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四〜六

von 夏目漱石 · 2026-05-13

私は月末に東京へ帰った。先生が避暑地を引き上げたのは、それよりずっと前のことだった。別れるとき、私は「これから折々お宅へ伺ってもよろしいでしょうか」と尋ねた。先生は簡単に「ええ、いらっしゃい」とだけ答えた。その時、私は先生とかなり親しい関係になったつもりでいたので、もう少し温かい言葉を期待していた。だから、この物足りない返事が少し私の自信を傷つけた。

私はこうしたことで、よく先生に失望させられた。先生は私が失望していることに気づいているようでもあり、また全く気づいていないようでもあった。私は軽い失望を繰り返しながらも、先生から離れようとは思わなかった。むしろ、逆に不安に揺さぶられるたびに、もっと前に進みたくなった。もっと前に進めば、私が期待する何かが、いつか目の前に満足に現れるだろうと思った。私は若かった。しかし、すべての人間に対して、若い血がこんなに素直に働くとは思わなかった。なぜ私が先生に対してだけこんな心持ちになるのか、わからなかった。それが先生が亡くなった今になって、初めてわかってきた。先生は最初から私を嫌っていたわけではなかった。先生が私に見せた時々の素っ気ない挨拶や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかった。傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値がないからやめておけという警告を与えたのだ。他の懐かしみに応じない先生は、他を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたのだろう。

私はもちろん、先生を訪ねるつもりで東京に帰ってきた。帰ってから授業が始まるまでにはまだ二週間の猶予があったので、その間に一度行っておこうと思った。しかし、帰って二日、三日と経つうちに、鎌倉にいた時の気分が次第に薄れていった。そして、その上に彩られる大都会の空気が、記憶の復活に伴う強い刺激と共に、私の心を濃く染め付けた。往来で学生の顔を見るたびに、新しい学年に対する希望と緊張を感じた。私はしばらくの間、先生のことを忘れていた。

授業が始まって一ヶ月ほどすると、私の心にまた一種の弛みができてきた。何だか不足な気持ちで往来を歩き始め、自分の部屋を物欲しそうに見回した。再び、私の頭には先生の顔が浮かんできた。私はまた先生に会いたくなった。

初めて先生の家を訪ねた時、先生は留守だった。二度目に行ったのは次の日曜日だったと思う。晴れた空が身に沁みるような良い日和だった。その日も先生は留守だった。鎌倉にいた時、私は先生自身の口から、いつでも大抵家にいるということを聞いていた。むしろ外出嫌いだとも聞いていた。二度来て二度とも会えなかった私は、その言葉を思い出し、理由もない不満を感じた。私はすぐに玄関先を去らなかった。下女の顔を見て少し躊躇して立ち尽くしていた。この前名刺を取り次いだ下女は、私を待たせてまた内に入っていった。すると、奥さんらしい人が代わって出てきた。美しい奥さんだった。

私はその人から丁寧に先生の出先を教えられた。先生は毎月その日になると雑司ヶ谷の墓地にあるある仏に花を手向けに行く習慣があるそうだ。「たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかでございます」と奥さんは気の毒そうに言ってくれた。私は会釈して外へ出た。賑やかな町の方へ一丁ほど歩くと、私も散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。先生に会えるか会えないかという好奇心も動いた。それですぐに踵を返した。

私は墓地の手前にある苗畠の左側から入り、両側に楓を植えた広い道を奥へ進んで行った。すると、その端に見える茶店の中から先生らしい人がふいと出てきた。私はその人の眼鏡の縁が日に光るのを見て、近くまで寄って行った。そして、思わず「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち止まり、私の顔を見た。

「どうして……、どうして……」

先生は同じ言葉を二度繰り返した。その言葉は静まり返った昼の中に異様な調子で繰り返された。私は急に何も応えられなくなった。

「私の後をつけて来たのですか。どうして……」

先生の態度はむしろ落ち着いていた。声はむしろ沈んでいた。しかし、その表情の中には、はっきりとは言えない一種の曇りがあった。

私は、どうしてここへ来たのかを先生に話した。

「誰の墓へ参りに行ったか、妻がその人の名を言いましたか?」

「いいえ、そんなことは何もおっしゃいません。」

「そうですか。――そう、それは言うはずがありませんね、初めて会ったあなたに。言う必要がないんだから。」

先生はようやく納得したらしい様子だった。しかし、私にはその意味がまるでわからなかった。

先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々の墓だの、神僕ロギンの墓だのという傍に、「一切衆生悉有仏生」と書かれた塔婆などが建っていた。全権公使何々というのもあった。私は「これは何と読むんでしょう」と安得烈と彫り付けられた小さな墓の前で先生に尋ねた。「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」と言って、先生は苦笑した。

