八 (2/3)
von 夏目漱石
逆上の説明はこのあたりで十分だろう。これから本題に入るが、大きな事件の前には必ず小さな事件が起こるものだ。歴史家が大事件だけを語り、小事件を無視するのは昔からの常である。主人の逆上も、小さな事件に遭遇するたびにますます激化し、ついには大事件を引き起こしたのだから、その経緯を順を追って説明しないと、主人がどれほど逆上しているのか分かりにくい。分かりにくいと、主人の逆上は空虚な名に帰してしまい、世間からはそれほどでもないと見くびられるかもしれない。せっかく逆上しても、他人から「素晴らしい逆上」と称賛されなければ、やりがいがないだろう。
これから語る事件は、大小にかかわらず主人にとって名誉なものではない。事件そのものが不名誉であるなら、逆上であることは正真正銘の逆上であり、決して人に劣るものではないと明言しておきたい。主人は他に誇るべき特性を持っているわけではない。逆上であっても自慢しなければ、他に書き立てる材料がないのだ。
落雲館に集まる敵軍は、最近一種のダムダム弾を発明し、十分の休暇や放課後に北側の空地に向かって激しい砲火を浴びせている。このダムダム弾は通称「ボール」と呼ばれ、擂粉木のような大きなものを使って敵の中に発射する仕掛けだ。いくらダムダム弾でも、落雲館の運動場から発射されるのだから、書斎にこもっている主人に当たる心配はない。敵も弾道があまりにも遠すぎることを自覚しているだろうが、そこが軍略というものだ。旅順の戦争でも、海軍からの間接射撃が大きな成果を上げたという話がある。空地に転がり落ちるボールでも、相応の成果を収めることは可能だ。ましてや、一発を発射するたびに総軍力を合わせて「わー」と威嚇の大音声を上げるのだから、主人は恐縮し、手足に通う血管が収縮せざるを得ない。煩悶の極みに達した血が逆流するのも無理はない。敵の計略はなかなか巧妙だと言える。
昔、ギリシャにイスキラスという作家がいたそうだ。彼は学者作家に共通する頭を持っていたという。私が言う「学者作家に共通する頭」とは、禿げているという意味だ。なぜ頭が禿げるのかというと、頭の栄養が不足していて毛が生えないからだろう。学者作家は頭を使うことが多く、たいていは貧乏に苦しんでいる。だから、学者作家の頭はみんな栄養不足で禿げているのだ。さて、イスキラスも作家であるから、自然と禿げていなければならない。彼はつるつるの金柑のような頭を持っていた。
ある日、イスキラスはその頭を振り立てて、太陽の光を浴びながら街を歩いていた。これが間違いのもとだった。禿げた頭を日光にさらすと、遠くから見ると非常に光って見える。高い木には風が吹くが、光る頭にも何かが当たらなければならない。その時、イスキラスの頭の上に一羽の鷲が舞っていた。見ると、どこかで捕らえた亀を爪で掴んでいる。亀やスッポンは美味だが、ギリシャ時代から堅い甲羅を持っている。いくら美味でも、甲羅付きではどうしようもない。鷲も少々持て余していた折、遥か下界に光るものを見つけた。鷲は、あの光るものの上に亀を落とせば、甲羅が砕けると考えた。そう思い、亀を高いところから挨拶もなく頭の上に落とした。残念なことに、作家の頭の方が亀の甲よりも柔らかかったため、禿げた頭はめちゃくちゃに砕けて、有名なイスキラスはここに無惨な最後を遂げた。
さて、解せないのは鷲の考えだ。作家の頭だと知って落としたのか、それとも禿げた岩だと間違えて落としたのか。これを解決することで、落雲館の敵とこの鷲を比較することもできるし、またできなくもなる。主人の頭はイスキラスのように光ってはいないが、六畳の書斎で居眠りをしながらも、難解な書物の上に顔を伏せている以上、学者作家の仲間と見なさなければならない。そう考えると、主人の頭が禿げていないのは、まだ禿げる資格がないからで、そのうち禿げる運命にあるのだろう。そうなると、落雲館の生徒たちがこの頭を目がけてダムダム弾を集中的に発射するのは、まさに時宜にかなった策だと言わざるを得ない。もし敵がこの行動を二週間続けるなら、主人の頭は恐怖と煩悶のために必ず栄養不足を訴え、金柑のように、薬缶のように、銅壺のように変わってしまうだろう。さらに二週間の砲撃を受ければ、金柑は潰れ、薬缶は漏れ、銅壺にはひびが入るに違いない。この明らかな結果を予想せず、あくまで敵と戦おうと苦心するのは、ただ本人である苦沙弥先生だけだ。
