二十五〜二十七
von 夏目漱石
その年の六月に卒業する予定だった私は、どうしてもこの論文を四月いっぱいに仕上げなければならなかった。指を折って残りの日数を数えたとき、少し自分の根性を疑った。他の学生たちはずっと前から材料を集めたり、ノートを作ったりして忙しそうにしているのに、私だけは何も手をつけていなかった。ただ年が明けたら頑張ろうという決意だけがあった。その決意を胸に、私は作業を始めたが、すぐに行き詰まってしまった。これまで大きなテーマを頭の中で描いて、骨組みだけはほぼできていると思っていたのに、いざ書き始めると悩みが押し寄せてきた。
私は論文のテーマを小さくまとめることにした。そして、練り上げた考えを系統的に整理する手間を省くために、ただ書物の中にある材料を並べて、それに適当な結論を少し付け加えることにした。
私が選んだテーマは、先生の専門に近いものであった。以前、その選択について先生に意見を尋ねたとき、先生は「いいでしょう」と言ってくれた。少し狼狽した私は、すぐに先生のところへ行き、参考にすべき書籍を教えてもらった。先生は自分の知識の限りを快く教えてくれ、必要な書物を二、三冊貸してくれると言った。しかし、先生はこのテーマについて私を指導するつもりはないようだった。
「最近はあまり本を読まないから、新しいことは知りませんよ。学校の先生に聞いた方がいいでしょう」
先生はかつて非常に読書家だったが、どういうわけか、最近は以前ほどこの分野に興味を持たなくなったと、奥さんから聞いたことをその時ふと思い出した。私は論文のことを忘れ、ふと口を開いた。
「先生はどうして以前のように本に興味を持てなくなったんですか?」
「特に理由はないけれど……つまり、いくら本を読んでもそれほど偉くなれるわけではないと思うからでしょう。それに……」
「それに、他にも理由があるんですか?」
「他に理由があるほどでもないが、以前は人前に出たり、人に聞かれたりして知らないと恥ずかしいと思っていたけれど、最近は知らないことがそれほど恥ではないように思えるから、無理に本を読もうという気力がなくなったのでしょう。要するに、老い込んだのです」
先生の言葉はむしろ平静で、世間に背を向けた人の苦味が感じられなかったため、私にはそれほどの響きがなかった。私は先生を老い込んだとは思わず、また特に感心することもなく帰った。
その後、私はほとんど論文に取り憑かれた精神病者のように、目を赤くして苦しんだ。一年前に卒業した友人たちの様子を聞いてみたりした。その中の一人は締切の日に車で事務所に駆け込み、なんとか間に合わせたと言った。他の一人は五時を十五分ほど過ぎて持って行ったため、危うく受け取ってもらえないところを主任教授の好意で受理してもらったと聞いた。私は不安を感じつつも、心を決めた。毎日机の前で精一杯働き続けた。そうでなければ、薄暗い書庫に入って、高い本棚のあちらこちらを見回した。私の目は、好事家が骨董品を掘り出すときのように、背表紙の金文字を探し求めていた。
梅が咲く頃、寒い風は次第に南へ向かっていった。それが一仕切り経つと、桜の噂がちらほら耳に聞こえ始めた。それでも私は馬車馬のように前だけを見て、論文に鞭打たれ続けた。そしてついに四月の下旬が訪れ、ようやく予定通りのものを書き上げるまで、先生の家には足を踏み入れなかった。
私が自由になったのは、八重桜の散った枝に青い葉が霞むように伸び始める初夏の季節だった。私は籠を抜け出した小鳥のような心持ちで、広い天地を一目に見渡しながら、自由に羽ばたいた。すぐに先生の家へ向かった。枳殻の垣が黒ずんだ枝の上に、新芽を吹いていたり、柘榴の枯れた幹から、つやつやした茶褐色の葉が柔らかそうに日光を映していたりするのが、道すがら私の目を引きつけた。私は生まれて初めてそんな光景を見るような新鮮さを感じた。
先生は私の嬉しそうな顔を見て、「もう論文は片付いたんですか、よかったですね」と言った。私は「おかげさまでようやく済みました。もう何もすることはありません」と答えた。
実際、その時の私は、自分のすべきすべての仕事がすでに終わり、これからは威張って遊んでいても構わないような晴れやかな気持ちでいた。私は書き上げた論文に自信と満足を持っていた。先生の前で、その内容を何度も話した。先生はいつもの調子で「なるほど」とか「そうですか」と言ってくれたが、それ以上の批評は一切加えなかった。私は物足りないというよりも、少し拍子抜けした気分だった。それでもその日、私の気力は、因循な先生の態度に対抗しようとするほどに生き生きとしていた。私は青々と蘇生しようとする大自然の中に、先生を誘い出そうとした。
「先生、どこかへ散歩しましょう。外に出るととても気持ちがいいです」
「どこへ行くの?」
私はどこでも構わなかった。ただ先生を連れて郊外へ出たかった。
一時間後、先生と私は目的通り市を離れ、村とも町とも区別のつかない静かな場所を宛もなく歩いた。私は垣から若い柔らかい葉を摘んで芝笛を吹いた。鹿児島出身の友人の真似をしながら自然に覚えた私は、この芝笛を吹くのが得意だった。私が得意げにそれを吹き続けると、先生は知らん顔をしてよそを向いて歩いていた。
