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十一 (5/5)

von 夏目漱石

寒月君は、少し厭世的な意見を持つ先生方に対して、妙な感覚を抱いていた。「どういうことなのでしょうか」と彼は言った。

「それは、君が妻を持っているからだよ」と迷亭君がすぐに解釈した。その時、主人が突然こんなことを言い出した。「妻を持って、女はいいものだと思うのは大きな間違いだ。参考のために、面白い本を読んで聞かせるから、よく聴きなさい」と言いながら、書斎から持ってきた古い本を手に取った。「この本は古いけれど、女の悪いところは昔から明らかにされているんだ」と言うと、寒月君は驚いた。

「少し驚きました。元々、いつの時代の本ですか?」と彼が尋ねると、「タマス・ナッシという十六世紀の著作だ」と主人は答えた。

「本当に驚きました。その時代にすでに私の妻の悪口が書かれていたのですか?」

「いろいろな女の悪口があるが、その中には君の妻も含まれているから、聞いてみなさい」と主人が言うと、寒月君は「ええ、聞きますよ。ありがたいことになりましたね」と応じた。

「まず、古来の賢者たちが女性観について書いている。いいか、聞いているか?」と主人が続ける。

「みんな聞いているよ。独身の僕まで聞いているよ」と寒月君が返す。

「アリストテレス曰く、女はどうせ碌でなしだから、嫁をとるなら大きな嫁より小さな嫁をとるべきだ。大きな碌でなしより、小さな碌でなしの方が災いが少ない……」

「寒月君の妻は大きいのか、小さいのか?」と迷亭君が尋ねる。

「大きな碌でなしの部ですよ」と寒月君が答える。

「ハハハ、これは面白い本だ。さあ、続けて読んでみよう」と主人が言った。

「ある人が問う、いかなるかこれ最大の奇跡。賢者が答えて曰く、貞婦……」

「賢者って誰ですか?」と寒月君が尋ねる。

「名前は書いてない」と主人が答える。

「どうせ振られた賢者に違いないね」と寒月君が言う。

「次にはダイオニスが出てくる。ある人が問う、妻を娶るのはいずれの時にすべきか。ダイオニスが答えて曰く、青年は未だし、老年はすでに遅し、とある」と主人が続ける。

「先生、樽の中で考えたのですね」と迷亭君が言う。

「ピタゴラス曰く、天下に三つの恐るべきものがある。火、水、女だ」と主人が言うと、寒月君が反論する。「希臘の哲学者たちは意外と迂濶なことを言うものですね。僕に言わせれば、天下に恐るべきものはない。火に入って焼けず、水に入って溺れず……」と独仙君が言いかけると、迷亭先生が援護する。

「女に出会ってとろけずだろう」と迷亭先生が言うと、主人はさっさと続けて読んだ。

「ソクラテスは婦女子を御することは人間の最大の難事だと言った。デモステネス曰く、人がその敵を苦しめようとするなら、わが女を敵に与えるより他に策はない。家庭の波風に日夜困憊することになるからだと。セネカは婦女と無学を世界の二大厄とし、マルクス・アウレリウスは女子は制御し難い点で船舶に似ていると言い、プロタゴラスは女子が華やかさを飾る性癖を持ってその本質の醜さを隠す陋策に基づくものだと述べている。ヴァレリウスはかつて書を友人に送り、天下に女子が忍んでなし得ないことはないと告げ、願わくば天が君を彼等の術中に陥らせないようにと祈った。彼はまた言った、女子とは何か。友愛の敵ではないか。避けられない苦しみではないか、必然の害ではないか、自然の誘惑ではないか、蜜に似た毒ではないか。もし女子を棄てることが不徳なら、彼等を棄てないことは一層の呵責だと言わざるを得ない……」

「もうたくさんです、先生。そのくらい愚妻の悪口を聞けば十分です」と寒月君が言うと、主人は「まだ四五ページあるから、ついでに聞いたらどうだ」と言った。

「もうたいていにするがいい。もう奥方の帰る時間だろう」と迷亭先生がからかうと、茶の間の方から「清や、清や」と細君が下女を呼ぶ声が聞こえた。

「これは大変だ。奥方はちゃんといるぞ、君」と主人が言うと、寒月君は「ウフフフフ」と笑いながら「構うものか」と言った。

「奥さん、奥さん。いつの間に帰られたのですか?」と主人が尋ねるが、茶の間では静まり返って答えがない。

「奥さん、今のを聞いたのですか?え?」と主人が再度尋ねるが、答えはまだない。

「今のはね、御主人の考えではないですよ。十六世紀のナッシ君の説ですから、安心してください」と主人が言うと、妻君は遠くから「存じません」と簡単に返事をした。寒月君はくすくすと笑った。