ある日の午後、私はいつものように縁側に出て、うとうとしていると、虎になった夢を見ていた。主人に鶏肉を持って来るように頼むと、主人は恐る恐る鶏肉を持ってきた。そこに迷亭がやってきたので、私は「雁が食いたい。雁鍋を作ってきてくれ」と言った。迷亭は「蕪の香の物と塩煎餅を一緒に食べれば、雁の味が味わえます」といつものように茶目っ気を交えて言ったので、私は大きな口を開けて「うー」と唸り、脅かしてやった。すると迷亭は青ざめて、「山下の雁鍋は廃業しましたが、どうしましょうか」と言った。
「それなら牛肉で勘弁するから、早く西川へ行ってロースを一斤取って来い。早くしないと、お前を食い殺すぞ」と言うと、迷亭は尻を引っ込めて駆け出した。私は急に体が大きくなり、縁側いっぱいに寝そべって、迷亭の帰りを待っていた。すると、家中に響く大きな声がして、せっかくの牛も食わぬ間に夢が覚めてしまった。
目を覚ますと、今まで恐る恐る私の前に平伏していた主人が、突然後架から飛び出してきて、私の横腹を思い切り蹴った。「おや?」と思う間もなく、主人は庭下駄をつっかけて木戸から回り、落雲館の方へ駆けて行った。私は虎から急に猫に戻ったので、何となく気まずさとおかしさが混じった気分だったが、主人の権幕と横腹を蹴られた痛さで、虎のことはすぐに忘れてしまった。
同時に主人が「ぬすっとう!」と怒鳴る声が聞こえた。見ると、制帽をかぶった十八九になる頑固な奴が四ツ目垣を越えようとしている。「やあ、遅かった」と思う間もなく、彼は根拠地の方へ韋駄天のように逃げて行った。主人はぬすっとうが大成功したので、またも「ぬすっとう!」と高く叫びながら追いかけて行く。しかし、主人が追いつくためには、自ら垣を越えなければならない。深入りすれば、主人自身が泥棒になってしまうはずだ。前に述べた通り、主人は立派な逆上家である。こうしてぬすっとうを追いかける以上、主人自身が泥棒になっても追いかけるつもりのようで、引き返す気配もなく垣の根元まで進んだ。
今一歩で彼はぬすっとうの領分に入るという間際に、敵軍の中から薄い髭を生やした将官がのこのこと出てきた。二人は垣を境に何か談判している。聞いてみると、こんなつまらない議論をしていた。
「あれは本校の生徒です」
「生徒が他の邸内に侵入するのは何故ですか?」
「いや、ボールが飛んでしまったのです」
「なぜ断って取りに来ないのですか?」
「これから気をつけます」
「それなら、よろしい」
竜騰虎闘の壮観を期待した交渉は、こうして無事に迅速に終わった。主人の壮んなるはただ意気込みだけで、いざとなると、いつでもこれでおしまいだ。まるで私が虎の夢から急に猫に戻ったような気がした。私の小事件はこれである。小事件を記述した後には、順序として大事件を話さなければならない。
主人は座敷の障子を開けて腹這になり、何か思案している。恐らく敵に対する防御策を講じているのだろう。落雲館は授業中のようで、運動場は意外と静かだった。ただ校舎の一室で、倫理の講義が行われているのが手に取るように聞こえる。朗々たる音声でなかなかうまく述べ立てているのは、まさに昨日、敵中から出馬して談判の衝に当たった将軍である。
