七 (2/3)
von 夏目漱石
横町を左に曲がると、向こうに高くそびえる竹のようなものが立っていて、先端からは薄い煙が立ち上っている。それが洗湯だ。私はそっと裏口から忍び込んだ。裏口から入るのを卑怯だとか未練だと言う人もいるが、それは表からでなければ訪問できない者たちの嫉妬からくる戯言に過ぎない。昔から賢い人は裏口から不意を突くものだと決まっている。紳士養成法の第二巻第一章の五ページにもそう書かれている。その次のページには、裏口は紳士の遺書であり、自身の徳を得るための門だとも記されている。私は二十世紀の猫だから、これくらいの教育は受けている。あまり軽蔑してはいけない。
さて、忍び込んでみると、左側には松の薪が八寸ほどに割られて山のように積まれていて、その隣には石炭が岡のように盛り上がっている。なぜ松薪が山のようで、石炭が岡のようなのかと尋ねる人がいるかもしれないが、特に意味はない。ただ単に「山」と「岡」を使い分けただけだ。人間も米を食べたり、鳥を食べたり、肴を食べたり、獣を食べたりと、様々なものを食べ尽くした挙句、ついには石炭まで食べるように堕落してしまったのは不憫だ。
目の前を見ると、一間ほどの入口が開いていて、中を覗くと静まり返っている。その向こう側で何かしきりに人の声が聞こえる。いわゆる洗湯は、この声のする辺りに違いないと確信し、松薪と石炭の間にできた谷を通り抜けて左に回り込むと、前方に硝子窓が見え、その外には丸い小桶が三角形、すなわちピラミッドのように積まれている。丸いものが三角に積まれるのは、さぞ不本意だろうと、私はひそかに小桶たちの気持ちを察した。
小桶の南側には四五尺の間板が余っていて、まるで私を迎え入れるかのように見える。板の高さは地面から約一メートルなので、飛び上がるにはちょうど良い。よし、と思いながらひらりと身を躍らせると、いわゆる洗湯は鼻の先、目の下、顔の前にぶらついている。世の中に何が面白いかと言えば、まだ食べたことのないものを食べ、まだ見たことのないものを見るほどの愉快はない。皆さんも、私の主人のように一週間に三度くらい、この洗湯の世界で三十分から四十分を過ごすといいが、もし私のように風呂を見たことがないなら、早く見に行くがいい。親の死に目に会わなくてもいいから、これだけはぜひ見物するべきだ。世界は広いが、こんな奇観は他にはないだろう。
何が奇観だろう? その言葉を口にすることすら憚られるほどの奇観が、目の前に広がっている。硝子窓の中には、うじゃうじゃと騒ぎ立てる人々がいるが、彼らは皆、裸体だ。彼らは台湾の生蕃であり、まるで二十世紀のアダムのようだ。
衣服の歴史を振り返ると、長い話になるので、ここでは詳しくは語らないが、人間は本来、服装によって成り立っているのだ。十八世紀の英国、バスの温泉場では、ボー・ナッシが厳しい規則を設け、浴場内では男女ともに肩から足まで着物で隠すことが求められた。今から六十年前、英国のある都市で図案学校を設立したことがある。その学校では、裸体画や裸体像の模写、模型をたくさん取り揃え、あちこちに陳列していた。しかし、開校式を迎える段階で、当局者や学校の職員は大いに困惑した。
開校式には、市の淑女たちを招待しなければならなかったが、当時の貴婦人たちは「人間は服装を持つ動物であり、皮を着た猿ではない」と考えていた。彼女たちにとって、服を着ていない人間は、まるで象の鼻がないかのように、あるいは生徒がいない学校のように、本来の姿を失った存在だった。だから、裸体の人間と一緒にいることは、彼女たちの品位を損なうことになると考えられていた。そこで、彼女たちは出席を辞退すると言い出した。
職員たちは、彼女たちが話せない連中だとは思ったが、女性は東西を問わず一種の装飾品である。開校式には欠かせない存在だった。仕方なく、呉服屋に行き、黒布を三十五反八分七買ってきて、裸体の人々に着物を着せることにした。失礼があってはならないと、顔までしっかりと布をかぶせた。こうして、ようやく無事に式を終えることができたのだ。これほどまでに衣服は人間にとって重要なものである。
