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二 (4/4)

von 夏目漱石

「確か、暮れの二十七日だったと思う。例の東風が来るということで、文芸についての話を伺いたいと、宿をお願いする先触れがあったので、朝から心待ちにしていたのだが、先生はなかなか来ない。昼食を済ませ、ストーブの前でバリー・ペーンの滑稽な話を読んでいると、静岡の母から手紙が届いた。年寄りだけあって、いつまでも僕を子供のように思っている。寒い時期には夜に外出するなとか、冷水浴もいいが、ストーブを焚いて部屋を暖かくしないと風邪を引くぞと、いろいろと注意が書かれていた。なるほど、親はありがたいものだ。他人ではこうはいかない。呑気な僕も、その時だけは大いに感動した。

それにしても、こんなにのんびりしていてはもったいない。何か大きな著作でもして、家名を揚げなければならない。母が生きているうちに、天下を取って明治の文壇に迷亭先生の名を知らしめたいと思った。さらに読み進めると、御前なんて本当に幸せ者だ。露西亜との戦争が始まり、若い人たちは国のために辛苦を重ねているのに、節季の師走でもお正月のように気楽に遊んでいると書いてあった。――僕は母が思っているように遊んでいるわけではないのだが――その後、僕の小学校時代の友人たちの名前が挙げられていて、今度の戦争で死んだり負傷したりした者たちのことが書かれていた。その名前を一つ一つ読んでいると、何だか世の中が味気なく感じ、人間もつまらないと思った。

最後には、私も年を取るにつれて、初春の御雑煮を祝うのも今回限りかと……何だか心細いことが書いてあって、ますます気が滅入ってしまった。早く東風が来てくれればいいと思ったが、先生はどうしても来ない。そのうちにとうとう晩ご飯の時間になったので、母への返事でも書こうと思い、少しだけ十二、三行を書いた。母の手紙は六尺以上もあるのだが、僕にはとてもそんな芸当はできないから、いつも十行以内でご勘弁願うことにしている。すると、一日動かずにいたせいか、胃の具合が妙で苦しくなってきた。東風が来たら待たせておこうと思い、郵便を入れながら散歩に出かけた。

いつもとは違って、富士見町の方には足が向かず、土手三番町の方へ知らず知らず出てしまった。ちょうどその晩は少し曇っていて、から風が御濠の向こうから吹き付けてきて、非常に寒かった。神楽坂の方から汽車がヒューと鳴って土手下を通り過ぎる。とても寂しい気持ちになった。暮れ、戦死、老衰、無常迅速などという言葉が頭の中をぐるぐる巡っていた。よく人が首を吊ると言うが、こんな時にふと死にたくなるのではないかと思い出す。少し首を上げて土手の上を見ると、いつの間にか例の松の真下に来ていた。

「例の松って、何だい?」と主人が話を遮った。

「首懸の松さ」と迷亭は小さく答えた。

「首懸の松は鴻の台でしょう」と寒月が波紋を広げる。

「鴻の台のは鐘懸の松で、土手三番町のは首懸の松さ。なぜこういう名が付いたかというと、昔からの言い伝えで、誰でもこの松の下に来ると首を吊りたくなる。土手の上には松が何十本もあるが、首吊りだと来て見ると必ずこの松にぶら下がっている。年に二、三回は必ずぶら下がっている。他の松ではどうしても死ぬ気になれない。見ると、うまい具合に枝が往来の方へ横に出ている。ああ、いい枝振りだ。あのままにしておくのは惜しいものだ。どうにかしてあそこへ人間を下げてみたい、誰か来ないかなと四方を見渡すと、あいにく誰も来ない。仕方がない、自分で下がろうかとも思ったが、いやいや自分が下がっては命がない、危ないからやめよう。しかし昔のギリシャ人は宴会の席で首吊りの真似をして余興を添えたという話がある。一人が台の上に登って縄の結び目に首を入れると、他の者が台を蹴返す。首を入れた当人は台を引かれると同時に縄をゆるめて飛び下りるという趣向だ。果たしてそれが事実なら、別に恐れることもない。僕も一つ試みようと枝に手をかけてみると、いい具合に撓る。撓り具合が実に美的である。首がかかってふわふわするところを想像すると、嬉しくてたまらない。ぜひやることにしようと思ったが、もし東風が来て待っていると気の毒だと考えた。それではまず東風に会って約束通り話をして、それから出直そうと思い、結局家に帰った。