「私も存じませんで失礼しましたアハハハハ」と迷亭君は遠慮なく笑っていると、門口が乱暴に開かれ、頼むとも御免とも言わず、大きな足音がしたと思ったら、座敷の唐紙が乱暴に開いて、多々良三平君の顔がその間から現れた。

三平君は今日はいつになく真っ白なシャツに新しいフロックを着て、すでに少し相場を狂わせている上に、右手に重そうに下げた四本の麦酒を縄ぐるみ、鰹節の傍に置くと同時に挨拶もせず、どっかと腰を下ろし、膝を崩したのは目覚ましい武者振りだった。

「先生、胃病は近頃いいですか。こうやって、うちにばかりいらっしゃるから、いかんたい」と三平君が言う。

「まだ悪いとも何とも言っていない」と主人が答える。

「いわんばってんが、顔色はよくないようだ。先生、顔色が黄色いですばい。近頃は釣りがいいです。品川から舟を一艘雇って――私はこの前の日曜に行きました」と三平君が続ける。

「何か釣れたかい?」と主人が尋ねる。

「何も釣れません」と三平君が答える。

「釣れなくても面白いのかい?」と主人が聞く。

「浩然の気を養うためです、あなた。どうです、あなたがた。釣りに行ったことがありますか?面白いですよ、釣りは。大きな海の上を小舟で乗り回しているのですからね」と三平君は誰彼構わず話しかける。

「僕は小さな海の上を大船で乗り回していたいんだ」と迷亭君が相手になる。

「どうせ釣るなら、鯨か人魚でも釣らなくちゃ、詰らないです」と寒月君が答える。

「そんなものが釣れますか。文学者は常識がないですね……」と三平君が言うと、寒月君が反論する。

「僕は文学者じゃありません」と寒月君が言う。

「そうですか、何ですかあなたは。私のようなビジネスマンになると常識が一番大切ですからね。先生、私は近頃よっぽど常識に富んできました。どうしてもあんな所にいると、周りが周りだから、自然とそうなってしまうのです」と三平君が言う。

「どうなってしまうのだ?」と主人が尋ねる。

「煙草でもですね、朝日や敷島をふかしていては幅が利かないです」と言いながら、吸口に金箔のついた埃及煙草を取り出して、すぱすぱ吸い始めた。

「そんな贅沢をする金があるのかい?」と主人が尋ねる。

「金はないけれど、今にどうにかなるさ。この煙草を吸っていると、大変信用が違うんです」と三平君が言う。

「寒月君が珠を磨くよりも楽な信用でいい、手数がかからない。軽便信用だね」と迷亭君が寒月に言うと、寒月は何とも答えないまま、三平君は話を続けた。

「あなたが寒月さんですか。博士にはとうとうならないのですか。あなたが博士にならないものだから、私が貰うことにしました。」

「博士をですか?」

「いいえ、金田家の令嬢をです。実は御気の毒だと思ったのですが、先方で是非貰ってくれ、貰ってくれと言うので、とうとう貰うことに決めました、先生。しかし寒月さんに義理が悪いと思って心配しています。」

「どうか御遠慮なく」と寒月君が言うと、主人は

「貰いたければ貰ったらいいだろう」と曖昧な返事をする。

「それはおめでたい話だ。だからどんな娘を持っても心配することはないんだよ。誰か貰うと、さっき僕が言った通り、ちゃんとこんな立派な紳士の御婿さんが出来たじゃないか。東風君、新体詩の種が出来た。早速取りかかりたまえ」と迷亭君が調子づくと、三平君は

「あなたが東風君ですか、結婚の時に何か作ってくれませんか。すぐ活版にして方々へ配ります。太陽にも出してもらいます。」

「ええ、何か作りましょう。いつ頃御入用ですか?」

「いつでもいいです。今まで作ったうちでもいいです。その代わり、披露の時に呼んで御馳走します。シャンパンを飲ませます。君、シャンパンを飲んだことがありますか。シャンパンは美味しいです。――先生、披露会の時に楽隊を呼ぶつもりですが、東風君の作を譜にして奏したらどうでしょう。」