最近では、裸体画や裸体を主張する先生もいるが、私はそれに異を唱えたい。生まれてから今日まで、一日も裸体になったことがない私から見ると、どう考えても間違っている。裸体は、古代ギリシャやローマの遺風が文芸復興時代の淫靡な風潮に影響されて流行したもので、当時の人々は日常的に裸体を見ていたから、風教上の利害関係など考えもしなかったのだろう。しかし、北欧は寒冷地であり、日本でさえ裸で道を歩くことはできないのだから、ドイツやイギリスで裸でいることは死を意味する。死んでしまってはつまらないから、皆が着物を着るのだ。
一度服装の動物となった後に、突然裸体の動物に出会えば、人間とは認めず、獣だと思うだろう。それゆえ、特に北方のヨーロッパ人は、裸体画や裸体像を獣として扱っても良いのだ。美しい? 美しいのは構わないが、美しい獣と見なせばいいのだ。
西洋の女性の礼服を見たことがあるかもしれないが、猫のことだから、私はその礼服を見たことがない。聞くところによると、彼女たちは胸や肩、腕をあらわにしてそれを礼服と呼んでいるそうだ。なんとも奇妙なことだ。十四世紀頃までは、彼女たちの装いは滑稽ではなく、普通の人間の服を着ていた。それがどうしてこのような下等な軽術師のようなスタイルに変わったのかは面倒なので述べないが、知っている人は知っているし、知らない人は知らないままで良いだろう。
彼女たちは、夜になると自信満々にその異様な姿を見せるが、日中になると肩をすぼめ、胸を隠し、腕を包み、どこもかしこも見えなくしてしまう。足の爪一本でも人に見せることを恥辱と考えている。これを考えると、彼女たちの礼服は一種の頓珍漢な作用によって成立したものだと分かる。それが口惜しければ、日中でも肩や胸、腕を出してみればいい。裸体信者も同様だ。そんなに裸体が良いものなら、娘を裸体にして、自分も裸になって上野公園を散歩すればいい。しかし、できないのだ。西洋人がやらないから、自分もやらないのだろう。
実際、彼女たちはこの不合理極まりない礼服を着て、帝国ホテルなどに出かけるではないか。その理由を尋ねると、何もない。ただ西洋人が着るから、着るというだけのことだろう。西洋人は強いから、無理でも馬鹿げていても真似をしなければならないのだ。長いものには巻かれ、強いものには折れ、重いものには圧されるというのでは、気が利かないではないか。気が利かないとしても仕方がないというのなら、勘弁してほしい。あまり日本人を偉い者と思ってはいけない。学問に関しても同様だが、これは服装に関係のないことなので、ここでの説明は省略する。
衣服は人間にとって非常に重要なものである。人間が衣服を着るのか、衣服が人間を形作るのか、どちらが重要かと問うほど、衣服は私たちの存在に欠かせない条件だ。人間の歴史は肉体の歴史でも骨の歴史でも血の歴史でもなく、実は衣服の歴史だと言いたいくらいだ。だから、衣服を着ていない人間を見ると、どうしても人間らしさを感じられない。まるで化け物に出会ったかのようだ。化け物が全員で協力して化け物になれば、それはそれで問題ないが、そうなると人間自身が大いに困ってしまう。
昔、自然は人間を平等に作り出し、世の中に送り出した。だから、どんな人間も生まれたときは必ず赤裸である。もし人間の本性が平等であるなら、赤裸のままで成長するのが自然なはずだ。しかし、赤裸の一人が言うには、みんなが同じでは勉強する意味がない。努力の結果が見えないからだ。どうにかして、「私は私だ」と誰もが認めるような存在になりたいと思った。そのために、何か人の目を引くものを身につけたいと十年間考え続け、ついに猿股を発明した。これを穿いて、どうだ、驚いただろうと自慢しながら歩き回った。これが今日の車夫の先祖である。
猿股を発明するのに十年もかかったのは少し異常に思えるが、それは当時の時代背景を考えれば、これほどの大発明はなかったからだ。デカルトが「我思う、故に我あり」という簡単な真理を考え出すのに十年以上かかったという話もある。新しい考えを生み出すのは、どんなことでも骨が折れるものだ。猿股の発明に十年を費やしたことは、車夫の知恵としては驚くべきことだと言わざるを得ない。
