一
von 夏目漱石 · 2026-03-31
僕は猫だ。名前はまだない。
どこで生まれたのか、全く思い出せない。ただ、薄暗くて湿った場所でニャーニャー泣いていたことだけは記憶に残っている。そこで初めて人間というものを見たのだが、後で聞くとそれは書生という、最も獰悪な種族だということだった。書生というのは、時々猫を捕まえて煮て食うという話もある。しかし、その時は何も考えず、特に恐ろしいとも思わなかった。ただ彼の手のひらに載せられ、ふわふわと持ち上げられた時の感触だけが残っている。手の上で少し落ち着いて、書生の顔を見たのが、いわゆる人間というものの初めての印象だろう。その時の奇妙な感覚は、今でも忘れられない。まず、毛で飾られるべき顔がつるつるしていて、まるで薬缶のようだった。その後、他の猫にもたくさん出会ったが、こんな変わった顔の猫には一度も会ったことがない。さらに、顔の真ん中が異常に突き出ていて、その穴から時々煙を吹いている。どうも喉がイガイガして、実に困った。これが人間が吸う煙草だと知ったのは、最近のことだ。
書生の手のひらでしばらくは心地よく座っていたが、しばらくすると急に速く動き始めた。書生が動いているのか、自分だけが動いているのか分からず、目が回ってしまった。胸が悪くなり、もう助からないと思っていると、どさりと音がして、目の前が真っ暗になった。それまでのことは記憶にあるが、その後は何が起こったのか、いくら考えても分からない。
ふと気がつくと、書生はいない。たくさんいた兄弟も一匹も見えない。肝心の母親さえ姿を隠してしまった。その上、今までいた場所とは違って、無暗に明るい。目を開けていられないくらいだ。何かおかしいと思い、這い出してみると、非常に痛い。僕は藁の上から急に笹原の中に捨てられてしまったのだ。
ようやくの思いで笹原を這い出すと、向こうに大きな池が見えた。僕は池の前に座って、どうしたらいいのか考えたが、特に分別も出ない。しばらくして泣いたら書生が迎えに来てくれるかもしれないと思いついた。ニャー、ニャーと試みてみたが、誰も来ない。そのうち、池の上をさらさらと風が渡り、日が暮れかかる。お腹が非常に減ってきた。泣きたくても声が出ない。仕方がない、何でもいいから食べ物のあるところまで歩こうと決心し、そろりそろりと池を左に回り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やり這って行くと、ようやく人間の匂いがする場所に出た。ここに入ったら、どうにかなると思って、竹垣の崩れた穴からある邸内に潜り込んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったら、僕は路傍で餓死していたかもしれない。一樹の陰とはよく言ったものだ。この垣根の穴は、今日に至るまで僕が隣家の三毛を訪問する時の通路になっている。
さて、邸に忍び込んだものの、これからどうすればいいのか分からない。暗くなり、腹は減り、寒さは厳しく、雨が降り始めるという始末で、もう一刻の猶予もできなくなった。仕方がないから、とにかく明るくて暖かそうな方へ向かって歩いて行った。今から考えると、その時にはすでに家の中に入っていたのだ。そこで、僕は書生以外の人間を再び見る機会に遭遇した。最初に出会ったのがおさんだった。彼女は前の書生よりもさらに乱暴で、僕を見るや否やいきなり首筋をつかんで外へ投げ出した。これは駄目だと思い、目をつぶって運を天に任せていた。しかし、空腹と寒さにはどうしても我慢できなかった。再びおさんの隙を見て台所へ這い上がると、すぐにまた投げ出された。僕は投げ出されては這い上がり、這い上がっては投げ出され、同じことを四五回繰り返した。その時、おさんには本当に嫌気がさした。この間におさんの三馬を盗んで、これが返報だと思ってやっと胸のつかえが下りた。最後にまた投げ出されそうになった時、この家の主人が騒がしい何だといって出てきた。下女は僕をぶら下げて、主人の方へ向けて「この宿なしの小猫が、いくら出しても台所に上がって来て困ります」と言った。主人は鼻の下の黒い毛を撚りながら、しばらく僕の顔を眺めていたが、やがて「それなら中に置いてやれ」と言って奥に入ってしまった。主人はあまり口をきかない人のようだ。下女は悔しそうに僕を台所に投げ出した。こうして、僕はついにこの家を自分の住家と決めることにした。