「……公徳というものは大切なことで、仏蘭西でも独逸でも英吉利でも、どこへ行っても、この公徳が行われていない国はありません。また、どんな下等な者でもこの公徳を重んじない者はいません。悲しいかな、我が日本においては、未だこの点において外国と拮抗することができません。公徳というと、何か新しく外国から輸入してきたように考える人もいるかもしれませんが、それは大きな誤りです。昔の人も、夫子の道を一貫して貫き、忠恕のみと言われたことがあります。この恕がまさに公徳の出所です。私も人間ですから、時には大きな声で歌を歌いたくなることもあります。しかし、私が勉強している時に隣室の者が放歌するのを聴くと、どうしても書物が読めないのが私の性分です。だから、自分が唐詩選でも高声に吟じたら気分が晴れると思う時でも、もし隣家に迷惑がる人が住んでいたら、その人の邪魔をすることがあってはならないと思い、そういう時はいつでも控えます。こういう訳だから、皆さんもなるべく公徳を守り、他人の妨害になると思うことは決してやってはならないのです。……」
主人は耳を傾けてこの講話を謹聴していたが、ここに至ってにやりと笑った。このにやりの意味を少し説明する必要がある。皮肉屋がこれを読んだら、このにやりの裏には冷評的な要素が交じっていると思うだろう。しかし主人は決してそんな人の悪い男ではない。悪いというより、そんなに智慧の発達した男ではない。主人がなぜ笑ったかというと、全く嬉しくて笑ったのだ。倫理の教師がかように痛切な訓戒を与えるから、これからは永久にダムダム弾の乱射を免れるに違いない。当分のうち頭も禿げずに済むだろうし、逆上は一時に直らなくても、時機さえくれば徐々に回復するだろう。濡れ手拭を頂いて、炬燵にあたらなくても、樹下石上を宿としなくても大丈夫だろうと鑑定したから、にやにやと笑ったのである。借金は必ず返す者と、二十世紀の今日にもやはり正直に考えるほどの主人が、この講話を真面目に聞くのは当然であろう。
やがて時間が来たと見えて、講話はぱたりとやんだ。他の教室の課業も皆一度に終わった。すると、今まで室内に密封されていた八百の同勢が鬨の声をあげて、建物を飛び出した。その勢いは、一尺ほどの蜂の巣を叩き落としたかのようだった。ぶんぶん、わんわんと窓から、戸口から、開きから、穴の開いている所なら何の容赦もなく我勝ちに飛び出して行った。これが大事件の発端である。
まず、蜂の陣立てについて説明しよう。このような戦争に陣立てがあるのかと疑問に思う人もいるかもしれないが、それは間違いだ。一般的には、戦争といえば沙河や奉天、旅順などの大きな戦いを思い浮かべる人が多い。少し詩的な感性を持つ人なら、アキリスがヘクトルの死体を引きずってトロイの城壁を三度も回ったり、燕と張飛が長坂橋で曹操の軍を睨み返したりするような、壮大な戦いを想像するかもしれない。しかし、そんな連想だけで戦争を語るのは不都合だ。古代の野蛮な時代にはそんな戦争もあったかもしれないが、今日の平和な時代に、東京の中心でそのような野蛮な行動が起こることは奇跡に近い。どんな騒動が起きても、交番が焼かれる以上のことはないだろう。
そう考えると、臥竜窟の主人である苦沙弥先生と、落雲館裏の健児との戦争は、東京市における大戦争の一つとして数えられるべきだ。左氏が陵の戦を記す際にも、まず敵の陣勢から述べるのが常だ。古来、叙述に巧みな者は皆、この筆法を用いる。だから、私が蜂の陣立てを話すのも無駄ではないだろう。
さて、蜂の陣立てを見てみると、四つ目垣の外側に縦列を作った一隊がいる。彼らは主人を戦闘線内に誘い込む役割を担っているようだ。「降参しないか」「しない、しない」「ダメだ、ダメだ」「出てこないか」「落ちないかな」「落ちるはずがない」「吠えてみろ」「わんわん」「わんわん」「わんわんわんわん」と、声を上げている。これから先は、縦隊全体が一斉に叫び声を上げる。