「それで市が栄えたのかい?」と主人が尋ねる。

「面白いですね」と寒月がにやにやしながら言った。

「家に帰ってみると、東風は来ていない。しかし今日は無理な事情があって出られない、いずれ永日お目にかかるという端書があったので、やっと安心して、これなら心置きなく首が吊れると思った。早速下駄を履いて、急ぎ足で元の場所へ引き返してみる……」と主人と寒月の顔を見て、すましている。

「見るとどうしたんだい?」と主人は少し焦れた。

「いよいよ佳境に入りますね」と寒月は羽織の紐をひねりながら言った。

「見ると、もう誰か来て先にぶら下がっている。たった一足違いでね、君、残念なことをしたよ。考えると、あの時は死神に取り憑かれていたんだね。ゼームスなどに言わせると、副意識下の幽冥界と僕が存在している現実界が一種の因果法によって互いに感応したのだろう。実に不思議なことがあるものだ」と迷亭はすまし返した。

主人はまたやられたと思いながら、何も言わずに空也餅を頬張って口をもごもごさせていた。

寒月は火鉢の灰を丁寧に掻きならして、俯きながらにやにや笑っていたが、やがて口を開いた。極めて静かな調子である。

「なるほど伺ってみると不思議なことですね。ちょっとありそうにも思われませんが、私も最近、似たような経験をしたものですから、少しも疑う気になりません」

「おや、君も首を吊りたくなったのかい?」

「いえ、私のは首じゃないんです。これもちょうど明ければ昨年の暮れのことですし、しかも先生と同日同刻くらいに起こった出来事ですから、なおさら不思議に思われます」

「こりゃ面白い」と迷亭も空也餅を頬張った。

その日は、向島にいる知人の家で忘年会と合奏会が開かれていました。私もヴァイオリンを持って出かけました。十五、六人の令嬢や令夫人たちが集まり、盛況な会となっていました。最近の出来事の中では特に楽しいひとときで、すべてが整っていました。

晩餐も終わり、合奏も無事に終わり、四方から話が盛り上がっているうちに、時刻はかなり遅くなりました。そろそろ帰ろうかと思っていたところ、ある博士の夫人が私のそばに来て、小声で「○○子さんの病気をご存知ですか?」と尋ねました。実は、数日前に会ったときは、彼女はいつも通り元気そうだったので、私は驚きました。詳しく様子を聞くと、私が会ったその晩から急に発熱し、さまざまな譫語を口にしているとのことでした。その譫語の中には、私の名前も時々出てくるというのです。

主人や迷亭先生も「それは大変だ」といった月並みな言葉を口にすることなく、静かに耳を傾けていました。

医者を呼んで診てもらったところ、病名はわからないものの、熱が非常に高く、脳に影響を及ぼしている可能性があるとの診断でした。もし睡眠剤が効かなければ、危険な状態になるかもしれないというのです。その話を聞いた瞬間、私は不安な気持ちに襲われました。まるで夢の中でうなされているような重苦しい感覚が、周囲の空気を固くして私を締めつけるように感じました。帰り道でも、そのことが頭から離れず、苦しくてたまらなかったのです。あの美しく、快活で、健康そのものの○○子さんが……。

「ちょっと失礼だが、待ってくれ。さっきから聞いていると、○○子さんという名前が何度か出てきたが、もし差し支えなければ教えてほしい」と、主人が私を振り返りました。主人も「うむ」と生返事をしました。