僕の主人は滅多に僕と顔を合わせることがない。職業は教師だそうだ。学校から帰ると、終日書斎にこもり、ほとんど出てこない。家の者たちは彼が大変な勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのように見せている。しかし実際は、家の者が言うような勤勉家ではない。時々忍び足で彼の書斎を覗いてみると、彼はよく昼寝をしていることがある。時には読みかけの本の上に涎を垂らしている。彼は胃が弱く、皮膚の色が淡黄色を帯びていて、弾力のない不活発な様子を見せている。それなのに、大飯を食う。大飯を食った後でタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物を広げ、二三ページ読むと眠くなり、また涎を本の上に垂らす。これが彼の毎夜の繰り返しの日課だ。僕は猫ながら、時々考えることがある。教師というのは実に楽な仕事だ。人間に生まれたら教師になるに限る。こんなに寝ていても勤まるのなら、猫でもできることだと。それでも主人に言わせると、教師ほど辛いものはないそうで、彼は友達が来るたびに何だかんだと不平を鳴らしている。
私がこの家に住み始めた頃、主人以外の人々からはまったく無視されていました。どこへ行っても跳ね返され、相手にされることはありませんでした。どれほど大切にされていなかったかは、今まで名前すら付けてもらえなかったことからも明らかです。仕方がないので、できるだけ主人のそばにいるように努めました。朝、主人が新聞を読むときは必ず彼の膝の上に乗り、昼寝をするときはその背中に乗るのです。これは特に主人が好きだからではなく、他に行く場所がなかったからです。
その後、いろいろな経験を経て、朝は飯櫃の上、夜は炬燵の上、天気の良い昼は縁側で寝ることにしました。しかし、一番心地よいのは、夜にこの家の子供たちの寝床に潜り込んで一緒に寝ることです。この子供たちは五歳と三歳で、夜になると二人が一つの布団に入って寝ます。私はいつでも彼らの間に自分の居場所を見つけて、どうにかこうにか割り込むのですが、運悪く一人が目を覚ますと大変なことになります。特に小さい方の子供が、「猫が来た、猫が来た!」と大声で泣き出すのです。すると、神経質な主人は必ず目を覚まし、次の部屋から飛び出してきます。実際、先日などは、私の尻をひどく叩かれました。
人間と一緒に暮らし、彼らを観察すればするほど、彼らが我儘だと断言せざるを得なくなりました。特に、時々一緒に寝る子供たちに関しては言うまでもありません。自分の思い通りにならないと、逆さにしたり、頭に袋をかぶせたり、押し出したり、押し込んだりします。そして、私が少しでも手を出そうものなら、家中がかりで追い回して迫害を加えるのです。この間、畳で爪を磨いたら、奥さんが非常に怒って、それ以来簡単には座敷に入れなくなりました。台所の板の間で他の猫が震えていても、私は全く平気です。私が尊敬する筋向かいの白君は、会うたびに「人間ほど不人情なものはない」と言っています。白君は先日、玉のような子猫を四匹産みましたが、その家の書生が三日目にそれを裏の池に持って行き、四匹とも捨ててしまったそうです。白君は涙を流しながらその一部始終を話し、私たち猫族が親子の愛を全うし、美しい家族的生活を送るためには、人間と戦ってこれを排除しなければならないと語りました。私もそれには賛同します。また、隣の三毛君は、人間が所有権ということを理解していないと大いに憤慨しています。元々、私たち同族間では、目刺の頭でも鰡の臍でも、最初に見つけた者がそれを食べる権利があります。もし相手がこの規約を守らなければ、力で訴えても良いのです。しかし、人間はまったくこの観念がないようで、私たちが見つけたご馳走は必ず彼らに奪われてしまいます。彼らはその力を頼りに、正当に私たちが食べるべきものを奪って満足しています。白君は軍人の家に住んでいて、三毛君は代言の主人を持っていますが、私は教師の家に住んでいるだけで、こういうことに関しては、むしろ楽天的です。ただその日その日がどうにかこうにか送られれば良いのです。いくら人間だって、そういつまでも栄えることはないでしょう。まあ、気長に猫の時節を待つことにしましょう。
