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十一 (4/5)

von 夏目漱石

「水力発電のようなものだね。水の力に逆らわず、むしろそれを利用して電力に変換し、役立てる……」と寒月が言いかけると、独仙がすぐにその言葉を引き取った。「だから、貧しい時には貧しさに縛られ、豊かな時には豊かさに縛られる。悲しい時には悲しみに、楽しい時には喜びに縛られるのさ。才能ある者は才能に倒れ、知恵のある者は知恵に敗れる。苦沙弥のような癇癪持ちは、その癇癪を利用すればすぐに敵の罠にかかる……」

「ひやひや」と迷亭が手を叩くと、苦沙弥はにやにや笑いながら、「そう簡単にはいかないよ」と返した。すると、みんな一斉に笑い出した。

「ところで、金田のような人はどうやって倒れるんだろう?」

「妻は鼻で倒れ、主人は因業で倒れ、子分は探偵で倒れるんじゃないか?」

「娘は?」

「娘は――見たことがないから何とも言えないが、まず着倒れか、食い倒れ、あるいは飲んだくれの類だろう。恋い倒れにはならないだろうが、もしかしたら卒塔婆小町のように行き倒れになるかもしれない」

「それは少しひどい」と、新体詩を捧げたばかりの東風が異議を唱えた。

「だから、『応無所住而生其心』というのは大事な言葉なんだ。そういう境地に達しないと、人間は苦しくてたまらない」と独仙はしきりに独り言のように言った。

「そんなに威張ることじゃないよ。君なんか、電光影裏で逆さまになってしまうかもしれないぜ」

「とにかく、このまま文明が進んでいく時代に生きているのは嫌だ」と主人が言い出した。

「遠慮はいらないから、死ぬさ」と迷亭が言い放つ。

「死ぬのはなお嫌だ」と主人はわけのわからない強情を張った。

「生まれるときには誰も熟考して生まれるものはないが、死ぬときには誰も苦にするようだね」と寒月がよそよそしい格言を述べる。

「借りた金を返すときにはみんな心配するのと同じだ」と、こんな時にすぐ返事ができるのは迷亭だ。

「借りた金を返すことを考えない者は幸福であり、死ぬことを苦にしない者も幸福だ」と独仙は超然として世間を超えた考えを述べた。

「君のように言うと、つまり図太いのが悟ったということだね」

「そうさ、禅語に『鉄牛面の鉄牛心、牛鉄面の牛鉄心』というのがある」

「それで君はその標本というわけか?」

「そうでもない。しかし、死ぬことを苦にするようになったのは神経衰弱という病気が発明されてからのことだよ」

「なるほど、君はどこから見ても神経衰弱以前の人だね」

迷亭と独仙が妙な掛け合いをしていると、主人は寒月と東風を相手にしきりに文明の不平を述べていた。

「どうして借りた金を返さずに済ますかが問題だ」

「そんな問題はありませんよ。借りたものは返さなければなりませんよ」

「まあそうだ。議論だから、黙って聞いていなさい。どうして借りた金を返さずに済ますかが問題であるように、どうしたら死なずに済むかが問題だ。いや、問題であった。錬金術はこれだ。すべての錬金術は失敗した。人間はどうしても死ななければならないことが明らかになった」

「錬金術以前から明らかだよ」

「まあそうだ、議論だから黙って聞いていなさい。いいかい、どうしても死ななければならないことが明らかになったときに、第二の問題が起こる」

「へえ」

「どうせ死ぬなら、どうやって死ぬのがよいか。これが第二の問題だ。自殺クラブはこの第二の問題と共に起こる運命を持っている」

「なるほど」

「死ぬことは苦しい。しかし、死ぬことができなければなお苦しい。神経衰弱の国民には、生きていることが死よりもはるかに苦痛である。そのため、死を苦にする。死ぬのが嫌だから苦にするのではなく、どうやって死ぬのが一番よいかを心配するのだ。ただ、ほとんどの人は知恵が足りないから、自然のままに放置しておくうちに、世間がいじめて殺してくれる。しかし、一つの癖がある者は、世間からなし崩しにいじめ殺されて満足するものではない。必ずや死に方について様々に考察し、斬新な名案を提案するに違いない。だから、これからの世界の趨勢は自殺者が増加し、その自殺者が皆独創的な方法でこの世を去るに違いない」