縦隊から少し右に離れた運動場の方には、砲隊が陣地を構えている。臥竜窟に向かって、一人の将官が擂粉木を持って控えている。その前に五、六間の間隔を取って、もう一人が立っている。擂粉木の後ろにも一人、臥竜窟に向かって立っている。こうして一直線に並んでいるのが砲手たちだ。ある人の話によれば、これはベースボールの練習であり、決して戦闘準備ではないという。私はベースボールが何かよく知らない文盲だが、聞くところによれば、これはアメリカから輸入された遊びで、今や中学以上の学校で最も流行している運動だそうだ。アメリカは突飛なことを考え出す国だから、砲隊と間違えても不思議ではない。近所迷惑の遊びを日本人に教えるのも、彼らの親切かもしれない。
しかし、純粋な遊戯であっても、周囲を驚かせる力がある以上、戦争に利用される可能性もある。慈善の名を借りて詐欺を働く者がいるように、ベースボールの名の下に戦争を行うこともあり得る。私が記述するベースボールは、この特別な場合に限ったもので、攻城的な砲術を指す。
ここからは、ダムダム弾を発射する方法を紹介しよう。直線に並んだ砲列の中の一人が、ダムダム弾を右手に握り、擂粉木を持つ者に投げつける。ダムダム弾は何で作られているのか、外部の者には分からない。硬い丸い石の団子のようなものを皮で包んで縫い合わせたものだ。前述の通り、この弾丸が砲手の一人の手を離れ、風を切って飛んでいくと、向こうに立った一人が擂粉木を振り上げて、これを叩き返すことになる。時には叩き損なって弾丸が流れてしまうこともあるが、大抵は大きな音を立てて跳ね返る。その勢いは非常に強く、神経性胃弱の主人の頭を潰すことも容易だ。
砲手はこれだけで事足りるが、その周囲には雲霞のように援兵が付き添っている。擂粉木が団子に当たると、「わー、ぱちぱちぱち」と声を上げ、拍手し、「やれやれ」と言う。「当たっただろうか?」「これでも効かないか?」「恐れ入らないか?」「降参か?」と、次々に声をかける。これだけでは済まないが、叩き返された弾丸は、三度に一度は必ず臥竜窟の中に転がり込む。これが転がり込まなければ、攻撃の目的は達成されない。
ダムダム弾は最近各地で製造されているが、非常に高価なものだ。戦争であっても、十分な供給を得ることはできない。通常、一隊の砲手に一つか二つの弾丸が割り当てられる。ポンと鳴るたびに、この貴重な弾丸を消費するわけにはいかない。そこで、彼らは「たま拾い」と呼ばれる部隊を設けて、落ちた弾丸を拾いに行く。落ちる場所が良ければ拾うのは簡単だが、草原や人の家に飛び込むと、そう簡単には戻って来られない。
だから普段は労力を避けるため、拾いやすい場所に打ち落とすはずだが、今回は逆の行動をとる。目的が遊戯にあるのではなく、戦争にあるのだから、わざとダムダム弾を主人の邸内に降らせる。邸内に降らせる以上は、邸内に入って拾わなければならない。邸内に入る最も簡単な方法は、四つ目垣を越えることだ。四つ目垣の中で騒ぎを起こせば、主人が怒り出すに違いない。そうでなければ、兜を脱いで降参しなければならない。苦心のあまり、頭がだんだん禿げてくることになるだろう。
敵軍から発射された弾丸が、四つ目垣を越えて桐の葉を振り落とし、次の城壁である竹垣に命中した。大きな音が響く。ニュートンの運動の法則によれば、もし他の力が加わらなければ、一度動き出した物体は均一の速度で直線的に動くとされている。この法則だけで物体の運動が支配されるなら、主人の頭は今頃、運命を共にしていたかもしれない。しかし幸運なことに、ニュートンは第二の法則も定めてくれたおかげで、主人の頭は危うくも一命を取り留めた。運動の第二法則は、運動の変化は加えられた力に比例し、その力が働く直線の方向において起こると述べている。これがどういうことか少し分かりにくいが、ダムダム弾が竹垣を突き抜け、障子を破って主人の頭を傷つけなかったのは、まさにニュートンのおかげだと考えられる。