「勝手にするがいい。」

「先生、譜にしてくださらないか。」

「馬鹿言え。」

「誰か、このうちに音楽の出来る者はいませんか?」

「落第の候補者寒月君はヴァイオリンの妙手だよ。しっかり頼んでみたまえ。しかしシャンパンくらいじゃ承知しそうもない男だ。」

「シャンパンもですね。一瓶四円や五円のじゃよくないです。私の御馳走するのはそんな安いのじゃありませんが、君一つ譜を作ってくれませんか?」

「ええ、作りますとも。一瓶二十銭のシャンパンでも作ります。なんならただでも作ります。」

「ただは頼みません、御礼はします。シャンパンがいやなら、こういう御礼はどうですか」と言いながら上着の隠袋の中から七八枚の写真を出して、ばらばらと畳の上に落とす。半身がある。全身がある。立っているのがある。座っているのがある。袴を穿いているのがある。振袖がある。高島田がある。ことごとく妙齢の女子ばかりである。

「先生、候補者がこれだけあります。寒月君と東風君にこのうちどれか御礼に周旋してもいいです。これ、どうです」と一枚寒月君につきつける。

「いいですね。是非周旋を願いましょう。」

「これでもいいですか」とまた一枚つきつける。

「それもいいですね。是非周旋してください。」

「どれをですか?」

「どれでもいいです。」

「君、なかなか多情ですね。先生、これは博士の姪です。」

「そうか。」

「この方は性質が極めて良いです。年も若いです。これで十七です。――これなら持参金が千円あります。――こっちのは知事の娘です」と一人で弁じ立てる。

「それをみんな貰う訳にはいかないでしょうか。」

「みんなですか、それはあまり欲張りたい。君、一夫多妻主義ですか?」

「多妻主義じゃないですが、肉食論者です。」

「何でもいいから、そんなものは早くしまったらよかろう」と主人は叱りつけるように言い放ったので、三平君は

「それじゃ、どれも貰わないですね」と念を押しながら、写真を一枚一枚ポケットに収めた。

「何だいそのビールは?」

「お土産でございます。前祝に角の酒屋で買ってきました。一つ飲んでください。」

主人は手を拍って下女を呼び、栓を抜かせる。主人、迷亭、独仙、寒月、東風の五君は恭しくコップを捧げて、三平君の艶福を祝した。三平君は大いに愉快な様子で

「ここにいる諸君を披露会に招待しますが、みんな出てくれますか、出てくれるでしょうね」と言う。

「おれはいやだ」と主人はすぐ答える。

「なぜですか。私の一生に一度の大礼ですばい。出てくんなさらんか。少し不人情のごたるな。」

「不人情じゃないが、おれは出ないよ。」

「着物がないですか。羽織と袴くらいどうでもしますたい。ちょっと人中へも出るがよかたい先生。有名な人に紹介してあげます。」

「真平ご免だ。」

「胃病が癒りますばい。」

「癒らんでも差し支えない。」

「そんな頑固張りなさるならやむを得ません。あなたはどうです、来てくれますか?」

「僕かね、是非行くよ。出来るなら媒酌人たるの栄を得たいくらいのものだ。シャンパンの三々九度や春の宵。――何、仲人は鈴木の藤さんだって? なるほどそこいらだろうと思った。これは残念だが仕方がない。仲人が二人出来ても多過ぎるだろう、ただの人間としてまさに出席するよ。」

「あなたはどうです?」

「僕ですか、一竿風月閑生計、人釣白蘋紅蓼間。」

「何ですかそれは、唐詩選ですか?」

「何だかわからんです。」

「わからんですか、困りますな。寒月君は出てくれるでしょうね。今までの関係もあるから。」

「きっと出ることにします。僕の作った曲を楽隊が奏するのを、聞き逃すのは残念ですからね。」

「そうですとも。君はどうです、東風君?」

「そうですね。出て御両人の前で新体詩を朗読したいです。」

「そりゃ愉快だ。先生、私は生まれてから、こんな愉快なことはないです。だからもう一杯ビールを飲みます」と自分で買ってきたビールを一人でぐいぐい飲んで真っ赤になった。