「だいぶ物騒なことになるね」

「なるよ、確かに。アーサー・ジョーンスという人の書いた脚本の中には、しきりに自殺を主張する哲学者がいて……」

「自殺するのか?」

「ところが、惜しいことにしないのだ。しかし、今から千年も経てば、みんな実行するに違いないよ。万年後には、死といえば自殺以外には存在しないもののように考えられるようになる」

「大変なことになるね」

「なるよ、きっとなる。そうなると、自殺もだいぶ研究が進んで立派な科学になり、落雲館のような中学校で倫理の代わりに自殺学を正科として教えるようになる」

「面白いですね、傍聴に出たいくらいだ。迷亭先生、聞きましたか?苦沙弥先生の名論を」

「聞いたよ。その時代になると、落雲館の倫理の先生はこう言うだろうね。『諸君、公徳などという野蛮の遺風を守ってはならない。世界の青年として、諸君が第一に注意すべき義務は自殺である。しかして、自らの好むところはこれを他に施すことができるのだから、自殺を一歩展開して他殺にしてもよろしい。特に、表の窮措大珍野苦沙弥氏のような者は、生きているのが大変苦痛のように見受けられるから、一刻も早く殺して進ぜるのが諸君の義務である。ただし、昔と違って今日は開明の時代であるから、槍や薙刀、あるいは飛び道具の類を用いるような卑怯な振舞をしてはならない。ただ、あてこすりの高尚なる技術によって、からかい殺すのが本人のためにも功徳になり、また諸君の名誉にもなるのであります。……』」

「なるほど、面白い講義をしますね」

「まだ面白いことがあるよ。現代では警察が人民の生命財産を保護するのを第一の目的としている。しかし、その時代になると、巡査が犬殺しのような棍棒を持って天下の公民を撲殺して歩く……」

「なぜですか?」

「今の人々は命を大切に思っているから、警察が人を守るのだが、昔の国民は生きていることが苦痛だった。だから巡査は、慈悲の心で人を打ち殺してくれたのさ。もっとも、少し賢い人はほとんど自殺してしまうから、巡査に撃たれるような人間は、よほど意気地がないか、自殺する勇気のない愚か者か障害者に限られる。だから、殺されたい人は家の前に張り紙をしておくのだ。『殺されたい男あり』とか『殺されたい女あり』と書いておけば、巡査が都合のいいときにやってきて、すぐにその願いをかなえてくれる。死体は、巡査が車を引いて拾いに来るのさ。まだ面白いことができる……」

「先生の冗談は本当に尽きないですね」と東風君は感心している。すると独仙君は、いつものように山羊髭を気にしながら、ゆっくりと話し始めた。

「冗談と言えば冗談だが、予言と言えば予言かもしれない。真理を追求しない者は、目の前の現象にとらわれて、泡沫の夢を永遠の事実と認定したがるものだから、少し飛び抜けたことを言うと、すぐに冗談にしてしまうのだ。」

「燕雀は大鵬の志を知らない、ということですね」と寒月君が感心すると、独仙君はそうだとでも言いたげな顔をして話を続ける。

「昔、スペインにコルドヴァという場所があった……」

「今でもあるでしょう?」

「あるかもしれない。今昔の問題はさておき、そこでは日暮れの鐘が寺で鳴ると、家々の女性たちが一斉に出てきて川に入って水泳をするという風習があった……」

「冬でもやるんですか?」

「その辺は確かに知らないが、貴賤老若を問わず、皆が川に飛び込む。ただし、男子は一人も交じらない。遠くから見ているだけだ。遠くから見ると、暮色の中で白い肌がぼんやりと動いている……」