「いや、それは当人に迷惑がかかるかもしれませんから、やめておきましょう」と私は答えました。

「すべて曖昧で、どうするつもりなのかね」と迷亭が冷笑しました。

「そんなことを言わないでください。これは本当に真面目な話なんです。とにかく、あの婦人が急に病気になったことを考えると、飛花落葉の感慨で胸がいっぱいになり、全身の活気が一度に失われたように感じました。私はただ、ふらふらとした足取りで吾妻橋にたどり着きました。欄干に寄りかかり、下を見下ろすと、満潮か干潮かはわからないけれど、黒い水がただ動いているように見えました。花川戸の方から人力車が一台、橋の上を通り過ぎていきました。その提灯の火を見送っていると、だんだん小さくなり、札幌ビールのところで消えてしまいました。私は再び水面を見ました。すると、遥か上流の方から、私の名前を呼ぶ声が聞こえました。今の時期に人に呼ばれる理由はないのに、誰だろうと思い、水面を透かして見ましたが、暗くて何もわかりません。気のせいだろうと思い、早々に帰ろうと一歩、二歩歩き出すと、また微かな声で遠くから私の名前を呼ぶのです。私は立ち止まり、耳を澄ませました。三度目に呼ばれたときには、欄干にしがみつきながら、膝ががくがくと震え始めました。その声は遠くから、あるいは川の底から聞こえてくるようでしたが、間違いなく○○子の声でした。私は思わず「はーい」と返事をしました。その返事が大きかったため、静かな水に響き、自分の声に驚いて周囲を見渡しました。人も犬も月も、何も見えません。その時、私はこの「夜」の中に巻き込まれ、あの声のするところへ行きたいという衝動に駆られました。○○子の声がまた苦しそうに、訴えるように、救いを求めるように私の耳に刺さりました。今度は「今すぐ行きます」と答えて、欄干から半身を出し、黒い水を眺めました。どうも私を呼ぶ声が波の下から無理に漏れ出ているように思えました。この水の下にいるのだと思いながら、私はとうとう欄干の上に乗りました。次に呼ばれたら飛び込もうと決心し、流れを見つめていると、また哀れな声が糸のように浮かんできました。ここだと思い、力を込めて一反飛び上がり、そのまま小石のように未練なく落ちてしまいました。

「とうとう飛び込んだのかい?」と主人が目をぱちくりさせて尋ねました。

「そこまで行こうとは思わなかった」と迷亭が自分の鼻の頭をちょいとつまみました。

「飛び込んだ後は気が遠くなり、しばらくは夢中でした。やがて目が覚めると、寒さは感じるものの、どこも濡れているところはなく、水を飲んだような感じもしませんでした。確かに飛び込んだはずなのに、本当に不思議です。これは変だと気がついて周囲を見渡すと、驚きました。水の中に飛び込んだつもりでいたのに、実は間違って橋の真ん中に飛び降りていたのです。その時は本当に残念でした。前と後ろの間違いだけで、あの声のするところへ行くことができなかったのです。」寒月はにやにや笑いながら、いつものように羽織の紐をいじっていました。

「ハハハハ、これは面白い。僕の経験とよく似ているところが奇妙だ。やはりゼームス教授の材料になるね。人間の感応という題で描写文にしたら、きっと文壇を驚かせるよ……それで、○○子さんの病気はどうなったのかね?」と迷亭先生が追求しました。

「二、三日後に年始の挨拶に行ったら、門の内で下女と羽根を突いていましたから、病気は全快したようです」と私は答えました。

主人は最初から考え込んでいたようでしたが、この時ようやく口を開いて、「僕にもある」と負けじと気を出しました。

「あるって、何があるんだい?」と迷亭が尋ねましたが、彼の目には主人などは映っていないようでした。

「僕のも去年の暮れのことだ」と主人が言いました。

「みんな去年の暮れは暗合で妙ですね」と寒月が笑いました。欠けた前歯の間に空也餅が挟まっていました。

「やはり同日同刻じゃないか」と迷亭が言い返しました。

「いや、日付が違うようだ。何でも二十日頃だって。妻が、お歳暮の代わりに摂津大掾を聞かせてほしいと言うから、連れて行ってやらないこともないが、今日の語り物は何かと尋ねたら、妻が新聞を見て鰻谷だと言うのさ。鰻谷は嫌いだから、今日はやめにしようとその日は取りやめた。