さあ、猿股ができると、世の中で幅を利かせるのは車夫だけだった。猿股をつけた車夫が天下の大道を我が物顔で歩くのを見て、負けん気の化け物が六年間工夫して羽織という無用の長物を発明した。すると、猿股の勢力は衰え、羽織全盛の時代が訪れた。八百屋、生薬屋、呉服屋は皆、この大発明家の末裔である。猿股や羽織の後に続くのが袴である。これは、羽織に対して癇癪を起こした化け物の考案で、昔の武士や今の官員たちが皆このスタイルを採用している。
こうして化け物たちは、我も我もと異を競い、新しい形を生み出していった。燕の尾に似た奇形まで現れたが、その由来を考えると、決して無理やり、偶然に生まれたものではない。皆が勝ちたいという勇気から生まれたもので、「私は特別だ」と誇示するために身につけているのだ。これを考えると、一つの大きな発見がある。それは、自然が真空を嫌うように、人間は平等を嫌うということだ。すでに平等を嫌っているからこそ、衣服を身につけ、骨肉のようにまとっている今日において、元の公平な時代に戻るのは狂人の考えだ。たとえ狂人と呼ばれても、戻ることは到底できない。戻った者を開明的な目で見れば、化け物に見えるだろう。仮に世界中の人々が化け物のようになったとしても、それが平等だとは言えない。みんなが化け物だから恥ずかしくないと安心しても、結局は無意味だ。世界が化け物になった翌日から、また化け物の競争が始まる。赤裸であっても、どこまでも差別が生まれるのだ。この点から見ても、衣服は決して脱ぐことのできないものになっている。
しかし、今私が目の前に見下ろしている人々の一団は、この脱ぐべからざる猿股も羽織も袴もすべて棚に上げて、無遠慮に本来の姿を衆目に晒し、平然と談笑している。私が先ほど一大奇観と言ったのは、このことだ。私は文明の皆さんに、ここでその一般を紹介する栄を得たのである。
何だかごちゃごちゃしていて、どこから話を始めればいいのか分からない。化物のすることには規律がないから、秩序を持って説明するのは骨が折れる。まずは湯槽について述べよう。湯槽なのか何なのかはっきりしないが、どうやら湯槽というものであるらしい。幅は三尺ほど、長さは一間半もある。それを二つに仕切って、一方には白い湯が入っている。どうやら薬湯と呼ばれるもので、石灰を溶かしたような色に濁っている。単に濁っているだけではなく、どこか重たげに濁っている。よく見ると腐っているようにも見えるのも不思議ではない。一週間に一度しか水を替えないのだそうだ。
その隣には普通の湯があるが、こちらも透明とは言えず、瑩徹などとは到底言えない。天水桶をかき混ぜたような色合いで、その価値は十分に表れている。さて、ここからが化物の記述だ。かなり骨が折れる。
天水桶の方に、二人の若者が立っている。彼らは向かい合って、湯をざぶざぶと腹の上にかけている。なんとも楽しそうだ。二人とも、黒い点がしっかりと発達している。この化物はかなり逞しいなと思っていると、一人が手拭いで胸のあたりを撫でながら「金さん、ここが痛んでいけないんだが、何だろう」と尋ねる。すると金さんは「それは胃だよ。胃というのは命を取るからね。用心しないと危ないよ」と熱心に忠告する。「でも、ここが左の方だから」と左肺の方を指さす。「そこが胃だよ。左が胃で、右が肺だ」と金さんが言う。「そうなのか、俺はまた胃はここら辺かと思った」と腰の辺を叩いてみせると、金さんは「それは疝気だね」と返す。
その時、二十五六の薄い髭を生やした男がどぶんと湯に飛び込んだ。すると、体についていた石鹸が垢と共に浮かび上がる。鉄気のある水を透かして見た時のように、きらきらと光っている。その隣には、頭の禿げた爺さんが五分刈りを捕まえて何かを話している。二人とも頭だけが浮かんでいる。
