Schließen

四 (3/3)

von 夏目漱石

「馬鹿にしちゃいけない。こっちが恨めしいくらいだ」

主人は羊羹を食べ終え、二人の会話に再び割り込んできた。「迷亭はあの頃から法螺吹きだったな」と言った。

「約束なんて履行したことがない。詰問されても決して謝ったことがない、何とか蚊とか言う男だ。あの寺の境内に百日紅が咲いていた時期、彼は『この百日紅が散るまでに美学原論という著作を仕上げる』と言ったんだ。だから、駄目だ、到底できるとは思えないと返したら、迷亭は『僕は見かけに寄らず意志の強い男だ。そんなに疑うなら賭けをしよう』と言ってきた。僕は真面目に受けて、神田の西洋料理を奢ることにした。彼が本当に書物を書く気があるとは思えなかったから賭けたんだけど、内心は少し恐ろしかった。だって、僕には西洋料理を奢るお金なんてなかったからね。ところが、迷亭は全く原稿を書く気配がない。七日が過ぎても二十日が過ぎても、一枚も書かない。百日紅が散って、一輪の花もなくなっても、彼は平気な顔をしている。いよいよ西洋料理を奢ることになりそうだと思って契約の履行を迫ると、迷亭はすまして取り合わないんだ。」

「また何とか理屈をつけたのかね」と鈴木君が相づちを入れる。

「うん、実にずうずうしい男だ。僕は他に能はないが、意志だけは君たちに負けないと頑固に主張するんだ。」

「一枚も書かないのにか?」今度は迷亭自身が質問をする。

「もちろんさ、その時君はこう言った。『僕は意志の一点においては、何人にも一歩も譲らない。しかし残念なことに、記憶が人一倍悪い。美学原論を著そうとする意志は十分あったのだが、その意志を君に発表した翌日から忘れてしまった。それだから百日紅が散るまでに著書ができなかったのは記憶の罪で、意志の罪ではない。意志の罪でない以上、西洋料理を奢る理由はない』と威張っているんだ。」

「なるほど、迷亭君一流の特色を発揮して面白い」と鈴木君はなぜか楽しそうに言った。迷亭がいない時の語気とはずいぶん違っている。これが利口な人の特徴かもしれない。

「何が面白いものか」と主人は今でも怒っている様子だ。

「それは気の毒だね。それだからその埋め合わせをするために孔雀の舌なんかを金と太鼓で探しているじゃないか。まあ、そう怒らずに待っていてほしい。しかし著書といえば、今日は一大珍報を持ってきたんだよ。」

「君は来るたびに珍報を持ってくる男だから、油断ができない。」

「ところが今日の珍報は本物の珍報さ。正札付きで一厘も引けなしの珍報だ。君、寒月が博士論文の原稿を起こしたのを知っているか?寒月はあんなに見識を持った男だから、博士論文なんて無趣味な労力はやらないと思っていたら、やっぱり色気があるからおかしいじゃないか。君、あの鼻にぜひ知らせてやるがいい。この頃は団栗博士の夢でも見ているかもしれない。」

鈴木君は寒月の名を聞いて、話してはいけないと顎と目で主人に合図する。しかし主人にはまったく意味が通じない。さっき鈴木君に会って説法を受けたときは金田の娘のことばかりが気の毒になったが、今、迷亭から鼻々と呼ばれると、また先日喧嘩をしたことを思い出す。思い出すと滑稽でもあり、少しは悪らしくもなる。しかし寒月が博士論文を草稿にしたのは何よりの御見やげで、こればかりは迷亭先生自賛のごとく、近ごろの珍報としてまずまずのものだ。単なる珍報ではなく、嬉しい快い珍報である。金田の娘をもらおうがもらうまいが、そんなことはどうでもいい。とにかく寒月が博士になるのは結構なことだ。自分のように出来損ないの木像が仏師屋の隅で虫に食われるまで白木のまま燻っていても遺憾はないが、これはうまく仕上がったと思う彫刻には、一日も早く箔を塗ってやりたい。

「本当に論文を書きかけたのか?」鈴木君の合図はそっち除けにして、熱心に聞く。

「よく人の言うことを疑う男だ。――もっとも問題は団栗だか首吊りの力学だか、確かには分からないが、いずれにせよ寒月のことだから、鼻が恐縮するようなものに違いない。」