翌日になると、妻がまた新聞を持ってきて、今日は堀川だからいいでしょうと言う。堀川は三味線の音が賑やかで、実のある話がないからやめようと言うと、妻は不満そうな顔をして引き下がった。

その翌日、妻が言うには、今日は三十三間堂です。私はぜひ摂津の三十三間堂が聞きたい。あなたは三十三間堂も嫌いかもしれないが、私に聞かせてくれるのだから、一緒に行ってもいいでしょうと手詰めの交渉を始める。そんなに行きたいなら行ってもいいが、ただ一世一代の大入だから、到底突っ込んで行ったって入れる気がしない。元々、ああいう場所に行くには茶屋があって、そこで交渉して席を予約するのが正当な手続きだから、それを踏まえずに常識を逸脱するのは良くない。残念だが、今日はやめようと言うと、妻は鋭い目つきで、私は女ですからそんな難しい手続きなんて知りませんが、大原のお母さんも鈴木の君代さんも、正当な手続きを踏まえずに立派に聞いてきたんですから、いくらあなたが教師だからって、そんな手間のかかる見物をしなくても済むでしょう、あなたはあまりにも冷たいと泣きそうな声を出す。

それじゃダメでも、まあ行くことにしよう。晩ご飯を食べて電車で行こうと降参すると、行くなら四時までに向こうに着かないといけません、そんなぐずぐずしてはいられませんと急に元気になる。なぜ四時までに行かなくてはならないのかと聞き返すと、そのくらい早く行って場所を取らないと入れないからですと、鈴木の君代さんから教えられた通りを述べる。それじゃ四時を過ぎればもうダメなんだねと念を押してみると、ええ、ダメですともと答える。すると不思議なことに、その時から急に悪寒がし始めた。」

「奥さんがですか?」と寒月が尋ねる。

「いや、妻はぴんぴんしているよ。僕がさ、何だか穴の空いた風船のように一度に萎縮する感じがして、気がつくともう目がぐらぐらして動けなくなっていた。」

「急病だね」と迷亭が補足する。

「ああ、困ったことになった。妻が年に一度の願い事だから、ぜひ叶えてあげたい。普段は叱ったり、口をきかなかったり、苦労をかけたり、子供の世話をさせたりしているだけで、何一つ感謝の気持ちを示したことがない。今日は幸い時間もあるし、財布には四、五枚の札もある。連れて行けば行けるだろう。妻も行きたいだろうし、僕も連れて行ってあげたい。どうしても連れて行ってあげたいが、こう悪寒がして目がくらんで、電車に乗るどころか、靴を脱いで降りることすらできない。ああ、気の毒だ、気の毒だと思うと、さらに悪寒が強くなり、目がくらんでくる。

早く医者に見てもらって、薬をもらえば、四時前には全快するだろうと考え、妻と相談して甘木医学士を呼びにやると、残念ながら昨夜が当番でまだ大学から帰っていないという。二時頃には帰るので、帰り次第すぐに診てもらえるとの返事だった。困ったなあ、今杏仁水でも飲めば、四時前にはきっと治るのに、運の悪い時には何事も思うようにはいかないものだ。せっかく妻の喜ぶ顔を見て楽しもうという計画も、がらりと外れそうになってきた。

妻は恨めしそうな顔をして、「本当にいらっしゃれませんか?」と聞く。行くよ、必ず行くよ。四時までにはきっと治してみせるから、安心して待っていてほしい、と口では言ったものの、心の中は無限の感慨でいっぱいだった。悪寒はますます強くなり、目はますますぐらぐらする。もし四時までに全快できなかったら、気の狭い彼女のことだから、何をするかわからない。情けない状況になってしまった。どうしたらいいのだろう。万が一のことを考えると、今のうちに有為転変の理、生者必滅の道を説いて、もしもの変が起こった時に取り乱さないくらいの覚悟をさせるのも、夫としての義務ではないかと考え始めた。