短い秋の日はようやく暮れて、巻煙草の死骸が散らばる火鉢の中を見れば、火はとっくの昔に消えている。さすがに呑気な連中も少し興が尽きたと見えて、「大分遅くなった。もう帰ろうか」とまず独仙君が立ち上がる。続いて「僕も帰る」と口々に玄関に出る。寄席が終わった後のように座敷は寂しくなった。

主人は夕飯を済ませて書斎に入る。妻君は肌寒い襦袢の襟をかき合わせて、洗い晒しの不断着を縫っている。小供は枕を並べて寝る。下女は湯に行った。

人々は一見呑気に見えるが、心の奥を叩いてみると、どこか悲しい音が響いてくる。悟ったように見える独仙君も、結局は地面以外の場所を踏むことはない。気楽に見える迷亭君の世の中は、決して絵に描いたようなものではない。寒月君は珠磨りをやめ、ついに故郷から奥さんを連れてきた。これが普通の流れだ。しかし、普通が長く続くと、きっと退屈になるだろう。東風君も、十年後には無暗に新体詩を捧げることの無意味さに気づくだろう。

三平君に至っては、水に住む人なのか、山に住む人なのか、見極めるのが難しい。生涯、三鞭酒を振る舞って得意になれるなら、それはそれで良いことだ。鈴木の藤さんはどこまでも転がり続けている。転がれば泥がつくが、泥がついても転がれないものよりは幅が利く。猫として生まれ、人の世に住むことも、もう二年が経った。自分ではこれほどの見識を持つ者は他にいないと思っていたが、先日、カーテル・ムルという見知らぬ同族が突然現れ、驚かされた。よくよく聞いてみると、実は百年前に死んでいたのだが、好奇心からわざわざ幽霊になって私を驚かせるために、遠い冥土から出てきたのだそうだ。この猫は、母と対面する際、挨拶のしるしとして一匹の肴をくわえて出かけたが、途中で我慢できずに自分で食べてしまったという不孝者でありながら、才気は人間に負けないほどで、ある時には詩を作って主人を驚かせたこともあるそうだ。こんな豪傑がすでに一世紀も前に現れていたなら、私のような碌でなしはとっくに暇をもらって無何有郷に帰っても良かったはずだ。

主人は早晩、胃病で死ぬだろう。金田のじいさんは欲にまみれて、もう死んでいる。秋の木の葉はほとんど落ち尽くした。死ぬことは万物の定めであり、生きていてもあまり役に立たないなら、早く死ぬことが賢いのかもしれない。諸先生の説によれば、人間の運命は自殺に帰するそうだ。油断すると、猫もそんな窮屈な世に生まれなければならなくなる。恐ろしいことだ。何だか気が滅入ってきた。三平君のビールでも飲んで、少し気分を変えよう。

勝手に回る。秋風に揺れる戸が細く開いている間から吹き込んできたのか、ランプはいつの間にか消えているが、月明かりが窓から影を落としている。コップが盆の上に三つ並び、そのうち二つには茶色の水が半分ほどたまっている。ガラスの中のものは、湯でも冷たい気がする。ましてや、夜寒の月影に照らされたこの液体は、唇をつける前からすでに寒くて飲みたくもない。しかし、試してみる価値はある。三平はあれを飲んでから真っ赤になり、熱苦しい息遣いをしていた。猫だって飲めば陽気にならないわけではない。どうせいつ死ぬかわからない命だ。何でも命のあるうちにやっておくべきだ。死んでから「ああ、残念だ」と墓場の影から悔やんでも遅い。思い切って飲んでみようと、勢いよく舌を入れてぴちゃぴちゃやってみると、驚いた。舌の先を針で刺されたようにぴりりとした。人間は何の酔興でこんな腐ったものを飲むのかわからないが、猫にはとても飲み切れない。どうしても猫とビールは相性が良くない。これは大変だと一度は出した舌を引っ込めたが、また考え直した。人間は口癖のように「良薬口に苦し」と言い、風邪をひくと顔をしかめて変なものを飲む。飲むから癒えるのか、癒えるために飲むのか、今まで疑問だったが、ちょうどいい機会だ。この問題をビールで解決してやろう。飲んで腹の中が苦くなったらそれまでのこと、もし三平のように前後を忘れるほど愉快になれば、空前の儲け者で、近所の猫に教えてやってもいい。まあどうなるか、運を天に任せて、やってみると決心して再び舌を出した。目を開けていると飲みにくいから、しっかり眠って、またぴちゃぴちゃ始めた。

