて、私の傍に座った。
「先生からまだ何も言って来ないの?」と聞いた。
母はその時の私の言葉を信じていた。その時の私は、先生からきっと返事があると母に保証した。しかし、父や母の期待するような返事が来るとは、その時の私も全く期待していなかった。私は母を欺いたつもりが、同じ結果に陥ってしまった。
「もう一度手紙を出してみたら?」と母が言った。
役に立たない手紙を何通書こうと、それが母の慰めになるなら、手間を惜しむような私ではなかった。しかし、こういう用件で先生に迫るのは私にとって苦痛だった。私は父に叱られたり、母の機嫌を損ねたりするよりも、先生から見下されることを遥かに恐れていた。あの依頼に対して今まで返事がもらえないのも、もしかしたらそうした理由からかもしれないという邪推もあった。
「手紙を書くのは簡単ですが、こういうことは郵便ではとても解決しませんよ。どうしても自分で東京へ出て、直接頼まなければ」
「でも、お父さんがあの様子じゃ、あなた、いつ東京へ出られるか分からないじゃないか」
「だから出ません。良くなるとも良くならないとも片付かないうちは、ちゃんとこうしているつもりです」
「それは分かりきった話だね。今にも危ない大病人を放っておいて、誰が勝手に東京へ行けるものかね」
私は最初、心の中で何も知らない母を憐れんでいた。しかし、母がなぜこの混乱した状況でこんな問題を持ち出したのか、理解できなかった。私が父の病気を気にせず、静かに座ったり本を読んだりする余裕があるように、母も目の前の病人を忘れて外のことを考えているのか、胸に空虚感を抱えているのかと疑った。その時、母が「実はね」と口を開いた。
「実は、お父さんが生きているうちに、お前の口が極まったら、きっと安心するだろうと思うの。でも、この様子じゃ、間に合わないかもしれないけれど、それでも、まだああやって口も確かで気も確かなんだから、こうしてお父さんを喜ばせるように親孝行をしなさい。」
私は、親孝行ができない境遇にいることが悲しかった。結局、一行の手紙も先生に出さなかった。
兄が帰ってきたとき、父は寝ながら新聞を読んでいた。父は普段から何よりも新聞だけは欠かさず読む習慣があったが、床についてからは、退屈のためにますますそれを読みたがった。母も私も、特に反対せず、病人の思い通りにさせておいた。
「そういう元気なら結構だ。よっぽど悪いかと思って来たら、元気そうじゃないか。」
兄はこう言いながら父と話をした。その賑やかな調子が、私には逆に不調和に聞こえた。それでも、父の前を外して私と向かい合ったときは、むしろ沈んでいた。
「新聞なんか読ませてはいけないんじゃないか。」
「私もそう思うけれど、読まないと承知しないんだから、仕方がない。」
兄は私の弁解を黙って聞いていた。やがて、「よく理解できるのかな」と言った。兄は、父の理解力が病気のために普段よりもずっと鈍っているように観察したらしい。
「それは確かだ。私はさっき、二十分ほど枕元に座っていろいろ話してみたが、調子の狂ったところは少しもなかった。あの様子じゃ、もしかしたらまだ持つかもしれない。」
兄と一緒に到着した妹の夫の意見は、我々よりもずっと楽観的だった。父は彼に向かって妹のことをあれこれ尋ねていた。「身体が身体だから、むやみに汽車に乗って揺れない方がいい。無理をして見舞いに来られると、かえってこちらが心配だから」と言っていた。「何、今に治ったら赤ん坊の顔でも見に、久しぶりにこちらから出かけるから、差し支えない」とも言っていた。
乃木大将が亡くなった時も、父は一番最初に新聞でそれを知った。
「大変だ、大変だ」と言った。
何も知らない私たちは、この突然の言葉に驚かされた。
「あの時はいよいよ頭がおかしくなったのかと思って、ひやりとした」と後で兄が私に言った。「私も実は驚きました」と妹の夫も同感のようだった。
その頃の新聞は、実際田舎者には日ごとに待ち受けられるような記事ばかりだった。私は父の枕元に座って丁寧にそれを読んだ。読む時間がないときは、そっと自分の部屋に持って行き、残らず目を通した。私の目は長い間、軍服を着た乃木大将と、官女のような服装をしたその夫人の姿を忘れることができなかった。
悲痛な風が田舎の隅々まで吹き抜け、眠たそうな樹や草を震わせている中、突然、私は先生から一通の電報を受け取った。洋服を着た人を見ると犬が吠えるような場所では、一通の電報すら大事件だった。それを受け取った母は、驚いたような様子で、わざわざ私を人のいないところに呼び出した。
「何だい」と言って、私の封を開くのを傍で待っていた。
電報には、ちょっと会いたいが来られるかという意味が簡単に書かれていた。私は首を傾げた。
「きっとお頼みしておいた口のことだよ」と母が推測した。
私も、あるいはそうかもしれないと思った。しかし、それにしては少し変だとも考えた。とにかく、兄や妹の夫まで呼び寄せた私が、父の病気を置いて東京へ行くわけにはいかなかった。私は母と相談して、行けないという返電を打つことにした。できるだけ簡潔な言葉で父の病気が危篤に陥りつつある旨も付け加えたが、それでも気が済まなかったので、詳しい事情をその日のうちに手紙にして郵便で出した。頼んだ位置のことだけを信じ切った母は、「本当に間の悪い時は仕方がないものだね」と言って、残念そうな顔をした。