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十八〜二十

von 芥川龍之介

火が燃え盛る中、私は車の蓋を覆いました。庇に飾られた紫の流蘇が、風に煽られてさっと揺れると、その下から濛々と白い煙が渦を巻き上がり、まるで簾や袖、あるいは屋根の金具が一斉に砕けて飛び散るかのように、火の粉が雨のように舞い上がりました。その凄まじさは言葉では表現しきれません。いや、それ以上に、めらめらと舌を吐きながら、袖格子に絡みつく炎の色は、まるで日輪が地に落ち、天火が迸るようでした。前に叫びそうになった私も、今は完全に魂を抜かれ、ただ呆然と口を開けて、この恐ろしい光景を見つめるしかありませんでした。

しかし、親の良秀は――その時の彼の顔つきは、今でも忘れられません。思わず車の方へ駆け寄ろうとした彼は、火が燃え上がると同時に足を止め、手を伸ばしたまま、食い入るような眼差しで車を包む炎と煙を見つめていました。彼の皺だらけの醜い顔は、火の光でよく見えましたが、大きく見開いた眼の中や、引き歪めた唇のあたり、絶えず引きつっている頬の肉の震えには、恐れと悲しみ、驚きが交錯していました。首を刎ねられる前の盗人や、十王の庁に引き出された罪人でも、あれほど苦しそうな顔はしないでしょう。さすがにあの強力な侍でさえ、思わず顔色を変え、大殿様の顔を仰ぎ見ました。

大殿様は、唇を噛みしめながら、時折気味悪く笑い、目を離さずじっと車の方を見つめていらっしゃいました。そして、その車の中には――ああ、私はその時、どんな娘の姿を見たのか、詳しくお話しする勇気は到底ありません。煙にむせて仰向けになった顔の白さ、炎にかき乱された長い髪、そして見る間に火に変わっていく桜色の唐衣の美しさ――何と惨たらしい光景だったでしょう。特に夜風が一瞬吹き抜け、煙が向こうへ流れた時、赤い上に金粉を散りばめたような炎の中から浮かび上がり、髪を口に噛みながら、縛られた鎖も切れそうに身悶えする様子は、まるで地獄の苦しみを目の当たりにしているかのようで、私をはじめ、強力な侍たちも自然と身の毛がよだちました。

すると、その夜風が再び一渡り、庭の木々の梢にさっと通り抜けました――誰もがそう思ったことでしょう。暗い空を走り抜けた音が響くと、突然何か黒いものが、地にもつかず宙にも飛ばず、まるで鞠のように跳ねながら、御所の屋根から火の燃え盛る車の中へ、一文字に飛び込みました。そして、朱塗りの袖格子がばらばらと焼け落ちる中で、のけ反った娘の肩を抱き、帛を裂くような鋭い声を、何とも言えず苦しそうに長く煙の外へ飛ばしました。続いてまた二声、三声――私たちは我知らず、同じ声で叫びました。壁のような炎を背にして、娘の肩にしがみついているのは、堀河の御邸に繋がれていた、あの良秀と呼ばれる猿だったのです。その猿がどのようにしてこの御所まで忍び込んできたのか、誰にもわかりません。しかし、日頃可愛がってくれた娘のために、猿も一緒に火の中に飛び込んだのでしょう。

猿の姿が見えたのは、ほんの一瞬でした。金梨子地のような火の粉がぱっと空へ舞い上がると、猿も娘の姿も、黒煙の底に隠れてしまい、庭の真ん中にはただ一輛の火の車が凄まじい音を立てながら燃え盛っているだけでした。いや、火の車というよりも、火の柱と呼ぶ方が、あの星空を衝いて煮え返る恐ろしい火焰の様子にはふさわしいかもしれません。