僕は急いで妻を書斎に呼んだ。呼んでみると、彼女は「女だから」と言いながらも、"many a slip 'twixt the cup and the lip"という西洋の諺くらいは知っているだろうと聞くと、「そんな横文字、誰が知るもんですか。あなたは人が英語を知らないのを知っているくせに、わざと英語を使って人をからかうんだから。どうせ英語なんかできないんですから、そんなに英語が好きなら、なぜ耶蘇学校の卒業生でももらわなかったんですか」と冷たく言い放つ。僕はせっかくの計画が台無しになってしまった。

君たちにも弁解するが、僕の英語は決して悪意で使ったわけではない。全く妻を愛する気持ちから出たもので、それを妻のように解釈されては、僕も立つ瀬がない。それに、さっきからの悪寒と眩暈で少し頭が乱れていたところに、急いで有為転変、生者必滅の理を飲み込ませようとしたため、つい妻が英語を知らないことを忘れて、何の気も付かずに使ってしまったのだ。考えると、これは僕が悪い、全く手落ちだった。この失敗で悪寒はますます強くなり、目はますますぐらぐらする。

妻は命じられた通り風呂場へ行き、肌を洗って化粧をし、箪笥から着物を出して着替えた。もういつでも出かけられるという様子で待ち構えている。僕は気が気でない。早く甘木君が来てくれればいいがと思って時計を見ると、もう三時だ。四時にはもう一時間しかない。「そろそろ出かけましょうか」と妻が書斎の戸を開けて顔を出す。自分の妻を褒めるのはおかしいようだが、この時ほど彼女を美しいと思ったことはなかった。肌が石鹸で磨かれ、黒縮緬の羽織と反射し合って輝いている。その顔が石鹸の香りと、摂津大掾を聞こうという希望に満ちて、まさに輝いて見える。どうしてもその希望を満足させて出かけてやろうという気になる。

「それじゃ、奮発して行こうかな」と一息ついていると、ようやく甘木先生が来た。うまくいった。が、容体を話すと、甘木先生は僕の舌を見て、手を握り、胸を叩いて背を撫で、目の周りを引っ繰り返して、頭蓋骨をさすり、しばらく考え込んでいる。「どうも少し険呑のような気がしますが」と僕が言うと、先生は落ち着いて、「いえ、特別なことはありませんよ」と言う。「あの、ちょっとくらい外出しても差し支えはありませんか?」と妻が聞く。「さよう」と先生はまた考え込む。「気分さえ悪くなければ……」「気分は悪いですよ」と僕が言う。「じゃあ、ともかくも頓服と水薬をあげますから」「へえ、どうか、何だかちょっと危ないようになりそうですな」「いや、決して心配になるほどのことじゃありません。神経をお起こしにならないように」と先生が帰る。

三時は三十分過ぎた。下女を薬取りにやる。妻の厳命で駆け出して行き、駆け出して帰ってくる。四時十五分前である。四時にはまだ十五分ある。すると四時十五分前頃から、今まで何ともなかったのに、急に吐き気が催してきた。妻は水薬を茶碗に注いで僕の前に置いてくれたので、茶碗を取り上げて飲もうとすると、胃の中から「げー」と声が上がり、吐き気が襲ってくる。やむを得ず茶碗を下に置く。妻は「早く飲んだらいいでしょう」と急かす。早く飲んで早く出かけなくては義理が悪い。思い切って飲んでしまおうと再び茶碗を唇に近づけると、また吐き気が執念深く妨害してくる。飲もうとしては茶碗を置き、飲もうとしては茶碗を置いていると、茶の間の柱時計がチンチンチンと四時を打った。さあ、四時だ、ぐずぐずしてはいられないと茶碗をまた取り上げると、不思議なことに、四時の音と共に吐き気がすっかり治まり、水薬が何の苦もなく飲めた。