我儘について思い出したので、私の家の主人がこの我儘で失敗した話をしようと思います。元々、この主人は特に優れたことができるわけではありませんが、何にでも手を出したがります。俳句をやってほととぎすに投書したり、新体詩を明星に出したり、間違いだらけの英文を書いたり、時には弓に凝ったり、謡を習ったり、またあるときはヴァイオリンをブーブー鳴らしたりしますが、残念なことに、どれもこれも物になっていません。そのくせ、始めると胃弱の癖に異常に熱心です。後架の中で謡を歌って、近所では「後架先生」とあだ名をつけられているにも関わらず、全く平気です。みんなが「また宗盛だ」と笑い出すほどです。
この主人がどういう考えになったのか、私が住み始めてから一ヶ月ほど経ったある月の給料日、大きな包みを提げて慌ただしく帰ってきました。何を買ってきたのかと思うと、水彩絵具と毛筆、ワットマンという紙でした。今日から謡や俳句をやめて絵を描く決心をしたようです。実際、翌日からしばらくの間、毎日毎日書斎で昼寝もせずに絵ばかり描いていました。しかし、その出来上がったものを見ると、何を描いたのか誰にもわからない代物でした。本人もあまり甘くないと思ったのか、ある日、美術を学んでいる友人が来たときに、こんな話をしているのを聞きました。
「どうも、うまく描けないものだね。人のを見ると何でもないように見えるが、自分で筆を取ってみると、今さらのように難しく感じる。」これは主人の述懐です。なるほど、詐りのないところです。彼の友人は金縁の眼鏡越しに主人の顔を見ながら、「そう、初めから上手には描けないよ。第一、室内の想像だけで絵が描けるわけではない。昔、イタリアの大家アンドレア・デル・サルトが言ったことがある。絵を描くなら、何でも自然そのものを写せ。天には星辰があり、地には露華があり、飛ぶには禽があり、走るには獣があり、池には金魚があり、枯木には寒鴉がある。自然はこれ一幅の大活画なのだから。」と言いました。「どうだ、君も画らしい画を描こうと思うなら、ちょっと写生をしてみたらどうだ。」
「へえ、アンドレア・デル・サルトがそんなことを言ったのか。ちっとも知らなかった。なるほど、これはもっともだ。本当にその通りだ」と主人は無暗に感心していました。金縁の眼鏡の裏には、嘲けるような笑みが見えました。
その翌日、私はいつものように縁側に出て、心地よく昼寝をしていました。すると、主人が珍しく書斎から出てきて、私の後ろで何かをしきりにやっています。ふと目が覚めて、何をしているのかと少し目を細めて見ると、彼は夢中になってアンドレア・デル・サルトの絵を描いているのです。この光景を見て、私は思わず笑いをこらえることができませんでした。彼は友人にからかわれた結果、まず手始めに私を描こうとしているのです。
私はすでに十分に寝ていて、あくびが出そうでたまりません。しかし、せっかく主人が熱心に筆を動かしているのを邪魔するのは気の毒だと思い、じっと我慢していました。彼は今、私の輪郭を描き上げ、顔のあたりに色を塗っています。正直に言うと、私は猫としては決して優れた出来ではありません。背や毛並み、顔の造作において、他の猫に勝るとは思っていません。しかし、いくら不器量な私でも、今主人が描こうとしているような奇妙な姿には到底思えません。まず、色が違うのです。私はペルシャ猫のように淡い灰色に漆のような斑点を持っています。これは誰が見ても疑いようのない事実です。