「いや、こう年を取ってはダメだね。人間も焼きが回っちゃ若い者には敵わないよ。でも湯だけは今でも熱くないと、心持ちが悪くてね」と爺さんが言う。「旦那なんか、丈夫なものですぜ。そのくらい元気があれば結構だ」と薄い髭の男が返す。「元気もないさ。ただ病気をしないだけだよ。人間は悪いことさえしなければ百二十までは生きるもんだからね」「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも、百二十までは受け合う。維新前に牛込に曲淵という旗本がいて、そこにいた下男は百三十だったよ」「そいつは、よく生きたもんですね」「ああ、あまりにも生き過ぎて、自分の年を忘れちゃったんだ。百までは覚えていたが、それ以降は忘れちまったと言ってたよ。それで、俺が知っていたのが百三十の時だったが、それからどうなったか分からない。もしかしたら、まだ生きているかもしれない」と言いながら、爺さんは槽から上がる。
髭を生やした男は、雲母のようなものを自分の周りに撒き散らしながら、一人でにやにや笑っていた。入れ替わって飛び込んできたのは、普通の化物とは違って、背中に模様が彫り付けられている。岩見重太郎が大刀を振りかざして蟒を退治するところのようだが、残念ながらまだその成果には達していないので、蟒はどこにも見えない。したがって、重太郎先生は少し拍子抜けの様子だ。
飛び込みながら「箆棒に温るいや」と言った。するとまた一人続いて入ってきたのが「こりゃどうも……もう少し熱くなくっちゃあ」と顔をしかめながら、熱いのを我慢する様子を見せたが、重太郎先生と顔を見合わせて「やあ、親方」と挨拶を交わす。重太郎は「やあ」と返したが、やがて「民さんはどうしたね」と尋ねる。「どうしたか、じゃんじゃんが好きだからね」「じゃんじゃんばかりじゃねえ……」「そうかい、あの男も腹の良くない男だからね。どういうものか人に好かれない、どういうものだか、どうも人が信用しない。職人ってのは、あんなもんじゃねえが」「そうよ。民さんなんざあ、腰が低いんじゃねえ、頭が高いんだ。それだからどうも信用されねえんだね」「本当によ。あれで一っぱし腕があるつもりだから、つまり自分の損だな」「白銀町にも古い人が亡くなってね、今じゃ桶屋の元さんと煉瓦屋の大将と親方ぐらいな者だな。こちとらはこうしてここで生まれたもんだが、民さんなんざあ、どこから来たのか分からねえ」「そうよ。しかしよくあれだけになったよ」「うん。どういうものか人に好かれねえ。人が交際しないからね」と、徹頭徹尾民さんを攻撃する。
天水桶を見上げると、白い湯がたっぷりと湧き出ている。まるで人が湯の中に入っているのではなく、湯が人の中に入っているかのようだ。湯に浸かっている人々は、まったくもって悠々自適で、入ってくる者はあっても、出てくる者は一人もいない。湯に浸かり続けて一週間も経てば、さすがに湯も汚れるだろうと考えながら、私は槽の中を見渡した。すると、左の隅に苦沙弥先生が真っ赤になって縮こまっているのが目に入った。可哀想に、誰か道を開けて助けてあげればいいのにと思うが、周りの誰も動こうとしない。主人も出ようとする気配は見せず、ただじっと赤くなっているだけだ。これは本当に大変なことだ。二銭五厘の湯銭を無駄にしないようにという気持ちから、こんなに赤くなっているのだろうが、早く上がらないと湯気にやられてしまうのではないかと、私は心配になった。
その時、隣にいる男が八の字を描きながら言った。「これはちょっと熱すぎるようだ。背中の方から熱い奴がじりじり湧いてくる。」彼は周りの人々に同情を求めるように言った。「いや、これがちょうどいい加減なんだ。薬湯はこれくらいでないと効かない。私の国では、これの倍も熱い湯に入るんだ。」と自慢げに語る者もいた。「一体この湯は何に効くんでしょうか?」と、手拭いを畳みながら頭をかく男が皆に尋ねた。「いろいろなものに効くよ。何でもいいんだからね。」と、瘠せた黄瓜のような顔をした男が答えた。そんなに効く湯なら、もう少しは健康そうになれそうなものだ。「薬を入れたてから三日目か四日目がちょうどいいんだ。今日は入るにはちょうどいい日だよ。」と物知り顔で言うのは、膨れた男だった。おそらく、彼は垢肥りなのだろう。「飲んでも効くんでしょうか?」と、どこからともなく黄色い声が聞こえた。「冷えた後に一杯飲んで寝ると、奇妙に小便に起きないから、やってみたらいいよ。」と、どの顔から出た声か分からないが、誰かが答えた。