それから四時十分頃になると、甘木先生の名医ということも初めて理解できたが、背中のぞくぞく感も、目のぐらぐら感も夢のように消え、立つこともできないと思っていた病気がたちまち全快したのは嬉しかった。

「それから歌舞伎座へ一緒に行ったのかい?」と迷亭が要領を得ない顔をして聞いた。

「行きたかったけれど、もう四時を過ぎてしまったから、入れないという妻の意見だから仕方がない。やめにしたよ。甘木先生がもう十五分早く来てくれれば、僕の義理も立つし、妻も満足しただろうに、ほんの十五分の差で、実に残念なことをした。考えれば考えるほど、危ないところだったと思うよ。」

主人はそう語り終え、ようやく自分の義務を果たしたかのような顔をした。これで二人に対しても顔が立つと思っているのかもしれない。

寒月は、いつものように欠けた歯を見せて笑いながら「それは残念でしたね」と言った。

迷亭はとぼけた顔をして「君のような親切な夫を持った妻君は、本当に幸せだな」と独り言のように言った。障子の陰から、エヘンと咳払いする妻の声が聞こえた。

私はおとなしく三人の話を順番に聞いていたが、特におかしくも悲しくもなかった。人間というものは、時間を潰すために無理に口を動かし、おかしくもないことを笑ったり、面白くもないことを喜んだりするしか能がないのだと思った。主人の我儘で偏狭な性格は前から知っていたが、普段は言葉数が少ないため、何か理解しがたい点があるように思われていた。その理解しがたい点に少し恐ろしさを感じていたが、今の話を聞いてから急に軽蔑したくなった。彼はなぜ二人の話を黙って聞いていられないのだろう。負けじと愚にもつかない駄弁を弄しても、何の得があるのだろうか。エピクテタスにそんなことをしろと書いてあるのだろうか。要するに、主人も寒月も迷亭も、平和な日々を送る人々で、彼らは糸瓜のように風に吹かれて超然と澄み切っているように見えるが、実際にはやはり世俗的な欲望も持っている。競争心や勝ちたいという気持ちは、彼らの日常の談笑の中にもちらちらと見え隠れし、一歩進めば彼らが普段罵倒している俗物たちと同じ穴の狢になるのは、猫よりも見ていて気の毒だ。ただ、その言葉のやり取りが普通の半可通のように、文句を言うことに嫌味を帯びていないのは、少しは取り得かもしれない。

こう考えると、急に三人の談話が面白くなくなったので、三毛子の様子でも見に行こうかと、二絃琴の師匠の庭口へ回った。門松の飾りはすでに取り払われ、正月も早や十日となったが、うららかな春日は、一筋の雲も見えない深い空から四海を一度に照らし、十坪にも満たない庭の面も元日の曙光を受けた時よりも鮮やかな活気を呈していた。椽側には座蒲団が一つ置かれていて人影も見えず、障子も立て切ってあるのは、師匠が湯にでも行ったのかもしれない。師匠が留守でも構わないが、三毛子の様子が気がかりだった。ひっそりとして人の気配もないので、泥足のまま椽側へ上がり、座蒲団の真ん中に寝転んでみると、いい心持ちだった。ついウトウトして、三毛子のことも忘れてうたた寝をしていると、急に障子の内から人の声が聞こえた。

「御苦労だった。出来たかえ?」師匠はやはり留守ではなかったのだ。

「はい、遅くなりまして、仏師屋へ行ったらちょうど出来上がったところだと申しまして」「どれ、お見せなさい。ああ、綺麗に出来た。これで三毛も浮かばれるでしょう。金は剥げることはないだろうね」「ええ、念を押したら上等を使ったから、これなら人間の位牌よりも持つと言っていました。……それから猫誉信女の『誉』の字は崩した方が格好がいいから、少し画を変えたと申しました」「どれどれ、早速仏壇に上げて御線香でもあげましょう。」

三毛子は、どうかしたのかな、何だか様子が変だと思って蒲団の上に立ち上がる。チーン、南無猫誉信女、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、師匠の声がする。