その火の柱の前に立ち尽くす良秀は――何と不思議なことなのでしょう。あのさっきまで地獄の苦しみに悩んでいた良秀は、今や言葉では表現できない輝きを、まるで恍惚とした法悦のような輝きを、皺だらけの顔に浮かべていました。大殿様の御前も忘れたのか、両腕をしっかり胸に組んで佇んでいるではありませんか。それなのに、彼の眼の中には、娘の苦しむ姿が映っていないようでした。美しい火焰の色と、その中で苦しむ女性の姿が、限りなく心を悦ばせる――そういう景色に見えました。

さらに不思議なのは、良秀が一人娘の断末魔を嬉しそうに眺めているだけではありませんでした。その時の良秀には、何故か人間とは思えない、夢に見る獅子王の怒りに似た、怪しげな厳しさがありました。だから、不意の火の手に驚いて、啼き騒ぎながら飛び回る数知れぬ夜鳥でさえ、気のせいか良秀の揉烏帽子の周りには近づかなかったようです。恐らく無心の鳥の眼にも、あの男の頭上に、円光のように懸かっている不可思議な威厳が見えたのでしょう。

鳥でさえそうであれば、まして私たち仕丁までも、皆息をひそめ、身の内が震えるほど、異様な喜びに満ちて、まるで開眼の仏でも見るかのように、目を離さず良秀を見つめました。空一面に鳴り響く車の火と、それに魂を奪われて立ちすくむ良秀と――何と荘厳で、何と歓喜に満ちた光景でしょう。その中でただ一人、大殿様だけは、まるで別人のように顔色が青ざめ、口元に泡をためながら、紫の指貫の膝を両手でしっかりと掴み、まるで喉の渇いた獣のように喘ぎ続けていらっしゃいました。

その夜、雪解の御所で、大殿様が車を焼いたという噂が、どこからともなく広まりました。それに関しては、さまざまな批判が飛び交っていたようです。まず第一に、なぜ大殿様が良秀の娘を焼き殺したのかという疑問がありました。これは、叶わぬ恋の恨みからだという噂が一番多く聞かれました。しかし、大殿様の真意は、車を焼き、人を殺してまで屏風の絵を描こうとする絵師根性を戒めることだったに違いありません。実際、私は大殿様がそのようにおっしゃるのを聞いたことがあります。

その後、良秀が目の前で娘を焼き殺されながらも、なお屏風の絵を描きたいという心情が、やはり何かと非難の対象となったようです。中には、あの男を罵って、画のためには親子の情愛も忘れてしまう、人面獣心の曲者だと口にする者もいました。横川の僧都様などは、こうした考えに賛同され、「いかに一芸に秀でようとも、人としての常識を弁えなければ、地獄に堕ちるしかない」とよくおっしゃっていました。

ところが、その後一ヶ月ほど経つと、ついに「地獄変」の屏風が完成しました。良秀はすぐにそれを御邸に持参し、恭しく大殿様にお見せしました。ちょうどその時、僧都様もおいでになっていましたが、屏風の絵を一目見て、その天地に吹き荒れる火の嵐の恐ろしさに驚かれたことでしょう。それまでは苦い顔をして良秀をじろじろと睨んでいたのが、思わず膝を打って「出かし居た」とおっしゃいました。この言葉を聞いたときの大殿様の苦笑も、私は今でも忘れられません。

それ以来、あの男を悪く言う者は、少なくとも御邸の中ではほとんどいなくなりました。誰もがあの屏風を見れば、日頃良秀を憎んでいても、不思議と厳かな気持ちに打たれ、炎熱地獄の大苦悶を如実に感じるからでしょう。

しかし、その頃には、良秀はすでにこの世にいない人の仲間に入っていました。屏風が完成した翌夜、彼は自分の部屋の梁に縄をかけて、命を絶ったのです。一人娘を先立たせた彼は、恐らく安穏に生き続けることに耐えられなかったのでしょう。彼の遺体は、今でもその家の跡に埋まっています。小さな標の石は、その後何十年もの雨風にさらされ、いつの間にか誰の墓ともわからないように苔むしているに違いありません。

――大正七年四月――