さっきから迷亭が鼻々と無遠慮に言うのを聞くたびに、鈴木君は不安の様子を見せる。迷亭は少しも気が付かないから、平気なものである。

「その後、鼻についてまた研究をしたが、この頃『トリストラム・シャンデー』の中に鼻論があるのを発見した。金田の鼻などもスターンに見せたら、良い材料になったろうに、残念なことだ。鼻名を千載に垂れる資格は十分ありながら、あのままで朽ち果てるとは不憫千万だ。今度ここへ来たら、美学上の参考のために写生してやろう」と、相変わらず口から出まかせに喋り続ける。

「しかしあの娘は寒月のところへ行きたいのだそうだ」と主人が今鈴木君から聞いた通りを述べると、鈴木君はこれは迷惑だという顔をして、しきりに主人に目くばせをするが、主人はまるで電気に感染しない不導体のようだ。

「ちょっと乙だな、あんな者の子でも恋をするところが、しかし大した恋じゃなかろう、大方鼻恋くらいなところだぜ。」

「鼻恋でも寒月がもらえばいいが。」

「もらえばいいがって、君は先日大反対だったじゃないか。今日はいやに軟化しているぜ。」

「軟化はせん、僕は決して軟化はせんが……」

「しかしどうかしたんだろう。ねえ鈴木、君も実業家の末席を汚す一人だから、参考のために言って聞かせるがね。あの金田某なる者さ。あの某なるものの息女などを天下の秀才水島寒月の令夫人と崇め奉るのは、少々提灯と釣鐘という次第で、我々朋友たる者が冷々黙過する訳にはいかんと思うんだが、たとい実業家の君でもこれには異存はあるまい。」

「相変わらず元気がいいね。結構だ。君は十年前と容子が少しも変わっていないからえらい。」鈴木君は柳に受けて、誤魔化そうとする。

「えらいと褒めるなら、もう少し博学なところをお見せするがね。昔の希臘人は非常に体育を重んじ、あらゆる競技に貴重な懸賞を出して百方奨励の策を講じたものだ。しかるに不思議なことには、学者の知識に対してのみは何等の褒美も与えたという記録がなかったので、今日まで実は大いに怪しんでいたところさ。」

「なるほど少し妙だね」と鈴木君はどこまでも調子を合わせる。

迷亭が話し始めたのは、数日前のことだった。美学の研究をしているときに、ふとした拍子にその理由を見つけ出したのだ。長年抱えていた疑問が一瞬で氷解し、まるで漆桶を抜くような痛快な悟りを得たと、彼は歓喜の声を上げた。

その言葉に、鈴木君は少し困惑した表情を浮かべた。迷亭の言葉はいつも仰々しく、さすがの鈴木君もこれには手をこまねいている様子だった。主人は、また始まったなという顔をしながら、象牙の箸で菓子皿の縁を叩き続けていた。迷亭だけは、自分の話に夢中で、どんどんと語り続けた。

「さて、この矛盾した現象を明らかにして、私たちの疑問を解決してくれたのは誰か、考えてみてほしい。学問の歴史に名を刻む学者、希臘の哲人、逍遥派の元祖アリストテレスその人だ。彼はこう言っている。『おい、菓子皿を叩くのはやめて、ちゃんと聞いていなさい。』」

彼は続けた。「彼ら希臘人が競技で得る賞は、その技芸そのものよりも価値がある。だからこそ、それは褒美でもあり、奨励の道具ともなる。しかし、知識そのものに対してはどうだろう。もし知識に対する報酬を与えるとしたら、それは知識以上の価値を持たなければならない。しかし、知識以上の珍宝など、この世に存在するだろうか。もちろん、そんなものはない。下手なものを与えれば、知識の威厳を損なうだけだ。彼らは知識に対して、千両箱をオリュンポスの山のように積み、クレイソスの富を傾けても、報酬としては到底釣り合わないことを見抜いた。そしてそれ以降、何も与えないことに決めたのだ。黄白青銭が知識に匹敵しないことは、これで十分理解できるだろう。」

迷亭は、こうした原理を踏まえて時事問題に目を向けるように促した。「金田某は、ただの紙幣に過ぎない。奇妙な表現を使うなら、彼は一枚の活動紙幣に過ぎない。活動紙幣の娘なら、活動切手くらいのものだろう。反対に寒月君はどうだろう。彼は学問の最高の府を第一位で卒業し、長州征伐の時代に羽織の紐をぶら下げて、日夜団栗のスタビリティを研究している。彼は満足する様子もなく、近々ロード・ケルヴィンを圧倒するような大論文を発表しようとしているではないか。」