ところが、主人の描く色は、黄でも黒でも灰色でも褐色でもなく、これらを混ぜた色でもありません。ただ一種の色で、何とも表現しがたい色なのです。その上、不思議なことに目が描かれていません。これは寝ているところを描いているのだから仕方がないとしても、目らしい部分が見えないので、盲目の猫か寝ている猫かも判然としません。私は心の中で、いくらアンドレア・デル・サルトでも、これではどうしようもないと思いました。しかし、その熱心さには感服せざるを得ませんでした。できるだけ動かずにいてあげたいと思ったのですが、さっきから小便が催してきて、体の筋肉がむずむずします。もう一分も待てない状況になったので、やむを得ず失礼して、両足を前に伸ばし、首を低く押し出して大きなあくびをしました。
こうなると、もうおとなしくしているわけにはいきません。どうせ主人の予定を壊してしまったのだから、ついでに裏へ行って用を足そうと思い、のそのそと這い出しました。すると、主人は失望と怒りを混ぜたような声で、部屋の中から「この馬鹿野郎」と怒鳴りました。彼は人を罵るとき、必ず「馬鹿野郎」と言うのが癖です。他に悪口の言いようを知らないのだから仕方がありませんが、今まで我慢していた私の気持ちも知らずに、無暗に「馬鹿野郎」と呼ばれるのは失礼だと思いました。それに、普段私が彼の背中に乗るときに少しでも良い顔をしてくれるなら、この罵倒も甘んじて受け入れますが、こちらの都合を考えてくれたことは一度もないのに、小便をしただけで「馬鹿野郎」とはひどいものです。そもそも人間というものは、自分の力に慢心して、みんな増長しているのです。少しでも人間より強いものが出てきて、彼らを戒めなければ、この先どこまで増長するかわかりません。
我慢もこのくらいなら許せますが、私は人間の不徳について、これよりも数倍悲しい話を耳にしたことがあります。
私の家の裏には、十坪ほどの茶園があります。広くはありませんが、洒落た雰囲気で、日当たりの良い場所です。うちの子供たちがあまり騒いで、ゆっくり昼寝ができないときや、退屈でお腹の調子が良くないときなど、私はいつでもここに出て、心を落ち着けるのが常です。ある小春日和の穏やかな日の午後二時頃、私は昼食後、快適に一眠りした後、運動がてらこの茶園へと歩を運びました。茶の木の根を一本一本嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまで来ると、枯れた菊の上に大きな猫が前後不覚に寝ていました。彼は私が近づくのも全く気づかず、大きな鼾をかいて長々と体を横たえて眠っています。庭に忍び込んだ者が、これほどまでに平気で眠れるものかと、私は密かにその大胆さに驚かざるを得ませんでした。彼は純粋な黒猫です。わずかに午を過ぎた太陽が、透明な光線を彼の皮膚の上に投げかけ、きらきらする柔らかな毛の間から、目に見えない炎が燃え出ているように思えました。彼は猫の中でも大王と呼ぶべきほどの偉大な体格を持っています。私の倍は確かにあります。
私は賞賛の念と好奇心に駆られ、前後を忘れて彼の前に立ち尽くし、じっと眺めていました。すると、静かな小春の風が、杉垣の上から出た梧桐の枝を軽く揺らし、数枚の葉が枯れた菊の茂みに落ちました。その瞬間、大王はぱっとその真ん丸の目を開きました。今でもその光景を覚えています。その目は、人間が珍重する琥珀よりも遥かに美しく輝いていました。彼は身動きもしません。双眸の奥から放たれる光が、私の小さな額の上に集まり、「お前は一体何者だ」と問いかけているようでした。大王にしては少々言葉が卑しいと思いましたが、その声の底には犬をも圧倒する力がこもっているため、私は少なからず恐れを抱きました。しかし、挨拶をしないと険悪になりそうだと思い、「私は猫です。名前はまだありません」となるべく平静を装って冷静に答えました。しかし、この時、私の心臓は確かにいつもよりも激しく鼓動していました。