「詩的ですね。新体詩になりそうです。なんという場所ですか?」と東風君は、裸体が出ると前のめりになる。

「コルドヴァさ。そこで地方の若者が、女性と一緒に泳ぐこともできず、遠くからその姿を見ることも許されないのを残念に思って、ちょっといたずらをした……」

「へえ、どんな趣向ですか?」といたずらという言葉に反応した迷亭君は大いに興味を持つ。

「寺の鐘つき番に賄賂を渡して、日没の合図となる鐘を一時間早く鳴らさせた。すると、女性たちは浅はかだから、鐘が鳴ったと聞いて、みんな河岸に集まって半襦袢、半股引の姿でざぶざぶと水に飛び込んだ。しかし、いつもと違って日が暮れない。」

「秋の日が照りつけているのでは?」

「橋の上には男たちが大勢立って眺めている。恥ずかしいが、どうしようもない。彼女たちは大いに赤面したそうだ。」

「それで?」

「それで、人間は目の前の習慣に迷わされて、根本の原理を忘れるものだから、気をつけないといけないということだ。」

「なるほど、ありがたいお説教ですね。目の前の習慣に迷わされる話を僕も一つしようか。この間、ある雑誌を読んだら、詐欺師の小説があった。僕がここで書画骨董店を開くとする。店頭には大家の幅や名人の道具を並べておく。もちろん、贋物ではなく、正真正銘の上等品ばかりだ。」

「それは決まっているかい?」と主人は相変わらず芝居気のないことを言う。迷亭君は少し笑いながら、

「まあ、小説だよ。そういうことにしておくんだ。そこで、僕が『代金は構いませんから、お気に入りなら持っていってください』と言う。客はそうもいかないからと躊躇する。それじゃ、月賦でいただきましょう、月賦も細く、長く、どうせこれからお得意様になるんですから――いえ、全然遠慮には及びません。どうです、月に十円くらいで。何なら月に五円でも構いませんと、僕が気軽に言うんだ。それから、僕と客の間に二三の問答があって、結局僕が狩野法眼元信の幅を六百円、ただし月賦十円で売り渡す。」

「タイムスの百科全書を見たようですね。」

「タイムスは確かだが、僕のはすこぶる不確かだよ。これからが本当に巧妙な詐欺に取りかかるのだ。よく聞いてくれ、月十円ずつで六百円なら、何年で完済になると思う、寒月君?」

「もちろん五年でしょう。」

「その通り、五年。で、五年の歳月は長いと思うか短いと思うか、独仙君?」

「一念万年、万年一念。短くもあり、短くもなしだ。」

「何だそれは、道歌か?常識のない道歌だね。そこで五年の間、毎月十円ずつ払うのだから、つまり先方では六十回払えばいいのだ。しかし、そこが習慣の恐ろしいところで、六十回も同じことを毎月繰り返していると、六十一回にもやはり十円払う気になる。六十二回にも十円払う気になる。六十三回、回を重ねるにつれて、どうしても期日が来れば十円払わないと気が済まなくなる。人間は賢いようでいて、習慣に迷って根本を忘れるという大きな弱点がある。その弱点を利用して、僕は何度でも十円ずつ毎月得をするのさ。」

「ハハハ、まさかそれほど忘れっぽくもならないでしょう」と寒月君が笑うと、主人は少し真面目になって、

「いや、そういうことは本当にあるよ。僕は大学の貸費を毎月毎月勘定せずに返して、しまいには向こうから断られたことがある」と自分の恥を人間一般の恥のように公言した。

「ほら、そういう人が実際にここにいるから、確かなものだ。だから僕が先ほど述べた文明の未来記を聞いて冗談だと笑う者は、六十回でいい月賦を生涯払って正当だと考える連中だ。特に寒月君や東風君のような経験の少ない若者たちは、僕らの言うことをよく聞いて、だまされないようにしなければならない。」