湯槽の方はこれくらいにして、板間を見渡すと、いるわいるわ、絵にもならないアダムたちがずらりと並んで、各自勝手な姿勢で、勝手なところを洗っている。その中で最も驚くべきは、仰向けに寝て高い明かり取りを眺めている者と、腹這いになって溝の中を覗き込んでいる者たちだ。これはよほど暇なアダムたちに違いない。坊主が石壁を向いてしゃがんでいると、後ろから小坊主がしきりに肩を叩いている。これは師弟の関係上、三介の代理を務めているのだろう。本当の三介もいるようで、風邪を引いたのか、この暑いのにちゃんちゃんを着て、小判形の桶からざっと旦那の肩に湯をかけている。右の足を見ると、親指の股に呉絽の垢擦りを挟んでいる。こちらでは、小桶を三つも抱え込んだ男が、隣の人に石鹸を使えとしきりに長談議をしている。何を話しているのか聞いてみると、こんなことを言っていた。「鉄砲は外国から渡ったもんだね。昔は斬り合いばかりだった。外国は卑怯だから、あんなものができたんだ。どうも支那じゃないようだ、やっぱり外国のようだ。和唐内の時には無かったね。和唐内はやはり清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷から満洲へ渡った時に、蝦夷の男で大変学のある人がくっついて行ったって話だ。それでその義経の息子が大明を攻めたんだが、大明は困るから、三代将軍に使を送って三千人の兵隊を借りてくれと頼んだ。三代様はその使を留めておいて帰さなかった。――何とか言ったっけ。――何でも何とか言う使だ。――それでその使を二年も留めておいて、しまいには長崎で女郎を見せたんだが、その女郎にできた子が和唐内さ。それから国へ帰ってみると、大明は国賊に滅ぼされていた……」何を言っているのかさっぱり分からない。
その後ろに、二十五六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯でしきりにたでている。腫物か何かで苦しんでいるようだ。その横には、十七八歳の若者が君とか僕とか生意気なことをべらべら喋っている。近所の書生だろう。そのまた次に妙な背中が見える。尻の中から寒竹を押し込んだように、背骨の節がはっきりと出ている。そしてその左右には、十六むさしに似た形が四つずつ行儀よく並んでいる。その十六むさしが赤く腫れ上がり、周囲に膿を持っているものもある。こうして順々に書いていくと、書くことが多すぎて、到底私の手際ではその一部すら形容することができない。これは厄介なことを始めた者だと少々辟易していると、入口の方に浅黄木綿の着物を着た七十ばかりの坊主がふっと現れた。坊主は恭しくこれらの裸体の化物に一礼して、「へい、どなた様も、毎日相変わらずありがとうございます。今日は少々寒いですから、どうぞごゆるりと――白い湯へ出たり入ったりして、ゆっくりと温まってください。――番頭さん、どうか湯加減をよく見ておいてください。」と、よどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答えた。和唐内は「愛嬌ものだね。あれでなくては商売はできないよ」と、その爺さんを大いに褒めた。私は突然この異様な爺さんに出会って少し驚いたので、こちらの記述はそのままにして、しばらく爺さんを観察することにした。爺さんはやがて、今上り立ての四つばかりの男の子を見て、「坊ちゃん、こちらへおいで」と手を差し出した。小供は、大福を踏み付けたような爺さんを見て怖がったのか、わーっと悲鳴を上げて泣き出した。爺さんは少し不本意な気持ちで、「いや、泣かないで、何? 爺さんが怖いの? いや、これはこれは」と驚いた様子を見せた。仕方がないので、すぐに話題を変えて小供の親に向かって言った。「や、これは源さん。今日は少し寒いですね。昨夜、近江屋に入った泥棒は何と馬鹿な奴だったのか。あの戸の潜りのところを四角に切り破ったんだ。そうしてお前の、何も取らずに行ったみたいだ。御巡りさんか夜番でも見えたものでしょう。」と、大いに泥棒の無謀を笑い飛ばしたが、また一人を捕まえて「はいはい、寒いですね。あなた方は若いから、あまり感じないかもしれませんが。」と、老人だけが一人寒がっている。