彼は大きな軽蔑の調子で「何、猫だ? 猫が聞いてあきれらあ。お前は一体どこに住んでいるんだ」と言いました。随分と傍若無人です。「私はここの教師の家にいるのです」と答えると、「どうせそんなことだろうと思った。いやに痩せてるじゃねえか」と大王は言い放ちました。言葉の様子からすると、どうも良家の猫とは思えません。しかし、その膏が切れて肥満している様子から、どうやらご馳走を食べているらしく、豊かに暮らしているようです。私は「そう言う君は一体誰だい」と尋ねざるを得ませんでした。「俺は車屋の黒だ」と彼は昂然と答えました。車屋の黒はこの近辺で知らぬ者のない乱暴猫です。しかし、車屋だけに強いばかりで、ちっとも教育がないため、あまり誰も交際しません。彼は同盟敬遠主義の的になっている奴です。私は彼の名を聞いて少し尻こそばゆい感じを覚えると同時に、一方では少し軽蔑の念も生じました。私はまず彼がどのくらい無学であるかを試してみようと思い、次のように尋ねてみました。
「一体、車屋と教師とはどちらが偉いのだろう?」
「車屋の方が強いに決まっている。お前の主人を見ろ、まるで骨と皮ばかりだぜ。」
「君も車屋の猫だけあって、かなり強そうだね。車屋にいると美味しいものが食べられるんだろう」
「何を言ってるんだ、どこの国に行ったって、食べ物には困らないつもりだよ。君も茶畠ばかりぐるぐる回っていないで、ちょっと私の後について来てみな。一ヶ月も経たないうちに、見違えるほど太れるから」
「それを願うことにしよう。でも、家は教師の方が車屋よりも大きいのに、住んでいるのはどういうことだろう」
「馬鹿なことを言うな、うちがどんなに大きくても、腹を満たすものにはならないさ」
彼はかなり怒った様子で、寒竹のような耳をぴくぴくさせながら、あっさりと立ち去った。私が車屋の黒と知り合ったのは、これからのことだ。
その後、私は何度も黒と出会う。出会うたびに、彼は車屋の猫らしい自信を見せる。以前に私が耳にした不徳の事件も、実は黒から聞いたことだった。
ある日、いつものように私と黒は暖かい茶畠の中で寝転びながら、いろいろな雑談をしていた。すると、彼はいつもの自慢話を新しいかのように繰り返した後、私にこう尋ねた。「お前は今までに、何匹の鼠を捕まえたことがある?」
私は黒よりもずっと知識があるつもりだったが、腕力や勇気に関しては彼には到底敵わないと覚悟していた。しかし、この質問を受けた時は、さすがに気が引けた。とはいえ、事実を偽るわけにはいかないので、私は「実は、捕まえようと思ってまだ捕まえていない」と答えた。黒は彼の鼻の先からぴんと突き出た長いひげを震わせて、非常に笑った。元々、黒は自慢をするだけのどこか足りないところがあって、彼の気焔を感心したように聞いていれば、非常に扱いやすい猫だった。私は彼と親しくなってから、この呼吸をすぐに飲み込んだので、この場合に無理に自分を弁護して形勢を悪くするのは愚かだと思い、いっそのこと彼に自分の手柄話をさせてお茶を濁すことにした。そこでおとなしく「君は年も年だから、かなり捕まえたんじゃないか」とそそのかしてみた。すると、彼は壁の欠けたところに向かって吶喊した。「たくさんは捕まえてないが、三、四十匹は捕まえたよ」と得意げに答えた。さらに彼は続けて、「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるが、イタチってやつは手に負えない。一度、イタチに向かってひどい目に遭ったことがある」と言った。
「へえ、なるほど」と相槌を打つと、黒は大きな目をぱちぱちさせて言った。「去年の大掃除の時、うちの主人が石灰の袋を持って縁の下に這い込んだら、大きなイタチが驚いて飛び出してきたんだ」
「ふん」と感心してみせる。「イタチって、鼠より少し大きいくらいのものだろう。そんな畜生を追いかけて、結局泥溝の中に追い込んだと思ったんだ」
