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四〜六

von 夏目漱石

小さな人数には広すぎる古い家の中は、静まり返っていた。私は荷物を解いて、書物を広げ始めた。しかし、なぜか心は落ち着かなかった。あの目まぐるしい東京の下宿の二階で、遠くから聞こえる電車の音を耳にしながら、一枚一枚ページをめくる方が、気持ちが引き締まって、勉強がはかどったのだ。

時折、私は机にもたれてうとうとしてしまった。時にはわざわざ枕を出して、本格的に昼寝を楽しむこともあった。目が覚めると、蝉の声が耳に響いていた。その声は、夢の中から続いているようで、急に耳の奥をかき乱した。私はその声をじっと聞きながら、時には悲しい思いを胸に抱いた。

私は筆を取り、友人たちに短い端書や長い手紙を書いた。友人の中には東京に残っている者もいれば、遠く故郷に帰っている者もいた。返事が来るものもあれば、音信不通の者もいた。私はもちろん、先生のことを忘れてはいなかった。国に帰ってからの自分について、原稿用紙に細い字で三枚ほど書き綴り、それを送ることにした。封をする時、先生はまだ東京にいるのだろうかと疑問に思った。先生が奥さんと一緒に家を留守にする時は、五十代の切り下げた髪の女性がどこからか来て、留守番をするのが常だった。以前、私がその人は誰ですかと尋ねた時、先生は「どう見えますか?」と返してきた。私はその人を先生の親類だと思い込んでいたが、先生は「私には親類はいませんよ」と答えた。先生は故郷の人々とは一切音信を交わしていなかった。その留守番の女性は、先生とは無関係な奥さんの親戚だったのだ。私は先生に手紙を出す時、ふとその女性が細い帯を楽に結んでいる姿を思い出した。もし先生夫婦がどこかへ避暑に行った後にこの手紙が届いたら、あの切り下げたおばあさんは、すぐに転地先へ送ってくれるだけの気転と親切があるだろうかと考えた。その一方で、手紙の中には特に必要なことも書いていないことを、私はよく理解していた。ただ、私は孤独だった。そして、先生から返事が来るのを待ち望んでいたが、その返事は結局来なかった。

父はこの前の冬に帰って来た時ほど将棋を差したがらなくなった。将棋盤はほこりがたまったまま、床の間の隅に寄せられていた。特に天皇陛下のご病気以降、父はずっと考え込んでいるように見えた。毎日新聞が届くのを待ち受け、自分が一番に読んでから、私のいるところに持ってきてくれた。

「おい、見てごらん。今日も天子さまのことが詳しく載っている」

父は陛下のことを、いつも天子さまと呼んでいた。

「勿体ない話だが、天子さまのご病気も、お父さんのとまあ似たものだろうな」

父の顔には深い懸念の影が浮かんでいた。こう言われると、私の胸には父がいつ倒れるか分からないという不安がよぎった。

「でも大丈夫だろう。おれのようなつまらない者でも、まだこうしていられるくらいだから」

父は自分の健康を自ら保証しながら、今にも自分に降りかかりそうな危険を感じているようだった。

「お父さんは本当に病気を怖がっているんですよ。お母さんが言うように、十年も二十年も生きる気じゃなさそうです」

私の言葉を聞いた母は、当惑した顔をした。

「ちょっとまた将棋でも差すように勧めてごらん」

私は床の間から将棋盤を取り下ろし、ほこりを拭いた。

父の元気は次第に衰えていった。私を驚かせたハンカチ付きの古い麦わら帽子も、自然と放置されるようになった。私は黒く煤けた棚の上に載っているその帽子を眺めるたびに、父に対して気の毒な思いを抱いた。父が以前のように軽やかに動ける間は、もう少し慎んでくれたらと心配した。しかし、父がじっと座り込むようになると、やはり元の方が元気だったのだという気が起こった。私は父の健康について、母とよく話し合った。

「まったく気のせいだよ」と母が言った。母は天皇陛下の病と父の病を結びつけて考えていたが、私にはそうばかりとも思えなかった。

「気じゃない。本当に身体が悪くないんでしょうか。どうも気分より健康の方が悪くなっていくらしい」

私はこう言いながら、心の中で遠くから医者でも呼んで、一度診てもらおうかと考えた。

「今年の夏はお前も退屈じゃないだろう。せっかく卒業したのに、お祝いもしてあげられず、お父さんの体もあの通りだし。それに天子様のご病気で。――いっそのこと、帰るすぐにお客でも呼ぶ方が良かったんだよ」

私が帰ったのは七月の五、六日で、父や母が私の卒業を祝うために客を呼ぼうと言い出したのは、それから一週間後だった。そして、いよいよと決まった日は、それからさらに一週間も先になっていた。時間に束縛されない悠長な田舎に帰った私は、結果的に好ましくない社交上の苦痛から救われたが、私を理解しない母は、そこに全く気が付いていないようだった。