迷亭は一瞬言葉に詰まったが、すぐに続けた。「たまたま吾妻橋を通りかかって身投げの芸を失敗したことがあるが、それも熱心な青年にありがちな衝動的な行動で、彼が知識の問屋として問題を引き起こすほどのことではない。迷亭流の比喩を使えば、寒月君は活動図書館であり、知識をもって捏ね上げた二十八珊の弾丸だ。この弾丸が一度時機を得て学界に爆発すれば、――もし爆発してみれば――必ずや爆発するだろう。」

迷亭はここで自称する形容詞が思うように出て来ず、少し戸惑った様子を見せたが、すぐに「活動切手など何千万枚あったって粉々になってしまうさ。だから寒月には、あんな釣り合わない女性は駄目だ。僕が不承知だ、百獣の中でもっとも聡明な大象と、もっとも貪欲な小豚と結婚するようなものだ。そうだろう、苦沙弥君?」と、話を締めくくった。

主人はまた黙って菓子皿を叩き出した。鈴木君は少し凹んだ気持ちで、「そんなこともないだろう」と、控えめに答えた。さっきまで迷亭の悪口を散々言った後で、ここで無暗なことを言うと、主人のような無法者がどんなことを言い出すか分からない。なるべくここは好意的に迷亭の鋭い言葉をかわして無事に切り抜けるのが賢明だと、鈴木君は思った。彼は利口者であり、無用な抵抗は避けるべきだと心得ていた。人生の目的は口先ではなく、実行にある。自分の思い通りに物事が進めば、それで人生の目的は達成されるのだ。苦労や心配、争論がなくて物事が進めば、人生の目的は極楽に達せられる。鈴木君は卒業後、この極楽主義によって成功し、金時計をぶら下げ、金田夫婦の依頼を受け、同じくこの極楽主義で苦沙弥君を説き落とし、事件が十中八九まで成就したところに、迷亭という常識を超えた風来坊が飛び込んできたため、少し驚いているところだった。

「君は何も知らないから、そんなこともないだろうと澄ました顔をして、例になく言葉少なに控えめにしているが、先日あの鼻の主が来た時の様子を見たら、実業家贔屓の尊公でも辟易するに違いないよ。ねえ、苦沙弥君、君は大いに奮闘したじゃないか。」

「それでも君より僕の方が評判がいいそうだ。」

「アハハハ、なかなか自信のある男だ。それでなくては、サヴェジ・チーなんて生徒や教師にからかわれて、すまして学校に出ていられないだろう。僕も意志は決して人に劣らないつもりだが、そんなに図太くはできない。敬服するよ。」

「生徒や教師が少々愚図愚図言ったって、何が恐ろしいものか。サントブーヴは古今独歩の評論家だが、パリ大学で講義をした時は非常に不評だった。彼は学生の攻撃に応じるため、外出の際には必ず匕首を袖の下に隠して防御の具としたことがある。ブルヌチェルがやはりパリの大学でゾラの小説を攻撃した時は……」

「でも君は大学の教師でも何でもないじゃないか。高がリードルの先生で、そんな大家を例に引くのは、雑魚が鯨をもって自ら喩えるようなものだ。そんなことを言うと、なおさらからかわれるぜ。」

「黙っていろ。サントブーヴだって俺だって、同じくらいの学者だ。」

「大変な見識だな。しかし、懐剣を持って歩くのは危ないから、真似しない方がいいよ。大学の教師が懐剣なら、リードルの教師はまあ小刀くらいなものだ。しかし、それにしても刃物は危険だから、仲見世に行っておもちゃの空気銃を買ってきて、背負って歩くのがいい。愛嬌があっていいよ。ねえ、鈴木君。」

鈴木君はようやく金田事件の話から離れたので、ほっと一息ついた。

「相変わらず無邪気で楽しいね。」鈴木は、十年ぶりに再会した友人たちを見て、まるで狭い道から広い野原に出たような気持ちになった。「でも、私たちの会話はいつも気を使わなきゃいけなくて、少しも気が休まらないんだ。何を話すにも気を使うから、心配で窮屈で、本当に苦しいよ。」

彼は続けた。「でも、罪のない話をするのはいいね。そして、昔の書生時代の友達と話すのが一番気を使わなくて済む。今日は迷亭君に偶然会えて、本当に楽しかったよ。さて、ちょっと用事があるから、これで失礼するね。」

鈴木が立ち上がると、迷亭も続けて言った。「僕も行くよ。これから日本橋の演芸矯風会に行かなきゃならないから、そこまで一緒に行こう。」

「それはちょうどいいね。久しぶりに一緒に散歩しよう。」そう言って、二人は手を取り合いながら帰路についた。