「お前も回向をしておやりなさい。」

チーン、南無猫誉信女、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、今度は下女の声がする。私は急に動悸がしてきた。座蒲団の上に立ったまま、木彫りの猫のように目も動かさない。

「本当に残念なことをしてしまいましたね。最初はちょっと風邪を引いたのが原因でしょうがね」「甘木さんが薬でもくれれば、よかったかもしれないね」「一体あの甘木さんが悪いんですよ、あまり三毛を馬鹿にし過ぎましたね」「そう、人のことを悪く言うものではない。これも寿命だから。」

三毛子も甘木先生に診察してもらったようだ。

「結局、表通りの教師のところの野良猫が無暗に誘い出したからだと思いますよ」「ええ、あの畜生が三毛の仇ですから。」

少し弁解したかったが、ここが我慢のしどころだと唾を飲み込んで聞いている。話はしばし途切れた。

「世の中は自由にならないものですね。三毛のような器量よしは早死にしますし、不器量な野良猫は元気でいたずらをしていますし……」「その通りです。本当に三毛のような可愛い猫は、鐘と太鼓で探しても二匹とはおりませんからね。」

二匹という代わりに「二たり」と言った。下女の考えでは、猫と人間は同じ種族だと思っているらしい。そういえば、この下女の顔は私たち猫属とは非常に似ている。

「できることなら三毛の代わりに……」「あの教師のところの野良が死ぬと、御誂え通りに参ったんですけれどね。」

御誂え通りになっては、ちょっと困る。死ぬということはどんなものか、まだ経験したことがないから好きとも嫌いとも言えないが、先日あまり寒かったので火消壺の中に潜り込んでいたら、下女が私がいるのも知らずに上から蓋をしたことがあった。その時の苦しさは考えるだけで恐ろしいほどだった。白君の説明によると、あの苦しみがもう少し続くと死ぬのだそうだ。三毛子の身代わりになるのなら苦情もないが、あの苦しみを受けなくては死ぬことができないのなら、誰のためでも死にたくはない。

「しかし猫でも坊さんの御経を読んでもらったり、戒名を作ってもらったのだから、心残りはないでしょう」「そうです、本当に果報者です。ただ欲を言うと、あの坊さんの御経があまり軽薄だったようですけれど」「少し短すぎたようだったから、大変御早うございますねと尋ねたら、月桂寺さんは、ええ、利目のあるところをちょいとやっておきました、猫だからあのくらいで充分浄土へ行けますとおっしゃったよ」「あらまあ……しかしあの野良なんかは……」

僕には名前がないと何度も言っているのに、この下女は「野良野良」と呼ぶ。失礼な奴だ。

「罪が深いんですから、どんなにありがたいお経を唱えても、救われることはありませんよ」

僕はその後、どれだけ「野良」が繰り返されたのか、全く覚えていない。無限に続くその話を途中で聞き捨てて、布団から滑り落ちて、縁側から飛び降りたとき、八万八千八百八十本の毛が一度に立って身震いした。それ以来、二絃琴の師匠の近くには行っていない。今頃、師匠自身が月桂寺から軽いお経を受けているだろう。

最近は外に出る勇気もなくなった。なんだか世間が鈍く感じられる。主人に劣らぬほどの無性猫になってしまった。主人が書斎に閉じこもっているのを見て、人々が「失恋だ、失恋だ」と噂するのも無理はないと思うようになった。

まだ一度も鼠を捕まえたことがないので、一時は「御三」から追い出されるかもしれないとさえ思ったが、主人は僕が普通の猫ではないことを知っているから、僕はやはりのんびりとこの家で過ごしている。この点については、深く主人に感謝し、その鋭い目に対しても敬意を表したいと思っている。御三が僕を知らずに虐待するのは、特に腹も立たない。いつか左甚五郎が現れて、僕の肖像を楼門の柱に刻み、日本のスタンランが好んで僕の似顔をキャンバスに描くようになったら、彼ら鈍感な人たちは初めて自分の無知を恥じるだろう。