先生はこれらの墓標が表す人種々の様式に対して、私ほどに滑稽さやアイロニーを感じていないようだった。私が丸い墓石や細長い御影の碑を指して、しきりにあれこれ言いたがるのを、最初は黙って聞いていたが、やがて「あなたは死という事実をまだ真面目に考えたことがありませんね」と言った。私は黙った。先生もそれ以降何も言わなくなった。

墓地の区切り目に、大きな銀杏の木が一本、空を隠すように立っていた。その下に来た時、先生は高い梢を見上げて、「もう少しすると、綺麗ですよ。この木がすっかり黄葉して、ここいらの地面は金色の落葉で埋まるようになります」と言った。先生は月に一度ずつ必ずこの木の下を通るのだった。

向こうの方で凸凹の地面をならして新墓地を作っている男が、鍬の手を休めて私たちを見ていた。私たちはそこから左に切れてすぐ街道へ出た。

目的もなくただ先生の後をついて歩いていた私は、特に窮屈さを感じることもなく、のんびりとした気持ちで坂を下っていった。先生はいつもより口数が少なかったが、私はそれを気にせず、静かに歩を進めた。

「すぐにお帰りですか?」と私が尋ねると、先生は「ええ、特に寄るところもありませんから」と答えた。

再び二人は黙って南の方へと進んだ。少し歩いたところで、私は思い切って口を開いた。「先生のお宅の墓地はあそこにあるんですか?」

「いいえ」と先生は短く返した。

「どなたのお墓があるんですか? ご親類のお墓ですか?」

「いいえ」と、先生はそれ以上何も言わなかった。私はその話をこれ以上続けるのをやめ、沈黙が戻った。しばらく歩いた後、先生が突然言った。「あそこには私の友達の墓があるんです。」

「お友達のお墓には毎月お参りに行くのですか?」と私は尋ねた。

「そうです」と先生は答えた。その日、彼はそれ以外のことを語ることはなかった。

それから私は時々先生を訪れるようになった。行くたびに、先生は在宅で、私が訪れる回数が増えるにつれて、ますますその玄関に足を運ぶようになった。

しかし、先生の私に対する態度は、初めて挨拶を交わした時も、親しくなった後も、あまり変わらなかった。いつも静かで、時には静かすぎて淋しさを感じることもあった。最初から、先生には近づきがたい不思議な雰囲気があると思っていたが、それでもどうしても近づかずにはいられないという気持ちが強く働いていた。この感覚を持っていたのは、もしかしたら私だけかもしれない。しかし、その直感が後に事実として証明されたのだから、私は若いと笑われても、自分の直感を信じて嬉しく思っていた。人を愛し、愛さずにはいられない人でありながら、自分の懐に入ろうとする者を抱きしめることのできない人、それが先生だった。

先生はいつも静かで落ち着いていたが、時折その顔に変な曇りが浮かぶことがあった。まるで窓に黒い鳥影が射すように、すぐに消えてしまうのだ。私が初めてその曇りを先生の眉間に見たのは、雑司ヶ谷の墓地で不意に先生を呼びかけた時だった。その瞬間、今まで快く流れていた心臓の鼓動が少し鈍った。しかし、それは一時のことに過ぎず、すぐに心は元の弾力を取り戻した。私はその暗い雲の影を忘れてしまったが、再び思い出させられたのは、小春の終わりかけたある晩のことだった。

先生と話していた私は、ふと先生がわざわざ教えてくれた銀杏の大樹を思い浮かべた。考えてみると、先生が毎月墓参に行く日が、ちょうど三日後に当たっていた。その日は私の授業が午前で終わる楽な日だった。私は先生に言った。「先生、雑司ヶ谷の銀杏はもう散ってしまったでしょうか?」

「まだ空坊主にはならないでしょう」と先生は答えながら、私の顔をじっと見つめていた。

「今度お墓参りに行く時に、お供してもいいですか? あそこの散歩をしてみたいです」と私は続けた。

「私は墓参りに行くので、散歩に行くわけではありません」と先生は言った。

「でも、ついでに散歩をなさったらちょうどいいじゃありませんか」と私は食い下がった。

先生は何も答えなかった。しばらくしてから、「私のは本当の墓参りだけなんだから」と言い、墓参りと散歩を切り離そうとする様子が見えた。私にはその時の先生が、子供のように無邪気で変に思えた。

「じゃあ、お墓参りでもいいから一緒に連れて行ってください。私もお墓参りをしますから」と私は言った。

実際、私には墓参りと散歩の区別がほとんど意味を持たないように思えた。すると、先生の眉が少し曇り、目の中に異様な光が宿った。それは迷惑でも嫌悪でもなく、微かな不安のようだった。私はすぐに雑司ヶ谷で「先生」と呼びかけた時の記憶を思い出した。その二つの表情は全く同じだった。

「私は」と先生が言った。「私はあなたに話すことのできない理由があって、他の人と一緒にあそこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻さえまだ連れて行ったことがないのです。」