「うまくやったね」と称賛してやると、「ところが、いざという段になると、奴は最後っ屁をこきやがった。臭いのなんのって、そっからってものはイタチを見ると胸が悪くなる」と彼は言った。ここに至って、まるで去年の臭気を今でも感じているかのように、前足を上げて鼻の頭を何度も撫で回した。私も少し気の毒な気持ちになった。ちょっと気を使ってやろうと思い、「でも、鼠なら君に睨まれたら百年目だろう。君はあまりにも鼠を捕まえる名人だから、そんなに太って色艶が良いんだろう」と言った。この質問は、彼の機嫌を取るためのものだったが、意外にも逆効果を生んだ。彼は大きなため息をついて言った。「考えてみるとつまらない。いくら鼠を捕まえても――一体、人間ほどふてえ奴はいないぜ。人が捕まえた鼠をみんな取り上げて、交番に持って行くんだ。交番じゃ誰が捕まえたか分からないから、そのたびに五銭ずつくれるんだ。うちの主人なんか、自分のせいで一円五十銭くらい儲けているくせに、ろくなものを食わせたこともない。おい、人間ってやつは体の良い泥棒だぜ」
さすがに無学の黒もこのくらいの理屈は分かるらしく、非常に怒った様子で背中の毛を逆立てている。私は少し気味が悪くなったので、適当にその場を誤魔化して家に帰った。この時から、私は決して鼠を捕まえないと決心した。しかし、黒の子分になって鼠以外のご馳走を狩り歩くこともしなかった。ご馳走を食べるよりも寝ている方が気楽で良い。教師の家にいると、猫も教師のような性質になるのだろう。気をつけないと、今に胃弱になるかもしれない。
教師といえば、私の主人も最近になって、どうやら水彩画において望みがないことを悟ったようで、十二月一日の日記にはこんなことが書かれていた。
「○○という人に今日の会で初めて出会った。あの人はかなり放蕩をした人だというが、なるほど通人らしい風貌をしている。こういう質の人は女性に好かれるものだから、○○が放蕩をしたというよりも、放蕩をせざるを得なかったというのが適当だろう。あの人の妻君は芸者だそうで、羨ましいことだ。元々放蕩家を悪く言う人の大部分は、放蕩する資格のない者が多い。また放蕩家を自任する連中の中にも、放蕩する資格のない者が多い。彼らは余儀なくされないのに無理に進んでやるのだ。まるで私の水彩画のように、到底卒業する気はない。しかしそれにもかかわらず、自分だけは通人だと思って済ませている。料理屋の酒を飲んだり待合に入ったから通人になれるという論が立つなら、私も一流の水彩画家になれる理屈だ。私の水彩画のようなものは描かない方がましであるのと同じように、愚かなる通人よりも山出しの大野暮の方が遥かに上等だ。」
通人論にはちょっと首をかしげたくなる。また、芸者の妻君を羨ましいなどというところは、教師としては口にすべきではない愚劣な考えだが、自己の水彩画における批評眼だけは確かなものだ。主人はこのように自分を知る明瞭さがありながら、その自惚れはなかなか抜けない。中二日置いて、十二月四日の日記にはこんなことが書かれていた。
昨夜、僕は水彩画を描いてみたものの、どうにもならない出来だと思い、そのまま放り出してしまった。すると、誰かがそれを立派な額に入れて、欄間に掛けてくれた夢を見た。額に入った絵を見ていると、急に自分が上手になったように感じて、とても嬉しかった。これなら立派なものだと、一人で眺めているうちに、夜が明けて目が覚めると、やはり元の通り下手な絵だということが朝日と共に明らかになってしまった。
僕は夢の中でも水彩画への未練を抱えているようだ。これでは水彩画家にはなれないし、ましてや、師匠が言うところの通人にもなれないだろう。
夢の翌日、例の金縁眼鏡をかけた美学者が久しぶりに僕を訪ねてきた。彼が座ると、最初に口を開いたのは「画はどうかね」という言葉だった。僕は平然とした顔で、「君の忠告に従って写生を頑張っているが、確かに写生をすると、今まで気づかなかった物の形や色の微妙な変化がよく分かるようになる。西洋では昔から写生を重視してきた結果、今日のように発展したのだと思う。さすがアンドレア・デル・サルトだ」と、日記のことは一切口にせず、またアンドレア・デル・サルトに感心していた。