崩御の報が伝えられた時、父はその新聞を手にして、「ああ、ああ」と言った。

「ああ、ああ、天子様もとうとうおかくれになる。自分も……」

父はその後を言わなかった。

私は黒い喪服を買うために町へ出た。それで旗竿の球を包み、旗竿の先に三寸幅のひらひらを付けて、門の扉の横から斜めに往来へ差し出した。旗も黒いひらひらも、風のない空気の中でだらりと下がった。私の家の古い門の屋根は藁で葺かれていた。雨や風に打たれ、吹かれたその藁の色は特に変色し、薄い灰色を帯び、所々の凸凹さえ目に付いた。私は一人、門の外に出て、黒いひらひらと、白いメリンスの地、そして地に染め出された赤い日の丸の色を眺めた。それが薄汚い屋根の藁に映るのも見つめた。私はかつて先生から「あなたの家の構えはどんな体裁ですか。私の故郷の方とは大分趣が違っていますかね」と聞かれたことを思い出した。私は自分の生まれたこの古い家を、先生に見せたくもあったし、また見せるのが恥ずかしくもあった。

私は再び一人、家の中に入った。自分の机の前に座り、新聞を読みながら、遠くの東京の様子を思い描いた。私の想像の中では、日本一の大きな都が、どれほど暗い中でどれほど活気に満ちているのかが、鮮やかに浮かび上がってきた。そんな黒い街の中で、動かざるを得ない都会の不安とざわめきの中に、まるで一点の灯火のように先生の家が見えた。その瞬間、私はその灯火が音もなく渦の中に自然と巻き込まれていることに気づかなかった。しばらくすれば、その灯もまたふっと消えてしまう運命が待っていることに、全く気づいていなかったのだ。

私は今回の事件について先生に手紙を書こうかと考え、筆を取り始めた。しかし、十行ほど書いたところでやめてしまった。書いた内容は、すぐに引き裂いて屑籠に投げ込んだ。先生にあんなことを書いても仕方がないと思ったし、過去の経験から考えても、返事をもらえる可能性は低いと感じていたからだ。私は孤独だった。それで手紙を書く気になったのだ。もし返事が来ればいいなと思っていた。

八月の半ば頃、ある友人から手紙が届いた。その中には、地方の中学教員の職があるが、行かないかという内容が書かれていた。この友人は経済的な理由から、自分でそのような職を探している男だった。最初は自分のところに話が来ていたのだが、もっと良い場所に相談ができたため、余った方を私に譲るつもりでわざわざ知らせてくれたのだ。私はすぐに返事を出して断った。知り合いの中には、教師の職に就くために骨を折っている者もいるから、その話をそちらに回してやった方がいいと書いた。

返事を出した後、私は父と母にその話をした。二人とも私が断ったことに異存はないようだった。

「そんなところに行かなくても、まだ良い口があるだろう」

そう言ってくれた裏には、私に対する二人の過剰な期待が隠れているのを感じた。無邪気な父と母は、卒業したばかりの私に不相応な地位と収入を期待しているようだった。

「相応の口って、最近ではそんなに良い職はなかなかないんですよ。特に兄さんと私では専門も違うし、時代も違うんだから、二人を同じように考えられると困ります」

「しかし、卒業した以上は、少なくとも独立してやっていってくれなくちゃこちらも困る。人から『あなたのところの二男は、大学を卒業して何をしているのか』と聞かれた時に、返事ができないようでは、私も肩身が狭いから」

父は渋い顔をした。父の考えは、古くから住み慣れた故郷から外に出ることを知らなかった。故郷の人々から、大学を卒業すればいくらぐらい月給がもらえるのかと聞かれたり、まあ百円ぐらいだろうかと言われたりした父は、そういう人々に対して、卒業したばかりの私をうまく片付けたかったのだ。広い都を拠点に考えている私から見ると、父や母はまるで空に向かって歩く不思議な人間のように思えた。私も時折、実際にそういう人間のような気持ちを抱くことがあった。私は自分の考えをあからさまに打ち明けるには、あまりにも距離のある父と母の前で黙っていた。

「お前のよく言う先生にでもお願いしたらいいじゃないか。こんな時こそ」

母はそう言って、先生を解釈することができなかった。その先生は、私に国に帰ったら父の生きているうちに早く財産を分けてもらえと勧める人だった。卒業したから、地位を紹介してくれる人ではなかった。

「その先生は何をしているのか」と父が尋ねた。

「何もしていないんです」と私は答えた。

私はとっくの昔から、先生が何もしていないということを父にも母にも伝えたつもりだった。そして父は確かにそれを覚えているはずだった。

「何もしていないというのは、どういうことだね。お前がそれほど尊敬する人なら、何かやっていそうなものだが」

父はそう言って、私をからかった。父の考えでは、役に立つ人は世の中に出て、みんな相応の地位を得て働いている。結局、やくざだから遊んでいるのだと結論しているようだった。

「俺のような人間だって、月給はもらっていないが、遊んでばかりいるわけじゃない」

父はそうも言ったが、私はまだ黙っていた。

「お前の言うような偉い方なら、きっと何か口を探してくださるよ。頼んでみたらどうだ」と母が尋ねた。

「いいえ」と私は答えた。

「じゃあ仕方がないじゃないか。なぜ頼まないんだい。手紙でもいいから出してみなさい」

「ええ」

私は生返事をして席を立った。