やがて、若葉に覆われた小高い場所の下に細い道が開けた。門の柱に打ち付けられた標札には「何々園」と書かれていて、その場所が個人の邸宅でないことがすぐに分かった。先生は緩やかな上り坂の入口を眺めて、「入ってみようか」と言った。私はすぐに「植木屋ですね」と答えた。
植え込みの中を一周して奥へ進むと、左側に家があった。明け放たれた障子の中はがらんとして人の影も見えなかった。ただ、軒先に置かれた大きな鉢の中で金魚が泳いでいた。
「静かだね。断りなしに入っても構わないだろうか?」
「構わないでしょう」
二人はさらに奥へと進んだ。しかし、そこにも人影は見当たらなかった。躑躅が燃えるように咲き乱れている。先生はその中で、樺色の丈の高いものを指さして言った。「これは霧島でしょう。」
芍薬も十坪ほど一面に植えられていたが、まだ季節が来ていないため、花をつけているものは一本もなかった。先生はその芍薬畠の傍にある古びた縁台の上に大の字に寝転がった。私はその余った端に腰を下ろし、煙草を吹かした。先生は青く透き通るような空を見上げていた。私は、私を包む若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよく見ると、一つ一つが違っていた。同じ楓の木でも、同じ色を枝に着けているものは一つもなかった。細い杉苗の頂にかぶせてあった先生の帽子が、風に吹かれて落ちた。
私はすぐにその帽子を拾い上げた。所々に付いている赤土を爪で弾きながら、先生を呼んだ。「先生、帽子が落ちました。」
「ありがとう。」
身体を半分起こしてそれを受け取った先生は、起きるとも寝るともつかない姿勢のままで、変なことを私に尋ねた。「突然だけど、君の家には財産がかなりあるのかい?」
「あるというほどではありません。」
「まあ、どのくらいあるのかね。失礼なことを聞いているかもしれないが。」
「どのくらいって、山と田地が少しあるだけで、金なんかまるでないでしょう。」
先生が私の家の経済について尋ねたのは、これが初めてだった。私の方はまだ先生の暮らしについて何も聞いたことがなかった。先生と知り合った当初、私は先生がどうして遊んでいられるのか疑問に思った。その後もその疑念は私の胸を離れなかった。しかし、そんな露骨な問題を先生の前に持ち出すのは失礼だと思い、いつも控えていた。若葉の色で疲れた目を休めていた私の心は、偶然またその疑念に触れた。
「先生はどうなんですか。どのくらいの財産をお持ちですか?」
「私は財産家に見えるかい?」
先生は普段からむしろ質素な服装をしていた。それに、家族も少人数だった。したがって、住宅も決して広くはなかった。しかし、その生活が物質的に豊かであることは、内輪にはいり込まない私の目にも明らかだった。要するに、先生の暮らしは贅沢とは言えないまでも、無理に切り詰めたものではなかった。
「そうでしょう」と私は言った。
「まあ、そのくらいの金はあるさ。しかし、決して財産家ではない。財産家ならもっと大きな家でも建てるさ。」
この時、先生は起き上がり、縁台の上に胡坐をかいたが、こう言い終えると、竹の杖の先で地面に円を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ。」
先生の言葉は半分独り言のようだった。それで、すぐ後に言い損なった私は、黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君。」と再度言った先生は、次に私の顔を見て微笑んだ。私はそれでも何も答えられなかった。むしろ、不調法で答えられなかったのだ。すると、先生がまた話題を変えた。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりましたか?」
私は父の病気について、正月以降何も知らなかった。月々国から送られてくる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手跡だったが、病気の訴えはほとんど見当たらなかった。その上、書体も確かだった。この種の病人に見られる震えが、少しも筆の運びを乱していなかった。
「何とも言ってきませんが、もう良いんでしょう。」
「良ければ結構だが、病症が病症だからね。」
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ちこたえているんでしょう。何とも言ってきませんよ。」
「そうですか。」
私は、先生が私の家の財産を聞いたり、父の病気を尋ねたりするのを、普通の会話――思いついたことをそのまま口にする、普通の会話だと思って聞いていた。しかし、先生の言葉の底には、両方を結びつける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない私は、当然そこに気が付くはずもなかった。