「かしこまりました。月賦は必ず六十回限りのことにいたします。」

「いや、冗談のようだが、実際に参考になる話だよ、寒月君」と独仙君は寒月君に向かって言った。「たとえば、今苦沙弥君か迷亭君が、君が無断で結婚したのが穏当でないから、金田という人に謝罪しろと忠告したら、君はどうする?謝罪するつもりか?」

「謝罪はご容赦いただきたいですね。向こうが謝るのなら、特別に私の方ではそんな欲はありません。」

「もし警察が君に謝れと命じたらどうする?」

「それでもなお、御免を蒙ります。」

「では、大臣や華族ならどうだ?」

「いよいよ御免を蒙ります。」

「ほら、見てごらん。昔と今では人間がそれだけ変わっている。昔は御上の威光があれば何でもできた時代だった。しかし今は、御上の威光でもできないことが増えてきている。今の世の中では、殿下や閣下であっても、個人の人格に対して過度にのしかかることができない時代だ。強く言えば、相手に権力があればあるほど、のしかかられる側は不愉快を感じて反抗する。だから、今の世は昔とは違って、御上の威光だからできないという新たな現象が現れている。昔の価値観からは考えられないようなことが、今では道理として通る世の中だ。世の中の変遷というのは本当に不思議なもので、迷亭君の未来記も冗談だと言えば冗談に過ぎないが、その中にある消息を説明するものとしては、なかなか味わい深いものがある。」

「そういう知己が出てくると、ぜひ未来記の続きが語りたくなるね。独仙君の言う通り、今の世に御上の威光を笠にして、竹槍の二三百本を頼りに無理を押し通そうとするのは、まるでカゴに乗って何でも蚊でも汽車と競争しようとする時代遅れの頑固者だ。まあ、わからずやの張本や烏金の長範先生くらいのものだから、黙ってその手際を見ていればいいが、僕の未来記はそんな当座の問題ではない。人間全体の運命に関する社会的現象だからね。目下の文明の傾向を見渡し、遠い将来の趨勢を占うと、結婚が不可能になることがわかる。驚かないでほしい、結婚が不可能だ。理由はこうだ。今の世は個性中心の時代だ。一家を主人が代表し、一郡を代官が代表し、一国を領主が代表していた時代には、代表者以外の人間には人格がまるでなかった。あっても認められなかった。それががらりと変わり、すべての生存者が個性を主張し始め、誰を見ても君は君、僕は僕だと言わんばかりの風潮が生まれる。二人が道で出会えば、うぬが人間なら、おれも人間だぞと心の中で喧嘩を買いながらすれ違う。それだけ個人が強くなったのだ。個人が平等に強くなったから、個人が平等に弱くなったということになる。人がおのれを害することができにくくなった点では、確かに自分は強くなったが、他人の身に手出しができなくなった点では、明らかに昔より弱くなったのだろう。強くなるのは嬉しいが、弱くなるのは誰もありがたくないから、人から一毫も犯されまいと強い点を固守しつつ、せめて半毛でも人を侵してやろうと、弱いところは無理に拡げたくなる。こうなると、人と人の間に空間がなくなり、生きるのが窮屈になる。できるだけ自分を張りつめて、はち切れそうに膨れ上がって苦しみながら生きている。苦しいから、さまざまな方法で個人と個人の間に余裕を求める。こうして人間が自業自得で苦しみ、その苦し紛れに考え出した第一の解決策が親子別居の制度だ。日本でも山の中に入ってみれば、一家一門がことごとく一軒の中にごろごろしている。主張すべき個性もなく、あっても主張しないから、あれで済むのだが、文明の進んだ国では、たとえ親子の間でもお互いに我儘を張らなければ損になるから、自然と両者の安全を保つためには別居しなければならない。ヨーロッパは文明が進んでいるから、日本より早くこの制度が行われている。たまたま親子が同居している場合でも、息子が父親から利息のつく金を借りたり、他人のように下宿料を払ったりする。親が息子の個性を認めて尊敬を払うからこそ、こんな美風が成立するのだ。この風は早晩日本にも輸入されなければならない。親類は特に離れ、親子は今日に離れて、やっと我慢しているようなものの個性の発展と、発展に伴う尊敬の念は無制限に伸びていくから、まだ離れなければ楽ができない。しかし、親子兄弟が離れた今日、もう離れるものはないわけだから、最後の解決策として夫婦が分かれることになる。今の人々の考えでは、一緒にいるから夫婦だと思っている。それが大きな見当違いだ。一緒にいるためには、一緒にいるのに十分なだけ個性が合わなければならないだろう。昔なら文句はなかったが、異体同心と言って、見た目には夫婦二人に見えるが、内実は一人前なのだからね。それだから偕老同穴と言って、死んでも一つ穴の狸に化ける。野蛮なものだ。今はそうはいかない。夫はあくまでも夫で、妻はどうしたって妻なのだから。その妻が女学校で行灯袴を穿いて、しっかりとした個性を鍛え上げ、束髪姿で乗り込んでくるのだから、夫の思う通りになるわけがない。また、夫の思い通りになるような妻なら、妻ではない人形だ。賢い妻になればなるほど、個性は驚くほど発達する。発達すればするほど、夫と合わなくなる。合わなければ自然と夫と衝突する。だから賢妻と名のつく以上は、朝から晩まで夫と衝突している。まことに結構なことだが、賢妻を迎えれば迎えるほど、双方の苦しみの程度が増してくる。水と油のように夫婦の間には明確な仕切りがあって、それも落ち着いて、仕切りが水平線を保っていればまだしもだが、水と油が双方から働きかけるのだから、家の中は大地震のように上下に揺れ動く。ここにおいて、夫婦雑居はお互いの損だということが次第に人々に分かってくる。」