しばらくすると、予想通り敵が邸内に侵入してきた。「ここか」「もっと左だ」と、棒で笹の葉を叩く音が響く。敵が主人の邸内に入ってダムダム弾を拾う際には、必ず大きな声を出す。こっそり入って、こっそり拾っては目的が達成できない。ダムダム弾は貴重かもしれないが、主人をからかうことはそれ以上に重要だ。この時、遠くからでも弾の位置ははっきり分かっていた。竹垣に当たった音も知っているし、当たった場所も分かっている。落ちた地面も心得ている。だから静かに拾えば、いくらでも拾えるのだ。ライプニッツの定義によれば、空間は可能な同在現象の秩序である。いろはにほへとはいつも同じ順に現れる。柳の下には必ず鰌がいる。蝙蝠には夕月がつきものである。垣根にボールは似合わないかもしれないが、毎日ボールを人の邸内に投げ込む者の目には、この排列に慣れている。見ればすぐに分かるのだ。それを騒ぎ立てるのは、結局主人に戦争を挑む策略である。
こうなっては、いかに消極的な主人でも応戦せざるを得ない。さっき座敷の中で倫理の講義を聞きながらにやにやしていた主人は、奮然と立ち上がり、猛然と駆け出した。そして、驚くべきことに敵の一人を生け捕りにした。主人にしては大した成果だ。だが、よく見るとその敵は十四五の小供だった。髭の生えた主人の敵としては少し不似合だ。しかし、主人はこれで十分だと思ったのだろう。詫び入るのを無理に引っ張って、椽側の前まで連れて行った。
ここで少し敵の策略について触れておく必要がある。敵は、主人が昨日の権幕を見て、今日も必ず自ら出馬するだろうと察していた。万が一逃げ損じて大僧が捕まってしまったら、事が面倒になる。そこで、年少の小供を玉拾いにやって危険を避けるのが最善だと考えたのだ。主人が小供を捕まえて愚図愚図と理屈をこね回したところで、落雲館の名誉には関係ない。こんなものを大人気なく相手にする主人の恥辱になるだけだ。敵の考えはこうであり、普通の人間の考えとしては至極もっともなところである。しかし、敵は相手が普通の人間でないことを考慮に入れるのを忘れていた。主人にこれくらいの常識があれば、昨日だって飛び出しはしなかっただろう。逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上に釣り上げ、常識のある者に非常識を与えるものである。女や小供、車引きや馬子などと見境のあるうちは、まだ逆上を以て人に誇るには足りない。主人のように相手にならない中学一年生を生け捕って戦争の人質とするほどの了見でなければ、逆上家の仲間入りはできないのだ。可哀想なのは捕虜である。単に上級生の命令によって玉拾いの雑兵の役を務めていたところ、運悪く非常識な敵将、逆上の天才に追い詰められ、垣を越える間もなく庭前に引き据えられてしまった。
こうなると、敵軍は安閑と味方の恥辱を見ているわけにはいかない。我も我もと四つ目垣を乗り越え、木戸口から庭中に乱れ入る。その数は約一ダースほどで、ずらりと主人の前に並んだ。大抵は上着も着ておらず、白シャツの腕をまくり、腕組みをしている者もいる。綿ネルの洗いざらしを背中だけにかけている者もいる。中には、白の帆木綿に黒い縁をとって胸の真ん中に花文字を同じ色に縫い付けた洒落者もいる。いずれも一騎当千の猛将と見え、丹波の国は笹山から昨夜着立てであると言わんばかりに、黒く逞しく筋肉が発達している。中学に入れて学問をさせるのは惜しいと思われるほどだ。彼らは申し合わせたように、素足に股引を高くまくり、近火の手伝いにでも行きそうな風体で主人の前に並んでいる。彼らは黙って一言も発せず、主人も口を開かない。しばらくの間、双方は睨み合い、緊張した空気が漂っていた。
「貴様らは泥棒か」と主人が尋ねた。怒りがこみ上げ、奥歯で噛み潰した癇癪玉が炎となって鼻の穴から抜け、小鼻がいちじるしく怒って見える。越後獅子の鼻は、人間が怒った時の形を模して作られたのだろう。それでなければ、あんなに恐ろしくできるものではない。
「いえ、泥棒ではありません。落雲館の生徒です」
「嘘をつけ。落雲館の生徒が無断で人の庭に侵入する者がいるか」
「しかし、この通りちゃんと学校の徽章のついた帽子を被っています」
「偽物だろう。落雲館の生徒なら、なぜむやみに侵入したのだ?」