美学者は笑いながら、「実は君、あれは出鱈目だよ」と言って頭を掻いた。「何が?」と僕はまだ彼が笑っている理由に気づかなかった。「君がそんなに感心しているアンドレア・デル・サルトさ。あれは僕がちょっと捏造した話なんだ。君がそんなに真面目に信じるとは思わなかったよ、ハハハハ」と彼は大喜びだった。
僕はその対話を聞きながら、彼の日記にはどんなことが書かれるのだろうと想像せざるを得なかった。この美学者は、こんな軽薄なことを吹き散らして人を担ぐのを唯一の楽しみにしている男だ。彼はアンドレア・デル・サルトの話が僕の心にどんな影響を与えたのか、全く気にせず得意になってこう語った。「いや、時々冗談を言うと人が真に受けるから、大いに滑稽な美感を挑発するのは面白い。先日、ある学生にニコラス・ニックルビーがギボンに忠告して、彼の一世の大著作である『フランス革命史』をフランス語で書くのをやめて、英語で出版させたと言ったら、その学生がまた馬鹿に記憶力の良い男で、日本文学会の演説会で真面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽だった。ところがその時の傍聴者は約百名ほどいたが、皆熱心にそれを傾聴していたんだ。それからまだ面白い話がある。先日、ある文学者のいる席でハリソンの歴史小説『セオファーノ』の話が出たから、僕はあれは歴史小説の中で白眉だと評した。特に女主人公が死ぬところは鬼気迫るようだと話したら、僕の向かいに座っている見知らぬ先生が、そうそう、あそこは実に名文だと言った。それで僕はこの男もやはり僕同様この小説を読んでいないことを知ったんだ。」
神経質な僕は目を丸くして問いかけた。「そんな出鱈目を言って、もし相手が読んでいたらどうするつもりだ?」まるで人を欺くのは問題ないが、化けの皮が剥がれた時は困るのではないかと感じたようだった。美学者は少しも動じず、「その時は別の本と間違えたとか何とか言うだけさ」と言って、けらけら笑っていた。この美学者は金縁の眼鏡をかけているが、その性格は車屋の黒に似たところがある。僕は黙って日の出を見つめ、そんな勇気はないとでも言いたげな顔をしていた。
美学者はそれだから画を描いても駄目だという目で、「しかし冗談は冗談だが、画というものは実際難しいものだよ。レオナルド・ダ・ヴィンチは門下生に寺院の壁のしみを写せと教えたことがあるそうだ。確かに雪隠などに入って雨の漏る壁をじっくり眺めていると、なかなかうまい模様画が自然にできているよ。君も注意して写生してみれば、きっと面白いものができるから」と言った。「また欺すのだろう」「いや、これだけは確かだよ。実際奇警な言葉じゃないか、ダ・ヴィンチでも言いそうなことだ」と言った。主人は半分降参したようだったが、まだ雪隠で写生はしないようだった。
その後、車屋の黒は跛になった。彼の光沢ある毛は徐々に色が褪せ、抜けてきている。僕が琥珀よりも美しいと評した彼の目には、眼脂がたくさんたまっている。特に僕の注意を引いたのは、彼の元気がなくなり、体格が悪くなったことだった。僕が例の茶園で彼に会った最後の日、どうだと尋ねると、「いたちの最後屁と肴屋の天秤棒には懲々だ」と答えた。
赤松の間に二、三段の紅を綴った紅葉は、昔の夢のように散り、つくばいの近くに花弁をこぼした紅白の山茶花も残らず落ち尽くした。三間半の南向きの縁側に冬の日差しが早く傾き、木枯らしの吹かない日はほとんど稀になってから、僕の昼寝の時間も狭められたように感じる。
主人は毎日学校へ行く。帰ると書斎にこもり、人が来ると「教師が嫌だ、嫌だ」と言う。水彩画もめったに描かない。タカジヤスターゼも効かないと言ってやめてしまった。子供は感心するほど休まず幼稚園に通い、帰ると唱歌を歌い、毬をついて、時々僕を尻尾でぶら下げる。
僕はご馳走も食べないから特に太ることもないが、まずまず健康で、跛にもならずにその日その日を過ごしている。鼠は決して捕まえないし、おさんは未だに嫌いだ。名前はまだつけてもらえないが、欲を言っても際限がないから、生涯この教師の家で無名の猫として終わるつもりだ。