「それで夫婦が分かれるんですか。心配だな」と寒月君が言った。

「分かれる。きっと分かれる。天下の夫婦はみんな分かれる。今までは一緒にいたのが夫婦だったが、これからは同棲している者は夫婦の資格がないと世間から見なされるようになる。」

「すると、私のような者は資格のない組に編入されるわけですね」と寒月君は際どいところでのろけを言った。

明治の時代に生まれたことを幸運に思う。僕は未来を見据えることができるから、今も独身でいるのだ。人々は失恋の結果だと騒ぐが、近視眼的な考え方は本当に浅はかだ。さて、未来の話を続けよう。一人の哲学者が現れ、破天荒な真理を唱えた。彼の説によれば、人間は個性を持つ動物であり、個性を失えば人間も滅びるという。人間の意義を全うするためには、どんな代償を払ってでも個性を保持し、発展させなければならない。結婚を強いられることは人間の自然な傾向に反する蛮行であり、個性が発達しない時代はともかく、文明の現代においてなおこのような誤った考えにとらわれているのは非常に愚かだ。

今の時代において、二つの個性が特別に親密に結びつく理由はないはずだ。無教育な若者たちが一時の感情に流されて、安易に結婚式を挙げるのは道徳に反する行為だ。私たちは人道と文明のために、彼らの個性を守るために全力でこの蛮風に抵抗しなければならない。

「先生、私はその考えには全く反対です」と東風君は思い切って膝を叩いた。「私の考えでは、世の中で愛と美ほど尊いものはありません。愛と美こそが私たちを慰め、完全にし、幸福にしてくれるのです。私たちの情操を豊かにし、品性を高め、同情を深めるのも、全てこの二つのおかげです。だから、どんな時代に生まれても、この二つを忘れることはできません。愛は夫婦の関係として現れ、美は詩や音楽の形を取ります。人類が地球に存在する限り、夫婦と芸術は決して消えることはないと思います。」