しばらくの間、私は爺さんのことに気を取られ、他の化物のことはすっかり忘れていた。主人の苦しそうな姿さえ、記憶の中から消えてしまった。その時、突然流しと板の間の間で大きな声が響いた。見ると、それは紛れもない苦沙弥先生だった。主人の声はいつもより大きく、濁っていて聞き苦しいもので、これは今日に始まったことではないが、場所が場所だけに私は少なからず驚いた。
彼は、熱湯の中に長時間浸かっていたために逆上したに違いないと、私は瞬時に判断した。もしそれが単に病気のせいであれば、咎めることもない。しかし、彼は逆上しながらも、しっかりと本心を持っていることは明らかだった。なぜなら、彼がこの法外な声を上げた理由を考えればすぐにわかるからだ。彼は取るに足らない生意気な書生を相手に、大人気ない喧嘩を始めたのだった。
「もっと下がれ!俺の小桶に湯が入っていかん!」と怒鳴るのはもちろん主人である。この怒号をただ逆上の結果と判断する必要はない。万人の中に一人くらいは、高山彦九郎が山賊を叱ったようだと解釈してくれるかもしれない。本人もそのつもりでやった芝居かもしれないが、相手が山賊でない以上、予期する結果は出てこないのは明らかだ。
書生は後ろを振り返り、「僕はもともとここにいたのです」とおとなしく答えた。これは普通の返事で、ただその場を去らないことを示しただけだが、主人の思い通りにはならなかった。その態度と言葉は、山賊として罵り返すほどのことでもないと、逆上している主人も分かっているはずだ。しかし、主人の怒号は書生の席そのものが不満なのではなく、先刻からこの二人が少年に似合わず、妙に高慢で利口ぶったことを言っていたため、主人はその点に立腹したようだった。
だから、相手が穏やかな挨拶をしても、主人は黙って板の間に上がることはなかった。今度は「何だ、馬鹿野郎!人の桶に汚い水をぴちゃぴちゃ跳ねかす奴がいるか!」と怒鳴りつけた。私はこの小僧を少し心憎く思っていたので、心の中で少し快哉を叫んだが、学校の教員である主人の言動としては穏やかではないと思った。
元々、主人はあまり堅すぎるのは良くない。石炭のたき殻のようにかさかさしていて、しかもいやに硬い。昔、ハンニバルがアルプス山を越えるとき、大きな岩が道の真ん中にあって、軍隊の通行を妨げていた。そこでハンニバルはその岩に酢をかけて火を焚き、柔らかくしてから鋸で切り、滞りなく通行したという。主人のように、こんな有益な薬湯に浸かっても何の機能もない男は、やはり酢をかけて火炙りにするしかないと思う。そうでなければ、こんな書生が何百人出てきても、何十年かかっても主人の頑固は治らない。
この湯槽に浮いているもの、流しにごろごろしているものは、文明の人間に必要な服装を脱ぎ捨てる化物の集団だから、当然、常規常道で律することはできない。何をしても構わない。肺のところに胃が陣取って、和唐内が清和源氏になっても、民さんが不信用でもよい。しかし、一度流しを出て板の間に上がれば、もう化物ではない。普通の人間が住む娑婆に出たのだから、文明に必要な服装をするべきだ。
したがって、人間らしい行動をとらなければならないはずだ。今、主人が踏んでいるのは敷居であり、流しと板の間の境にある敷居の上で、彼はこれから歓言愉色、円転滑脱の世界に逆戻りしようとしている。その瞬間ですら、こうも頑固であるなら、この頑固さは本人にとって抜け出せない病気に違いない。病気なら容易に矯正することはできない。この病気を治す方法は、愚考によればただ一つ、校長に頼んで免職してもらうことだ。
免職になれば、融通の利かない主人のことだから、きっと路頭に迷うに違いない。その結果、のたれ死にをしなければならない。換言すれば、免職は主人にとって死の遠因になるのだ。主人は好んで病気をして喜んでいるが、死ぬのは大嫌いである。死なない程度において、病気という一種の贅沢を楽しんでいたいのだ。だから、そんなに病気をしていると殺すぞと脅かせば、臆病な主人のことだから、びくびくと震え上がるに違いない。その震え上がる時に病気はきれいに落ちるだろうと思う。それでも落ちなければ、それまでのことだ。