私は我慢に我慢を重ねて、ようやく一杯のビールを飲み干したとき、妙な現象が起こった。最初は舌がぴりぴりして、口の中が外から圧迫されるように苦しかったが、飲むにつれて徐々に楽になり、一杯目を片付ける頃には特に苦労もなくなった。もう大丈夫だと二杯目も難なくやっつけた。ついでに盆の上にこぼれたのも拭うように腹の中に収めた。

それからしばらくの間、自分の動静を伺うため、じっとすくんでいた。次第に体が温かくなる。目の周りがぽうっとし、耳がほてる。歌が歌いたくなる。猫として踊りたくなる。主人も迷亭も独仙も、糞を食えと言いたくなる。金田のじいさんを引っ掻いてやりたくなる。妻君の鼻を食い欠きたくなる。いろいろな気持ちが湧いてくる。最後にはふらふらと立ちたくなる。起き上がったらよたよた歩きたくなる。これは面白いと思い、外に出たくなる。出ると月様、今晩はと挨拶したくなる。どうも愉快だ。

陶然とはこんなことを言うのだろうと思いながら、あてもなく、そこかしこを散歩するような、しないような心持ちで、しまりのない足をいい加減に運ばせていくと、何だかしきりに眠い。寝ているのか、歩いているのか判然としない。目は開けるつもりだが、重くてたまらない。こうなればそれまでだ。海だろうが、山だろうが驚かないんだと、前足をぐにゃりと前に出したと思った瞬間、ぼちゃんと音がして、はっと気がつく――やられた。どうやられたのか考える間もない。ただやられたなと気づくかどうかのうちに、あとは滅茶苦茶になってしまった。

我に帰ったとき、私は水の上に浮いていた。苦しいから爪でやたらに掻いたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐに沈んでしまう。仕方がないから後足で飛び上がっておいて、前足で掻いたら、がりりと音がしてわずかに手応えがあった。ようやく頭だけが浮かんできたので、周りを見回すと、私は大きな甕の中に落ちている。この甕は夏まで水葵と呼ばれる水草が茂っていたが、その後、烏の勘公が来て葵を食い尽くし、行水を使う。行水を使えば水が減る。減れば来なくなる。最近は大分減って烏が見えないなと先ほど思ったが、まさか私自身が烏の代わりにこんなところで行水を使うことになるとは思いも寄らなかった。

水面から甕の縁までの高さは、四寸ほどもあった。足を伸ばしても届かない。飛び跳ねても、そこから出ることはできない。何もせずにいると、ただ沈んでいくばかりだ。必死にもがいても、爪が甕の内側にかすかに当たるだけで、その瞬間、少しだけ浮く気がするが、すぐにまた沈んでしまう。沈むのが苦しいから、またもがく。そうしているうちに、体が疲れてくる。焦る気持ちとは裏腹に、足は思うように動かなくなる。ついには、甕を掻くために潜るのか、潜るために掻くのか、自分でも分からなくなってしまった。

その時、苦しみの中でこう考えた。こんな苦しみを味わっているのは、ただ甕から上に上がりたいという願望からだ。上がりたい気持ちは山々だが、上がれないことは十分に理解している。自分の足は三寸にも満たない。仮に水面に体が浮いて、そこから前足を思い切り伸ばしても、五寸もある甕の縁には爪がかかることはない。甕の縁に爪がかからなければ、どれだけ掻いても、焦っても、百年かけて身を粉にしても、出られるわけがない。出られないと分かっているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから、苦しみが増すのだ。なんと無駄なことだろう。自ら求めて苦しみ、自ら好んで拷問にかかっているのは、まったく馬鹿げている。

「もうやめよう。勝手にするがいい。これ以上はごめんだ」と、前足も後足も、頭も尾も、自然の力に任せて抵抗しないことに決めた。

次第に楽になっていく。苦しいのかありがたいのか、よく分からない。水の中にいるのか、座敷の上にいるのかも判然としない。どこにいても、どうしていても、差し支えはない。ただ楽である。いや、楽そのものすらも感じることができない。日月を切り離し、天地を粉々にして、不可思議な平穏の中に入っていく。私は死ぬ。死んでこの平穏を得る。平穏は、死ななければ得られないのだ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。ありがたい、ありがたい。