「それがなければ結構だが、今の哲学者が言った通り、実際には滅びてしまうから仕方がない」と彼はあきらめた。「芸術だって、夫婦と同じ運命を辿るのさ。個性の発展というのは、個性の自由を意味するだろう。おれはおれ、人は人ということだ。その状態で芸術が存在できるわけがない。芸術が栄えるのは、芸術家とその享受者の間に個性の一致があるからだ。君がどんなに新しい詩を作っても、誰も面白いと思わなければ、君の詩は無意味になる。たとえ鴛鴦歌を何篇作っても始まらない。」

「いえ、それほどでもありません。」

「今でさえそれほどでないのに、未来においてあの大哲学者が非結婚論を唱える時には、誰も君の詩を読まなくなるだろう。君の詩だから読まないのではなく、みんながそれぞれ特別な個性を持っているから、人の作った詩文は面白くないのだ。実際、今でもイギリスではその傾向が顕著に現れている。最近のイギリスの小説家の中で、個性が際立っている作品を見てみると、メレジスやジェームスの作品があるが、読み手は非常に少ない。少ないのは、あの作品は特別な個性を持つ人でなければ面白くないからだ。この傾向が進むにつれ、婚姻が不道徳になる時代が来れば、芸術も完全に滅びるだろう。そうだろう、君の書いたものは僕にはわからなくなり、僕の書いたものは君にはわからなくなる。そうなったら、君と僕の間には芸術も何もなくなるじゃないか。」

「それはそうですが、私はどうも直感的にそうは思えないのです。」

「君が直感的にそう思わないなら、僕は論理的にそう思うまでさ。」

「論理的かもしれませんが」と今度は独仙君が口を挟んだ。「とにかく、人間に個性の自由を与えれば与えるほど、お互いの関係は窮屈になるに違いない。ニーチェが超人を持ち出すのも、まさにこの窮屈さから逃れられずにああいう哲学に変わったのだ。見た目には彼の理想のように見えるが、実際には不平の表れだ。個性が発展した19世紀において、隣人に気を使って寝返りすら打てないから、彼は少しやけになってあんな乱暴なことを書いたのだ。あれを読むと、壮快さよりもむしろ気の毒に思える。あの声は勇猛精進の声ではなく、どうしても怨恨や痛憤の音だ。それもそのはず、昔は一人の偉人がいれば天下がそのもとに集まったのだから、愉快なものだった。そんな愉快な事実があれば、ニーチェのように筆と紙でそれを表現する必要はなかった。ホーマーやチェヴィ・チェーズの作品も同じく超人的な性格を描いているが、感じは全く違う。陽気で、愉快に書かれている。愉快な事実があって、その愉快な事実を紙に写し取ったのだから、苦味はないはずだ。しかしニーチェの時代はそうはいかない。英雄は一人も出ず、出ても誰も英雄として立てようとはしない。昔は孔子が一人だったから、彼も威を振るったが、今は孔子が何人もいるかもしれない。もしかしたら、天下の人々が皆孔子かもしれない。だから「私は孔子だ」と威張っても、圧力がかからない。圧力がかからないから不平が生まれ、不平から超人などを書物の中で振り回すのだ。私たちは自由を求めて自由を得た。しかし、自由を得た結果、不自由を感じて困っている。だから西洋の文明は一見良さそうでも、実際には駄目なものだ。これに対して東洋では、昔から心の修行を重視してきた。その方が正しいのだ。見てごらん、個性の発展の結果、みんな神経衰弱を起こして、どうしようもなくなった時、王者の民蕩々たりという句の価値を初めて理解することになる。無為にして化すという言葉の意味を悟ることになる。しかし悟った時には、もう手遅れだ。アルコール中毒になって、ああ、酒を飲まなければよかったと考えるようなものだ。」